第53話 忘却! 忘れ去られた孤独を少女は埋める (Cパート)

 結局、聞き込みを再開したものの怪人に関する手がかりも掴めなかった。

「それでなんで僕の部屋に戻ってきたんですか?」

「え、外にいても落ち着かないから」

 かなみはあっさりと答える。

「ここ、蜂須賀さんのお部屋ですよね……」

 紫織も思い出したように言う。冷静に考えると、住民である蜂須賀は幽霊のため、一般人からすれば空き巣といってもいいではないかと思えて落ち着かない。

「それにここ落ち着くし。なんだか自分の部屋みたいなのよね」

「そんな理由で居座れても困るんですけどね……」

「幽霊のあんたが言うな」

「うぅ……そうでした、僕、幽霊なんでした……」

 思い出したように蜂須賀は自分が幽霊なんだと自覚して落ち込む。

 その様子を見て、かなみも彼が哀れに思えてきた。

 自分が知らないうちに死んでしまって、知らないうちに幽霊になってて、この世に留まっているのだ。

 誰にも知られず、ひっそりと生きて……誰にも知られず、ひっそりと死んで……

(私もそんなふうに……)

 そこまで考えると、ゾクリと寒気が走る。

 いつの間にか、蜂須賀と自分を重ねてしまっていた。だって、他人に思えないんだもの。

「ええい、集中よ! 今は仕事中なんだから!」

 かなみは気合を入れる。しかし、はたからみるとかなみが突然大声を出したようにしか見えないため、紫織は驚いて少し退いた。

「あの娘、いつもあんな感じなんですか?」

「え、えぇ……いつもではないと思いますが……」

 あまりフォローしてくれない正直な後輩であった。

「結局怪人って本当にいるのかしら?」

 なんだかその存在さえ怪しく思えてくる。

「さあ、僕にはわかりませんね……」

「そもそも怪人がどういう目的でこのアパートにいるのかもわかっていませんよ」

「蜂須賀さんを殺すこと……だったら、目的はもう果たされたからいなくなってもおかしくないわね」

 そこでかなみの頭に引っかかったのは、四ツ木の言動だった。


――まるで知り合いみたいな言い方ね、会ったの?


