第25話 直球! 少女は自らの運命を掴み捕る (Aパート)

 それはある日の光景であった。

 いつも通り、学校が終わってから憂鬱な気分で会社のビルに入って、オフィスに入ろうとした時にかなみは目にした。

「そんなんじゃダメよ」

「む、難しいですね」

 みあと紫織が何やら話していた。

 二人は幼く歳も近いこともあって、仲が良くこうしてみていると姉をしつけている妹のようにも見える。

(って、みあちゃんの方が一つしたなんだよね……)

 みあは九歳で、紫織が十歳。

 意識していないと忘れそうになる。

 紫織は身体が小さく、おまけに気が小さいせい。それにみあはしっかしているせいでそう見えてしまう。

「あんたが相談したんでしょ、ほらもう一回やってみなさいって!」

 声をかけようとしたが、みあのこの一言で止まる。

「は、はい……」

 一体何をしようというのか。

「あ、あの……わ、わた、私に、おし、お仕事を……や、やっぱりダメです!」

 紫織は緊張のあまり、顔を伏せる。

「あーもう、ダメじゃない」

「ご、ごめんなさい……」

「いい? 本気にならないとあの堅物は落とせそうにないんだからやりなさいよ」

 本当に一体何の話だろう。

「何の話してるわけ?」

 たまらず、かなみは訊いてしまった。

「か、かなみさんッ!?」

 紫織は飛び上がらんばかりに驚く。そして、みあはため息をつく。

「あんた、間が悪いわね」

「え、どういうこと?」

「まあ、いいか。あんたも協力しなさい」

「きょ、協力って何を?」

「いえいえ、かなみさんにさせるわけにはいきません!」

 紫織は大慌てでかなみの協力を拒む。

「そういうわけにもいかないでしょ。この馬鹿にだって責任があるんだから」

「そ、そんな……」

 なんだかよくわからないが、責任があると言われては黙っていられない。

「紫織ちゃん、私に協力できることがあったら遠慮なく言って」

「ほら、かなみもそう言ってるんだから協力してもらいなさい」

「で、ですが……」

「ああ、もうじれったいわね!」

 みあは辛抱たまらなくなって、一礼する。

「え?」

 その動作にかなみは面食らう。

 そして、次の瞬間凍りつく。


――お願い、私の言うこときいて


 普段かなみが聞き慣れない甘い声色、保護欲が掻き立てられる上目遣い。

「か、可愛いー!」

 かなみはみあを思いっきり抱きしめる。

「むぎゅッ!?」

「みあちゃん、どうしたの!? いつからみあちゃん、こんなに可愛くなったの!? きいちゃう、みあちゃんのいうことなんでもきいちゃう!? ……お金絡み以外は」

 借金のことを忘れられていないあたり、まだ理性は保てているようだ。

「く、くるひいッ!? た、たふへて!?」

「なるほど、こうすれば上手くということなんですね。ありがとうございます、みあさん、参考になりました」

「お礼言ってないで助けてあげたら?」

 かなみの肩から降りたマニィは紫織にそう言ってやった。




「で、結局何の相談してたの?」

 落ち着いたかなみは抱きしめたみあを下ろしてやって、改めて訊いた。

「え、そ、その……」

 しかし、紫織は恥ずかしがって中々答えてくれない。

「ほら、かなみはなんでもいうこと聞いてくれる下僕になるって言ったんだから言って命令させなさいよ」

「そこまで言ってないんだけど……」

「は、はあ……わかりました……」

 そこで紫織は意を決して言ってみることにした。

「実は鯖戸さんにお願いしたいことがありまして……」

「鯖戸に?」

「お、お仕事のことです……」

「ああ、なるほどね」

 かなみは察する。何しろ自分がこの会社で一番ねだっているからその事情もわかる。

(紫織ちゃんもおこづかいに困っているだな……)

