第53話 忘却! 忘れ去られた孤独を少女は埋める (Aパート)

ヂリリリン


 朝目覚まし時計がやかましく鳴り響く。

「も、もうちょっとだけ……」

 それでも、かなみは布団にくるまる。眠ろうとする意志は断固として強固なのだ。

ヂリリリン

「昨日は一時まで仕事だったから」

ヂリリリン

「眠いのよ……」

ヂリリリン

「もう五分だけ……」

ヂリリリン

「お願いだから」

ヂリ…………

 とうとう目覚まし時計の方が折れて、ベルが鳴り止む。

「………………」

 もう誰もかなみを起こそうとするモノはいなかった。

「って、やばーいッ!!」

 さすがに身体が遅刻への危険信号を発したのか、かなみは飛び起きる。

 飛び起きて、三秒でパジャマを脱いで、顔を洗いつつ、セーラー服に着替え、昨日放り投げたカバンを拾い、朝食を食べずに玄関へ急ぐ。

「どうして起こしてくれなかったのよ、マニィ!?」

 かなみは文句をいつも肩に乗っかっている相方へ言う。

「あ……」

 ところが、今日はいつもの相方はまだ戻っていないことに今更ながらに気づいた。




「おはようございます」

 放課後、学校を出たかなみは株式会社魔法少女のオフィスビルへ入社する。

「かなみさん、おはよう」

「翠華さん、今日は早いですね」

「ええ、今日は早く終わってね」

「私なんて補修ですよ。小テストの成績が悪くて」

「かなみさんは働きすぎだからね。勉強だったら力になれるから、わからないところがあったら言ってね」

「頼もしいです!」

 いざという時のために中学の教科書を見直しておこうかと翠華は密かに思った。

「あら?」

「どうかしましたか?」

「かなみさん、ちょっと痩せたんじゃない?」

「え、えぇ、そうですか?」

 かなみは腹まわりを見てみる。

 痩せた。そう実感するほど身体が軽くなった感じはしない。むしろちょっと重くなったような気さえする。

「ちゃんと食べてるの?」

「そう言われてみれば……最近、朝食と夕食食べてませんね。今日も食パン一枚で」

「それはダメよ!」

 翠華はダン! とデスクを叩く。

「かなみさん、ただでさえ働きすぎで不健康なのに食べないと身体がもたないわよ!」

「そ、そうなんですが……なかなか食べる時間がとれなくて……」

「時間なら私がとるわ。今夜一緒に食事にいきましょう!」

「で、でも、私、お金なくて……」

「お金なら私が出すわ! かなみさんのためなら三食一緒にしてもいいわ!!」

「おはようございます。って、えぇ、三食一緒?」

 紫織が入ってきて翠華の言動に困惑する。

「紫織ちゃん?」

「お二人ってそんな親密な仲だったんですか?」

「あ、え……」

 翠華は思考停止する。

「違うの!? 翠華さんとはそういう仲じゃないから! 翠華さんに失礼だよ!!」

「え、違う?」

 翠華はまたショックを受けて思考停止する。

「翠華さん、私の身体のことを気遣ってくれてるだけなの!」

「だけ……そう、だけよ……」

「そうなんですね。かなみさん、お疲れなんですか?」

「え、ええ、ちょっと忙しくてね」

 かなみは苦笑して言う。

「ちゃんと休まないとダメですよ」

「う、うん……でも、今は難しいわね」

 かなみがそう言うと、紫織は自然と肩の感触を確かめる。

「アリィ達がいませんからね」

 かなみもまた軽くなった肩の感触を確かめ、いないはずの相方を撫でる仕草をとってしまう。

「ええ、そうね」

 かなみは寂しくそう言った。




「うーん、うーん……」

 社長室のソファーにあるみは横たわって、ひたすら唸っていた。


コンコン


 ドアのノック音が聞こえる。

「社長、入りますね?」

 コーヒーカップを持ったかなみが入室する。

「ありがとう?そこにおいといて?」

 風邪でもひいたかのようなうだる声であった。

(寝起きだったのかしら……?)

