第76話 宿泊! 怪人だらけのホテルへ少女達は出向する (Dパート)

 かなみ達は地上に上がるなり、最上階のレストランにまで上がる。

 窓から外を見るとすっかり日が暮れていて夕食時になっていた。

「ここのレストランに招待されてるのよ」

 あるみは言う。誰に招待されたのか、怖くてちょっと訊けない。

「ここって、相当高級だと思いますが……?」

 紫織は恐る恐る訊く。

「まあ、見てくれが立派なだけじゃないの」

 あるみはあっさりと言いきって、入っていく。

「招待されてるって、タダなんでしょうか?」

「多分……後で請求されるなんてことは、社長がいるから」

 翠華にそう言われて、かなみの表情は明るくなる。

「それじゃ、行きましょう!」

 あるみの後を追って、レストランに入る。

「いらっしゃいませ、ようこそ」

 ウェイターのワニ顔の怪人が出迎える。

「こちらの席へどうぞ」

 そうして、案内してくれる。

「ありがとう。招待状を貰ってるから」

 あるみは礼を言って、招待状を見せる。

「かしこまりました。招待客用の特別コースをご用意します」

 ウェイターはそう言って、厨房へ向かう。

「招待客用の特別コースって……?」

「さあ、きてからのお楽しみでしょ」

 かなみ達は周囲を見てみる。

 様々な怪人達が食事を楽しみながら談笑している。

「肉が美味い!」

「野菜を食って力つけねえとな」

「人間も食いたいな」

「我慢しろ、我慢。あそこにエサがいてもな」

 談笑の内容までは聞き取れないが、怪人達なのでどこか不穏なものを感じてならなかった。

「社長、そろそろ聞かせてください」

 かなみは真剣な眼差しであるみへ問いかける。

「聞かせるって何を?」

「招待状ですよ。誰から貰ったのかそろそろ教えてください」

「私も知らないのよ。一応、検討はついてるけどね」

「ならその検討を教えてください」

 かなみは食い気味に訊く。

 その太々しさに、あるみはフフッと笑う。

「だったら、あなたは誰だと思うの?」

「私?」

「人に聞くだけじゃダメよ。自分で考えないと。――それで、誰だと思うの?」

「誰か……」

 かなみは想像もつかない。

「あのテンホーとかいう女じゃないの?」

 ミアは自分の考えを言う。

「なんだか……違う気がする」

「どうしてよ?」

「テンホーはそういうことをするような怪人じゃないと思うのよ」

 かなみは直感で言う。

 テンホーとは何度も戦っていて、未だにどんな怪人なのかわからないけど、それでもなんとなくこのホテルにわざわざ招待するような性格じゃないというのはわかる。

「あんたがそう言うんならそうでしょうね」

 みあはその見解に理解を示す。

「それじゃ誰かしら? グランサーじゃないでしょうね?」

 翠華がそう言うと、かなみ達は一階のロビーでグランサーで会ったことを思い出す。今でもあの恐ろしい佇まいに寒気が走る。

「それはないでしょ」

「そうでしょうね」

 みあはあっさりと否定し、翠華もあっさりと同意する。

 とりあえず言ってみただけだった。

「ここで会ったのは偶然みたいな感じだったし、ああいうのが人をホテルに招待するなんてテンホー以上にあり得ないわ」

 みあは言いきる。

「なんだか、心当たりが無いわね……」

 かなみはぼやく

「怪人ホテルに私達を招待するような人……怪人しか知らないんだから自ずと怪人に限られるわね」

 みあはそう言って、心当たりを絞っていく。

「みあちゃん……私、思ったんだけど」

「何?」

「それって、私達が知ってる怪人なのかしら?」

「………………」

 かなみの意見に、みあ達は言葉を失う。

「あんた、怪人達の間じゃ有名人だものね」

 みあは嫌味を言う。

「うぅ……」

 否定したいけど、事実と認めざるをえない。

 十二席の選考試験を筆頭に、怪人が取材に来たり、怪人から標的にされたり、心当たりが多すぎるからだ。

「それじゃ、今回もかなみを狙って? ああ、あたし達はとばっちりね」

「みあちゃん、そういう言い方って……というより、まだそうと決まったわけじゃないでしょ」

 翠華は諫める。

「わかってるわよ。でも、私達『が』知っている怪人じゃないかもしれないっていうのわかったわ。――私達『を』知っている怪人ね」