 そういうわけなら余計に協力してあげないといけない。

 普段先輩らしいところを見せられないからこういうときは頼もしいところを見せないと、とかなみは人知れず張り切る。

「任せて、紫織ちゃん! そういうことなら私も一緒にいって頼むから!」

「え、ええぇ……」

 何故かその申し出に紫織はすごく困った仕草を取る。

「大丈夫だよ! 紫織ちゃんは可愛いから! さっきみあちゃんがやってみたようにやれば絶対上手くいくから!」

「そ、そうでしょうか?」

「自信を持ちなさいよ。相手はあの鯖戸部長なんだから、ちょっとやそっとのあざとさじゃなびかないんだから」

 あの鯖戸部長が、って言われて思い出す。

 かなみは毎度毎度って鯖戸から給料の格上げや前借り、最近だと仕事の案件を自分に寄越すようねだっている。みあやあるみからは名物風景だと揶揄されている。

 しかし、かなみがいかに頼もうとその頼みが通ったことがない。

「そういえばそうね、あの鉄仮面じゃみあちゃんの可愛さを持ってしまっても難しいかも……」

「かなみは全敗だもんね、何の助けにならないんじゃないの?」

「うー、それを言われると弱いけど……あいつ、鉄仮面にも程があるわよ、こっちはこんなに媚びてるのに……」

 かなみは思わず愚痴をこぼす。

「ところでさ……ときどき思うけど

――あいつって女に興味あるの?」

 みあの一言にかなみと紫織は凍りつく。

「そ、そそ、それはどういう意味ですか!?」

「確かに……言われてみればそうね……」

 かなみは最初こそ驚いたものの、納得がいったみたいだ。

「社長の性格はあれだけど、モデルみたいに綺麗だし、来葉さんだってクールビューティって感じでメガネで知的な感じがたまらないのに……まったく興味なさそうだし」

「かといって、翠華やかなみみたいな女学生にも気がある気配がまったくない」

「と、とと、ということは……どういうことなんですか?」

 紫織は大慌てする。

「そりゃ決まってるじゃない」

「何が決まってるのかな?」

 みあが結論を言おうとして、それは突然背後に迫っていた。

「わあああああッ!?」

 三人はあからさまに驚く。それを見て鯖戸は不機嫌顔になる。

「し、仕事中じゃなかったの!?」

 そう今の時間帯、鯖戸はオフィスでひたすらデスクワークに奮闘しているところだ。みあもちゃんとそれを確認しているからこそ廊下でこんなことをしていたのだ。

「あのね……いくら僕でも自分の女性観について好き勝手に言われているのを聞いていて看破できるほど聖人じゃないからね」

「聖人……?」

 その言葉に大いに疑問を覚えるかなみ。まあ、成人と聞き間違いたのよと自分を納得させる。

「別に僕は女性に興味ないわけじゃないんだ」

「じゃあ、どうして私達の言うこと聞いてくれないの?」

「公私混同はしない主義なんだ」

「じゃあ、本当は私のこと可哀想だと思ってるわけ?」

「その話はしたくない」

「どうして?」

 なおもかなみは食い下がる。

「ここで君に号泣されて仕事に差し支えたら困るからだ」

「……もういいわよ」

 かなみは呆れてそれ以上の言及をやめた。

「それで……」

 鯖戸は話題を変えて、紫織の方を見る。紫織はその仕草にビクつく。

「僕に頼みって何かな?」

「あ、ああ、はあ、はい!?」

 突然の振りに紫織は戸惑う。

「あ、ああの‥…その……」

 困惑してかなみの方を見る。

(がんばれ!)

