第18話 遊覧! 魔法少女と玩具のカプリッチオ! (Aパート)

 株式会社魔法少女は二十四時間何があっても営業を続けている。深夜零時という魔法少女が働くには相応しくない時間帯でも依頼を受け付けているのは、マスコット達が不眠不休で働いてくれているおかげだ。

「はーい、もしもし。お電話ありがとうございまーす、こちら株式会社魔法少女です」

 ラビィは動画編集の片手間で電話を受ける。

 こんな時間に依頼が舞い込んでくること自体、珍しいことではなかった。

 何しろ、この会社は社名の明るいイメージとは逆に表沙汰には出来ないような裏のつながりがある。

「ふむふむ……」

 ラビィは相槌を打つ。

「ほもほも……わかりまーした、その依頼、受けましたー」

 間延びした返事だが、確かに依頼受領をしたようだ。

 しかし、ラビィは誰かにそれを報せるでもなく、自分の仕事である動画編集の作業に戻る。

 その一方で社長席では鯖戸がいつにもまして深刻な顔持ちで、あるみを見ていた。

「彼の所在が、ネガサイドに特定されてしまったようだな」

「ええ、まさか先回りされるとは思わなかったわ」

 鯖戸は、ふむと顎に手を当てる。

「彼女が向かってくれたおかげで事無き事を得たけど……」

「ほんと、お手柄だったわね。ボーナス、弾んでおいた?」

「そうはもう」

 鯖戸は白々しく微笑む。

 他人から見れば、爽やかな好青年に見えるそれは彼を知っている人間から見れば胡散臭さが感じられるものであった。

「でも、こうなったら対策とらないとね」

 あるみは気だるげに頭をかく。

「後手に回っていたら、いつか致命的な一撃を入れられるかもしれないわ」

「何より守りに専念するなんて君の性分でもないだろう」

「元来、魔法少女っていうのは受身なものなのよ。あっちが仕掛けてこなかったらこっちは平和にのほほんとできるってものよ」

「君がのほほんと出来るのなら、それがいいんだけどね」

「……………………」

 あるみは一段と険しい顔つきで、遠く彼方を見る目つきをする。

「すまない、言葉が過ぎたよ」

 鯖戸は素直に謝る。

「いいのよ。確かにちょっとは人並みに幸せってやつには憧れがあるけどね……でも、でもね仔魔。私は今でも結構幸せなのよ」

「ああ、それはわかるよ。君のことだから、その幸せを守るためならどんなことだってしてみせるって腹積もりなんだろ?」

「わかってんじゃない」

「何年一緒にいると思ってるんだ?」

「長い付き合いだものね」

「ああ……本当に」

「これからもよろしくね」

「今更なんだ。死ぬまでよろしくぐらい言ってもいいんだが」

「その、これからが死ぬまでってことでいいじゃない」

「先に死ぬのは確実に僕だろうけど」

 鯖戸は自嘲する。

 あるみはそんな彼の態度に真剣な顔つきで睨む。

「あなたは死なせないわ。もちろん他の誰もね」

「僕もそんな君を守りたいんだ」

「フフフ、十年早いわよ」

「十年前にも聞いたよ、その台詞」

「ほんとに長い付き合いになったものね」

 二人は微笑みを交わす。




「うぅ、ひっく……」

 こらえていた。かなみは必死にこらえていた。

 あと一押しで大号泣といった状態で踏みとどまっている。

「あ~」

 そんな彼女の様子を見て、みあはうっとおしげにぼやく。

「どうせ、くだらないことなんだから聞いてやるわよ。なんでそんな負け犬みたいな顔してんのよ?」

「み、みあみあちゃん!」

「変なあだ名つけようとするな!」

 みあは思わず突っ込みでかなみを殴る。

「痛いよ、みあちゃん」

「悪い頭がよくなるんだから、ありがたいものでしょ」

「べ、別に頭は悪くないよ!」

