第39話 離別! 空へ羽撃く少女の決断 (Bパート)

「ああ、かなみちゃん、こんにちは」

 倉庫の電灯をつけようとした時、千歳はゆらゆらとやってくる。

「ち、千歳さん、着ける前に来ないでください」

 かなみは身震いする。

 幽霊が出てきそうなこの薄暗い空間で、本物の幽霊である千歳が来るのは本当に心臓が悪い。

「いや、だってさ。ずっとここにいるのは一人は心細いのよ」

「幽霊がそんなことでどうするんですか」

「うーん、つい最近まで普通に街を出歩いてたしね」

「その状態で普通に出てこないでくださいね、都市伝説になりますから」

 かなみは釘を刺す。

 普通に出歩いていたというのは、どこかの変態が作り上げた人形に憑依というか魔法の糸で操っていたので、擬似的に現世を楽しめようになっていたのだが、それがこの間の戦争で人形は大破してしまったらしい。

 その後は、みあと魔法で合体というよくわからない方法で『ミアチトセ』という一人の人間になっていた。

 戦争中はずっとミアチトセの状態で戦っていたのだが、その状態があまりにも長く続くと二度と戻れなくなるかもしれないということで、あるみがマジカルドライバーの分解の魔法を使って二人を元に戻した。

 そのせいで千歳は元の幽霊の状態に戻ってしまったので、オフィスから出られなくなって少しだけ不機嫌であった。

 だから、ちょっとぐらいかなみをおどかすのは仕方が無い。

 仕方が無いにしても、かなみにとってはいい迷惑だ。

「それもいいんじゃないかしら?」

「身内としては恥ずかしいんですよ」

「でも、忘れ去られるよりはいいんじゃないかしら?」

「……そ、それは……」

 忘れ去られる。

 かなみにとってまったく身に憶えの無い感覚ではなかった。

 ついこないだまで、両親に捨てられて、忘れ去られているじゃないかとまで思っていただけに。その時のことを思い出すと胸が苦しくなり、同時に寂しくなる。

「それで、かなみちゃん? 今日は面会?」

 それを察してなのか知らずか、千歳は話題を変えてくれる。

「まさか。あんな奴の面会なんてごめんよ」

「……随分な言い草ですね」

 倉庫の奥の方でスーシーがぼやいてくる。

「陰気な幽霊の相手ばかりだと辛いんですよ。たまにはかなみさんも話し相手になってほしいですよ」

「………………」

 かなみは無視する。

「紫織ちゃん、こっちの棚のチェックお願い」

「あ、はい」

「それとあいつの相手はしなくていいから。バイキンか何かだと思ってね」

「はい……」

「まったく、それではボクがバイキンか何かみたいじゃないですか?」

「………………」

 それでも、かなみは無視する。

「少しぐらい相手してあげなさいよ」

 それを見かねて千歳が呼びかける。

 戦争の後、スーシーはすっかり戦意を喪失させてしまい、煮るなり焼くなり好きにしてくださいといった姿勢であったため、こうして倉庫を牢屋のようにして閉じ込めている。

 千歳の魔法の糸を拘束具にしている。本人は逃げ出すつもりはまったくないと言っているが、そんなこと信用できないので念のためにつけている。

「私が話し相手になるって言ってるのに、かなみさんが……かなみさんが……ずっと言ってるのよ」

「怖いわ! 何その幽霊みたいなぼやき!!」

「かなみちゃん……幽霊の私の前でよく言うわね……」

 千歳は苦笑しながら言う。

 それについてはかなみもちょっと失言だったと少し反省しそうになる。

「今日、あんたの弟と話したわ……」

 意を決して、かなみはスーシーに話しかけた。

「愚弟の話はやめてくれませんか。ヘドが出ます」

 かなみはこの返答を聞いて、殴ってやろうかと思った。それも全力のグーで

「それよりも、ボクとお話しませんか」

「……それ以外になんか話しすることあるの?」

「あるでしょ、借金とか給料とか家賃とか……」

「全部お金絡みじゃないの!」