 かなみの心の中でエールを送る。

「わ、私にお仕事をください! お、お願いします!」

 紫織は大きくお辞儀する。

「ふむ……」

 鯖戸は頭をかく。

 すぐに断ると思っていたかなみとみあには意外だった。

「ちょうど今君に頼もうと思っていた案件があったんだ」

「ほ、本当ですか……!?」

 みあは嬉しく思う。

「………………」

「ここで立ち話もなんだ、オフィスに入ろう。

ん、なんだ君達、その顔はなんだ?」

 鯖戸は呆然としているかなみとみあへ声をかける。

「いや、意外すぎて……てっきり私みたいにあっさり断ると思って」

「なるほどね、そういう趣味なのね」

 みあは一人納得する。

「いや、本当に紫織にちょうどいい案件が来てるんだ。別に情けをかけたわけじゃない」

「はいはい、そういうことにしておくわ」

 何を、どういうことにしておくか、鯖戸はそれ以上言及しなかった。

 この場にいる全員オフィスに入って鯖戸は紫織の案件について説明を始める。

「ホームランボール、ですか?」

「そう、明日の巨人戦でホームランボールをとってくるというものだ」

「それいくら貰えるの?」

「一つにつき五万らしい」

「私にもやらせてください!」

 かなみも申し出る。

「うん、いいだろう」

「へ?」

 あっさりオーケーを出されてかなみはキョトンとする。

「紫織のサポートとして、かなみが適任かと思ってね」

「わ、私もついていっていいの?」

「うん、ボーナスは折半になるけどね」

「だ、大丈夫です! 二万五千でも十分ですから!」

「い、いいえ、全額かなみさんでいいですよ!」

「そういうわけにもいかないでしょ、仕事なんだから」

「だって、これはかなみさんの――」

 そこまで言って紫織は口をつぐむ。

「え、私の、何?」

「い、いえ……なんでもないですから!」

 そう言われると余計に気になる。

「まあ、いいじゃない。仕事にありつけるんだから」

 そこへみあが珍しくフォローを入れる。

「そ、そうね……」

 まあ、しつこく聞くのもよくないかとかなみは少しだけ先輩らしくしようと心がける。

「じゃあ、紫織ちゃん、一緒に頑張りましょう!」

「は、はい!」




 翌日、かなみとみあはオフィスで待ち合わせして東京ドームへ向かう。

 挨拶をして、かなみ達は無言のままバスに乗り込んで着いてしまった。

「………………」

 気まずい。

 紫織は何やら緊張しているというか、気負っているというか、とにかくいつも以上に塞ぎ込んでいる。

 しかし、このままではよくない。

 今回二人で協力していかないと成功できないし、そうでなくてもこの気まずい空気に耐えられない。

「ねえ、紫織ちゃん」

「は、はい……!」

 紫織はビクッと身体を震わせる。突然のことで驚いただけ、だと思う。

「今日は頑張ろう! 私、野球のことよく知らないからよろしくお願いね」

「あ、え……!」

 そう言うと紫織はものすごく申し訳なさそうな顔をする。

「あの、それで、えぇっと……!」

「ん、どうしたの?」

「す、すみません……」

「どうして謝るの?」

「わ、私……どうしても、わからなくて……あの、言えなくて……」

「わからないことがあるの? だったら、遠慮なく言ってよ」

 これは先輩らしく言えたとかなみは心の中で自慢げになる。

「私、野球のこと、知らないんです……」

 紫織は震える声でそう告げた。

「そうなんだ……なーんだ、もっと早く言ってくれればよかったのに……って、ええぇぇぇぇッ!?」

 かなみは大いに驚く。

 その様子を見て紫織はますます申し訳なくなる。

「ご、ごめんなさい! も、もっと早く言えればよかったんですが……」

「あ、うん……別に紫織ちゃんが悪いわけじゃないのよ。ただちょっと驚きすぎた、というか、意外だった、っというか……」

 かなみは慌ててフォローする。

「とにかく、紫織ちゃんが謝ることないよ!」

「は、はあ……」

「知らなければこれから知ればいいし、それぐらいの時間はあるわよ」

「試合開始まであと一時間しかないが」

 マニィは余計なことを言う。

「一時間あれば十分よ! とにかくドームに入りましょう!」

 かなみは紫織の手を引く。

「あ……」

 そうして引っ張ってもらうことで紫織は少しだけ安心できるのであった。




「でも、本当に意外」

「そんなに意外ですか?」

 レフト側の観客席に着いた紫織は不安げに訊く。ドームに入ってから一時間もあったはずなのだが、思いのほかドームは広かったのでチケットに書かれている席に辿り着くまで時間がかかったので三十分ほどかかってしまった。