 ただし、成績は入社してから下降しており、今では下から数えた方が早すぎるくらいだ。

 しかし、学校の成績だけで頭の良し悪しが決まるわけじゃない、という言い訳までかなみは考えていた。

「ああ、もういいわ。んで、なんでそんなに落ち込んでいたわけ? どうせお金がなくなってひもじい想いしてるんでしょ?」

「そ、そんなことないわよ! 私だっていつもお金がないなんてことはないわよ!」

「じゃあ、なんで落ち込んでいたわけ」

「……財布をクリーニングに出しちゃった」

「結局お金がないんじゃない!」

「ち、違うのよ、みあちゃん聞いて!」

「はぁ……一応、きいてあげるわ……」

 罵りながらも、面倒がりながらもちゃんと話を聞こうとする。そういったみあの性分をかなみは可愛く思うのであった。

「あのね、今日雨が降ってたでしょ?」

「ええ、凄いどしゃぶりだったわね」

「だから私は傘を持って学校に行ったの」

「あんた、傘持ってたの!?」

 みあは正直に驚く。

「も、持ってたわよ。骨が折れた中古だけど……」

「不良品でしょ、それ!?」

「ま、まあ、そんなことはどうでもいいのよ」

「たしかにどうでもいいわね」

「それでね、傘をさしながら歩いているとトラック

にみずたまりを思いっきりかけられたのよ」

「それも泥をたっぷりね」

 かなみの肩に乗るマニィは一言付け加える。

「さすがに泥だらけじゃクリーニングに出すしかないと思って、近所のクリーニング屋に言ったのが間違いだったのよ」

「支払いが後払いだったのも災いしたね」

 マニィは頼んでもいないのに、一言加える。

「はあ、大体わかったわ。でもどうしてもわからないことが一つだけあるわ」

「え、今の説明のどこにわからないところがあるの?」

 かなみにしては極力余計なことを言わず、これ以上無いくらいわかりやすく説明したつもりだ。

 これでどうしてわからないところがあるのか、かなみはわからなかった。

「……あんた、お金ないのにどうして財布持ってるの?」

「お金もちゃんと持ってるんだってばああああッ!!」

 かなみの悲鳴にも似た絶叫がオフィスに木霊する。

「かなみさん、苦労してるんですね……」

「うんうん、そうなのよ紫織ちゃん。おかげで今日のごはんもどうしようかってピンチなのよ……」

「どうしようかってもう決めてるんでしょ?」

「ふふん、もちろん!」

 かなみは得意げに答える。

「ええ、お金がないのにごはんを食べる方法があるんですか?」

「紫織ちゃん、お金がなくてもあるんだよ。隣のお兄ちゃんからおすそ分けを貰ったり、食堂の残り物を分けてもらったり、最終的には道に生えている食べられそうな野草を煮ればなんとかなるわ!」

「みあさん、どうしましょう。かなみさんが同じ日本人に見えません」

「安心しなさい、紫織。私は同じ人間に見えないわ」

「……二人共、言いたい放題ね」

 かなみは若干涙目になってきた。

「でも、今日は違うのよ」

「え、じゃあ、どうするんですか?」

 みあはため息をつく。

 このあと、かなみがどう答えるか予想がついているからだ。

「みあちゃんのご飯をもらうの?」

「え、みあさんからですか?」

「紫織ちゃんも聞いていると思うけど、みあちゃんの家はすっごいお金持ちで三ツ星シェフが出張で毎日作ってくれるのよ」

「み、三ツ星……」

 かなみ自身、何度も食事のためにみあが住んでいる高級マンションにあがりこんだが、まだそのシェフに一度も会ったことがない。一度くらい会ってお礼を言いたいものだが、タイミングが悪いことにその機会は訪れないし、きっとこれからもこない気がしてならない。

