第一章 美月――cosine

――九月七日、水曜日。

「おっはよ、美月みつき」とスマホ片手の咲良がスクールバッグを軽々と振り回して、

「おはよう、咲良さくら」と文庫本をしまいながら私が返す、毎朝の、いつの間にかの約束事が今日も無事完了。二人並んで高架駅の階段へ向かう時には、私が左で咲良が右で。これもいつもと同じ、いいリズム。頭一つ、咲良の方が背が高いのは、この際気にしちゃダメだ。

 この身長、スタイルでベリーショートが似合う彼女は、きっと上級生になったら、下級生から大人気になるんだろうな。お姉さま、なんて言われて憧れの眼差しを向けられる素質、十分にありだ。

 それなのに咲良は、

「あーん、今日もカワイイね美月、名前の通り美少女だねー、やっぱり名前は大事だねー」

 なんて言って私の頭をがっしがっし撫でてくる。大胆というかおおざっぱというか。

「ちょっと髪バサバサになっちゃう……もう」

 咲良はたまに、すっごいオーバーになるんだよね。可愛いだなんて、私はただ童顔なだけですよだ。そんなことをすらりと言えるのも、本物の美少女の余裕っていうやつかな。

 高校の初めの一年。まだ半分もそれは終わっていないけれど、内気すぎるし取り得もない、こんな私でもそれなりに楽しく過ごせているのは、すべて咲良のおかげだ。

 選んで入った女子高だけど、やっぱり不安だらけだった。同じ中学から進学する人がいてくれてよかったし、それが咲良であって、私は本当に幸せだ。

「あれ、咲良またストラップ増やした?」

「あー! そうそうそうなの聞いて美月。昨日の帰り、北口のゲーセンに寄ったらキャッチャーにブタちゃんストラップの新種が入っててさ、千円ぶっこんじゃった千円。見てーホラこれ可愛いのー」

 咲良はスマホを持ったまま、器用に小指だけでストラップの一つをより分けて見せた。こういうところ、なんだかスゴい。スゴいんだけどそのブタちゃんは……

「もう少し、可愛らしく作れたんじゃないかな」

 ちょっと私の趣味じゃなかった。

「ブサカワいくない? こういうの」

「私は、素直に可愛い方がいいよぅ」

「えー、美月あいかわらずつまんなーい」

 あいかわらず、なんて言われちゃった。

 咲良から見たらそうなのかもしれない。ほんの少しだけど、彼女には変化があった。

 二学期に入って間もないけれど、私は気付いてる。咲良が、駅のこの急な階段を上がっていく時、バッグでスカートの後ろをガードするようになったことを。一学期の頃は、――ううん、夏休み、運動部の応援で登校した時だって、『いいよ、これアンスコだし。へーき』って言ってたのに。どんな心境の変化かな。それはまだ聞いてないけど、いつか尋ねてみたいと思っている。

 でもこの高架の駅は階段が多いし長いしで、大変だよね。私みたいに普通のスカート丈にすれば楽なのに。前に咲良が言ってたように、おしゃれって、ガマンすることなんだねえ。

 駅の場所が高いせいなのか、開けたホームまで上がると、いつも風に吹かれてしまう。私は髪が太くて硬くて多くて、それなのにショートにする度胸もないものだから、こうしてセミロングが風に乱されると、一緒にコンプレックスまでちくちくと刺激されてしまうのだ。

「きゃー、やだもう」

 あわてて手櫛で髪を撫でつける。

「美月も思いきってショートにしなよ。美月くらい美少女ならなにやったって似合うしカワイイしさ」

「やめてよそんな。咲良ならそのベリーショートもカッコイイけど、私じゃ、何かの罰で頭を刈られた悪い子にしか見えないよ」

「何それ、あっはは。じゃあせめてポニテとか。ぶらぶらするのが嫌ならシニヨンにしてさあ。あたしが使ってたのでよければ、中学時代に使ってたクリップやシュシュ、まだ持ってるしあげるよ?」