「だって、紫織ちゃん。変身したらバット使ってるからてっきり野球に詳しいかと思ってたのに」

「は、はあ……そういうわけでバットを武器にしたわけじゃないんですが……」

「まあ、私も錫杖をステッキみたいに使ってるけど、お経なんてさっぱりだしね」

「え、そ、そうなんですか!?」

「初めて変身したら、とりあえず武器に何がいいかなってその場にあった神社の錫杖を使おうってノリで決めちゃってね」

「わ、私も……そんな感じです……」

「うん、そうよね。バットって強そうなイメージあるし、私もバットにすればよかったかなって思うときもあるし」

「そうなんですか?」

 紫織は意外そうな顔をする。

「かなみさんのバットも……その、似合うと思います……」

「ありがとうね。私のステッキも紫織ちゃんが使った方が似合うかもしれないわね」

「そ、そんなことないですよ。かなみさんのステッキはかなみさんが使った方が似合います」

「そ、そう?」

「それで、その……訊きたいの、ですが……」

「何? なんでも聞いて、もう驚いたりしないから安心して」

「は、はい……」

 紫織は躊躇ったが、やがて意を決して訊く。

「――ほ、ホームランってなんですか?」

「ホームランって何か……うーん、えぇッ!?」

 やっぱりかなみは驚いてしまった。

「もはや、伝統芸能だね」

 マニィは呆れた。

「す、すみません」

「い、いや、謝るのは私の方だから。ごめんね、驚かないって言ったのに驚いちゃって」

「は、はい……」

「まあ、野球知らなかったらホームラン知らないのも当たり前だよね、あはははは」

 かなみはごまかすのように笑う。

「ホームランっていうのはね、その……バットを使ってボールをあそこから――」

 かなみはグラウンドのバッターボックスを指差した後に、自分達のいる場所を差す。

「ここまで飛ばすことだよ」

「え、あんな遠くからですか!?」

「そう……ざっと百メートル以上はあるね」

 マニィはざっと見通して距離を言う。

「あんた、測定師だったっけ?」

「一応、鑑定も出来る」

「多彩ね、錬金術とか出来たらよかったのに」

「そういったことは他の誰も出来ないように設定されてる」

「楽に稼げないようにするためってとこかしら?」

「うん、いい読みだよ。大分社長の考えがわかるようになってきたじゃないか」

「うーん」

 マニィにそう言われて、かなみは微妙な顔をする。

「と、話がそれてしまったか。もうすぐ試合開始だ」

「ああ、もう! あんたが余計なこと言うから時間なくなっちゃったじゃない!」

 紫織の肩に乗っていた羊型のマスコット・アリィが文句を言う。

「早く紫織にルールのこと説明しないと、任務達成に差し障るのよ。いい、紫織?

野球は九人でやるものなのよ。味方と敵が九人ずついて試合を行う。

最低は十八人だけど、控えがいて実際の試合は特に多くの人数がいるのよ」

「ストーープッ!!」

 まくし立てる勢いで説明するアリィにかなみは止めに入った。

「あんたの説明こそ長いわよ。第一そんな説明は長ったらしすぎて紫織ちゃんが理解できないわ!」

「え、えぇっと、野球の試合は九人で、控えが十八人で……」

「ほら、紫織ちゃん、混乱してるじゃない」

「とにかく、その九人の発表が始まるみたいだよ」

「え、まだ試合開始まで時間があるのに?」

「ポジションとオーダーはその前に発表するんだ」

「なるほど、それは知らなかったわ。マニィ、解説頼める」

「いいけど、その分追加で取られることになってるみたいだ」

「どうして!? サポートがあんたの仕事でしょ」

「尺の都合なんだってさ、あともう一つ出来ない理由がある」

「出来ない理由って何よ?」

 アナウンスから先発投手の発表が入る。


オオォォォォォォォォッ!!


 耳を塞ぎたくなるような歓声が上がる。

 かなみ達の席はレフトスタンドのホームの応援団の真っ只中なのであった。

「す、すごい……」

 紫織は圧倒されて呆然としてしまう。

「こういうわけだよ、この歓声じゃ長ゼリフは無理だ」

「うーん、それもそうね……」

 ひとまず目的はホームランボールなのだから、細かいルールや単語の説明は必要はない。

 ようはこちらに飛んでくるボールをキャッチすればいいだけのことだ。

 かなみはそう考えを整理する。

「いい、紫織ちゃん。ボールが飛んできたら全力で捕りにいけばいいのよ」

「は、はい……! 頑張ります!」

 しかし、オーダー発表が終わるとマニィはぬいぐるみのように固まった。実際ぬいぐるみなのだが。




 始球式を終えて、試合開始のプレイボールがコールされる。

「さあ、張り切っていくわよ」

「い、いきなり、ホームランって出るものなのですか?」

「まあ、まず出ないけど、いつ出るかわからないものなんだけどね」

「ヘタすりゃ、この試合一本も出ないかもしれないけどね」

 マニィは口を出す。

「ふ、不吉なこと言わないでよ。っていうか、あんた喋っていいの?」

「ホームのチームは後攻だからね。守備についている間は向こうのライトスタンドが応援するんだ」

「へえ、そういうことになってるの……」

「知りませんでした……」

 反対側のライトスタンドから太鼓や歓声が上がる。

「それでも凄いわね、まるでお祭り騒ぎみたい」

「こっちの攻撃になったらこんなものじゃないよ」

 マニィから聞いて、今から紫織は耳を塞ぐ。

「そんなにしていたらホームラン打つ音も聞き逃しちゃうわよ」


カキィン!