 上手く言えないのだが、なんだか違和感があった。

「四ツ木さんが怪しい……そもそも、蜂須賀さんと四ツ木さんは会ったこと無いんでしょ?」

「はい、そうですね。僕が生きていた時はあの人はアパートに住んでいませんでしたよ、多分……」

 多分というのは少し頼りないが、情報が全然少ないのだから信じるしか無い。

「二ヶ月前にはいなかったのに、二ヶ月前からいたみたいにして、蜂須賀さんとも知り合いみたいな感じで嘘をついて……」

 何が目的なのかわからない。

「四ツ木さんが怪しい……」

 そういった意味では、四ツ木は怪人っぽいといえる。

「一体何の意味があって、デタラメを言ったのかしら?」

「蜂須賀さん、わかりますか?」

「僕に聞かれてもわかりませんよ……大体、僕はどうして幽霊になってしまったんでしょうか?」

「そんなのわかるわけないじゃない」

 かなみは投げやり気味に答える。

「千歳さんならわかるかもしれないけど」

 ぼやくように一言付け加えて。

「じゃあ、その千歳さんに教えてもらったらいいじゃないですか」

「あ……」

 蜂須賀にそう言われて、かなみはポンと手を叩く。

「オフィスに電話すれば!」

 かなみは携帯電話を取り出して、オフィスビルへかける。

『はい、もしもしこちら株式会社魔法少女です』

 千歳が電話に出た。

「あ、千歳さん! 今電話番なんですか?」

『ええ、そうよ』

 珍しいわね、と思った。

 いつもなら鯖戸か翠華が出るところなのに。しかし、今は都合が良かった。

「ちょうど千歳さんに訊きたいことがあったんです」

『私に?』

「幽霊のことです」

『もしかして、そこに幽霊がいるの!?』

 千歳の声が弾む。

「ええ、はい。学生さんなんですが」

『会わせて会わせて! 今どこにいるの!?』

「え、はい。でも、その前に教えてください」

『なになに?』

「幽霊ってどうやったら出来るんですか?」

『………………』

 千歳は少し考える。

『いくつか成り立ちはあるわ。

一番多いのは、無念や未練が大きいことね。まだ生きていたい、死にたくないって想いが強烈に魂をこの世に留めてしまうのよ』

「蜂須賀さんは……」

 かなみは蜂須賀を見やる。

「未練とか無念とか無いの?」

「未練? 無念? いえ、そういうものは特には……」

「ほら、受験勉強中、合格したかったとか無いの?」

「確かに合格したかったっていうのはありますけど、死んでしまったら仕方ないかなって思います」

「あ、諦めがいいわね……」

 それとも、潔いといってもいいのか。生きているかなみにはちょっとわからなかった。

『その話からすると未練や無念から幽霊になったわけではないみたいね』

「そうみたいですね……他にはないんですか?」

『あるわよ。元々生まれ持った魔力が強いとか、私の場合はこれね』

「紫織ちゃん、蜂須賀さんから魔力感じる?」

「ぜ、全然です……」

「私もよ、全然感じない……」

『うーん、そうね。あとは他の人から呼び出される場合ね。

霊媒師とかイタコさんとか専門の人がいるみたいだけどそっちにいるの?』

「多分、いません……」

『普通の人でも、そういう素質がある人ならって思ったけど……』

 かなみはこのアパートの住民の顔を思い浮かべる。

 大家の馬場、パートの二階堂、会社員の四ツ木、フリーターの七味……霊媒師とかイタコとかそういった職業柄の人のイメージと結びつかない。

「そういう人はいそうにないです」

『そう……でも、人からそういう人がいたって思い出されるだけでも幽霊って生まれることもあるわよ

死んだのに、生まれるっていうのもなんだか変な言い方だけど』

「人からそういう人がいたって思い出される……」

 かなみは思い出す。


「憶えてないんですか? 救急車が、このアパートにきたってこと?」

「そんなこともあったような、なかったような……」

 大家の馬場は物忘れが激しく、蜂須賀が救急車で運ばれたことを忘れかけていた。


「ほら、最近みかけないじゃない。上の学生さん」

「受験勉強で忙しいって聞いてますけど……たまに部屋に灯りがついてるのがみえますよ」

「へえ、そうなの。一人暮らしで受験も大変ねえ」

 二階堂も蜂須賀の存在を気にかけておらず、四ツ木に言われて、ようやく思い出したところだった。


「最近、隣の八号室が妙に静かなんだよな」

「静か?」

「なんか受験勉強だって言って部屋にこもりっきりだってきいたんだがな」

 七味もそうだった


「四ツ木さんの言ってたことがきっかけでみんな蜂須賀さんのことを思い出した」

 思い返してみると蜂須賀のことを言及していたのは四ツ木だった。

 それをきっかけにして、かなみは蜂須賀のことや救急車のことを聞き出していった。

「一ヶ月前とか二ヶ月前とかそういうことはともかくみんな思い出した」

「もしかして、それがきっかけで蜂須賀さんが幽霊になったんじゃないんですか?」

「さあ、ボクにはわかりませんよ……」

『そりゃねえ、自分が生まれた瞬間なんてわからないわよ』

 千歳の言葉になんだか納得させられた。

『気づいたら幽霊になってた。そんなこと言ってるでしょ?』

「はい、言ってました」

『だったら、そういう可能性が高いわね。怪人の目的はそれかもしれない』

「怪人の目的? どういうことですか?」