 かなみは強く言い返す。

 やっぱり、スーシーのこういうところは嫌いなのだと改めて認識させられた。

「まあ、冗談はここまでにしておきましょうか」

「こっちは本気なのよ!」

「そう言っていつも本気にしてくれるあなたが素敵です」

「それも冗談よね?」

「………………」

「なんでそこで黙るのよ!?」

 かなみはグーを握りしめてプルプル震えだすようになってきた。

「まあ、冗談はここまでにしておきましょうか」

「今さっきまったく同じこと言ったわよね?」

「気のせいでしょ。それより、これからのネガサイドはどうなるか興味ありませんか?」

「――ッ!」

 急に真面目な話に切り替わって、かなみは面を食らった。

「……どうなるっていうのよ?」

「それはわかりませんよ。わからないと言っていいほど状況が見えないんですよね」

「ネガサイド幹部のあんたでもわからないっていうの?」

「それだけ異常事態なんですよ。地方支部長が二人も姿を消し、十二役の一席が空席のまま……まさに混沌とした状況になっているでしょうね」

 それをスーシーは嬉々として語っている姿に、かなみは不気味さを感じた。

「混沌した状況になるとどうなるわけ?」

「わからないですよ。ただ、いつまでも関東域を空白のままにしておかないことだけは確かですね。

――あるかもしれませんよ、領地戦争」

「もうこれ以上、戦争はたくさんよ」

 そこから先、スーシーが何を言っているのか極力聞かず、備品チェックの仕事に没頭した。そのせいで、彼が何を言っていたのか、何も憶えていなかった。




 今日も帰りは深夜。

 いつもと同じように薄暗闇の中、アパートの階段を駆け上って、部屋の扉を開ける。

 今まで何度もこれをやってきたが、帰ってきたという感覚はあっても、安心したりホッとしたりすることはなかった。

 一人だったから。

 帰りを待ってくれる人がいなかったから。

「ただいま」

 だから、こんなことを言う必要も無かった。

 今まで帰っても、外と同じ暗闇の部屋だったから。


――でも、今日は違った。


「おかえりなさい」

 そう言ってくれる声があった。

 そう応えてくれる人がいた。

「……ただいま」

 その事実が信じられず、思わずもう一回言ってしまった。

 そんなときでも、母は微笑んでもう一回言ってくれる。

「おかえりなさい」

「………………」

 かなみは呆然と立ち尽くしてしまった。


――えっと、こういうときはどうしたらよかったんだっけ?


 「ただいま」「おかえり」といったやり取りの後って何をしていたか。

 かなみは思い出せない。

 それはもうはるか遠い、忘れさられた記憶だから。

「はやくぅ、あがりなさいぃ」

「……あ、うん」

 涼美の言葉で、かなみは現実に引き戻される。

 部屋で母が帰りを待ってくれる。ただそれだけで住み慣れた部屋が異空間に感じる。

「ちゃんとご飯も用意しておいたからぁ」

「え、母さん、いつ帰ってきたの?」

「一時間ぐらい前ねぇ。ちゃんと準備する時間はあったからぁ」

 テーブルには母が作った暖かそうな料理が並んでいる。

「なんだか今日は母さんの手料理づくしね」

 それはなんだか不思議な感覚だった。

 友達の話からするとそれはひどく当たり前で、気にしたことのないことなのだけれど、自分に関してはこれは新鮮なことこの上ない。

「……食べて、いいの?」

「朝にも同じことぉ、訊かれたわねぇ」

 かなみは赤面する。

「もう一回~、言って欲しいぃ~?」

「いい! いただきます!」

 かなみはすぐに席について食べる。

「おいしい」

「そう、よかったぁ」

「母さんってこんなに料理上手だった?」

「うーん、もとからこれぐらい上手だったわよぉ」

 そうだったかしら……とかなみは首を傾げる。

(でも、いっか。おいしい料理が食べられるんだったら……)