 あいにくとあるみに風邪をひくようなか弱いイメージは一切無かった。

 あるみはすぐに起き上がって、かなみが淹れたコーヒーを口に含む。

「ちょっと薄くない?」

「社長が濃すぎるんです」

「本調子になったら、とっておきのコーヒーを淹れてあげるわよ」

 かなみはその味を想像しただけで苦い顔をする。

「まだ本調子にならないんですか?」

「うーん、あと二、三日はゆっくりしてないとね。それまでは営業も経営も仔馬に任せるわ」

「それまで『も』、じゃないんですか?」

 今度はあるみが苦い顔をする。

「かなみちゃん、毒入ってない?」

「毒が入ったぐらいで死ぬような社長じゃないでしょ」

「うわあ」

 そう言いながらもあるみはコーヒーをもう一口飲む。

「結局、原因何なんですか?」

「前も言ったでしょ、魔力の成長痛みたいなものよ」

「成長痛?」

「かなみちゃん、背が伸びて脚がいたくなったことない?」

「うーん、言われてみれば……」

「魔力にもそういうことがあるみたいなのよ。特に発展途上の場合はね」

「社長が発展途上?」

「驚くことじゃないでしょ、成長に限界はないわ。私だってもっともっと強くなるわよ」

 かなみはつい先日の戦いを思い出す。

 最高役員十二席・壊ゼルとの戦いは近づくことすら許されない凄絶なものであった。あれはもはや核戦争といってもいいはずだ、とかなみは思った。

「あれ以上成長するんですか?」

「そうね。少なくともあの壊ゼルと戦ってきたときにまだまだ伸びしろがあるって感じがしたわ」

「恐ろしい話です」

 これ以上成長したら地球がただじゃすまなくなるような戦いを繰り広げてしまうのではないかと本気で想像してしまう。

「まあ、その反動ね。全力で戦って魔力の最大値が伸びたってところよ」

「それで成長痛ですか?」

「まあね。身体の中の魔力が恐ろしい勢いで巡っているわ。ちょっと動いただけでオフィスビルをふっとばしかねないわ」

「社長、冗談ですよね、それ?」

 かなみは恐る恐る訊いてみる。

「冗談に聞こえないの?」

 戦いの余波だけでビルというビルが全部吹き飛ぶ地獄絵図のような戦いを目の当たりにしただけに、まったくもって冗談に聞こえない。

「まあ、そんなわけでもう少しここで大人しくしてるわ」

「それじゃ、マニィは……?」

「マスコット達をまた生成するにはデリケートな魔力のコントロールが必要なのよ。とても今の状態じゃ無理ね。失敗して筋肉モリモリのマッチョになっちゃったりして」

 そんなことを言われて、マッチョになったマニィを想像する。

 言動は生意気で一言余計なのだが、仮にもネズミをモチーフに愛らしい姿をしたマスコットが筋肉モリモリのマッチョになる。

「土方の仕事で稼ぐんだよ」

 丸太や鉄骨を軽々と持ち上がる姿まで思い浮かべて、いやいやいやと首を振る。




 やがて夕日が暮れて、夜が深まった頃。

 みあや紫織はもうとっくに退社しており、翠華も契約している就業時間を過ぎようとした頃、鯖戸は外回りから戻ってきた。

「今日も遅いわね」

 千歳は鯖戸の後ろをあとからついてくる。

「あるみがあれだから、僕がその分をカバーしなければならないだろ。それにマスコットもいないから人手も足りない」

「大変ね」

「君も手伝ってくれればいいんだけど」

「私は非常勤だから」

「まったく。かなみ君、頼んでいた資料の整理は?」

「そこに置いてあるでしょ?」

 かなみは不満げに返す。

「ああ、助かる」

 そんなかなみの態度などいつものことと気にもとめられなかった。

「うーん、やっぱり魔法少女の案件で外には出すのは厳しいな。人手が足りてない」

「そんな、それじゃボーナスはどうなるの!?」

 かなみは抗議を申し立てる。

「ほんの一週間の話だ」

「一週間って、私には死活問題ですよ!」

「それまで先月の給料で頑張ればいいだろ」

「もうそんな余裕なんてありませんよ。いくらもらってると思ってるんですか?」

「ああ、わかった。それじゃ君に案件を回すよ」

「本当ですか!?」

