第53話 忘却! 忘れ去られた孤独を少女は埋める (Bパート)

「結局、その蜂須賀さんに会えませんでしたね」

「ええ、そうね」

 近くの喫茶店でかなみと紫織は情報をまとめてみることにした。

「みたところ、蜂須賀さん以外怪しい住人はいないって感じがしましたね」

「うーん、そうね」

 フリーターの七味、二階堂、そして、会社員の四ツ木の三人の顔を思い出す。

「あの大家さんに比べればいたって普通の人だったわね」

「かなみさん、それはちょっとひどいのではないでしょうか?」

「あははは、そうね。ちょっと口が滑ったわ」

「お待たせしました、コーヒーです」

 ウエイターの人が注文したコーヒーを二つ持ってやってきた。

「あ!」

 かなみは思わず声を上げる。

「あ!」

 ウエイターの方も二人に気づいて驚きの声を上げる。

「七味さん?」

「バイトってここでやってるんですか?」

「ああ、マスターが気前良くてな」

「バイト代いいんですか?」

 かなみは目を輝かせて訊く。

「い、いや……飯をいつも大盛りで」

 七味は少し引き気味に答える。

「ご飯大盛りはいいですね」

「あんた、ここでバイトするつもりか?」

「……ん、いえいえ、そんなつもりはありませんよ。ただご飯が……」

 かなみはメニューに視線を移す。

 うどん、ラーメン、焼きそば、ナポリタン……何の変哲もないおなじみのメニューだが、魅力的な単語が連なっている。

「ご飯? なにか食うつもりか?」

「いえ、コーヒーだけで十分です」

 かなみはそう自分に言い聞かせ、コーヒーを飲む。

「ゲホッ! コホコホコホ!」

 そして、むせる。

「かなみさん、大丈夫ですか?」

「え、ええ……」

「ま、別にいいけど……」

 七味はやや面倒そうに言った。

「あ、そうそう、一つききたいことがあるんですが?」

「なんだよ?」

「蜂須賀さんがいる気配が無いって話なんですけど」

「ああ、その話か」

 七味はあからさまにため息をつく。

「お前ら、探偵か何か?」

「いえいえ、ただの興味ですよ。私達、どうみても中学生と小学生じゃないですか!」

 かなみは慌てて誤解を振り払おとするが、かえってそれが怪しかった。

「怪しい人みたいです」

 紫織のコメントが追い打ちになった。

「うぅ……」

 かなみはうなだれて、コーヒーをごまかすようにすする。

「遊びならもっとマシなことをしろってことだよ。あんまり気分のいいことじゃないからな」

「は、はい……き、気をつけます……」

「………………」

 紫織が受け応えするも、七味は怪訝な目つきをとる。

 かなみはそんな高圧的な態度に多少の嫌悪がこみ上げてきた。

「そういや……隣の人のことで、一つ思い出したことがあるな」

「なんでしょうか?」

「一ヶ月ぐらい前だかに、サイレンが鳴っててな」

「サイレン?」

「あれは多分、救急車だったと思うぜ」

「「救急車!?」」

 かなみと紫織は揃えて驚きの声を上げる。

「なんで救急車が?」

「そこまではわからねえよ。ただなんかそんなことがあったってだけだ」

 七味はもうこれ以上は面倒だといわんばかりに厨房の方へ戻っていく。

「救急車……」

 かなみはどうしてもそのことが気になった。




 かなみ達は喫茶店を出る。

 支払いはかなみが行おうとしたが、紫織が自分が払うと申し出た。

「私の財布なら心配しなくていいのよ」

「いえいえ、ここは私が払います!」

 そう言って、財布まで出してくる。

 しかし、かなみにも先輩としての意地があった。

「私が払うから」

「いいえ、かなみさんにはお世話になってますから!」

「私だって紫織ちゃんに世話になってるわよ!」

「私が!」

「私が!」

 レジの前で譲り合いが延々と続き、結局じゃんけんで勝った方が支払うことになった。

「こういうときは勝てるのよね……」

 かなみがパーで勝ったのでコーヒー二杯分払った。しかし、なんともいえない気持ちになった。

「ありがとうございました」

「いいのよ、奢るのは先輩の義務みたいなものだから。

さ、気を取り直していきましょう」

「いくってどこにですか?」

「大家さんのところよ。七味さんが言ってたことが本当か確かめないと! 一ヶ月ぐらい前……なんていうか聞き覚えがあるような……」


――ああ、でも一ヶ月ぐらい前に学校に行ってるのはみかけたけど……


 脳裏に、そんな言葉がよぎる。

 あれは確か四ツ木が言っていたことだ。

(偶然……?)