『幽霊っていうのは純粋な魂なのよ。高純度の魔力の塊だから怪人の食糧としては喉から手が出るほど欲しいもののはずよ』

「怪人が幽霊を食べるの!?」

「――!」

 かなみがそう言うと、蜂須賀はビクッと震える。

『ええ、魂食いっていうんだけど、私もこの数十年で何度か襲われたことがあるわ』

「魂食い……あの中の誰かが……」

 かなみは、このアパートの住民の顔を思い出す。

『ねえ、その学生さんに会わせてよ! 会わせてくれないんだったら、私がいくわよそっちに!』

「え、ちょっとまってください! 一段落ついたらあわせますから!」

『フフ、約束よ』

 かなみは電話を切る。

「ボク、その怪人ってやつに食べられるんですか?」

 蜂須賀は不安げに訊く。

「そんなことさせないわよ。そうさせないために私は来てるんだから」

「………………」

 蜂須賀は呆然としてかなみを見たが、やがて想いを振り絞ったかのように言う。

「ありがとう、ございます。不思議な感じですね、年下の女の子に守ってもらうっていうのは」

「そ、そうかしら?」

「……ちょっとだけ未練ができたかもしれません」

「え、どういう……」

 かなみは途中で言葉を切った。

「誰か聞き耳を立ててる」

「え!?」

「入り口にいるのは誰!?」

 かなみは飛び出して扉を殴りつけるようにこじ開ける。

「あた!?」

 外で扉の前に立っていた誰かにぶつかった。

「四ツ木さん!」

 そこに立っていたのは四ツ木だった。

「バレちゃってたのね……」

「気配と足音がしたから」

「うそ、気配消すのには自信があったんだけど」

 四ツ木は初めて驚いたような表情を見せる。

「ちょっとした足音でも聞き分けられるように訓練させられたことがあるんで」

 涼美がまだ日本にいたときに、暗闇の中ひたすら鈴の音を聞き分ける訓練させられたおかげで、今のかなみの聴覚は少しばかり常人離れしていた。

「ああ、そういう魔法少女なのね。油断してたわ」

「私達のこと知ってるんですか?」

 紫織は身構える。

 一般人がかなみと紫織に向かって冗談でも魔法少女だと言うはずがない。

「もう目的もバレてたみたいだから、こっちも隠しても無駄だと思ってね」

「魂食い……幽霊の蜂須賀さんを食べることが目的だったのね」

「ええ、そうよ」

 四ツ木はあっさりと肯定する。

「幽霊は純粋な魂の固まりなのよ。それは極上の美味。私はそれを食べることを唯一の楽しみにしてるのよ」

 そして、四ツ木は部屋の奥にいる蜂須賀を見やる。

 その視線はまるで獲物を前に舌なめずりする猛獣のそれみたいだった。

「やっぱりあんた、視えてるのね?」

「ええ」

「さっきは視えてないフリをしてたのね?」

 フフッと四ツ木は笑う。


「蜂須賀さんのことで?」

「はい」

「まるで知り合いみたいな言い方ね、会ったの?」


 あのやり取りは、四ツ木が蜂須賀の存在に気づいていることをごまかすためのものだと今ならわかる。

「幽霊の蜂須賀さんともう会っているのがわかっているから、そういうこと言えたのよ」

「あの時、よく我慢したわね」

 四ツ木からしてみれば目の前に御馳走がいきなりやってきた、みたいな状況だった。かなみだったら気づかないふりするのも一苦労なのに。

「すごく焦ったわ。目の前にいきなり餌が来たんだから。それと同時に邪魔をする魔法少女が現れたことにもね」

「仕事なんだけどね」

 邪魔って言われるのは心外だった。

「私は二ヶ月前から準備していたのよ。蜂須賀は幽霊になるかどうか際どいところだったから、たまに話題に出して思い出させたりしてたんだけど」

「それで人によって一ヶ月前だったり二ヶ月前だったりしたんですか?」

 紫織が問い詰めると四ツ木はフンと鼻を鳴らす。

「人間の認識なんていい加減じゃない。本当は二ヶ月前なのに、一ヶ月だとか二ヶ月だとか言ったりしてね。せっかく思い出しても、認識が薄くて幽霊として出現するのかも怪しかったのよね。……でも」

 ニヤリと笑って、蜂須賀を見る。

「あなた達が蜂須賀についてあれやこれや詮索したおかげで、ちゃんと幽霊になってくれたわ」

「でも、あんたに食べさせてあげないわ」

 かなみは蜂須賀を四ツ木の目にうつさないように手をかざしてさえぎる。

「邪魔をしないで」

「させない。蜂須賀さんはあんたに食べさせない」

「私はこのためにこっちにやってきた。魔法少女に気付かれないようにさりげない動いて、ようやく幽霊となって私の前に現れたのに! それをお預けにされて、諦められるほど私は理性的じゃないのよ!」

「わかってるわよ、怪人だものね!」

 かなみがそう返すと、四ツ木は獰猛な目をした狼の怪人ウワサルフへと姿を変える。

「「マジカルワーク!」」

 かなみと紫織もそれに反応して即座にコインを舞い上げる。

「愛と正義と借金の天使、魔法少女カナミ参上!」

「平和と癒しの使者、魔法少女シオリ登場!」

 魔法少女に変身完了するやいなや、カナミは魔法弾を撃ち込み、ウワサルフを地面へと叩きつける

「グホッ!?」

 カナミは飛び込み、仕込みステッキを引き抜いて、すかさず追い打ちをかける。

「ピンゾロの半!」

「くぅ!」

 ウワサルフは爪を突き立て、ステッキの刃を防ぐ。


キィィィィィィィン!!