 途端に笑顔を浮かべる。

「ちょうど君にピッタリの案件があってね。成功報酬で五万だ」

「や、安くありませんか?」

「それだけあれば一ヶ月は暮らせるだろ?」

「そりゃそうですけど!」

 借金返済に使うにはあまりにも心もとない金額だとかなみは態度で主張する。

「明日、この地図の場所に向かってくれ。内容はもう一枚の紙に書いてある」

「りょーかいです!」

 かなみは投げやりな態度で、依頼書を受け取る。




 そのあとも、鯖戸の持ってきた資料の整理に追われて、結局も今日も退社は十二時を超えた。

「つかれた……ねむい……」

 一人かなみは愚痴っても、今は返すものはいない。

「………………」

 肩を触れてみる。何もないとわかっていても確かめたくなる。そして、やっぱり何もないとわかって吐息を漏らす。

「あ、かなみさん。待って」

「え?」

 いきなり呼び止められる。

「翠華さん?」

「よっぽど疲れてたみたいね。オフィス出たときに気づかれなかったし」

「え、あ、いえ、すみません!」

「違うの。そういうことじゃなくて、かなみさんが出てくるの、待ってたの」

「なんでですか?」

「ご飯の話」

 翠華はジト目で言ってくる。

「あ?、わ、忘れてました……」

 かなみは申し訳なく思えてきた。

「え、じゃ、じゃあ、ずっと待っててくれたんですか……?」

「そんな大したことなかったから」

「……私、最低です」

「本当に大したことないから! さ、行きましょ、行きましょ!」

「この埋め合わせは食事代で」

「いや、かなみさんがそれやっちゃ駄目だから!」




 オフィスビルからさほど離れていないところにある二十四時間営業のファミレス【ミートキャッスル】。給料日にちょっとした贅沢を、ということでかなみも度々利用している。

「遅かったじゃない?」

 入店するなり、みあが文句を言ってくる。

「あれ、みあちゃん? 今日は外で仕事だったじゃないの?」

「だから仕事終わってご飯じゃないの」

「みあさん、かなみさんが来るまで待ってたんですよ」

「余計なこと言わなくていいの!」

 みあと紫織のやり取りに、かなみは和む。

「それじゃ、私何にしようかな?」

「かなみさん、今日は私が持つから好きなもの頼んでね」

「そんなの、悪いですよ! 翠華さん、ずっと待ってたじゃないですか!」

「いいのよ、そんなこと。それよりかなみさんはちゃんと食事をとることの方が大事よ」

「ありがとうございます……」

 かなみはメニューを取る。

「それじゃ、このハンバーグ単品で……」

「ハンバーグとステーキのセット二つ!」

 みあが勝手に注文する。

「みあちゃん!」

「下手な遠慮は抜きにしなさい。一番安いもの頼んでちゃかえって失礼よ」

「みあちゃんの言うとおりね。下手な遠慮ならしない方がいいってこともあるのよ」

「そ、そういうもんですか……それじゃ遠慮なく、カレーライスも追加で」

「それはちょっと食べ過ぎじゃない?」

 さすがに翠華も驚いた。

「今日、まともに何も食べてなかったから……」

「そんなにいっぺんに食べたら毒よ」

「それもそうなんですけど……カレーも食べたくて」

「それじゃ、みんなで分けて食べるというのはどうでしょうか?」

 紫織が提案する。

「紫織ちゃん、ナイスアイディアね。それでいきましょう」

「まったく、げんきんなんだから」

 みあはぼやく。

「でも、かなみさんが元気になってよかったわ」

「マスコットがいなくなっただけじゃない。あたしはホミィがいなくてせいせいしてるわ」

「本当にそう?」

「……本当よ」

 みあはやや不機嫌気味に答える。

 それが心底から来る本心ではないことはなんとなく察しが付く。それが証拠にこの夜中にみんなで食事をしようって提案にすんなりと受け入れてくれた。

 翠華も肩に乗っているウシィの存在がないことに少しだけ寂しさがこみ上げる。

(家族がいる私でさえそうなんだから、一人きりになっているかなみさんやみあちゃんなら余計よね)

