第91話 書付! 少女は文の上に踊り、章をかける (Bパート)

 ブックモンスターはカナミを追い立てる。

(このままじゃやられる……! でも、神殺砲もきかないし、手立てを考えて魔法を使っても本に書かれて封じられる……どうしたら、どうすれば……)

 カナミはブックモンスターを見上げ、その先にいる嬢王を見据える。

「フフフ、絶望したわね?」

 嬢王はカナミの心境を見透かすように言う。

「いいわよ、絶望すれば!

そして、希望を見出しなさい! それを絶望させるのがこの上なく楽しいわ!!」

「……最低ね」

 カナミは吐き捨てるように言う。

 嬢王はあえてそういった物言いをして、カナミの反抗心を焚き付けている。

 わかっている。わかっているにも関わらず、カナミは怒りがこみ上げてくることを抑えられない。

「こんな理不尽で最低な見世物をあなたに見せるわけにはいかないわ!!」

「そう、それよ! 私に見せ続けて、魔法少女カナミ! 見せ続けてくれたなら最高の見物料をあげるわ!!」

「ええ、払ってもらうわ!!」

 ブックモンスターは本の角でできた拳を振るう。

『ブックモンスターは鉄よりも固い紙でてきていて、魔法少女カナミの魔法弾を弾き返す』

 しかし、この一文があるせいでカナミは対処できない。

「どうしたら!」

「私がなんとかします!」

 シオリが現れて、バットで腕を打ち倒す。

「シオリちゃん、助かったわ!」

「お役に立てて何よりです」

 本には、カナミの魔法を弾き返す、としか書かれていなかったため、シオリの魔法はブックモンスターが通じる。

 お役に立てた、どころじゃない。カナミには救世主のように感じた。

 しかし、それも今のうちだけだ。

「シオリちゃん、本はあいつにとられちゃったわ」

「あの蜂の顔をしている怪人ですか……」

「ええ、それで私の攻撃は全部本に書いて封じ込められちゃうのよ」

「そ、そんな……」

「だから、ミアちゃんの魔法が頼りなのよ」

「わ、わたわた、私のですか……?」

 シオリはブルブルと震える。緊張しているのだ。

(プレッシャー、かけちゃったかしら? でも、シオリちゃんが頼みの綱なのは本当のことだし……)

 そうこうしているうちに、ブックモンスターが襲いかかってくる。

「じゃ、ジャイアントスイング!!」

 シオリはあわてて、拳を打ち返す。


ドシャァァァァァン!!


 それで拳がバラバラな本になって散乱する。

「わ、わわ、なんですかこれ!?」

「シオリちゃん、落ち着いて!」

 カナミは魔法弾で飛んできた本を撃ち落とす。

「身体から離れた本には私の魔法がきくのね」

「『バラバラになった本は集まって再び怪人の腕になる』」

 嬢王が本に書いたとおり、バラバラと飛び散った本は宙に浮いて、怪人の腕へと再生する。

「ああ! ずるい!」

「ずるさは悪の特権よ」

 そう堂々と言われては反論できない。

「それでどうするの? このまま二人仲良く押し潰しても構わないのよ」

「押し潰されないわよ! シオリちゃん、お願い!」

「はい!!」

 シオリは応じてバットでブックモンスターの腕をバラバラに砕く。

「神殺砲!!」

 ステッキは砲台に変化させる。

「それはきかないってさっき見たでしょ」

「だったらこうよ! ボーナスキャノン!!」

 カナミは飛び散った本へ砲弾を当てる。


バァン!!