「そうだ、紫織ちゃんも一緒にいこう!」

「え?」

「あんた、何言ってんの!? そんなにごはんがあるわけないでしょ!」

「え~、みあちゃんいつも私が来たときたくさん用意してくれてる大丈夫でしょ」

「っていうか、あんたもさりげなくもう行くこと決めてるんじゃないわよ」

「え、だってみあちゃんいつもなんだかんだ言って食べさせてくれるじゃない?」

「今日は食べさせないって言ったら?」

「……泣く」

「ちょッ! なに本気で涙目になってんのよ! わかったわよ、わかったから! 紫織、あんたもついでに来てもいいから!」

「ほらね、紫織ちゃん。みあちゃん優しいでしょ」

「はい」

「あんた、一度本気で泣かせてもいいのよ」

 みあはかなみの顔面を叩こうかと拳を震わせた。

 しかし、みあとかなみの身長差では少し背伸びしないと届かないため、面倒だと思ってやめた。

「ただいま戻りました」

 そこへげっそりと疲れきった翠華がやってくる。後からあるみが扉をバタンと叩いて勢いよく入っていくる。

 あるみと仕事に出るといつもみんなこうなるので、

「お疲れ様です、翠華さん」

「おつかれ、かなみさん。今日はもうおかえり?」

「はい、みあちゃんの家でごちそうになる予定です」

「いいわね」

「みあちゃんの家はいつも大ご馳走ですからね」

「ああ、そういう意味じゃないのよ」

「え、どういう意味ですか?」

 かなみは首を傾げる。

 翠華の真意は、かなみが言う『ご馳走』を食べられるというものではなく、かなみと一緒に食事が出来るみあのことを羨ましく思ってのことだった。

 そんなことにまったく気づかないかなみを翠華は愛おしく思う。

「あ、そうです。せっかくですから翠華さんもご一緒にどうですか?」

「え?」

「はあ!?」

 みあが食ってかかる。

「あんた、何馬鹿なこと言ってんの!? これ以上人数増やしてどうするつもりなの!?」

「ああ、そうだったね……」

 さすがに今の発言は不用意だったと反省するかなみ。

「翠華さん、ごめんなさい。そういうわけで一緒には無理みたいなんです」

「い、いいのよ。気にしなくて……」

 と翠華は言ってくれるが、その笑顔には無理があってただでさえ疲れているのにその顔からは疲労の色が一層濃くなったように見える。

「いいじゃない。招待しなさいよ」

 そこへあるみが不意に一言入れてくる。

「え?」

「あんたの家は広いんだから、三人が四人になったからといってどうってことないでしょ」

「いや、そういうことじゃなくて!」

「ご飯なら多めに作っておくように私から頼んでおくから」

「そういうことでもなくて! ってなんであんた、何の権限があってそんなことできるわけ!?」

「社長権限」

 あるみは得意気に答える。しかし、みあは納得がいかない。

「あたしも社長令嬢なんだけど……」

「みあちゃん、そこははりあうところじゃないよ」

 そうこう言っているうちに、あるみは携帯電話を操作する。

「あーもしもしー、私よ。実はね、かくかくしかじかだから。こうこうそういうわけで」

 ひとしきり話してあるみは携帯電話を切る。

「うん、話は通しておいたからオールオーケーよ」

「嘘!?」

 そんな人の家庭の事情に電話で一発介入できるはずがない。しかし、常識から規格外のあるみにとってはこういった芸当は彼女にとっての常識の範疇なのだろう。

「私が信じられないわけ?」

「あんたの非常識さ加減なら誰よりも信じてるわ」

「最高の褒め言葉ね」

 あるみは曇りひとつない笑顔で答える。

「ともかくこれであんたもあたしんちにくることになったけど……」

「本当にいいの?」

 翠華は遠慮気味に聞いてみる。社長権限で「いい」ということになっても、みあは納得していないようなので気が引ける。

「ええ、社長権限なら仕方ないでしょ」

「そうじゃなくて。あなたが嫌なら私は辞退するわよ」

「何言ってんの? あたしがいつ嫌って言ったのよ?」

「え?」

「まあ、あいつが手配してくれるって言ってんだから、大丈夫でしょ。来たいなら来なさいよ」

「いい、いいの?」

「そんな来たいって顔してるんだから断れるわけないでしょ」

「みあちゃん……あなたも来てほしいって顔してるわよ」

「な、な、そんなわけないでしょ! バカ言ってんじゃないわよ」

「フフ」

「その私は全部わかってるからって顔、ムカつくわね。かなみに影響されてるんじゃない?」

「え、そうなんですか?」

「そ、そういうつもりないんだけど……」

 そう言った翠華の頬は赤かった。

「まあ、どうでもいいけど」



「ここがみあちゃんのマンションね」

 翠華は高層マンションを見上げる。

「翠華さんは初めてなんですか?」

「ええ、みあちゃん、私には素っ気ないから」

 言われてみればかなみが知っている中で、みあと翠華が仲良くしている場面を見たことが無い。険悪とまではいかないまでも良好とは言い難い関係なのかと改めて気づくかなみであった。