「え?」

 かなみがキョトンしたが、すぐに心地よい金属音の行方を追った。

 ボールがこちらにまで向かってくるのがわかる。

「え、えぇ、いきなりッ!?」

「早いね、先頭打者ホームランってやつだね」

「落ち着いてる場合じゃないでしょ、五万五万!」

 かなみは大慌てで打球を追う。

 幸い、落下点はかなみ達の位置から近い。

「で、でも……」

「やるっきゃないでしょ!」

 かなみは飛び上がって、打球を追いかける。

 そこはちょうど応援団の真ん中であった。

「とおッ!!」

 かなみはジャンプしてボールを掴もうとする。

 しかし、それは後先考えない危険な飛び込みであった。


ガタン!


 ボールは取り損ない、応援団の隙間にバウンドしていった。

「あいたたたッ!」

 着地が上手くできず、応援団の人に受け止められて怪我をせずに済んだ。

「お嬢ちゃん、危ないね。」

「ご、ごめんなさい……」

「そんなにホームランボールが欲しかったのか?」

「は、はい……」

 応援団の人は困った顔をする。

 この応援団の人からすると敵チームのホームランボールなのであまり興味がないようだ。

「それでホームランボールはどこにッ!?」

 かなみは慌ててその行方を追った。

「いや、もう誰か捕ってしまったよ」

「ええッ!?」

 かなみはそれを聞いて、驚き落胆する。




「ホームランボールなんて簡単に捕れるものじゃないよ」

「だから五万も値がつくのよね」

 かなみはマニィにぼやきながら試合を眺める。

 あれ以来、最初の先頭打者ホームランからホームランどころかヒットも出ていない。

 一対0のまま試合は着々と進んでいる。

「膠着状態の投手戦だね、このままだとスミワンで勝負が決してしまうね」

「スミワン?」

「最初の一回に一点が入ったままゼロが続いて試合が終わってしまうことだ。スミに一点だけ点が入ってるからスミワンなんだよ」

「なるほどね、詳しいじゃない」

「封筒にそうかいてあったんだよ」

「ああ、任務の封筒ね……」

 一体どのぐらいのことが書いてあったのだろうか。

「あと鯖戸部長から色々教えてもらってね」

「え、鯖戸から?」

「彼、あれで結構野球好きなんだよ」

「へえ、意外です」

 そう漏らしたのは紫織だった。

「ほんと、インテリの頭でっかちだと思ってたのに」

「そ、そこまで言うことないと思いますけど」

「いいのいいの。こう膠着していて鬱憤が溜まってるんだから」

「あ、あの、すみません……」

「なんで紫織ちゃんが謝るの? 紫織ちゃんが悪いわけでも、誰も悪いわけでもないんだから」

「あ、いえ……あの、私がこの仕事を引き受けたから……かなみさんもイライラして……」

「ああ、そういうこと気にしないでいいわよ。イライラしてるのは私が短気なだけだから」

「で、でも……」

「それに、この仕事は私が引き受けたんだから、謝るのは私の方よ」

「あ、いえ、かなみさんが謝ることじゃありませんよ」

「フフ、だったらお互い様ね」

 かなみは笑う。その笑顔を見たことで紫織は安心感を覚える。

「……ありがとうございます」

 紫織はそう呟くのであった。


カキィィン!!


 直後、爽快な打球音がなる。

「あ、出た!?」

 かなみは思わず立ち上がる。

 しかし、その打球はホームランではなくスタンド下のフェンスに当たる。

「ああ、惜しい!」

「そんなに出るものじゃないよ。まあ、でも今のは惜しかったし、膠着状態が解けるきっかけになるかもしれない」

「まあ、そう期待するしかないわね」

 そのあとに二球、三球と心地良いボールがミットに収まる音が鳴り響き、


カキィン!!