 ナイフのように鋭い爪とステッキの刃が鍔迫り合う。

「こんの!」

「負けるか、蜂須賀を食べるまでは!」

 ウワサルフは腕に力を入れ、強引に押し切ろうとする。


カキィィィン!!


 しかし、後ろからバットで腹を打ち抜かれる。

「不意打ちのヒットエンドラン! です!」

「ガハッ!」

 シオリの必殺技が直撃し、バランスを崩す。

「フン!」

 カナミはすかさずステッキを振り抜いて、腕を斬り落とす。

「ギャァァァァァァァッ!!」

 ウワサルフは悲鳴を上げながら、後退する。

「何故、私の邪魔をするの!?」

「それが私達の仕事だからよ」

「あいつは! 忘れられかけたのよ! 死んだことにも気づかれず、誰にもしられないまま消えるはずだった!

私は、そんなもったいないことをさせないために! 食べようとしただけよ!!

何の意味もなく死んで何の意味もないまま消えようとした魂に! 私は意味を与えようとしてあげただけよ!!」

「……言いたいことはそれだけ?」

 かなみは静かに怒気を込めて一歩踏み出す。

「――!」

 その威圧感とまとう魔力にウワサルフはたじろぐ。しかし、彼女とて必死であった。

「確かに蜂須賀さんはみんな忘れられかけていた。

親がいなくなって、バイトして、受験勉強して、それだけ生き抜いてきても誰も憶えていなかった!

不幸だったかもしれない、何の意味もなかったかもしれない!

