第3話 必殺の少女 3

 それから、午後も何気なく授業が終わり、もう帰りのホームルームの時間になっていた。


「…はい以上で、ホームルームを終わります」


 そう中年男の担任教師が告げた瞬間クラスの緊張の糸の様なものが切れ、騒がしくなる。

 担任の教師はそそくさと教室を出て行き、クラスでは部活に向かう者や、友人と他愛の無い世間話をする者が大半を占めていた。

 僕はそんな中、特に急ぐ訳でもなく鞄を整理すると一息ついてクラスを出た。


 駐輪場に着き、鞄から自転車の鍵を取り出出すついでに携帯を確認すると、巫扇さんからメールが一件あった。

 内容は、


『今度のゴールデンウィーク中に、縁側の修繕作業をしたいから工具店で釘を買ってきてくれ』


 という、巫扇さんからのものだった。


ㅤああ。そういえば、もうすぐゴールデンウィークか。



 この町には工具店が一店舗だけ住宅街近郊にあり、住宅街にあるこの町唯一のスーパーに売ってないような、専門用具を取り扱っている。この辺りに農家が多いが一番の理由だ。

 しばらく田畑の続く道を走らせていると、工具店の前に着いた。

ㅤ駐輪場に自転車を止め手押しの扉を引いて、入店する。

 自動ドアの扉を抜けると、始めに色々な禍々しい重機が目に止まった。

 レジの所では中年の店主と麦わら帽子を被った老爺が何やら笑談していた。


「いらっしゃい」


 僕の存在に気づき、店主が声をかける。

 僕はその言葉を背に受けつつ、釘の売ってあるコーナーへと足を運んだ。

 釘や針などを売っている陳列へ着くと、まず目に止まったのは釘でも針でも無く──、一人の、少女だった。


 一刻、時が止まる。

 凛とした佇まいに、切れ長の目。

 腰まである艶やかで清楚な黒髪。

 こんな鉄臭いような場所でさえ、何かの絵画にしてしまいそうな程の美貌をその少女は携えていた。

 その少女は、釘の横、様々な針を売っている場所の中でも、抜けて大きい畳針を一貫して見つめていた。

 …畳屋の娘なのだろうか。

 そう思考を巡らせつつ、視線を移し釘を品定めする。

 と、いっても僕は釘についてこれといった知識が無に等しいので、適当な大きさの釘が幾らか入った袋を数個ほど取ると、その少女を横目にレジへ向かい、精算を済ませた。


 …しかし、どこかで見たことあるような気がする。

 なんて、駐輪場の前で根も葉もない事を考えつつ、買った釘を鞄へしまう。

ㅤ…夕日は次第に傾き、辺りは薄暗さを増していた。

 そして、巫扇さんへ『買いました』とメールで一報を入れ僕は帰路を急いだ。

ㅤ雲一つない夕空。

──今宵の月は、綺麗だろう。



 車庫へ自転車を止め、無駄に長い境内へ続く階段を登り始めた。

──その時。


「おかえり、神憑くん」


ㅤ僕が帰ってくるのを見計らったかの様に…いや、多分見計らって、巫扇さんはそう挨拶した。

ㅤ…何というか、夕日に照らされる和服姿というのも結構良いと思う。

ㅤそれから、なるべく早く階段を上がり、巫扇さんの前に立つと軽く息を切らしつつ「ただいま帰りました」と告げた。


「釘、買ってきてくれたかい?」

「ああ、はい。こちらに」


ㅤ鞄から釘を取り出し渡すと、巫扇さんは「済まないね。助かるよ」とお礼を言う。


ㅤそのやりとりの後、巫扇さんはふと天を仰ぎ、既に散った桜の木を見上げた。

 