「みあちゃん、ダメだよ。先輩は敬わないと」

「あたしはかなみに敬ってもらった憶えがないんだけど」

「あ、えっと、そうだったね……」

 忘れがちだが、みあは年下であっても、会社では先輩なのだ。

 年下なのに先輩。奇妙な上下関係だとかなみは思う。

「かなみさん、気遣いは嬉しいんだけど、でも、魔法少女としてならみあちゃんの方が先輩なのよ」

「ええッ!?」

 初めて聞かされた事実であった。

 かなみはずっと翠華の方が先輩だと思っていたのでこれは意外だった。

「ってことは、みあちゃんが会社で一番の先輩ってことになるの!?」

「そうなるわね」

 みあはため息をつく。

 最年少にして一番の先輩ということになる。それはみあ自身、望んでいないことのように見える。

「そんなことよりさっさといくわよ」

 みあはそそくさと入っていく。

 みあにとって勝手知ったる我が家なのだが、翠華と紫織は初めて入る高級マンションなので自然と緊張してしまう。そこへいくとかなみはもう何度も来ているせいもあってリラックスしたものだ。

「……すごいわね」

 みあの部屋に入ると、翠華は驚嘆の声を上げる。

 広くて清潔感のある部屋。おしゃれでひと目でわかるインテリアの数々。こんなところに住んでみたいと思ってしまう。

「凄いんです、みあさん。ここにすんでるんですか?」

「私の部屋なんだから、当たり前でしょ」

 みあはさも当然のように答える。

「さ、今日は特別サービスなんだから、早くいただきましょう」

 そう言ってみあはテーブルに着く。

 テーブルには色とりどりの料理が並べられていた。阿方家お抱えの出張料理人が作って、晩餐の用意をしてくれたようだ。

「すっごーい! 今日はいつもより力入っているね!」

 いつもが力入っていないかというとそうではないが、それでも力の入れようが凄まじいの一言であった。

「あいつ、一体どんな脅し入れたのよ……」

 みあはため息つく。

 あいつというのはもちろんあるみのことである。相変わらず彼女は阿方家にどう通じているのかわからない。

「まあ、いいじゃない。ごちそうにありつけるんだから」

「あんたの脳天気なところがちょっぴり羨ましいわ」

「かなみさんはおおらかな人だから」

「ありがとうございます。翠華さんに褒めてもらえると嬉しいです」

「え、そ、そう……?」

 相変わらずかなみの笑顔に翠華はドキリとさせられる。

「はいはい、アツアツなのは結構だけど、早く食べないと冷めちゃうわよ」

「あ、そうだった! いただきます!」

 かなみはさっさと切り替えて食事にありつく。

「そんなにガツガツいかなくても誰もとりゃしないわよ」

「りゃっへって、ひょへっもおいひいひゃら(だって、とってもおいしいから)」

「とりあえず、口にあるもの飲み込んでから答えなさいよ」

「かなみさん、よく噛んでから飲み込んでね」

「はい!」

「かなみさん、とっても楽しそうですね」

「食べてる時が一番幸せって感じよね」

「っていうか、食べる時ぐらいしか幸せがないんじゃない。貧乏だし」

「みあちゃん、酷い!」

「あ、かなみさん、ソースがついてるわ」

「え、どこですか?」

 翠華は頬を指差す。

「ありがとうございます」

「元気もいいけど、行儀良さも必要よね」

「そうですね、どうしたら翠華さんみたいに上品に出来るんですか?」

「私も全然上品なんかじゃないわよ。上品ならみあちゃんの方じゃない?」

「あたしは普段から食べ慣れてるからよ」

「うーん、でも、みあちゃんは上品ってイメージじゃないよね」

「あんたって案外失礼ね」

 みあはムッとする。どうやら自分では上品なつもりだったらしい。

「正直なのがかなみさんのいいところだから」

 翠華が苦笑いして弁護する。

「その正直さ、少し羨ましいです」

「あんたは見習わくてもいいわよ。そのうち、借金して首が回らなくなるから」

「だからみあちゃん酷いってば!」

 文句言いながらもかなみの食べる手は止まらない。

「かなみさん、本当によく食べるわね」

「こんなにおいしいんですもの。いくらでも入っちゃいますよ」

「でも、食べ過ぎてお腹壊さないようにね」

「はい」

 それにしても、賑やかな食卓であった。