 そう考えると、心当たりが膨れ上がってしまう。

 一体ネガサイドのどんな怪人がそんなことを。

「まあ、まず普通の怪人じゃないわね。普通の怪人って、地下で楽しんでるような連中でしょ、あいつらが私達人間を招待するような知能があるとは思えないわね」

 その見解については同意だ。

「あるとしたら、支部長とかそういうとんでもない怪人ね……」

 そう言いながら、かなみは支部長達の顔を思い浮かべる。

「九州支部長いろか、中部支部長刀吉……あと十二席の連中……」

 さしあたって思いつくのはそれぐらいだった。

「肝心な奴を忘れてない?」

「……え?」

「関東支部長カリウス」

 みあからその名前を言われて、顔が強張る。

「……忘れてたんじゃないわ」

 ただ名前を呼ぶのだけでも避けていた。

「まあ、気持ちはわかるけど」

「……嫌な怪人ね」

 翠華も緊張した面持ちで言う。


パンパン


 そこへあるみは手を叩く。

「そこまでよ。結構絞れたじゃない」

 あるみがそう言うと、ウェイターがオードブルの皿を配膳する。

「食事の時間よ。そういう思案をしているとせっかくの料理を味わえなくなるわ。オンオフはきっちりね」

「はい!」

 かなみはオードブルを前にして目を輝かせて答える。

「オフにして記憶吹っ飛んだんじゃない?」

 みあはかなみの切り替えに呆れる。




「は~食べた食べた」

 かなみはホテルの料理に質でも量でも大変満足して部屋に戻る。

「あとは温泉ね」

 みあ達と一緒に入ることになっている。

 このホテルだと怪人達と一緒に入ることにだろう。

 怪人達と温泉。随分前にもそんなことがあった。あの時はテンホー、スーシー、カンセーの三人だけだったけど、今回はどれだけ怪人と一緒になるのか、考えただけでもゾッとする。

「それでも、ここまで来たら温泉もどういうものかみておかないとね」

 ただ、みあの意見ももっともだった。気が進まないだけで。

「それにしても、一体誰が招待したのかしら?」

 レストランの話では、各支部長か十二席の誰かというところまで絞り込めたのだけど。

「……あら?」

 部屋のテーブルに封筒が置かれている。

 紙でできているけど、魔力を帯びているせいで妙に目立っていて気になっている。

「開けるの?」

 マニィが訊く。

「開けないわけにはいかないでしょ」

 かなみは意を決して開ける。


『一三二〇号室で待つ。必ず一人ですぐ来るように。招待主より』


 カードキーが一緒に入っている。

「一三二〇号室……一人……」

 かなみはそのカードキーを握りしめる。

「マニィはカウントされてないわよね?」

「ボクは一匹だからね」

 カナミは苦笑する。

「すぐって言ってるから、温泉にはいけないわね」

 ちょっとだけ残念に思っていて、楽しみにしていたことに気づく。

 一三二〇号室は十三階の奥の方にある部屋で、そこだけ照明が消えていて闇が濃くなっていて不気味に感じた。

「招待主……一体、誰かしら?」

 予想通り、上位の怪人だとしたら自分一人ではどうにもならない。

「もし、襲われたら全力で逃げるわよ」

「逃げることができる相手だったらいいけどね」

 マニィは不安を煽るような言い方をする。

「一応、社長や翠華さん達には連絡しておいたけど……」

 携帯を見てみる。

 あるみから『できるだけ一人で頑張って』と返信が来ている。かなり荷が重くて逃げ出したくなりそうになる。

「はあ……」

 ため息一つついて、気持ちを切り替える。

 招待主の正体を知って、このホテルへ招待したわけを問いたださなければならない。

 憂鬱な気分でいたら、やられるかもしれない。意を決して臨戦態勢で臨む。

「――いくわよ」

 誰でもなく自分に言い聞かせて、カードキーを差し込む。


カタン


 鍵が開く音がして、恐る恐る扉を開ける。

 うっすら開けて部屋の中を確認する。しかし、うっすら開けただけなので部屋の奥までは見えない。

「入ってきたまえ」

 奥の方から声がして、心臓が飛び上がりかける。

「いきなり襲うような真似はしない」

 声は続けて言う。

(どこかで聞いたような……)