 水道の水が流れ落ち、皿と皿がカラカラと鳴る音がする。

 洗い物まで母がしてくれている。

 そう言ったとき、全部母がしてくれることに対してさすがに気が引けた。

「私も、手伝う……」

「うん、ありがとう」

 二人で並んで、皿を洗う。

「かなみ、仕事はどう?」

「うん、順調……給料少ないのはちょっと不満だけど」

「そう……」

 そこから先は無言で、皿を二人で丁寧に洗い始めた。

「ねえ?」

 半分ぐらい終わった時、かなみの方から意を決して声をかける。

「何?」

「母さんは社長と何話してたの?」

「頼み事をしていたのぉ」

「頼み事って何の?」

「母さんの仕事関係でねぇ」

「母さんの仕事……」

 そう言われて、以前母に見せてもらった借金の証文を思い出す。

 あれは自分なんかとは比べ物にならないほどの金額で、自分のことを棚に上げるようだが、まっとうな手段じゃ人生が二度三度あっても到底足りない。

 それを返済しようとしているのだから、やはりまっとうじゃない手段を使っているのだろう。それこそ魔法少女をしている自分を超える、想像を絶する手段で。

「それとぉチケットとか手配するのに苦労したのよぉ」

「ち、チケット……?」

 かなみはその言葉に恐怖を覚える。

 そのチケットって、まさか、ひょっとして……

「アメリカへの航空チケット……」

「………………」

 こういうときばかり、嫌な予感は的中する。

 そう、いつまでもこうしてはいられない。

「母さん、行っちゃうの……?」

 かなみは震える声で訊いた。

「――ええ」

 涼美は応える。かなみが一番欲しくなかった返答で。

「………………」

 かなみは黙り込む。

 母が再びいなくなってしまう。

 その喪失感が、自分でも思っていた以上に強かった。

 わかっていた。わかっていたことじゃないか。

 別に今回が初めてのことじゃない。

 魔法少女になる前から、借金が出来る前から、この人は何度も家を空けてきた。

 でも必ず帰ってきた。

 だから、今回だって同じ。ただ、それだけのことじゃないか。

「う、うぅ……」

 それなのに、震えが止まらない。


ピタピタ


 蛇口が止まっているのに、洗面器に水滴が滴り落ちる音がする。

「かなみ……」

「母さん……!」

 気づいたら、涼美の手を握っていた。

「行かないで……私、ダメ……もうダメなの!