 先ほどではないがボールがバットに当たる音がする。

 ボールは内野の間を駆け抜けて外野まで運ばれる。

「連続ヒットだね」

「あ、ホームランじゃないのね……」

「だから、そうそう出るものじゃないよ」

「うーん」


カキィン!!


「ああ!」

 打球音が鳴ると、かなみは立ち上がる。

 ボールは大きく飛んだものの、左にそれて遠くのスタンドに入っていく。

「ファールだよ」

「うーん、いい当たりだったんだけど……」

「あんなに飛んだのにホームランじゃないんですか?」

「あれはファールっていって、あの二つのポールの外側に飛んでいったのはストライク一つとカウントされている」

「へえ、なんだか損な気分ですね」

「そうね、せっかくここまで飛ばしてもポールの外側にいったらファールなんだから……

――って、あれ? マニィ一つ訊いていい?」

「なんだい?」

「ポールの外側がファールならそのポールに当たったらどうなるの?」

「それはホームランだよ。でも、滅多に当たらないし、仮に当たったとしてもボールは弾かれてグラウンドに戻ってしまうよ」

「うーん、それもそうね……まあ、滅多にないし、この試合じゃないでしょ」


カキィィィン!!


 そんな会話をしているうちに、また爽快な金属音が鳴り響いた。

 打球は勢いよくこちらにやってくる。

「きたッ!?」

 かなみは打球の落下点と思われる場所へ走る。

「今度こそ今度こそ、ごまぁぁぁぁぁん!」

 かなみはそう叫びながら猛ダッシュする。

 しかし、間に合わない。

 打球はスタンドをバウンドしていき、誰かがそのボールを掴む。

「く……!」

 かなみは悔しさで歯噛みする。

「妙だね……」

「何がよ?」

「打球が急に追い風を受けたかのように伸びた気がして」

「え、そうなの……?」

「わからない。ここはドームだし、風なんてないだからそんなはずないのに……」

「……あんたがそういうんだから何かあるんでしょうね」

 かなみは表面上ではマニィのことを疎ましく思っているような発言をしているが、心底では信頼しているのが見て取れる。

「いいわよ、何があっても次のホームランボールが取るから」

「もう出ないかもしれないけどね」

「さっきもそう言ってたじゃない」

「常にあるよ。ホームランっていうのはいつ出るかわからない。今日二本出ただけでも運がいい方だよ」

「つまり、もう一本出るのも有り得るじゃないの?」

「可能性の上ではね」

「あんた、さっき膠着状態が解けたって言ったじゃない。また出る可能性は高いんじゃない?」

「あくまで可能性の上で、だけどね」

 かなみは元の席に戻る。

「あ、ご、ごめんなさい」

 隣に着いていた紫織は突然謝る。

「どうして紫織ちゃんが謝るの?」

「わ、私の……仕事なのに、かなみさんにばかり、任せてしまって……」

 今日二本のホームランが出た。その二本がいずれもかなみしか捕りに行ってない。そして、二本ともホームランボールを逃してしまっている。

「私も捕りに行けば……捕れたかもしれませんのに……」

「紫織ちゃん、それは言ってもしょうがないわよ。紫織ちゃんが頑張っても捕れなかったかもしれないし」

「そうでしょうか……?」

「紫織ちゃんが気に病むことじゃないわ、それに失敗したら次のホームランで取り返せばいいのよ」

「次、ですか……」

「えぇ」

「もう出ないかもしれないのに、次があるっていうのよ?」

 そこへアリィが口を出す。

「うるさいわね。もう出ないかもしれないっていうことはまた出るかもしれないってことよ。

前向きに考えないとやっていけないじゃない」

「その考え方こそちょっと後ろ向きじゃないの。

前向きに考えるしかないってことはそれしか考えることができないって、後ろ向きになってしまっているのよ。

前へ進むしかない後ろ向きな考え、あなたそんなんじゃいずれゲームセットよ」

「うーん、難しいことはわからないけど……

私達がこうして出る出ないの話をしても、結局関係なく出るし、出ないことだってある。だったら、出るって考えた方がいいんじゃないって私は思うのよね」

「うん、君らしい能天気な考えだ」

 マニィが口出して、かなみはムッとする。

「とにかく、次は紫織ちゃんも頑張って! 失敗したと思うんならそれで取り返してよね」

「は、はい……ありがとうございます」

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