 しかし、そんなことを考えていても翠華は一切口にしないことにしている。

「お待たせしました、ハンバーグとステッキのセットです。」

 ウエイトレスの女性が鉄板を持ってくる。

 鉄板にはハンバーグとステーキの二枚が溢れんばかりに乗せられている。完全に大の大人向けの一品である。

「みあちゃんも食べるんですか?」

 そんな一品をかなみと一緒に食べようとするみあに紫織は思わず驚きを口にしてしまう。

「かなみができて、あたしにできないのは借金だけよ」

「ひっどーい!」

「というわけで、食べるわよ」

「いただきます!」

 結局、みあはハンバーグを食べたところでお腹いっぱいになった。

「あの社長が成長痛、ね……」

 ひとしきり食べ終わったところで、かなみは今日あるみが言っていたことを話した。

「凄い話よね、あれだけ強いのにまだ強くなろうとするなんて」

「はい。すごすぎてとりとめがないっていうか……」

「そんなの最初からわかってたことじゃない」

 みあは呆れるように言う。

「あの歳で魔法少女やってるんだから、まともじゃないってことよ。そのとんでもエピソードが一つ増えたってだけの話じゃない」

「みあちゃんははっきり言うよね……」

「難しく考えるのがよくないっての。別に社長が強くなったからって私達がどうこうってわけでもないじゃない」

「そりゃそうだけど……」」

「それとも、あんた……社長みたいに強くなろうって考えてない?」

「え……?」

 思っても見なかった指摘にかなみはあっけらかんとする。

「……わからない、かな」

「まあ、それもいいんじゃない。目標は大きいってことで」

 みあはそう言って、伝票を取る。

「え、支払い?」

 かなみが引き留めようとしたが、翠華がそれを止める。

「みあちゃんの気遣いだから」

「みあちゃん……」




 その後、ファミレスを出て翠華とも別れて、かなみは一人アパートに帰る。

「社長みたいに強くなろう、か……」

 考えたことならあるけど、あくまで超えられない目標みたいな感じだった。

「なれたらいいんだけど、やっぱり無理かな?」

 気づけばそんなことまでぼやいていた。

「あ……」

 そこで部屋には自分しかいなくて、一人言になってしまったことに気づく。


――無理かどうか決めるのは君だよ


 マニィがここにいたら、そんなことを言ってきそうな気がした。

「そんなのわかってるわよ」

 心に描いたマニィに対して反論する。

 一人芝居に過ぎない。そんなことはわかっているけど、一人言でぼやいても何も返ってこない寂しさをどうしても紛らわせたかった。

「マニィ……」

 思わず部屋のどこかにマニィの姿がないものだろうか、探してしまう。

「………………」

 そして、無駄なことだと悟り、この徒労をごまかすようにシャワーを浴びて、さっさとベッドに伏す。

(明日は魔法少女の仕事……マニィがいないけど、ちゃんとやれるかな……ううん、ちゃんとやれるわ)