――一人じゃやっていけない!」

 今までは一人でやってきた。

 一人でどんな苦しいことも辛いことも耐えてきた。

 でも、これからもずっとなんて無理だって思っていた。

 そんなときに、母は帰ってきてくれた。

 そして、思い知らされた。

 母がいてくれることで、どれだけ温もりに満ちて、気が楽になるのか。

 それを知ってしまったからにはもう無理だ。

 また一人になるなんて耐えられない。

 止められるなら止めないといけない。

 以前、父はそれで止めることが出来ずに姿を消して、何度も後悔した。

 だから、今度は絶対に止める。

 そんな想いを込めて母の手を強く握った。

「かなみ……」

 涼美は娘の名前を呼んで抱きしめる。

「母さん!?」

 かなみは驚いた。

 てっきり、力づくで手を振りほどくものだと思っていたのに。

「……私もかなみを一人にしたくないと思ってた」

「え、え、それじゃ……」

 この部屋にいてくれるの? とかなみが訊こうとしたが、先に涼美が答える。

「チケット、二枚手配しておいたの」

「……え?」




 朝ごはんを食べた。

 歯を磨いて、顔を洗って、制服に袖を通す。

「いってきます」

「いってらっしゃい~♪」

 それだけ言葉をかわして、学校に向かった。

 今日はよく晴れていた。

 学校での授業もちゃんと聞いた。

 午前中の授業を

「今日はかなみの母さん、来ないのか?」

「さすがに毎日はないわよ」

「かなみは毎日でも嬉しいんじゃない?」

「そ、それは……お弁当、おいしかったし」

「うん、あれはすごい食いつきぶりだったからな」

「貴子がそう言うんだから、相当異常だったのね……」

 よく、みあに凄い食べっぷりって言われるけど、それは小さい子供からはそう見えているだけだと思っていた。

 でも、同級生。それも大食いの貴子からそう言われると自分が異常だということに気付かされる。

「反省するわ」

「あれ、今日は素直だな」

「私はいつも素直よ!」

「うんうん、かなみは素直だよ」

 理英にそう言われて、納得いかないまでもこの話題はこれで終わり。

 そして、次のとめどない話が自然と始まる。

 それは、学校での当たり前の、どこにでもあるような光景。

 平凡で特別なことなんてない。

 だけど、それはかけがえのない日々。


――でも、それには別れを告げなければならない。


 放課後のチャイムが鳴る。

 今日の学校はこれで終わり。

「じゃあ、あたしは部活の助っ人あるから」

「貴子は忙しいわね」

「なんなら、かなみも来るか?」

「ごめん、今度にしておくよ」

「そっか。じゃあ、また明日な」

 そう言って貴子は思いっきりよく教室を出て行く。

「また明日、ね……」

 かなみは感慨深く言う。

「かなみ、今日は一緒に帰れる?」

「ごめん。今日用事があって」

 かなみは両手をついて謝る。

「今日も……最近一緒に帰れないね」

「ごめん」

「いいよ。用事じゃしょうがないもん」

「ありがとう。この埋め合わせはいつか……」

「じゃあ、明日」

「……え?」

「そうね。今度買うアクセ、一緒に選んで欲しいな」

「そ、それは……」

「あははは、さすがに明日は無理か」

「ごめん……」

「かなみ、さっきから謝ってばっかりだね」

「あ……」

「言われて気づいた」

「かなみがそういうときってなんか隠し事してるときだよね」

「………………」

「多分、貴子も気づいてるよ。」

「え、貴子も?」

「ああ、見えて鋭いからね。気づいてるけど気にしていないんだと思うよ」

「理英も相当だと思うけど……」

 かなみは苦笑する。

「ごめん、もういかなっきゃ」

「あ、うん……わかった。でも、アクセ一緒に買うのは約束だから」

「うん、いつかね」

 かなみはそう答えることしかできなかった。




 オフィスに着く。

「あ、今日は親同伴出勤じゃないんだ」

 みあは少しがっかりしたように言う。

「さすがに毎日はね」

 かなみは苦笑して言う。

「まあ、毎日あんなもの見せられても迷惑だしね」

「人の母さんをなんだと思っているのよ」

「ろくでなしじゃないの」

「ろ、ろくでなし……?」

 かなみはあまりにも身も蓋もない言い方に言葉を失う。

「だって、そうじゃない。あんたを見捨てたんだから」

「そ、それは……」

「あんた、まさか許したわけ」

「……うん、ああいう事情知っちゃったから」

 その返答にみあはため息をつく。

「まったく、お人好しね」

「あははは、そうだね」

「それで、あんたはその母さんと一緒に暮らすわけ?」

「え、そ、それは……」

 かなみは言い淀む。

「あんた、まさか……!」

 みあは鋭く睨む。

 みあのカンも貴子に負けず劣らず鋭い。一度勘付かれたあっという間に見抜かれてしまう。

「みあちゃん、ごめんね~」

 後ろからいつの間にか入ってきたあるみが肩を掴む。その傍らには来葉もいる。

「あるみ、あんたいつの間に!?」

「来葉さんも……」

「かなみちゃん、久しぶり」

 来葉はニコリと微笑む。




 そこから、かなみは社長の部屋に招かれた。

 とはいっても、本とテーブルがあるだけの殺風景なものだった。

 ただ、そこであるみ、来葉、鯖戸の三人に囲まれるととてつもない圧迫感を覚える。

「話ってなんですか?」