「ダメよぅ、やったことあるもん。硬すぎてぶわーって広がって、お父さんに笑われた」

「ひっどい親だね。なんて笑われたの」

「……床屋のシェービングブラシみたいだって……あっこらスマホで検索するな」

「知識の探求って大事だって美月がいつも言ってるじゃん……シェービングブラシっと、うわ、思ってたよりもぶわーっ、だ! そりゃ笑うわーお父さん無理もないわー」

「そこまではならないもん!」

 くすくす笑う咲良に抗議して、そっぽを向いてやる。

 あれ。

 そっぽを向いた先の、反対側のホーム。下り線の、私たちより車両一つ分くらい左にズレたところにあるベンチに、同じくらいの年頃の男の子が座っていた。

 その男の子が、こっちを見ていたような……気がした。遠いので、顔立ちまではわからないけれど、動きくらいなら見て取れる。すっとスマホに目線を落としたけど、その直前、一瞬だけど目があったように思えた。あんな人、今まで見たことあったっけな。

 朝、通勤通学で駅を使う人は、毎日同じ時間帯に集まってくるわけで、いつの間にか自然と見覚えてしまう。その見覚えの中に、あの男の子の姿はなかった。

「ごめんごめん、美月ほら機嫌なおしてー。イチャイチャしたげるから」

「ししし、しないでいいから」人前で恥ずかしい、恥ずかしい。

 私と咲良はいつも、次の電車を待つ列ではなくて、そのまた次に来る電車の待ち列で先頭に立つようにしている。その方が、少しでも席に座れる可能性があったり、立ったままにしても、居心地のいい隅のポジションが取れるからだけど、こうして咲良がはしゃぎすぎると、列の後ろばかりか向かいのホームの人にまで、その姿をさらしてしまう。これは、けっこう、恥ずかしい。しかも時間は、まだたっぷりあるわけで。

「危ない危ない、電車来るってば」

「しょうがないなー。じゃあホラ、ちょっとそっち向いてじっとして」

 何がしょうがないのかわからない……けど、咲良に斜めを向かされてしまった。すると、咲良の手が私の硬い髪を撫で、一つにまとめようとした。

 その時、後方から風が塊になって打ち付けてきた。ちょうど電車が来たのだった。この風も、私の髪のコンプレックスを刺激する憎い存在だけど、今日は咲良が押さえていてくれたおかげで、あまり酷いことにはならなかった。まあ、咲良に髪を触られていること自体、しくしくと胸が痛むことなのだけれど。

 電車が去って、列の場所をスライドしながらも、ポニーテールはどうだ、おさげ髪はどうだ、と咲良が人の髪で実験を繰り返している。歩きにくいよぅ。首の角度をもぞもぞ変えている時、私は、さっきの男の子の姿を目に留めた。

 あれ。

 反対側の下り線も、もう二本くらいは電車が来たと思うけど、その男の子はようやく乗る電車が来たみたいに、ベンチから立ち上がって電車待ちの最前列に立ったのだった。私たちと同じように、一本飛ばした次々発待ちの列だ。そこが、咲良に向きを変えられた私の、まっすぐ先になってしまっている。

 なんだか気まずい感じ。でも、咲良に髪をいじられているから、顔を背けることもままならない。向こうは別に、こちらを見ているわけでないのだけど。

 座っていた時はわからなかったけど、あの人、背、高いんだなぁ。スマホを見てる。咲良もそうだけど、みんなずっとスマホでなにをするんだろ。やっぱりゲーム? SNS? ただ持っているだけ、たまにネットにある文章を読むくらいにしか使わない私には、スマホなんて宝の持ち腐れだ。

 あれ。

 ちらっと……男の子が、目だけでこっちを見たような、気がする。

「ねえ……咲良」

「なに? この髪型気に入った?」

「鏡も見てないのにわかんないよ……そうじゃなくてさ、あそこにホラ、男の子がいるじゃない?」

「ん? どれ?」

「下りホームの、私の正面」

「あー、それ。そうかー、とうとう気付いちゃったねー、美月も」

「えっ?」どういうこと? と振り返ろうとしたら、髪をまとめていた咲良の力が思ってたより強くて、首が回らなかった。

「はい動かない動かない。……あーほら、電車来ちゃったからさ、詳しいことは乗ってから教えてあげるよ。行こ」

 咲良のそんな言葉が、風の塊と一緒に耳を打った。

 

 

 

 

 

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