 そうは思っても、気になって仕方がなかった。




「はて……そんなことあったかのう……」

 単刀直入に大家に訊いたら、首を傾げられた。

「憶えてないんですか? 救急車が、このアパートにきたってこと?」

「そんなこともあったような、なかったような……」

 大家は物忘れが激しい、なんてことを二階堂がぼやいていたのを思い出す。

「どっちなんですか?」

「どっちだったかねえ」

 大家は相変わらず首をかしげる。

「思い出してください」

 かなみは詰め寄る。こうなったら是が非でも思い出してもらいたい。

「……思い出せないねえ」

 しかし、結局はなしのつぶてであった。

「ガクッ!」

 かなみはあからさまにうなだれる。

「思い出せないのでは仕方ありませんね」

「しょうがないか……」

「一週間ぐらい前のことだったら憶えてるんだけどねえ」

「一週間……それじゃ、蜂須賀さんって人見たことないですか?」

「蜂須賀さん……? 上に住んでる学生さんのことだね。いや、みておらんなあ……」

「そうですか……」

 それだけ聞ければ十分、と思うしかなかった。




「物忘れが激しいって言っても限度があるでしょ」

 部屋を出るなり、かなみはさっそくぼやいた。

「どうしましょう、かなみさん?」

「うーん……」

 かなみは考える。

 救急車のサイレンはかなり大きかったはず。それなら他に聞いていた人がいるかもしれない。

「二階堂さんと四ツ木さんにも聞いてみましょう」

 さっそくかなみは隣の部屋にチャイムを鳴らす。

「はいはい、今出ますから!」

 そう言ってドタドタと玄関までやってくる足音が聞こえてくる。

 そして、すぐ扉が開かれる。

「なんだい、またあんた達かい」

 呼び出したのがかなみ達だとわかると二階堂も七味のように面倒そうな顔をする。

「もう一つだけ聞きたいことがありまして」

「なんだい?」

「一ヶ月ぐらい前に救急車が来ませんでしたか?」

「一ヶ月ぐらい前……?」

 二階堂は首を傾げる。

「いんや……あれは確か、二ヶ月前だったと思うけど」

「二ヶ月……?」

「ああ、近くで凄い救急車のサイレンが聞こえてくるなって思ったから、憶えてるんだけど」

「誰が運ばれたんですか?」

「そこまでは見てないねえ……」

「そうですか、ありがとうございます」

 新しい情報に戸惑いながらも、かなみと紫織は一礼する。

 それを見た二階堂はぶっきらぼうな顔をして扉を締める。

「一体どういうことなんでしょう?」

「七味さんは一ヶ月前、二階堂さんは二ヶ月前に救急車のサイレンを聞いたって言ってた……」

 この食い違いはどういうことなのか。

「ひとまず、四ツ木さんの話も聞いてみましょう」

「そうですね」

 かなみは四ツ木のいる四号室のチャイムを鳴らす。

「は~い」

 多少間延びしたような返事と二階堂とは対象的にトタトタとのんびりした足音が聞こえてくる。

「あ、さっきの……」

 呼び出したのが先程二階堂と話していた女の子達だとわかってなんだか納得したような様子だった。

「私に何か聞きたいことでもあるの?」

「え……?」

 先に目的を言い当てられて面を食らう。

「どうしてわかったんですか?」

「あなた達が二階堂さんに聞き込みしていたから次は私かなって思って」

「私達が訊いてたのを見てたんですか?」

「ううん、風通しが良いアパートだから、よく聞こえてくるのよ」

「……私のアパートはそうでもないけど……」

 かなみはボソリとぼやく。

 かなみの住んでいるアパートもここより酷くないもののオンボロのため、風通しは良く隣の物音が聞こえてたりするが、それでもこの距離の話し声を簡単に聞き取れるものなのだろうか。