 目を閉じて睡魔に落ちる一時まで、やはりマニィのことを考えずにはいられなかった。




 授業が終わった放課後、かなみは封筒に入っていた地図を頼りに目的地へ向かう。

「えぇっと、北がこっちで、東があっちで……それで、北東は……」

 よくマニィが地図を見てナビゲートしてくれただけに、この手のことは慣れていなくて不得手だと自覚させられる。

「早くも前途多難……」

 昨晩よぎった一抹の不安が蘇ってくる。

「あ、あの……」

 そこで、聞き覚えのある気弱な声に呼び止められる。

「紫織ちゃん、どうしたの?」

「鯖戸さんから一人じゃ心配だからついていくように、って言われまして」

「う……」

 鯖戸からしてみれば気遣いなのだろうが、かなみからしてみればまともに地図を見て目的地へ行けないかもしれない不安を見透かされたようで気分が悪かった。

「あの、私……かなみさんのお手伝いをするのが、とても嬉しくて、足手まといかもしれませんけど、よろしくお願いします」

 紫織は深々と一礼する。

「紫織ちゃん……」

 鯖戸の思惑はともかく紫織の純粋な厚意はありがたかった。というか、泣けるほど嬉しい。

「ありがとう。私の方こそとても嬉しいわ。

――ところで、紫織ちゃんこの場所わかる?」

 かなみはそっと地図を手渡す。




 紫織の正確な案内で、迷うことなくかなみ達二人は目的地に辿り着いた。

「アパート老宮(ろうきゅう)、ここみたいですよ」

「オンボロ……」

 かなみは思わず目的地に建てられていた二階建てのアパートを見てぼやく。

 元々は白い壁だったのだろうが、長い年月の雨風のせいで茶色に変色している。おまけにところどころにヒビが入っていて今にも崩れ落ちそうな印象すら与える。かなみが今暮らしているアパートも相当なものだが、ここよりはマシな気がする。

(どんなに家賃が安くても、ここには住みたくないわね。っていうか、人が住んでるの?)

 そんなことを考えていると、下の一階の部屋から妙齢の女性が出てくる。

(あ、人は住んでるんだ……)

 廃墟じゃないことに一安心したところで今回の仕事内容を確認する。

「このアパートに怪人が住み着いているかもしれないから見つけて退治する、でよかったんですよね?」

「ええ、なんでこんなオンボロアパートに住み着いてるかはわからないけど」

「こんなオンボロで悪かったのう」

「「って、わあ!?」」

 不意に後ろから文句が飛んでくる。

 振り向くと、そこには紫織よりも小さな背丈をした妖怪のような皺寄せをした老婆が立っていた。

(まさかいきなり怪人と出くわすなんて!)

 かなみは咄嗟にコインを取り出す。

「まったく、うちのアパートを好き勝手良いおって」

「うちのアパート?」

「そうじゃ、築八十年を誇る歴史あるうちのアパートじゃ」

「ち、築八十年……?」

「わしはこのアパートで生まれ、このアパートとともに育ってきたようなものじゃ……」

「お、おばあちゃん、一体何者なんですか?」

「わしか。わしはこのアパートの大家を努めておる馬場というものじゃ」

「お、大家……?」

「大家さん、こんにちは」

 先程アパートの部屋から出てきた妙齢の女性が老婆へ挨拶する。

「うむ」

 偉ぶった感じで老婆は返す。

(本当に大家さんなんだ……)

 かなみはコインを引っ込める。いくら妖怪のような老婆とはいえ怪人でないとわかれば変身してはまずい。

「それでお前さんらはなんか用かえ?」

「え、えっと……」

「立ち話もなんじゃし、うちに入りな。ちょうど茶菓子もあることじゃしな」

「茶菓子……」

 かなみはその言葉に心惹かれ、大家のあとについていった。

 大家の部屋一階の一番奥にあった。

 部屋は六畳一部屋。あとキッチンとトイレ、バスルームがある。

(中は大体うちといっしょなのね)

 そんなことを考えながら部屋の中央に置かれたちゃぶ台に座る。

「ま、ゆっくりしていきな」

 お茶を入れた湯呑を出される。

「これはどうも」

「それでお前さんらは入居希望者かえ?」

「あ、いえ……違うんです」

「何じゃ久しぶりの客かと思って期待しとったんじゃが」

 大家はぼやきながらお茶をすする。

 あからさまに不機嫌になるものだから、気まずくなる。ただ、怪人の情報を聞き出すためにどうしても大家さんと話をしておきたい。

「あの、このアパートにはどんな人が住んでるんですか?」

 かなみは思い切って聞いてみる。

「ん、なんじゃ? アパートに住まんくせに、住んでるやつに興味あるんかえ?」

「え、ええ、まあ……?」

「ふむ……」

 大家は不審な目つきで、かなみや紫織を交互に見る。

「………………」

 得も言われぬ緊張が走る。

 本当に妖怪にじっくりと見られているような感覚だ。

(やっぱり、この人、怪人なんじゃないかしら……?)