 砲弾に当たった本は勢いよくブックモンスターの頭に当たって倒れる。

「なるほど、あなたの魔法はきかないもののあなたの魔法を当てた本なら通じるわけね」

 嬢王は感心する。

 そして、パンパンと手を叩いて称賛する。

「お見事、といっていいわね。窮地にありながら諦めない心の強さ、それを跳ね除ける機転……ネガサイドの幹部、いえ、それ以上の逸材ね」

「褒めても何も出ないわよ!」

「いいえ、私から出すわ」

「え……?」

「――魔法少女カナミ、私の子供になりなさい」

「………………」

 カナミは絶句する。

「――魔法少女カナミ、私の子供になりなさい」

「二回言わなくてもいいわよ!!」

 カナミは思わず言い返す。

「三回も言う必要はないみたいね」

「三回目も言うつもりだったの……!?」

「あなたが理解するまで何回でも言うわ」

「何回言われても理解できないわよ!」

「――嘘ね」

 嬢王は言い放つ。

「私の子供になるということがどういうことか、なんとなくだけど理解できる。そういう顔をしているわ」

「あんたの命令に絶対服従」

「よくわかってるわね。私達通じ合っていることかしらね」

「冗談じゃないわ! 私は絶対に服従しないわ!」

「服従するわ」

 嬢王は本をチラつかせる。

「く!」

「私がこの本に書けば、あなたがは服従するわね」

「そんなこと!」

「『魔法少女カナミは嬢王の前にひれ伏す』」

 カナミは本に書かれたとおりに、嬢王の前にひれ伏す。

「く……! そんな……!」

「法具『アーカーシャの断章』に書かれた一文は絶対。本当に素晴らしい法具ね、フフフ」

「くうううううううッ!!」

 カナミは拳を握りしめて、歯噛みする。

 本に書かれた一文に抗おうとしても、抗えない。

 嫌がおうにも、服従させられる。

 悔しくても、本の一文は絶対で、逆らえない。

「それでは聞かせてもらおうかしら?

――魔法少女カナミ、私の子供になりなさい」

「いや……絶対にいやよ!!」

 カナミは精一杯の意地で返答する。

「本に書けば、いいじゃない……! 私が逆らえない、んだから……!」

「確かに本に書いたら逆らえない。あなたは服従するでしょうね。でも、本で書いたらつまらないでしょ。

――本に逆らえないのではなく、私に逆らえない。そういう屈服がみたいのよ」

「り、理解できないわ! その最低の発想がッ!!」

「最低だと言えるぐらいには理解してるみたいね、結構よ。さあ魔法少女カナミ、返事を聞かせてもらうわ」

「何度だって言うわよ! 嫌よ!!」

「それじゃ、次は――」

「――!!」

 嬢王の視線の先にはシオリがいた。

「シオリちゃん、逃げて!!」

「え、で、でも!」

「逃げて! 助けを呼んでくるのよ! お願い!!」

「は、はい!!」

 シオリは一目散に逃げる。

「いい判断ね」

「どういうこと?」

「あなたは知らないと思うけど、この本にもできないことがあるのよ」

「できないこと!?」

 それはカナミにとって驚愕すべきことだった。

「ここまで色々書いててわかったことよ。この本にできないこと。それはね、距離が遠いと効力を発揮しないのよ」

「距離が遠い?」

「持ち主の魔力によって有効範囲が決まるみたいね。私が持つと図書館と外が少しぐらいね」

「つまり、図書館の外にさえ出れば本にどんなこと書いてもひれ伏すことはないってことね」

「ええ、外に出られたら、ね」

「シオリちゃん、急いで!!」

 シオリの背中はまだ見える。

 この図書館はどのくらいの広さかはわからないけど、全速力で抜け出して欲しい。

「『魔法少女シオリは本の洪水に飲み込まれる』」

「やめてええええええッ!!」


ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!


 本棚から落ちた本が、本の一文通りに洪水となってシオリに押し寄せてくる。

「キャアッ!?」

 悲鳴とともに飲み込まれる。

「シオリちゃん!!」

「そして、『復活したブックモンスターに潰される』」

「やめなさい!!」

 カナミはひれ伏したまま、仕込みステッキを引き抜いて、本に斬りかかる。

「なるほど、そうきたか。これなら本の一文には逆らわない」

「本を返しなさい!!」

「これは私のものよ」

 嬢王はそう言って、ステッキの刃を止める。

「ゆ、指で!」

 嬢王は人差しと中指で挟んでいる。

「そんな無理な体勢で攻撃しておいて、私に届くはずがないわ」

 威厳をもって言い放たれた一言に、カナミはたじろぐ。

(さすがに最高役員十二席……! このままじゃ、やられる! せめて、シオリちゃんだけでも!!)


ドスン!!


 そう思っていた矢先に、後ろから轟音が鳴り響く。

「シオリちゃん!」

「本に書かれた文は絶対よ」

 その一言で、ブックモンスターがシオリに一撃を与えたことを示していた。

「くううううッ!!」

 カナミは悔しくて歯噛みして、斬りかかる。

「やらせない! シオリちゃんは! シオリちゃんはああああッ!!」

 しかし、嬢王には届かない。

 ことごとくが指先であっさりと防がれる。

「やらせたくなかったら、私に服従しなさい。そして、懇願しなさい」

「私は……私はああああッ!!」

 絶対に服従しないと心に決めて戦ってきた。

 どんなに強い敵でも、どんなに怖い敵でも、屈することなく戦う。

 それが心に決めたことだった。

 でも、それがシオリの危機だというなら話は別だ。


パキン


 しかし、ステッキの刃は嬢王の指で止められる。


ドスン!!