 聞き覚えのある声。だから安心感を覚えるというわけはないけど、その声に従って一気に扉を開けて部屋の中へ入っていく。

 空気が圧迫されて、のしかかっているような感覚に襲われながらも奥へと歩を進める。

「ようこそ」

 部屋の奥の座椅子にそいつは悠然と構えていた。

「――!」

 かなみは驚き、絶句する。

 赤いコートを羽織り、顔は赤いテンガロンハットで隠れていて一切見えない。しかし、そこから感じられる視線には深い闇へ引きずり込まれる錯覚を覚えさせられる。

「カリウス……!」

 かなみは圧迫感に押しつぶされそうになりながらも、勇気を振り絞って名を告げる。

「覚えていてくれたか」

 忘れるはずがない。

 そう、のどまで出かかったけど声は出なかった。

「知っての通りだが、私はカリウス。今は元関東支部長という肩書きがつく。その席は空席だけどね。

――いっそのこと、君がつくというのどうかな?」

 カリウスの嘲笑の声が耳障りと感じた。

「冗談、言わないで!」

 苛立ちを声にして出す。

「フフ」

 カリウスは満足げに笑う。

「冗談のつもりなどなかったのだが。君にはその資質は十分にある。今のところ資質だけだが、フフ」

「………………」

「納得がいってないかな。どうにも君は自分を過小評価しているな」

「あんたが私を過大評価してるだけじゃないの」

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。計りかねているといってもいいかな」

「どうして、私をそこまで気にかけるの?」

 グランサーにしても、パシャにしても、ゲイタにしても、みな自分を気にかけてくる。怪人とは関わりたくないにも関わらずだ。

「気にかけるのは、気にかけるだけのものがあるからだ。君の資質もそうだ」

「私の資質って……」

「魔法少女」

 カリウスは感慨深くその言葉を口にする。

「人間の領域を踏み越えた存在だと私は思うのだが」

「魔法少女は私だけじゃないわ。翠華さんやみあちゃんや紫織ちゃんがいるわ!」

「確かにな。だが、君はその中でも飛びぬけて資質があるのだよ。――人間の領域を踏み越える資質がね」

「社長みたいに?」

「そう。そして、こちら側に傾くかもしれないほど不安定なのだ」

「私は絶対にあんた達の側につかないわ、絶対に!」

「どうかな。君が望む望まざるに関わらず事態は動くものだ」

「あんたが動かしたんでしょ」

「フフ、そうとも。とても楽しいことだよ」

 カリウスは愉快気に言う。

 その悪辣さに、かなみは不快感がこみ上げてくる。

「君の気持ちはよくわかった。今度は私の話をしようか」

「聞きたくないんだけど」

「そう言わずにな。君にとっても聞く価値のある話だ」

 カリウスから椅子を出す。

「座りたまえ。ワインはダメだろうから、ミルクを用意した」

「いいわよ、飲まないから」

 かなみは提案を拒否する。

 この男が用意したものには、どんなものが入っているのかわかったものじゃないから口に入れるわけにはいかない。

「つれないな。君とはもっと友好的にいきたいのだが」

「冗談じゃないわ。あんた、私にしたことを忘れたの?」

 翠華や紫織を人質に取って、契約を強要した。

 あの悪夢のような過去は忘れるようがない。許しがたいものだった。

「忘れたよ」

「――!」


ダン!


