第二章 咲良――sine

――九月二日、金曜日。

 昨日の朝も気になってはいた。向かいの下り線ホームで、しれっとベンチに座っているのはアイツじゃなかろうかって。アイツっていうのは――翔也のこと。

 まだ夏休み中に、ショッピング帰りにたまたま、翔也に声をかけられた。卒業以来一度も会ってなかったし、もう会うことなんてないかも、なんて思ってたから、その時は驚いたものだった。

 久しぶりだねって、他愛のない挨拶から始まって、お互いの学校のことなんかを話題にしたけど、ちょっと、なんか、翔也の様子はおかしかった。以前のマイペースさがないというか、思い切りがないというか……印象が違ってた。少し引っ込み思案な様子で声をかけてきたし、その後も、いちいちこっちの顔色を伺いながら、みたいな具合だったし。

 最初に、声をかけてきた時も『ちょっといい?』なんて他人行儀だったし、あたしが驚いて『翔也じゃない!』って声を挙げたら、しばらく固まっちゃってたもんね、アイツったら。

 高校生になったんだから、変わることだってあるよね、と納得しつつ、でも変わりそうになかった翔也のそんな変化が、なんだか残念にも思ったのだった。

 その時の話は、あたしと美月がたまたま学校に行った日に駅で見かけたって話から、お互いの電車通学のこととか、今の学校生活がどうだとか話した。あたしは上り線で二十分くらいかけて通学してることとか、何分ごろの電車に乗るのかとか。あと、列の先頭で待っていたいから、いつも一つ先の電車の待ち列に並んでるとか。

 翔也は下り線でたったの二駅だから、『短くて楽でいいなー』って言ったのを憶えてる。始業時間なんか学校でたいした違いがあるわけでもなし、余裕があっていいなと思ったものだった。朝の時間は五分だって貴重なんだ。特に女子にとっては。

『まあ実際、中学の時に思ってたよりは楽だよ』とか言ってた翔也が、何故か知らないけど、あたしたちが電車を待つこの時刻に、もうホームにいる。

 一学期の頃には、絶対見かけてない。あたしが見かけたら、すぐに翔也だってわかるはず。逆に今だって、アイツがあたしを見たら、すぐにあたしとわかるはずなんだけど。この前会ったばっかりなんだし。

 声をかけてみたくもあるけど、こっちのホームから大声出して呼ぶというのも、なかなか人目が気になることだし、一緒に電車を待っている美月をほったらかしにしちゃうのも気が引ける。三人同じ中学だったけど、美月と翔也には全然接点がなかったし、多分、美月は翔也のことを知らない。

 高校入学と同時にスマホを新しくして、古い連絡先はごく一部を除いて消してしまったから、以前、翔也に教えてもらった電話番号やメールアドレスは、もうわからない。スマホでちょっとメッセージを送ることも出来ない。

 あたしの気にしすぎだろうか。そう、なんとなくさっきから、翔也がまるであたしに用があって早い時間に駅に来ているような気分でいるけど、そうと決まったわけじゃなかった。そもそも翔也は、そんなヤツじゃなかった。

 部活を始めてそのせいで登校が早くなったのかもしれないし、一学期に遅刻しまくったのを反省して、二学期からは時間の余裕を持って登校しているのかもしれない。

 そうだ、気にするのはよそう。さっきだって、昨日見かけた翔也かもしれない誰かさんのことが思い出されて、階段を上がる時にスカートの後ろを思わずガードしちゃったよ。今のあたしらしくもなく。アンスコだってはいてるのに。

 せっかく高校に上がって心機一転、いろいろなことをリセットして最初からスタートしたところなのに、あの野郎は。何度あたしの心をへし折れば気が済むんだろう。

「咲良、だいじょうぶ?」

「へっ?」

 あー、ものすごく考え事にふけってた。

「なんだかぼうっとしてるみたいだけど……まだ暑いから、熱射病とか気をつけてね」

「ごめんごめん、なんか考え事しちゃった。心配してくれるなんて美月は優しくて良い子だねー」

 頭ナデナデすると、美月はちょっとむくれた振りをするのでカワイイ。

「やー、髪ぼさぼさになっちゃうよぅ」

「そんなのあたしがブラッシングしてあげるよー。ほら後頭部こっち向けて」

「やーってば。ほらアナウンス。電車来ちゃうから」

「ちぇー」

 美月の髪、ブラッシングしたかったな。学校行ったらやろう。

 美月はねえ、磨けばすごく光るんだよ。ぱっつんと言うよりジョッキリやった前髪とか、頬を隠しちゃうサイドとかやめたら、それだけで表情が明るくなるのに。あれ、自分で切ってるのかも。本人が一番、自分のカワいさを信じてないのが問題だなー。だからあたしは、美月を褒めて伸ばしてやるんだ。そのうち、髪だって切ってあげよう。

 電車待ちの列の先頭を切って、乗り込んでいく。残念、今日は座席の空きナシ。仕方ないのでドア脇の隅を美月と分け合う。

「今日はシールのある日だ」と美月。彼女の身長だと、ちょうど目の高さに、窓に貼られた広告のシールが来てしまって、外が見えないことがあるのだ。今日はそんな電車に当たってしまった。

「外なんか見ないであたしだけ見て、美月」

「そそそのノリはやめてよ誤解の元だよ」

「そんな、あたしたちの仲は誤解なの?」

「知ーらない」

 顔だけそっぽを向く美月。ほらカワイイ。

 電車の動き出しにつられて、窓の外を見る。あたしは無駄に背が高い分、シールに視界は邪魔されない。

 あ――

 向かいのホーム。電車待ちの先頭に立ってこっちを見ているのは――翔也。

 顔を、電車の動きに合わせて向きを変えて、ずっとこっちを見ている。――ように思えた。

 なにやってんだ、アイツ。

 何度、あたしの心をへし折れば気が済むんだってば。

 あーあ。思い出しちゃうよ。スマホを変えて、髪もバッサリやって、キャラクターまで変えて心機一転したっていうのに。忘れようとしたのに。

 思い出しちゃうよ。

 アイツが――大好きだったってことを。




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