 ブックモンスターの轟音が響く。

「シオリちゃん……!」

「どうするの、このまま手をこまねくの? 仲間が潰されちゃうわよ」

 嬢王の悪魔のささやきが聞こえる。

「シオリちゃん、潰させない……だから……!」

「だから?」

「く……!」

 ステッキが動かない。

 この体勢からではどうしようもない。

 どうしようもないから、どうにかしてもらうしかない。


ドスン!!


 轟音がもう猶予はないことを告げているような気がした。

「あんたにした、がうわ……」

かすれた声で、断腸の想いでそう言った。

「よく聞こえない、はっきりと言いなさい」

 カナミは歯噛みする。

 しかし、ためらっている時間はない。

「――あんたに」

 カナミはもう一度を言おうとした。


バシャァァァァァァァァン!!


 その声をかきけすかのように、けたたましい轟音が鳴り響いた。

「予想外の乱入者、いえ、そうでもないわね」

 嬢王がそう言うと、カナミの前に銀の魔法少女が立っていた。

「白銀の女神、魔法少女アルミ降臨!」

 魔法少女アルミは堂々と名乗りを上げる。

「魔法少女アルミ、誰も入ってこれないように結界をはっておいたのにどうやって堂々と蹴破ってくるなんて」

「悪趣味な結界だったわ。術者の品がしれるわね」

「お褒めにあずかり光栄よ」

 嬢王の嬉々とした態度に、アルミは眉をひそめる。

 しかし、すぐにカナミの方を見る。

「大丈夫、カナミちゃん? 遅れてごめんね」

「社長……私のことよりシオリちゃんを助けて」

「もう助けたわ」

 アルミのその返答に、カナミは顔を上げる。

 もうブックモンスターから発する物音が聞こえてこない。

「あ、ありがとございます」

「礼はいいわ。それより面倒なことになったわね」

 アルミは本を指して言う。

「それはこっちの台詞よ。あなたと戦うつもりなんてまったくないのに」

 カナミは嬢王のそれをきいて、わざとらしい演技だと感じた。

「だったら、おとなしく本を渡しなさい」

「冗談でしょ。こんなにおもしろいオモチャ、手放せだなんて残酷なことができるわけないでしょ」

「何が残酷よ。あんたが持ってて好き勝手書かれる方がよっぽど残酷よ」

 アルミはドライバーを構える。

「だったら、とってみなさい」

 嬢王はその姿勢に応じて、わざと本を掲げる。

「気をつけてください、社長。どんな攻撃しても本に書かれて防がれてしまいます」

「防ぐぐらいだったら可愛いものね」

「え?」

 アルミはカナミの声に応えることなく、突撃する。

「『魔法少女アルミはその場で転ぶ』」

 嬢王はアルミが届く前に、その一文を書ききってしまう。

(社長のスピードは私よりも遥かに速いはずなのに……それでも嬢王は書いてしまうなんて! やっぱり、勝てない……!!)

 カナミがそう思った時だった。

「なッ!?」

 嬢王が驚愕する。

 魔法少女アルミはその場で、――転ばなかった。


キィィィィィン!!