「──美しき花ですら、散れば、落ちれば、枯れ果て色も形もみすぼらしくなるものだな、やっぱり」

「…小野小町の和歌ですか? 」


ㅤ小倉百人一首にもある小野小町の歌に意味が似ていたような気がしたため、そう聞いたものの、巫扇さんは「はは、特に意味はないんだよ」と笑った。…恥ずかしい。


「──っ。…そうですか。じゃあ、僕は先に夕飯の支度しますね」


ㅤ恥ずかしさを紛らわす為、そう告げると僕は先に家へと入って行った。


ーーー


「神憑君、彼女とかできた?」


 夕食後。

ㅤ退屈そうにテレビを見ながら、地元の人に貰ったという枇杷びわを口にしつつ巫扇さんが言った。


「いいえ」


 僕は食器を洗いつつ、ほぼ即答で答える。

 テレビの方を見遣ると、最近何かと流行っていた女子高生女優が、引退前最後の出演していると話題の恋愛ドラマが放送されていた。

 確かその女優の名は──。


「…ふーん、じゃあ、この御笠森縷美みかさもりるみみたいな娘と付き合ってよ」


 そう、そんな感じの名前。


「…阿呆言わないでください。ここは田舎で、あの人はたぶん都会住まいですよ? 会えるわけも、接点も何も無いですし。――そもそも巫扇さんには関係ないじゃないですか」


 百歩譲って彼女がこちらの地域に来たとして、付き合える訳がないのだ。

 それ程、人間としての格が違う。


「そんなこと言ってくれるなよ。それに、そう言い切るのはまだ早いんじゃないのかい?──案外、身近な場所に接点があったりするもんだよ。何事も、ね」


 まあいつもの様に、試すかのように巫扇さんはそんな事を言う。

 その言葉を無言で受け流しつつ、僕は残りの食器を洗うことに専念した。


ーーー


 それからも、今までの日々と同じく風呂に入り歯を磨き後は寝るだけ、というところまで来た。

 肩にかけたタオルを洗濯物籠へ投げ入れ、寝床へ向かおうとしていると、縁側で月を見つつ酒を飲む巫扇さんの姿が目に止まった。


「珍しいですね。こんな時間にお酒飲むなんて」


 そもそも、巫扇さんはあまり飲酒しないイメージがあった。


「私だってこんな望月の日に、飲みたい時だってあるさ」


 そう言って巫扇さんは漆塗りの高そうなお猪口へ一口つける。

 すると、巫扇さんは自分の横をトントンと叩き僕に「隣へ座れ」とジェスチャーした。

ㅤ一瞬躊躇ったが、隣へ腰掛け一息つくと月を仰ぎみる。


「ほら」


 不意に巫扇さんから声をかけられ、見遣ると巫扇さんの手からは先程、巫扇さんが飲んでいた物とは別のお猪口が差し出されていた。

 とりあえずそれを受け取ったものの、不安な感情が募るばかりだった。


「…未成年者に飲酒させる気ですか」

「心配無用。ジンジャーエールさ」


ㅤそう言い、隣に置いてあるペットボトルのジンジャーエールを手に取ると僕のお猪口へ注いだ。


「…お猪口の意味あるんですか、それ」

「雰囲気の問題だよ。雰囲気」


ㅤそんな物か。

ㅤと、思いつつお猪口へ口を付ける。


「…」


ㅤ…ただの量が少ないジンジャーエールじゃねえか。

──とはいえ、今晩の月は本当に綺麗だった。

ㅤ月は墨の様な空の中で孤独にも輝きを放ち、クレーターが肉眼で確認できる。


「…ああ、そうそう。この家の裏、丁度本堂の横あたりに土蔵があるだろう?」


ㅤお猪口へ一口、口を付けた後、思い出したように巫扇さんは僕へ問いかけた。


「はい、ありますね」

「あそこは、今は亡き私の父親が愛した日本刀達が詰まった、言わば宝物庫のようなものなんだが──」


ㅤ…そんな貴重な場所だったのか。


「今夜中に、少しばかり整理してはくれないかね」

「えぇ…っ」


ㅤ早く寝たいのですけれど、と今日ぐらい苦言を呈そうと思ったのだが、それから巫扇さんは言葉を継いで──


「整理してくれたら報酬としてあの土蔵から好きな刀を一振り、君に授けよう」


ㅤと、含み笑いをしながら言うのだった。

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