――でも、それはあんたが決めることじゃない!」

 かなみはステッキを大砲へと変化させる。

「神殺砲! ボーナスキャノン!!」

 一気に発射し、ウワサルフを飲み込み、大爆発する。

「カナミさん、すごいです……」

「大したことなかったわね」

「……いや、すごかったですよ」

 蜂須賀がフラフラと飛んでやってくる。

「まるで漫画みたいでした」

「これ、小説なんですけどね。って、私達のこと驚かないんですか?」

「ん、まあそうですね。生きていたらそれなりに驚いてたかもしれませんが、自分が幽霊になると怪人や魔法少女がいても不思議じゃないと思えましてね」

「それもそうですね。私は魔法少女になっても幽霊は怖いですけど」

「あ、そうだったんですか?」

 蜂須賀は少し落胆したようだけど、かなみはその様子に気づかなかった。

「それでも、カナミさんは蜂須賀さんのために

 シオリはフォローする。

「あ、そうでしたか……嬉しかったです。あんなふうに言ってくれて……」

「あ……」

 蜂須賀が笑ってくれたことで、カナミは異変に気づく。

 蜂須賀の体が夕闇に溶け込んで消えかけているのだ。

「蜂須賀さん、体が……?」

「ああ、これですか……」

 蜂須賀は自分の手を見て、自分の運命を悟る。

「もしかして、成仏するの?」

「ええ、そうみたいです」

 カナミの問いかけに蜂須賀は肯定する。

「元々、未練は無かったんです。あの怪人が無理矢理ボクを幽霊にしようとしただけなんですから」

「その怪人を倒してしまったから、誰も蜂須賀さんを思い出さなくなって、……成仏なんですね」

 シオリの声がだんだん弱々しくなっていく。

 成仏という言葉がまるでまた死ぬかのように感じてならなかったからだ。

「それだったら、私が思い出すわよ」

「え?」

 カナミの発言に、蜂須賀はキョトンとする。

「私があんたのこと忘れないから、成仏するなんて言わないでよ」

「いや、いいんですよ。幽霊って成仏しなくちゃならないものですから」

 そう言うと、蜂須賀の手と足が消える。

「……せっかく会えたのに」

「でも、会えて良かったですよ。正直君にもっと早く会えたら未練とか残ったかもしれなかったんですけどね……――ありがとう」

 そして、日没とともに蜂須賀の姿は消え去った。




「――というのが今回の仕事内容です」

「報告ありがとう、紫織君。無事仕事を果たせたみたいだね、ご苦労様」

「……はい」

「報酬は口座に振り込んでおくって、そうかなみにも伝えてくれ」

「……あ、はい」

「今日は帰ってゆっくり休むといい」

「……はい、お疲れ様です」

 紫織からの報告電話を切る。

「無事達成、と……」

 鯖戸はタイピングして、報告書を作成する。

「なになに、例の幽霊君どうなっちゃったの?」

 千歳が興味津々に訊く。

「成仏したんだって」

「え~、久しぶりに幽霊仲間に会えると思ったのに……」

「とても満足そうな顔をしていたそうだ」

「そう」

 千歳はそれだけ訊くと自分も満足そうに笑う。

「満足して成仏したのならいいわ。未練や無念を抱えたまま留まって悪霊にでもなったら最悪だし」

「そうなったら、君達魔法少女の出番なんだろうね」

「できれば嫌よ。そんな役目。成仏っていうのは笑顔で送り出してあげなくちゃいけないんだから」

「そうだね。大家さんも望んでいたから僕達に依頼したんだろうね」

「え?」

「いや、なんでもない……」

 口を滑らせた鯖戸はコーヒーカップで口元をごまかすように隠す。

 そして、報告書を作成する。

 今回の依頼人である大家の馬場へと。

 彼女はつい一ヶ月半ほど前に入居してきた四ツ木が怪しいことに気づいていた。どうにも二ヶ月前に過労と衰弱で亡くなった蜂須賀について色々と有る事無い事吹き込み回っていた、という。

 それはある意味、死者の冒涜ともいうべき許されざる行為だった為、ツテをたどって株式会社魔法少女に依頼したわけだ。

 しかし、そんなことまでは、かなみと紫織が知る由の無いことであった。




――あいつは! 忘れられかけたのよ! 死んだことにも気づかれず、誰にもしられないまま消えるはずだった!


 帰路についていたかなみは、怪人の言葉を思い出す。

 蜂須賀は他人に思えなかった。

 両親が死んでしまった為、学費を稼ぐためにバイトし受験勉強している姿が、一人借金を返すために必死で働いている自分とどうしても重なってしまう。

 だったら、私もこのまま一人で頑張って、どこかへ消えて、忘れられてしまうのだろうか。

 ゾクリと肌を震わせる。

 怖い。それはとてつもなく怖いことだった。

 借金がいくらあることよりも、一人になってみんなから忘れられていくことは何よりも怖いんだ。


――それだったら、私が思い出すわよ

――私は忘れないから、成仏するなんて言わないでよ


 だから蜂須賀もそう言ってほしかったんじゃないかと思って口にした。

 あれでよかったんだ。

 でも、本当によかったのか。

 答えは出ない。

(でも、まだ私は生きている)

 アパートの階段を上がる。

 足はちゃんとついている。ちゃんと動いて帰ってこれる。

 それだけで生きている実感が引き戻される。


――ありがとう


 そう言ってくれた彼の笑顔を信じよう

「私もあんな笑顔でいたい……」

 そう呟くとカバンからピョコンと何かが飛び跳ねた。

「だったら、自撮りでもしてみれば?」

「マニィ!?」

 それは見慣れたネズミ型のマスコット・マニィだった。

「君って放っておくとすぐ暗い顔するから笑顔の練習しておいた方がいいよ」

「お、大きなお世話よ! それより、どうしたの!? 社長が本調子になるまで復活できないんじゃなかったの?」

「ん、まあ、つい今さっき本調子に戻ったみたいだよ。さすがあるみ社長だよ、回復がはやいはやい」

「たしかにはやい……」

 あと二、三日ぐらいかかるかと思ったのに。

 まあ、成長痛だとか風邪だとか言っていたのだからすぐ治るようなものだったのだろう。

「それで、ボクがいない間でもちゃんと仕事はできたみたいだね」

「え、ええ、そうよ! 別にあんたがいなくても仕事ぐらいちゃんとできるわよ」

「へえ……ところで、財布の残りは確認しなくて大丈夫なのかい?」

「う……!」

 かなみはとっさにポケットの財布をかばうように手で覆う。

「うーん、そのあたりの管理はやっぱりボクがいないとダメみたいだね」

「そんなわけないでしょ! あんたがいなくてもお金の管理ぐらい出来るわよ! ただ今日はちょっと電話とかしたから、十円玉が心もとないというか……」

「いや、携帯電話に十円玉は必要ないでしょ」

「あ、あ、あううう……」

 かなみはごまかすことができず、顔をひきつらせる。

「あ、あんたなんて戻ってこなくてもよかったのに……」

 ただ今夜のかなみはちょっとだけ寂しさを忘れられた。

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