「それで何を聞きたいの?」

「ええっと、上に住んでいる蜂須賀さんのことです」

「学生のことね。さっきも話したけど」

 そういって、さっきのやりとりをかなみの脳裏をよぎる。

「救急車で運ばれたって訊いたんですけど、本当ですか?」

「ああ、その話ね。悪いけど、私、知らないのよ」

「知らない?」

「一ヶ月ぐらい前はちょうど仕事が忙しくて残業続きで日付が変わるまで仕事とかの日が多かったから、そういうことがあったって聞いただけなのよ」

「残業続きで日付が変わるまで……」

 かなみにも見に覚えのあることだ。この人、想像以上に厳しい仕事をしている人なんだなと少しだけ同族意識を感じた。

「それは辛いですね」

「まあ、慣れてるからわよ。そういうわけで救急車に運ばれたってことぐらいね。大家さんから聞いたわ」

「大家さんから、いつ聞いたんですか?」

「うーん、二ヶ月ぐらい前だったかしら」

「二ヶ月……?」

 二階堂さんと同じだ、と、かなみは思った。そして、それだけ聞ければ十分とも。

「わかりました、ありがとうございます」

 かなみは一礼すると、四ツ木は「それじゃ」と満足そうに扉を締める。

「結局、どうなってるんでしょう?」

「わからない……わからないんだけど……」

「何か引っかかるんですか?」

「うーん……」

 かなみは蜂須賀がいたはずの二階の八号室を見上げる。

「私達、まだ一度も蜂須賀さんに会ってないわよね」

「え? ええ、そうですね」

「もう部屋に戻っているのかしら?」

「七味さんは部屋にいる気配は感じないって言ってましたけど」

「紫織ちゃん……冷静に考えて、気配なんてそう簡単に感じられるものじゃないわ。社長や母さんならともかく」

 おそらく今頃あるみか涼美がくしゃみをしているだろう。

「部屋に入ってでも話をしてみたいわね」

「勝手に入ったら泥棒ですよ」

「社長達は何度も勝手に入ってきてるんだけどね」

 主にオフィスビルが潰された時のことを思い出す。

 勝手に部屋に押し入ってきてただでさえ狭い部屋が余計に……とそれ以上考えるとどツボにはまりそうなのでやめておく。

「――無理にでも、だけど合法的に入るわよ」

「え、えぇ……?」

 かなみが何を言っているのか紫織にはちょっとついていけなかった。

 とりあえず、かなみは大家をまた訪ねてみた。

「あんた達、さっきの……」

 大家はかなみ達のことを憶えていた。さすがにそこまで物忘れは激しくなかったようだ。

「あの、大家さんにお願いがあるんですけど」

「お願い?」

「八号室の蜂須賀さんに会いたいので、合鍵を貸していただけませんか?」

 かなみの頼み方に、紫織は後ろで「えぇ!?」と驚きの声を漏らしそうになったがこらえた。

 あまりにも直球かついかがわしい要求であった。常識的に考えれば突然訪ねてきた少女が部屋の合鍵を貸してほしいなんて頼むなんておかしいし、大家は怪しんで渡すはずがない。

「ちょっと、待ちなさい」

 そう言って大家は部屋の奥へ入っていく。

 そして、数秒で戻ってきて「8」と書かれた鍵をかなみに渡してくれる。

「ちゃんと返しな」

「はい、ありがとうございます」

 そんなやり取りをして、扉が閉まる。

「………………」

 紫織は呆然とそのやり取りを見て絶句していた。

「えぇ、ど、どうなってるんですか!?」

 数瞬遅れて、驚きを顕にする。

「どうなってるって? 普通のことじゃないの?」

 かなみはむしろ紫織の驚きように驚いていた。

「大家さんってあんなに住んでる人の合鍵を渡すものなんですか?」

「うちはそうだったわよ。よく隣の合鍵借りてるし、社長にも勝手に合鍵渡して出入りしてるし」

「そ、そういうものなんですか……?」

 紫織の中の常識が揺らぐ。

「細かいこと考えず、とにかく合鍵はもらったんだから行ってみましょう」

「いいんでしょうか?」

 紫織は疑問を口にするが、かなみは気にした素振りを見せなかった。

 そこから、二人は二階に上り、八号室の前に立つ。


ガチャリ


 かなみが差し込むとあっさりと鍵ははまり、扉は開く。

(これって泥棒みたいなものじゃないですかね……?)