 かなみがそう思ったとき、大家は一息ついてお茶をすする。

「ま、ええじゃろ。気が変わって住みたくなるかもしれんし」

「それはないと思います」

 紫織は即答する。

 かなみは「それは言わなくてもいい!」と言わんばかりに紫織へ口に人差し指を立てる。

「――!」

 紫織も自分がまずいことを言ったのを自覚したのか、顔をひきつらせ冷や汗をかく。

「ん、なんかいったかえ?」

 幸い大家の耳は遠かったようだ。

「いえいえ、なんでもありません。それでここにはどんな人が住んでるんですか?」

「うむ……」

 大家は住人について話し始める。




 ひとしきり話し終えた後、かなみ達は大家の部屋を出る。

「思ったより簡単に聞き出せましたね」

「気前のいいおばあちゃんで助かったわ」

「でも、ちょっと怖かったです」

「それは、まあそうね」

 かなみも同感であった。

 だけど、あの大家が怪人であることはないだろう。それなりの時間、大家と話し込んでいたが、その間一切魔力を感知しなかった。感知能力に自信がないかなみでも、あの大家が人間だって言える。

「それでおばあちゃんから聞き出した住民の情報をまとめてみましょう」

「はい。このアパートに借りているのは四部屋。みんな一人暮らしということです」

 紫織は話を聞いていたときに書いておいたメモ帳をペラペラめくる。

「一階に住んでいる方はお二人。あ、おばあちゃんを入れると三人でした」

「その大家のおばあちゃんが一号室。

それと二号室と四号室ね。残りは空き部屋」

「二号室が二階堂(にかいどう)さん。先程出てきた方ですね」

 かなみは妙齢の女性を思い出す。

「それと四号室には四ツ木(よつぎ)さん、女性の会社員だそうです」

「二階もお二人いますね。七号室は七味(しちみ)さん、フリーターの男性です。八号室に蜂須賀さん、大学生です」

「上に男、下が女なのね」

「怪人が住み着いているということは、他の空き室にいるってことでしょうか?」

「住んでいる人が怪人ってこともありうるわ」

「それでは……あの二階堂さんが怪人ってことも?」

「全然魔力は感じなかったけど、ちょっとすれ違っただけだから断言できないわ」

 かなみは紫織が書いてくれたメモを確認する。

(空き部屋に住み着いているかもだし、この部屋の誰かが怪人なのかもしれない……)

 マニィがいてくれたら、なんて言っただろう。と考える。

『ボクに聞かれても困るよ。自分一人で考えたら?』

 きっとこんな感じに返しただろう。

(ええい、これぐらい一人でやれるわよ!)