 アルミのマジカルドライバーが本をかすめた。

「転ばない? 何故!? 本にはちゃんと書いたはずなのに!?」

「ま、なんとかなったわね」

 アルミは何食わぬ顔で言う。

「魔法少女アルミ、何をしたの?」

「修正したのよ、書かれた内容を」

「修正?」

 嬢王は本の一文を見る。

『魔法少女アルミはその場で転ばない』

「書いた内容が変わっている!?」

 嬢王は驚愕を口にする。

「ど、どういうことなんですか、社長!?」

「私の魔法は分解と再構成。本の一文を分解して再構成したのよ」

「そんなことできるんですか!?」

 カナミは驚く。

 アルミがデタラメに強いと思っていたけど、そんな魔法まで出来るなんて。

「デタラメね……そなことできるはずがないわ……!」

 嬢王はこれまで見せたことのない狼狽を見せる。

「この本は……『アーカーシャの断章』は世界の理に干渉して事象に書き加える法具……そんな書き加えた世界の理、書き変えるなんて……!」

「知らなかったの? 魔法少女はそういう奇跡を起こせる存在なのよ!」

 アルミは再び突撃する。

「『魔法少女アルミの足は動かなくなる』」

 しかし、アルミは足を難なく動かして再び本をかすめる。

『魔法少女アルミの足は動く』

「また書いた内容が書き変えられている!」

 本に書いたことが書き変えられる。

 嬢王にとっても、カナミにとっても、本の効力の凄まじさを味わっているだけに驚愕すべき事態だ。

「『魔法少女アルミのドライバーが飛ぶ』」

『魔法少女アルミのドライバーが飛ばない』

「『魔法少女アルミの身体が動かなくなる』」

「魔法少女アルミの身体が動く」

「『魔法少女アルミは息ができなくなる』」

『魔法少女アルミは息ができる』

「『魔法少女アルミは死ぬ』」

『魔法少女アルミは死なない』

 アルミは嬢王が書いた内容をことごとく書き変えて、嬢王にドライバーを突き出す。

「くッ!」

 嬢王は後退して、距離をとる。

「すごい、すごいです社長!」

 カナミはその行動を称賛する。

「――このままじゃ、勝てないわね」

 しかし、アルミの顔は深刻だった。

「え、どういうことですか?」

 カナミの目にはアルミが完全に有利にたっているように見えた。

「今の私じゃ、本の内容を書き変えるだけで精一杯なのよ」

「で、でも、それで十分」

「書き変えることはできても、そこから先――嬢王に攻撃は届いていないわ。さすがに十二席ね。もし、これで本気になられたらちょっと分が悪いわ」

「社長でも分が悪いなんて……」

「とはいえ、私も本気にはなってないけど」

「いきますか?」

 マニィが訊く。

「いえ」

 アルミはそう返事をして、嬢王を見据える。

「私が本の書き変えはできる。これ以上の戦いは無意味ね」

「さあ、それはどうかしらね。もっともっとこの本で試したいことがあるのよ」

「はた迷惑ね。だったら、本気であなたを倒すわよ」

「――!」

 カナミはドキリとする。

 その戦意を直接叩きつけられたわけでもないけど、自分が倒されると錯覚してしまいそうなほどに凄まじさを感じた。

「倒されるものならね」

 それを直接叩きつけられた嬢王はさらりと受け流す。

 それだけでも十分に最高役員十二席の風格を持っているとカナミは思った。

「……と言いたいけど、ここであなたと事を構えるにはリスクが大きすぎるわ。――取引をしましょう」

「条件次第ね」

 アルミは言う。

「この本を差し出す代わりに私を見逃しなさい。大人しく引き下がってあげるわ」

「悪くない条件ね」

 カナミは不安そうな顔を向ける。

 そんな取引、信用していいのか。何か裏があるんじゃないかと警戒している。

「それじゃ、取引成立ね。本をあげるわ」

 嬢王はそう言って本を放り投げる。

 アルミはそれを受け取る。

「これであなたを殺すことも出来るわね」

 アルミはわざとらしく本を掲げて言う。

「あなたがそんな真似をするとは思えないわね」

「……バレたか」

「これでも人間観察には自信があるのよ。あなたは典型的な良い子の魔法少女ね、虫唾が走るわ」

 嬢王はそう言い残して姿を消す。

 その途端に、図書館の嫌な気配が消えて図書館本来の閑散とした雰囲気になった。

「なんとか目的は果たせたわね」

 アルミは安堵の息をつく。

「助かりました。社長がこなかったら、私達は……って、シオリちゃんは!?」

「向こうで気を失っているわ」

 アルミがそう言うと、カナミはすぐ駆け出す。

「シオリちゃん! 大丈夫!?」

 本に埋もれてシオリは気を失っていた。

「あ、カナミさん……」