 紫織はそんな疑問を浮かべたが、かなみに聞く勇気は無かった。

「……誰もいない」

 入った蜂須賀の部屋には誰もいなくて、閑散とした空気が流れている。

 部屋には受験生らしく本棚に所狭しと難しそうな参考書や百科辞典が敷き詰められていた

「やっぱりまだ入院してるのかしら?」

「それとも、ただの留守でしょうか?」

「ただの留守ならいいんけど……」

 かなみには頭の中に引っかかっているものがあった。

「そう……ちょっと、整理してみたいんだけど」

 情報をもらった順に、整理してみる。紫織が几帳面にメモをとってくれていたおかげでこれは楽に済んだ。

 一ヶ月ぐらい前、四ツ木は蜂須賀を見かけたと言った。

 一ヶ月ぐらい前、七味は救急車のサイレンを聞いたと言った。

 大家はそんなことがあったとか、なかったとか曖昧に答えた。多分、物忘れが激しいから憶えていないのだろう。

 二ヶ月ぐらい前、二階堂は救急車のサイレンを聞いたと言った。

 二ヶ月ぐらい前、四ツ木は大家から救急車が来たことを聞かされたと言った。

「あれ……?」

 と、ここまで整理したところで気づく。

「蜂須賀さんが二ヶ月前に救急車が来て、入院したんなら一ヶ月前に四ツ木さんが見かけているのはおかしいわ」

「たしかに、言われてみれば……二ヶ月前に蜂須賀さんは入院したのなら一ヶ月前に見かけることはできませんしね。あ、でも……そもそも私達、蜂須賀さんを見かけたことすらありませんよね」

「ううぅ、そうね……」

 そして、無人のこの部屋……蜂須賀という人間が本当にいるのかさえ怪しくなってくる。

「蜂須賀さんって、本当にいるんでしょうか?」

「あ~お客さんですか……」

 二人しかいないはずの部屋に唐突に男の声がする。

「――!?」

 かなみと紫織は驚き飛び跳ねかける。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」

「え、えぇ……」

 その男は不機嫌そうに言う。

 声のした方を見ると、恐ろしく血色が悪く、やせ細っている学生服を着た少年であった。

「も、もしかして、蜂須賀さん……?」

 恐る恐るかなみは問いかけてみる。

「そうだけど……あんたら、なんで僕の部屋にいるんだ?」

「え、あぁ……」

 紫織は返答に困った。

「どうせ、大家さんが合鍵を貸したんでしょ」

 しかし、かなみが答える前に蜂須賀は答えた。

「あの人、不用心だから、いっつも簡単に通しちゃうんだよな……」

 蜂須賀はため息混じりにぼやく。

「………………」

 なんともいえない奇妙な雰囲気であった。

 ここは蜂須賀の部屋であり、かなみ達は住人である蜂須賀の許可を得ず、入室している。本来なら蜂須賀は困惑したり、抗議したり、と大いに困ったようなリアクションをとるものだが、そういったことは一切無い。そのせいで奇妙な雰囲気になったということだ。

「………………」

「………………」

 お互いにどう接すればいいのかわからず、沈黙が続く。

「……私は結城かなみです」

 そんな沈黙に耐えきれず、かなみは思い切って名乗り出す。

「ちょっと、このアパートの調査をしに来たんです」

「は、はあ……探偵なんですか?」

「えっと、そんな感じです」

「えぇ……」

 紫織はかなみの返答に戸惑った。きっと、全然探偵とは違うのに、と思っただろう。かなみ自身も心の中で同感だったが、そうした方が説明の手間が省けるのでやむをえなかった、と、自分に言い聞かせる。

「探偵ですか……それで何の調査なんですか?」

「それはちょっと言えないんですけど………蜂須賀さんは受験勉強の最中なんですか?」

「え、ええ、そうですよ。第一志望に受かるために必死にやってるんですよ」

「大変なんですね」

「大変ですよ……学費だって、自分で稼がないといけないんだから」

「自分で稼ぐ?」

「僕には両親がいなくてね、ここの家賃と生活費、大学に通うための学費。全部僕が稼がないといけないんだよ」

「………………」

 かなみと紫織は絶句する。

 苦労している、と、四ツ木から聞いていたが、それほどの苦労人だったとは思わなかった。というより、かなみにとっては他人の気がしなかった。

「苦労……」

「え?」」

 かなみは涙目になって、訴えかける。

「苦労しているのね! 私もお金稼がなくちゃいけなくて! 借金もあって! 親は生きているけど! 隣の人は両親いなくて苦労しているからそれはよくわかるの! だから、だから! 頑張って応援するわ!」