 心の中で一人芝居を繰り広げて、気合を入れる。

「紫織ちゃん、まずは聞き込みよ!」

「は、はい!」

 というわけで、まずは四号室の四ツ木から、といきたかったのだけど、彼女は会社に行っているため、二階に上がる。


ピンポーン


 七号室の七味さんをチャイムで呼び出してみる。

「どなたですか?」

 少し肥満体質でヒゲを生やした不節制といった印象を受ける男性が出てくる。

「あの……ちょっと訊きたいことがあるんですが?」

「訊きたいこと?」

 七味は面倒そうに頭をかく。

 中学生と小学生の女子二人がいきなりやってきたのだから何事かと少しばかりの警戒心と、相手にするのが面倒だと少しばかりの倦怠感がみてとれる。

「最近、アパートでおかしなことが起きていませんか?」

「おかしなこと?」

「隣の空き室から人の気配を感じたり、物音とかしたりとか?」

「人の気配? 物音? いや、そんなもん全然しねえぞ」

「そうですか。他になにかありませんか?」

「うーん、特に……あ、そういえば」

「何かありましたか?」

「最近、隣の八号室が妙に静かなんだよな」

「静か?」

「なんか受験勉強だって言って部屋にこもりっきりだってきいたんだがな」

「妙に静か……」

「もういいだろ。もうすぐバイトがあるんだよ」

 七味はぶっきらぼうにそう言って、扉を閉めた。

「隣の八号室……」

 しかし、かなみは気にした様子もなく、隣の八号室に歩を進める。


ピンポーン


 八号室の蜂須賀へチャイムを鳴らす。

「…………………」

 数秒経って出てくる気配が無い。


ピンポーン


 もう一回鳴らしてみる。

 やはり、反応は無い。

「留守、でしょうか?」

「多分……だけど」

 七味が言っていた「部屋にこもりっきりだけど妙に静か」というのがどうにも気になった。

「……気になるわね」

 かなみと紫織は蜂須賀が出てこないか、少しだけ待った。

「あ……」

 ふと外の方へ視線を見やると、妙齢の女性――二階堂が近くのスーパーから戻ってきたのか、買い物袋を持って部屋に入るのが見えた。

「二階堂さんにも聞いてみましょう」

 かなみはすぐに降りて、二階堂の元へ駆け寄った。

「あのすみません! ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「聞きたいことってなんだね?」

 二階堂もぶっきらぼうな口調で受け答えする。

「最近アパートで何か変わったことはありませんでしたか?」

「変わったことね、特に何も……いや、そういえば、大家さんの部屋に空き巣が入ったって言ってたわね」「」

「ええ、空き巣ですか!?」

「大家さん、そんなこと言ってませんでしたね」

「あの人、物忘れが激しいのよ。もう年だから」

 二階堂はぼやくように言う。

「昨日も私と四ツ木さんを見間違えたぐらいなんだから」

「そういえば、八十年のアパートと生まれ、このアパートとともに育ってきたようなものって言ってましたね」

「そう考えるとあの人は八十歳以上ってことになるわね」

 物忘れが激しい年齢というイメージがつきまとう。

「まったく歳なんだから、こんなところで大家やってないで、老人ホームに入ればいいのにね」

「でも、それじゃこのアパートは取り壊しになるんじゃないんですか?」

「おっと、そうだったね。ここはオンボロだけど、家賃は安いからね、なくなったら困るよ」

 二階堂は苦笑混じりに言う。

「家賃が安い、ね……」

 かなみはその言葉に少しだけ興味がひかれた。

「あの、もう一つ質問いいですか?」

 紫織は教室で手を上げる生徒のように、しかし、控えめで小さな挙手をする。

「なんだい?」

「あの……上に住んでいる蜂須賀のことなんですか?」

「ああ、あの学生さんね」

「最近見かけたことってありますか?」

「最近……見かけたことは、ないわね……ああ、でも一ヶ月ぐらい前に学校に行ってるのはみかけたけど……」

「そうですか、一ヶ月ぐらい前……」

「あれから全然見かけないわね……」

「何の話をしているんですか?」

 そこへスーツを着たスラッとしたモデルのような女性がやってきた。

「四ツ木さん」

 二階堂さんがそう呼んだことで、この女性が四号室に住んでいる四ツ木だということがわかった。

「ちょっとした世間話です」

 かなみはサラリとそう言った。

「へえ、どんな話?」

 四ツ木は興味を示す。

「八号室の蜂須賀さんのことです」

「蜂須賀さん?」

「ほら、最近みかけないじゃない。上の学生さん」

「受験勉強で忙しいって聞いてますけど……たまに部屋に灯りがついてるのがみえますよ」

「へえ、そうなの。一人暮らしで受験も大変ねえ」

(夜部屋にいるときもあるのね。今は留守みたいだけど)

「あの人、この前少しだけ話したけどかなり苦労しているみたいなんですよ。一年前に父親が交通事故で、半年前に母親が病気で亡くなったそうなんです」

「え……?」

 かなみと紫織も、四ツ木から唐突に切り出された重たい話に絶句する。

「亡くなった両親のためにも今年なんとしてでも志望校に合格するんだって気合い入れてたわ」

「すごい子だったのね。応援したくなってきちゃったわ」

 かなみ達は自然と二階の八号室の方を見上げた。

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