 カナミの声を受けて、シオリは目を覚ます。

「あ、ご、ごめんなさい……私、カナミさんの足引っ張っちゃいまして……」

「ううん、そんなこといいわ。無事で良かった……」

「本当にね」

 アルミがゆっくりとやってくる。

「さすがにこの本が敵の手に渡ったらヤバいと思ったわ」

「実際ヤバかったですよ」

「そうね。敵が遊ばないやつだったら、『カナミちゃんは死ぬ』で一発アウトだったわ」

「――!」

 カナミは絶句する。

 アルミが言っていたことが、もし現実になっていたら今この場に立っていない。

 それはシオリも同じことだった。

 嬢王がもしブックモンスターに自分やシオリを襲わせずに、『――は死ぬ』と書かれていたら……考えるだけで背筋が凍りそうになる。

「息を止められた時、死ぬかと思いました……」

「危ないところだったわ。書かれたのが私だけでよかったわ」

 アルミは本のページをパラパラとめくりながら言う。

「って、社長は大丈夫なんですか!? 本に『死ぬ』って書かれましたよね!?」

「ちゃんと書き変えて『死なない』ってことにしておいたわ」

「そ、それで死なないんですか……どうやったらそんなことできるようになるんですか?」

「――死ぬ想いをすればできるようになるわ」

「――!」

 アルミの返答に、カナミは背筋が凍る。

 声色にはとてつもなく冷たい死の香りがしたからだ。一体どんな想いをしたら、そんな顔ができるのか、そんな声が出せるのか、怖くて何も聞けなかった。

「あ……」

 アルミもさすがに怖がらせてしまったと自覚したのか、バツの悪い顔をする。

「カナミちゃん達がそんな経験をする必要はないから。死ぬ想いをするってことは一歩間違えたら死ぬからね、アハハハハ!」

 アルミは精一杯の作り笑いでごまかす。

「……社長、それ全然笑えませんから」

 しかし、カナミにはそのごまかしは通じなかった。

 カナミの後ろでコクコクと頷く。




 嬢王はどこともしれないアジトに帰還する。

「おかえりなさいませ」

 執事服の偉丈夫が丁寧にお辞儀して出迎えする。

「ええ」

「とても不愉快な気分でいられますね。何があったのですか?」

「不愉快なことがあったからよ」

「ふゆかいなこと?」

 小さな女の子がやってきて、嬢王をうやうやしく見上げる。

「ええ、とてもとてもね」

 嬢王は女の子の頭を撫でる。

「……あれが魔法少女アルミ。六天王が手を出すなと言っていたわけがよくわかるわ」

「まほうしょうじょあるみ?」

 小さな女の子は首を傾げる。

「あなたが知らなくていいことよ。私の可愛い子供」

「はい」

 小さな女の子は無邪気に頷く。

 嬢王の孕んだ邪気を全て吸い取るように。

「でも、あの子は可愛かったわね……私の子供にしたかったわ」

 嬢王は今日遊んだ魔法少女カナミの姿を思い出す。

「こども?」

「ええ、そうよ。いずれはあなたの姉になってくれるわ」

「それはとてもうれしいです」

「ええ、嬉しいわね。その日が来るのは待ち遠しいわ、魔法少女達」




「それでその本をどうするんですか?」

 オフィスに戻ってきたら、真っ先にかなみは訊く。

「この本を欲しがる人は引く手数多だし、かなみちゃんの借金も軽く完済できるだけの値がつくでしょうね」

「ええ!?」

 そんな言われ方をすると、売り払った方がいいんじゃないかと思ってしまう。

「社長、もしかしてその本を私に……?」

「処分するわよ」

 あるみはあっさりと言う。

「ええ、そんな!?」

「敵の手に渡ったら危険だということは身にしみてよくわかったでしょ」

「そ、それはそうですけど……」

「売り飛ばして、巡り巡ってネガサイドの手に渡ったら借金どころじゃないわ」

「そ、その本に借金がゼロになるって書いてみたいんです。――せめて処分する前に一度だけでも!!」

 かなみは本へ飛びつく。

 しかし、あるみが頭を手でおさえつけて制する。

「あ、あの……かなみさん、頑張っていましたし……」

 紫織が控えめに言う。

「その、一度だけなら、私からもお願いします」

「紫織ちゃん、ありがとう!!」

 紫織が同意してくれたことで、かなみは千の味方を得たような気分になる。

「そんな結果、どんな事が起きても責任がとれる?」

 あるみは言う。

 あるみの前では百万の味方でも足りないかもしれない。

「だ、大丈夫です! 『借金がゼロになる』って悪いことが起きるはずがないでしょ」

「そうね、うっかりしくじって借金が倍になっても責任はとってくれるみたいだし」

「う……!」

 さすがにそんな事言われたらためらってしまう。