「あ、ああ……」

 蜂須賀はかなみの剣幕に気圧される。

「頑張ってね!」

 かなみは蜂須賀の手をとろうとした。

「あ、れ……?」

 しかし、その手をとることはできなかった。

 すり抜けてしまったのだ、まるで幽霊みたいに。

「え、えぇ……どうなってるの!?」

「まるで千歳さんみたいですね」

 紫織の一言に、かなみはピンとくる。

「ええぇぇぇぇ、幽霊ぇぇぇぇぇぇぇッ!?」

 かなみの絶叫がアパート中に響き渡る。

「……そんなに驚かなくていいじゃないですか」

 蜂須賀はややふてくされたように言う。

「あ、あんた、幽霊だったの!?」

「僕も今知ったんだよ」

 蜂須賀はあっさりと言う。

「嘘……それじゃ自分が幽霊だったってことが気づいていなかったの?」

「そうみたい……」

「そうみたい、じゃなくて! 幽霊って気づかなかったの? それじゃ、自分がいつ死んだのかわからないの?」

「うーん、そうだね」

 蜂須賀は首を傾げて考える。

「ちょっと、思い出せないな……連日バイトで疲れてて、だけど勉強しようとして、それでも眠くてちょっと休んでいたら……そこからの記憶がないんだ」

「そこで死んだんじゃないの!?」

「ああ、言われてみると……確か、救急車のサイレンが聞こえたような……」

「だから、そのまま死んだんじゃないの!?」

「うーん、そうかもしれないな」

 蜂須賀は曖昧に、しかし、あっさりと肯定する。

「そうかもって……あんた、それでいいの? し、死んだのに……?」

 かなみは後半は言いづらそうに訊く。

「いや、まあ死んじゃったんならしょうがないかなって……」

「あ、諦めが早いわね」

 かなみは呆れる。

 とはいっても、死んだことは事実なのだからそれは受け止めなければならない。

「あんた、今まで自分が幽霊になったことに気づいていなかったの?」

「うん、今君に言われて気づいたところだよ」

「それじゃ、救急車に運ばれたことも憶えてないのね」

「サイレンが聞こえたぐらいだね、憶えてるの」

「それって、いつ頃……?」

「さあ……それは思い出せないね」

「自分のことなのに……」

 かなみは思わずぼやく。

「自分のことだからかもしれないよ。案外自分がいつどうなるかなんてわからないものだよ」

 その結果、気づかないうちに死んでしまった。

 そう考えると蜂須賀の発言に重みが感じられるようになる。

(一人で頑張って、一人で倒れて、そのまま……)

 かなみはゾッとする。

 さっき、蜂須賀が他人に思えなかったから応援しようと決めたが、他人に思えないだけに自分も同じような事にならないだろうか、不安に駆られる。


ブンブン!!