 我を忘れてかなみはテーブルを叩く。

「といえば、君はそうやってテーブルを叩くんだね」

「あんた!」

 その返答で、かなみは余計苛立った。

「記念すべきファーストコンタクトだ。忘れるわけがなかろう」

「私にとっては忘れ去りたいことよ!」

「忘れようとすればするほど忘れられないものだ。人間とは、実に不便で、面白くできていると私は思うよ」

「おちょくって……!」

「フフ、実に楽しいひと時だ。君のその怒りはとても好ましい感情だ。招待した甲斐があったというものだ」

「こうして、私をからかうために招待したってわけ?」

 かなみは問いかける。

「いや、ここまではあくまで余興。

――本題に入ってもいいが構わないか?」

 カリウスがそう返答したことで、空気がまた一段と重苦しくのしかかる。

「……いいわよ」

 かなみはその圧迫感のせいで重たくなった口を無理矢理開けて答える。

「結構」

 カリウスはそれだけ言うと、ワインとミルクのグラスが消える。

「先程も話したが、今関東支部長の座は空席になっている。私が生死不明であることが原因だがね」

「そのあんたがどうしてこんなところに?」

「このホテルはサービスがいい。宿泊客の秘密は絶対に守ることで、ネガサイド内でも信頼できる場所だ。ま、こうして密談するにはもってこいというわけだ」

「それじゃ、あんたがここにいるってことは誰も知らないのね?」

「そういうことだ。私の方が誰が来ているのか把握しているがね」

 かなみの脳裏には、グランサーやテンホーの姿が脳裏をよぎる。

「どうして、あんたの方は知ってるのよ? 秘密は絶対に守るんでしょ」

「そこは別口で情報を仕入れている。裏に潜んでいる分だけ動きやすいのだよ」

 カリウスの発言に、不気味さを感じる。

「その仕入れた情報の中に面白いものがあってな。君に依頼したい仕事がある」

「私に依頼したい仕事?」

 一体何なのか、想像もつかない。

 第一引き受けるつもりもないから話だって聞きたくない。にも関わらず、この場に留まっているのはカリウスから放たれている圧迫感があるからだ。

「報酬は十億は用意した」

「じゅ、十億!?」

 かなみは思わず驚きの声を上げる。

「君には喉から手が出るほど」

「き、決めつけないでよ!」

 それが強がりだということは、誰の目にも明らかだった。

「まあ、話だけでも聞いてもらいたいものだ」

 聞かせるつもりのくせにと、かなみは思った。

「依頼したいのは、ある怪人の討滅。――たった一人のな」

「それは一体誰?」

「判真。最高役員十二席の席長」

「――!」

 かなみは絶句する。

「判真を……なんで、私に……?」

「面白いからだ」

 カリウスはシンプルに答える。

 陰謀も無く、思惑も無く、ただ一つのシンプルな理由。

 それだけに恐ろしさを感じる。

「君は判真という男をどれだけ知っているかな?」

 カリウスは問いかける。

「最高役員十二席の席長、ということぐらいしか……」

 十二席の選抜試験で威風堂々と立っていた甲冑姿が思い出す。まさに席長と呼ぶに相応しい姿だった。

「その彼が今夜このホテルに宿泊する。一人でな」

「そこへ倒せっていうの?」

「そうだ。君なら成功すると私は思っている」

「冗談でしょ、相手は十二席の席長よ」

 かなみは反論する。

 今相対しているカリウス。元とはいえ支部長にさえ勝てる気がしない。

 その上の地位にいる最高役員十二席で、しかも席長ともなると戦いになるのかすら考えにくい。……あるみならともかく。

「討滅なんて、とても……」

「そうかな。私にはそう思えないが」

「どうして?」

「席長の戦いを見たものが誰もいないからだ」

「見たって、誰もいないの?」

「そういうことだ。彼は命じるだけだからな。十二席や支部長達を手足のように使う、ただそれだけだ。それがリーダーらしい在り方ともいえるが」

「社長はそうじゃないけど……」

「君の社長はそうだろうな。怪人達の社会も力がモノを言う。強い者に従うのが本能だ。

――その中での例外かもしれないのが、判真なのだ」

 判真の勅命は同じネガサイドの怪人ならば絶対に守らなければならない。たとえそれが自らの死であっても。

 かなみはそう聞いている。しかし、

 それはあくまで判真の魔法であって、戦闘力に直結しているわけではない。カリウスの発言はそう告げているように感じた。

「つまり、判真は部下に命令するだけで、本人の力は大した事がないってこと?」

 選抜試験の雰囲気を見る限り、そうは思えない。

「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」

「どっちよ?」

「それを君で確かめてもらおうつもりだ。自分で試すことができないのでな」

 その返答を聞いて、かなみの苛立ちをさらに募らせる。

「私で試させるつもりね!? 判真の力がどれだけのものか!!」

「そうだ」

 カリウスは肯定する。意外なまでにあっさりと。

「私は……私は、あんたの捨て駒じゃない!」

 かなみの思いのたけをぶつける。魔法弾を撃ち込むように。

「どうかな。私は捨て駒などとは思っていない」

「ど、どうして……?」

「十分に勝算はあるということだ。君なら判真を倒せるという可能性がな」

 カリウスの言葉にかなみは言い知れぬ説得力を感じた。

「私がどうして、十二席の席長を倒せるって……?」

 しかし、それでも全てを信じることは出来なかった。

「言ったはずだ。君には素質がある、と。

魔法少女としての戦闘力は及ばないものの、妖精のチカラの担い手に選ばれ、仲間に恵まれ、――そして怪人をも惹きつけるだけの存在感がある。

私が求めてやまない混沌を生み出すチカラといっていい」

「混沌……?」

「フフ、十億どころか百億払ってでも欲しいものだ」

「………………」

 かなみは身体中の鳥肌が立つのを感じる。

 この怪人、カリウスが放つ狂気に恐ろしさを感じているからだ。

 何を考えているか、何を起こすかわからない。ただ自分になんらかの破滅をもたらすのだけは確信できる、そんな狂気だ。

「もし、判真を倒すことが出来たのならどのような混沌がこの国にもたらされるか、想像がつくかい?」

 カリウスは問いかける。

 その狂気の眼差しが自分に向くことに全身が震える。

「わからないわよ、そんなの……」

「今、この国にはどれだけの怪人が人間社会に紛れ潜んでいると思うかい? このホテルのようにそれこそ無数にいる潜んで生きている。大衆に気取られることなくな。もっとも、我々支部長や十二席の働きかけも大きい。ああ、それは抑止だ。判真による抑止の命令が大きいのだよ。