 だけど、借金がゼロになるかもしれない。そんなチャンスを逃したくない気持ちの方が勝った。

「ば、倍じゃなくてゼロになると思います!」

 嬢王が使っていた限り、書いていたことは本当に起こっていた。

 『借金がゼロになる』と書いたとしても、借金が倍になるなんてことはならないだろう。悪いことが起きるにしても少なくとも倍にならないだろう。

「そう……じゃあ、試してみなさい」

 あるみは本を出す。

「………………」

 かなみは息を呑んで、本を受け取る。

 すぐさま胸のボールペンを手にとって本を開く。

 ペラペラとページをめくっていく。

「……?」

 流し見で目に入るページに記載されている一文はミミズ文字でよく読めない。

 ようやく真っ白なページを見つけて、そこで止める。

「よ、よし……!」

 かなみはそのページに意を決して書き込む。

『結城かなみの借金はゼロになる』

 思いきって一気に書いたせいで、ちょっと汚い。

 それでも読めない。というものでもない。これでちゃんと書いたことが実現するのだろうか。

「本当にこれで借金はゼロなったのかしら?」

「確認してみましょう」

 あるみはそう言って何やら取り出す。

「確認って、どうやってですか?」

「ほら」

「そ、それは!?」

 あるみがかなみに見せたものは……

「あなたの借金の証文」

「ありましたね、そんなものが!?」

 証文には結城かなみは八億円の資金を借り受けると書いてある。

 かなみにとっては忘れたくて忘れたくて頭の端っこに追いやっていたものだ。

「それでどうやって確認するんですか?」

「もう終わったわ」

「え……?」

「もし、本当に借金がゼロになっていたらこの証文が白紙になっているか存在しなくなっているはずよ」

「あ!」

「でも、証文は存在している」

「と、とと、ということは!?」

「借金はゼロになっていない」

「――!!」

 処刑宣告にも似た残酷な事実を突きつけられる。

 かなみはうなだれる。借金がゼロになるという希望と願望はここに潰えた。

 しかし、それで疑問点が浮かぶ。

「なんで、ゼロにならないの!? この本は書いたことが本当に起こる法具じゃないの!?」

「嬢王が言っていたじゃない。この本にもできないことがあるって」

「できないこと? たしか、持ち主の魔力で有効範囲が決まるとか、そんなこと言っていたような……」

「つまり、かなみちゃんの有効範囲はこの距離よりも狭いってことね」

「えぇぇぇぇ、たった、これだけで、ですよ!? なのに、これより狭いんですか!?」

「かなみさん、相当魔力が強いはずなのに……それでも、短いんですか……」

 紫織は意外そうに言う。

「まあ、あの十二席の嬢王だって、図書館の中までが限界だったみたいだしね」

「私達魔法少女や十二席で有効範囲はそのくらいなんですね……魔力がない普通の人だったら、まともに使えなさそうですね」

「そうね」

 紫織の意見にあるみは同意する。

「ただ危険な代物であることには変わりないわ。

さ、もういいでしょ。処分するからよこしなさい」

「……待ってください」

 かなみは本を書き込む体勢に入っている。

「どうしたの?」

「私の魔力じゃ有効範囲が狭いっていうんなら……――もっと近づけば有効になるんじゃないんですか!?」

「まだ諦めてないのね」

 さすがに、あるみも呆れる。

「当たり前です!! さ、社長、その証文を近づけてください!」

「リリィ」

「承知」

 あるみは肩に乗ったリリィに証文をもたせて、デスクに置く。かなみにこれ以上証文を近づけないためだ。

「さて、かなみちゃん」

 あるみは優しくて怖い声色で告げる。

「大人しく本をよこしたら何もしないわ」

「お、大人しく本をよこさなかったら、な、何をするんですか!?」

「私だってできればこんなことしたくないのよ」

「で、ですから、何をするんですか!?」

 かなみは涙目になってる。というか、もう泣きたい。

 優しい表情をして説得しているあるみはなんか怖くてたまらない。

 しかし、本を渡すわけにはいかない。

 かなみは本を抱きかかえる。

 これは借金をゼロにしてくれるかもしれない魔法のアイテム。これで借金がゼロになるのならあるみを敵にまわしても構わないかもしれない。

「……残念だわ」

 あるみがそう言った数秒後、かなみの悲鳴がオフィスに響き渡った。

 かなみはそんなことを考えたことを骨の髄まで後悔した。

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