 先にかなみは話を切り出した。

「かなみちゃんの方が私に話があるんじゃないの?」

 そう切り替えされて、かなみはドキリとする。

 怯えるな。ここで臆したら望みを叶えられない。

 意を決して、かなみは一枚の封筒を出す。

「これは……?」

「――『辞表』です」

 それを聞いたあるみの顔は極めて真剣な顔つきになる。

「かなみちゃん、本気なの?」

「……はい」

 かなみはまっすぐに答える。

 真剣に考えて、決めたことだ。


「これからは二人で協力して借金を返していきましょう」


 そう言ってくれた。

 母の持っている借金はとてつもないものだけど、二人で頑張っていけばなんとかなる気がした。

 そのためにはアメリカに行く必要がある。

「多分、しばらく帰ってこれないわねぇ」

「しばらくってどれくらい?」

「かなみが大人になるぐらいかしらぁ……」

 その母の発言に驚愕させられる。

「そ、それじゃ!?」

「会社はやめるしかないわねぇ」

「そ、そんな……」

「無理よねぇ、あそこには仲間がいるんだからぁ。だから、かなみが残っても母さん平気だからぁ」

「嫌、嫌よ! 母さんと行くってもう決めたんだから!」

「かなみ……」

「会社ならやめる! ちゃんと社長と話してわかってもらう」

「でも、学校はぁ?」

「学校も……転校することになるだけだから、大丈夫」

 かなみは精一杯の強がりの笑顔を見せる。

 大丈夫なわけがない。

 友達や仲間に別れなければならない。


――貴子や理英……

――翠華やみあや紫織……

――あるみや来葉……


 辛い。一人顔を浮かべる度に泣き出しそうになるけどグッとこらえる。

「大丈夫……もう、決めたから……」

 そして、頑張って笑顔になるんだ。


「これからは母さんと一緒に頑張るって」


 あるみは溜息一つつく。

「そう、決心したのね。だったら、これを受け取っても良いんだけど……――でもね、かなみちゃん」

 キッとかなみを睨む。

 思わず怯みそうになる。

 怖い。この人は今自分を見定めている。

 もし、これで認められなかったら、母とは一緒にいられない。

 負けられない。母さんと一緒にいるために。

「あなたには契約がかかっていること、忘れたわけじゃないでしょ?」

 かなみは胸に手を当てる。

 胸を締め付けられる感覚がする。

「はい……あの法具の効力ですよね」

「……ええ」

 あるみはそう言って書類を出す。

 それは雇用契約書であった。ついでのごとく『私、結城かなみは四億五千万の負債があり、完済するまで終生弊社に務めます』なんて一文まであるあの契約書であった。

 これに押されている金印が問題であった。

 この法具によって、かなみはこの会社で働き続けなければならないことになっている。

 それは、細かい雇用の規約とかにも従わなければならないし、鯖戸やあるみの業務命令は絶対に守るように身体が自然と働く。

 つまり、ここでこの契約を打ち切ってもらわなければかなみは常にこの命令により、強制的に帰国させられたり、仕事を急にやらされたりすることがあるということだ。

 それでは、借金返済なんて到底出来ないし、母の足手まといになってしまう。

 そうならないために、なんとしてででもも、ここで打ち切ってもらわなければならない。

 そうでなかったら、母と一緒になることなんて出来ない。

「………………」

 かなみはその金印を睨む。

「この法具がある限り、私はこの会社で働かなければならない」

「そうよ、たとえ日本から出ても地の果てに行っても無駄よ」

「でも、やめなければならないんです!」

「そう言うと思ったわ。一応、例外はあるわ」

「その例外って?」

「あるみよ」

 来葉が代わって答える。

「あるみの魔法によって契約という事象を分解して、解約という形に再構成させることができるのよ」

「え、えぇ、社長そんな凄い魔法使えたんですか!?」

「まあ、フルパワー限定だけどね。それでもこんな金印の契約なんて一発で解除できるわよ」

「だったら、なんで私がネガサイドに契約させられた時にしてくれなかったんですか」

「あ~あのときは制約が多かったからよ。それに翠華ちゃんやみあちゃんもあなたを助けるために必死に探し出してきた金印を無下にはできないでしょ」

「そうなんですか……」

 納得がいくようないかないような……

 まあ、しかし解除できる方法があってよかった。これで二度と解除できないなんて宣告されたらどうしようかと途方に暮れるところだ。

「じゃあ、なってください。フルパワーに! 今すぐ!」

「かなみちゃん、時々すっごく強引で大胆なこと言うわね。……できるわけないでしょ」

「えぇ、どうしてですか!?」

「あのね、フルパワーはマスコット十二匹分の人材を一時的にとはいえ失うのよ。下手をしたら、大損害よ」

「うぅ……」

「まあ、かなみちゃんの頼みだから聞いてあげないこともないわよ」

「本当ですか!?」

「ただし、もう一つの方法でね」

「もう一つの方法?」

 あるみはそう言って、契約書を破り捨てる。

「えぇッ!?」

「これで契約は無効よ」

「そ、そんな、それでいいんですか!? そんなあっさり!」

「ええ……金印がチカラを発揮するのはあくまで契約書が契約書として成立する文面があるときだけよ。こうして破っちゃえば証文として成りたたなくなるでしょ」

「そんな簡単なやり方で……」