――人間に我々の存在が気づかれるような事態になれば、我々が止める。

これは絶大な抑止力として働いている。おかげでネガサイドは秩序をにわかに保ってしまっているのだ」

 カリウスは自嘲する。

「フフ、混沌から生まれた我々怪人が秩序を保っているのだから滑稽だと思わないかね?」

「………………」

「だからこそ、私はこの秩序を壊したいと思っている」

「そのために、私に判真を倒させようというのね?」

「そうだ」

「――!」

 かなみは息をグッと呑み込み、今一度自分の意志を確認する。

 この男がどれだけ恐怖をふりまこうが、それでも屈するわけにはいかない。

 自分が正しくて、こいつが狂ってるから。

 自分が正しくて、こいつの間違いに加担するわけにはいかないから。

「冗談じゃないわ! 誰がそんな自殺行為に手を貸すかってのよ!!」

「君にとっても、おいしい話だと思うのだけどな」

 カリウスは十億のアタッシュケースを指して言う。

「あんた、言ったじゃない。十億どころか百億払ってでも欲しい、って!」

 かなみは要求する。

 到底不可能といえる金額を請求することで正当にこの依頼を断ろうとしている。

「だったら、最低百億は用意しなさいよ! リスクと金額は釣り合ってないわ!!」

「フフフ、フフフフフフフフ!!」

 カリウスは愉快気に笑う。

 手は椅子に掛けたままだというのに、「腹を抱えて」といっていいほど心底からの笑い声に感じた。

「この場所と状況、そしてこの依頼の話を聞いて、なおその啖呵を切れるか」

 カリウスは手をポンと叩く。

「結構! 君の純粋さは称賛に値する」

「純粋……」

 翠華にもそう言われた。

 同じ言葉だけど、カリウスから言われるのと翠華から言われるのとでは受け止め方はまるで違う。たまらなく嫌な感じがする。

「が、今私に用立てられるのはこの十億が限界だ。これ以上表立って金策すると私の生存が気取られてしまうからな」

 いくらか拍子抜けするような話だった。

 悪の秘密結社の支部長だというのに、なんというか世知辛いと思ってしまう。

「これで受けないのであれば、こちらからはこれ以上持ち掛けられることは無い」

「……つまり、どういうこと?」

「戻っていい、と言っている。それとも私の方から姿を消した方がいいかな?」

「………………」

 かなみは答えられない。

 この男の言葉をどこまで信じていいのか、判断しづらいからだ。

「それじゃ、遠慮なく」

 意を決してかなみは立ち上がる。カリウスからまったく目を離さず。

 しかし、カリウスは一切襲い掛かってくる気配が無い。

 ただ、油断はできない。いきなり銃弾を無造作に撃ち込んできてもおかしくない。

 かなみは最後まで警戒心を解かず、視線をそらすことなく部屋を出る。

「信頼されていないのだな。警戒が強いと逆にねらい目だよ」

 去り際の一言に身をすくませられる。

 しかし、結局何もしなかった。

(か、からわれただけ……)

 部屋を出て一息ついたところで、手玉にとられたことに気づく。

 一気に身体が重くなる。気を張りすぎた疲労が回ってくる。

「お疲れ様」

 マニィが労ってくれる。

「……疲れた、とは言ってられないわ。早くこのことを社長やみんなに知らせないと……」

 カリウスが生きていて自分の前に姿を現わしたこと。

 判真が今夜このホテルに宿泊しにやってくること。

 その判真を倒すことをカリウスから持ち掛けられたこと。

 そして、その話を断ったこと。

「ああ、そのあたりはボクに任せて」

 マニィは携帯電話を取り出して操作する。

「ええ、頼むわ」

 かなみは一刻も早くこの階から出なければならない。

 カリウスがいるこの十三階にいつまでもいちゃいけない。そう判断して、エレベーターへ向かう。


ガタン


 その時、エレベーターはちょうど止まる。

 そこから圧倒的な存在感が放たれる。

「え……?」

 エレベーターの扉が開かれ、判真が姿を現わす。


――私が求めてやまない混沌を生み出すチカラといっていい


 カリウスの言葉が正しく現実になった瞬間であった。

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