 頭を振る。

 気持ちを沈ませては駄目だ、と、心を切り替える。

 自分達は仕事を果たすためにやってきた。そのために、このアパートのどこかに潜んでいる怪人を見つけて倒す。

「あの……かなみさん……?」

 かなみがそんな葛藤を繰り広げていると、紫織が呼びかけてくる。

「あ、ごめん。ぼーっとしてた。それで何?」

「蜂須賀さん、怪人に殺された、ってことはないでしょうか?」

「あ……」

 そのことをまったく考えていなかった。

「怪人にこっそり殺された……だったら、怪人はまだこの部屋のどこかにいるかもしれない!」

「えぇ!?」

 かなみと紫織は警戒して辺りを見回す。

 しかし、この部屋のスペースは僅か六畳。押し入れやトイレを含めてあっという間に見渡せてしまう。さすがにこんなところに怪人は隠れ潜んでいたとしてもすぐ見つかる。

「……いませんね」

「そうみたい」

 かなみ達は警戒を解く。

「そうなると怪人はどこにいるんでしょうか?」

「うーん、わからないわ……」

「怪人とか、殺されたとか、どういうことなんだ?」

 ここで、蜂須賀が口を挟んでくる。

 蜂須賀からしてみれば、穏やかではない単語が飛び込んできて戸惑うのも無理はない。

「蜂須賀さん、最近アパートで何か怪しいことはなかった?」

「最近か……いや、特にそんなことはなかったな。在宅のバイトと勉強で忙しくて気にする余裕が無かったっていうのもあるけど」

「そりゃそうね」

 かなみも仕事が忙しいとそういうこともあるので同意できた。

「せめて、蜂須賀さんが救急車に運ばれているのがいつなのかわかったら……」

「四ツ木さんと二階堂さんが二ヶ月前、七味さんが一ヶ月前って言ってましたけど」

「ちょっと待て、四ツ木さんって誰のこと?」

「え?」

 かなみと紫織はキョトンとする。

「四ツ木さんって、四号室に住んでいる……知らないの?」

「知りませんね。七味さんは隣で、二階堂さんは一階にいる人ってことは知ってますけど」

「……蜂須賀さんは、四ツ木さんを知らない」

「それってどういうことなんですか?」

 戸惑う紫織にかなみはこう答えることしかできなかった。

「わからない……でも、四ツ木さんは怪しい!」




 かなみ達は幽霊の蜂須賀と一緒を出た。

 蜂須賀は千歳と違ってちゃんと足があるおかげで浮いているというより生きている人間みたいに普通に歩いてついてきた。ただ、足音がまったくしないので少しだけ不気味だった。

 一階に降りて、四号室の前に立つ。

「ここには誰も住んでいなかったはずなんだけど……」

 蜂須賀はぼやく。

「とにかく聞いてみましょう」

 かなみはチャイムを鳴らす。

「はい」

 返事はすぐ来て、扉が開かれる。

「ああ、またあなた達ね」

 四ツ木はかなみ達の顔を確認すると、なんだか納得したかのように言う。

「まだ何か聞きたいことあるの?」

 四ツ木は後ろにいる蜂須賀に気づいた様子も無い。やはり、幽霊だから普通の人には見えないのだろう。

「蜂須賀さんのことで訊きたいことがあります」

「僕?」

 後ろで蜂須賀が反応する。

「蜂須賀さんのことで?」

「はい」

 四ツ木はフッと笑う。

「まるで知り合いみたいな言い方ね、会ったの?」

 そう聞かれて、かなみは蜂須賀が立っている方を見る。

「あ、いえ、まだ会っていません」

 とっさにかなみは嘘をついた。

「あら、そうなの。それで訊きたいことってなに?」

「二ヶ月前と一ヶ月前に蜂須賀さんに会ったって言いましたよね?」

「ええ、言ったわよ。結構疲れてたみたいだけど」

「僕、身体が弱かったから……」

 四ツ木の発言に蜂須賀は一言加える。

「倒れて救急車に運ばれたんですか?」

「ええ、驚いたわ」

「………………」

 かなみは蜂須賀の方を見る。

「……僕はこの人を知らない。会ったことないよ」

 囁くように言うと、かなみは四ツ木へ不信感を募らせる。

「それだけ聞ければ十分です」

「そう……」

「ありがとうございます」

「また何か聞きたいことがあったら呼んでね」

 フフッと笑い、四ツ木は扉を閉める。

「どういうことなんでしょうか?」

「まるで知り合いだったみたいね」

「いや、僕はあの人を知らないよ。ここだって空き部屋だと思ってたし」

 蜂須賀は表札の『四ツ木』を見て言う。

「……うーん」

 かなみは頭を悩ませながら、ニ号室の方へ身体を向ける。

「今度は二階堂さんに聞いてみましょう」

「……は、はい」

「……二階堂、さんなら、知ってる」

 蜂須賀はボソリとつぶやく。これで二階堂も知らない、と言われたらどうしようかとかなみは内心思っていたので一安心だ。

 四号室から二号室までさほど距離がないのでほんの数歩で移動は完了した。


ピンポーン♪


 さっそくチャイムを鳴らす。

「またあんた達かい」

 四ツ木とは対照的に露骨に面倒そうな顔をする。

「まだ何か用があるんかい?」

 後ろで蜂須賀は「ああ、こんな感じのおばさんだったな」と密かにぼやくのが聞こえる。

「蜂須賀さんのことで訊きたいことがあるんです」

「悪いけど学生さんのことはよく知らないのよ」

「救急車のサイレンを聞いたって言ってましたよね?」

「ええ、そうだけど。救急車かどうだったかも憶えてないのよ」

「それは本当に二ヶ月前だったんですか、一ヶ月前とかじゃなくて」

「しつこいわね、本当よ。二ヶ月前! 一ヶ月前じゃなくて二ヶ月前! それだけははっきり言えるわ」

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