「一つ懸念があったことだけど……」

 鯖戸がそういうことで、かなみは無闇に警戒心を抱く。

「この契約が解かれることで、再び君のネガサイドとの契約が復活することだけど」

「え……?」

 かなみは思わず胸に手を当てる。

 ネガサイドに逆らえず、ただ戦わされるだけ、言い様に利用される日々には戻りたくない。

「まあそうね、二つの契約のうち、この法具で強制力を強化しているからこっちの方が今まで優先されてたけど、それが消えた今となっては、」

「ネガサイドの契約とまた結ぶことになるんですね……」

「それはないわね」

「え?」

 千歳がフラフラと唐突に舞い降りてくる。

「今、かなみちゃんに結ばれている契約は一つしてないわ」

「どういうことですか?」

「多分、かなみちゃんの契約が上書きされたことでネガサイドは契約していても意味がないと判断して一方的に打ち切ったのか。

この前の戦争で、契約書が闇に葬られたのかのどちらかね」

「でも、どっちにしても私はこれで自由になったってことでいいんですよね?」

「ええ」

 かなみの問いかけにあるみは否定しなかった。

 そのおかげで、胸がスウッと軽くなる。

 自由になったことで翼を得たかのように天にも上る開放感を得られた。

「それで、かなみちゃん? もう一度訊くわよ」

 ここであるみは真剣な面持ちで問いかけてくる。それで、かなみも浮かれた気持ちを引き締めることが出来た。

「――本当にやめるの?」

 まっすぐと訊いてくる。

 そこには「やめるな」という強制の意志は感じられず、ただただ、かなみの本心を答えて欲しいという要求があるだけのように感じられた。

 そのおかげでかなみも正直に答えられた。

「はい」

「まさか、私より先に辞めていくことになるなんてね」

「萌実?」

 いつの間にか萌実が入ってきていた。

 扉を開ける音がしなかった。相変わらずの神出鬼没さである。

「私も辞表出したら受け取ってくれるのかしら?」

「あんたの場合は受け取らないわよ」

「これだものね」

「それで、何の用なの萌実?」

 かなみは萌実を睨みつける。

「辞めていく人間のツラを拝みに来ただけよ」

 萌美はそう言ってかなみを睨み返す。

「あんた、意外にキッチリしてるのね」

「大きなお世話よ。それよりもその眉間に私の鉛玉食らわすまでくたばったりなんてしたら承知しないわよ」

 かなみの額に指を突きつけて萌美は言った。

 これにはかなみも面食らった。

「……私、そういうの苦手なんだけど」

「そうね、ノリが悪いのは会った時からそうだったわね」

「だったら、他の相手を探したら? みあちゃんとか結構ノリがいいわよ」

「まさか、あんなお子ちゃま、相手にする気にならないわよ」

「仲良くしなさいよ」

「あいつら、あんたがいなくなるって知ったら相当さびしがるんじゃない?」

 その言葉にかなみは絶句する。

 それは避けていたことだ。

 別れを告げたら辛くなって、おそらくまた泣いてしまうだろう。

 そうしないために、かなみは彼女達にこのことを言わないまま去ろうとしている。

「じゃあ、あんたが慰めてあげればいいじゃない」

「嫌よ」

 萌美は二つ返事で答える。

「慰めるなんてガラじゃないし、第一あんたの頼みはきけないわよ」

「意地悪……」

「どっちが。あんたの方が残酷よ」

 そう言われると否定できなかった。何しろ翠華やみあからしてみれば突然いなくなるんだ。

「そうね。あんたに言われるとは思わなかったわ」

 かなみはため息をつく。

「ま、あの娘達には私がなんとか言っておくわ」

 あるみがそう言ってくれることで少しだけ気が楽になった。

「ありがとうございます。

――お世話になりました」

 そうして、翠華達に言えない代わりに精一杯の別れの言葉をあるみ達に告げた。




「これでよかったの?」

 辞表を受け取ったあるみに来葉は訊く。

「さあ……でも、あの娘が選んだことだから私がどうこう言うことじゃないわ」

「だけど、寂しくなるな。彼女のおかげでこのオフィスも大分賑やかになったところなのに」

「あら、仔馬がそんなこと言うなんて珍しいわね」

「てっきり、かなみちゃんをいじめて楽しんでいるのかと思っていたけど」

 来葉の辛辣な言い方に、鯖戸は苦笑する。

「僕はそんな悪趣味じゃない。ただ、彼女には借金返済を頑張ってもらわなければならないから」

「ついつい厳しくなるって言うわけね。はたから見てるといじめてるようにしか見えなかったわよ」

「まあ、そう言われても仕方が無いとも思っているよ。ただ、あの娘は叩けば叩くだけ跳ねっ返りも強かった」

「負けん気ね。その点だけは私にも負けてなかったと思うわ」

「あなたも相当な負けず嫌いだものね、あるみ」

 来葉はそう言って微笑む。

「あ~なんでもいいけど」

 その雰囲気に倦怠感を憶えたのか、萌美が口出しししてくる。

「はやいとこ、あいつらにこのこと、話してあげたら? 私は絶対に嫌だから」

「そうね、こういう嫌なことは私がするわ。なんだかんだで心配なのね、萌美ちゃん」

「だ、誰が!?」

「フフ、その屈折した性格もだんだん素直になってきたじゃないの」

「冗談じゃないわ」

 萌美は心底嫌そうな顔をして答えた。

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