 普段、みあは一人。かなみがたまに来てから少しはよくなったけど、それでもこの広い部屋のテーブルで黙々と食べていると言い知れぬ寂しさがこみ上げてくる。

 それが今日はまったくない。

 心なしか、料理がいつもよりたくさんお腹に入ってくるのをみあは感じた。

「でも、毎日これじゃ太っちゃうかも」

「なにか言いましたか?」

「ううん、なんでもない」

 しかし、これが毎日じゃなくてもいいかなと素直になりきれないみあであった。



「ごちそうさまー♪」

「あんた、舐めるように綺麗に食べたわね」

「そりゃ、残したら悪いでしょうから」

「まあ、あんたが来てから食べ残しが減ったけどね」

「えへへ、私が飢え死にしないのはみあちゃんのおかげだよ」

「冗談に聞こえないのが恐ろしいけど」

 みあはすっかり呆れてしまう。

「でも、本当においしかったわ。ありがとう、みあちゃん」

「ま、まあ、作ったのは私じゃないからね」

「でも、みあちゃんが招待してくれなかったらこんなに美味しいご飯にありつけない」

「まあ、もよおしたのはあるみなんだけどね」

「もー、どうしてみあちゃんは素直になれないの!? そういうときはどうしたしまして、だよ!」

「どーせ、あたしは素直じゃないわよ」

 みあはむくれて顔を背ける。どうやら少しは気にしているみたいだった。

「……あ、ごめん。いいすぎたね」

 その態度に、かなみも悪気を感じてしまう。

 なんとなくテーブルを囲っている空気が重くなった気がする。

「あ、あの……」

 紫織はなんとかこの空気を打開しようと声を出そうとするが、なんて言って声をかければいいのかわからない。

「さあ、後かたづけしましょうか」

 そこでこう明るく声をかけられるのがさすが年長者といったところか、翠華は手を合わせて提案する。

「必要ないわよ。どうせ次の日になったらハウスキーパーが片付けてくれるんだから」

「ええ、みあちゃんが毎日皿洗いしてたんじゃないの?」

「あんた、今までそんなところ見たことなかったでしょ?」

「私が帰ってからこっそりやってるかと思ってたのよ」

「あんたのあたしのイメージって随分殊勝なのね」

「違うの?」

「違うわよ!」

 どうしてそんなに力一杯否定するのかよくわからないかなみであった。

「ま、でもおいしいご飯を食べさせてもらっているんだからお皿を洗ってもいいかな」

「だから必要ないって言ってるでしょ」

「必要ないからやらないっていうのも違うと思うのよね、みあちゃん」

「さすが、翠華さん! いいこと言いますね!」

 かなみに素直に褒められて、赤面する翠華。

 それを見せまいと皿を持って台所へ全力疾走するのであった。

「私も手伝います!」

 かなみも張り切って皿を持っていく。

 何しろ四人分のフルコースだ。一度に皿を全部持っていけるはずもなく何度も往復することになる。

「……………………」

 皿を台所の流し場へ持っていく間、翠華は無言であった。

 その様子を見てかなみは黙々と仕事をこなしているようで、かっこいいと思っていた。しかし、実際かなみとの共同作業で声が出ないほど緊張していたからだ。

(か、かなみさんと家事をするなんて、夢みたいだわ。

お、おお、落ち着いて……大丈夫、普段通りやれば……ちゃんと家事をこなせるさすがの翠華さんってかなみさんがほめてくれる。ほ、ほめてくれる……)

 ガタガタガタ、と、翠華の持つ皿が不穏な音を立てて揺れるのであった。

「なんか危なかっしいわね」

「そ、そうでしょうか……?」

「あんたも手伝いたかったから手伝えばいいのよ」

「え、え……」

 紫織が落ち着かない様子でソワソワしていた。

 これは先輩ばかりに皿洗いをさせようとして申し訳無いといった心境だったのをみあは見抜いていた。

「いいんでしょうか?」

「お手伝いに許可なんて必要ないわよ。ただ手伝いますって言えばいいの」

「は、はい……」

 紫織はそう言って流し場に向かう。

「まったく、なんだってあたしが」

 しかも、紫織は一応自分よりも一つ年上だ。

 普通なら逆の立場にあたるはずだというのに、と思わずに入られない。

 年下だけど先輩。あまり意識したことがなかったけど、翠華から改めて言われたことで気にするようになってしまったのだろうか。

「まったくバカバカしいわね、先輩とか後輩とか……」

 そういうことは、翠華とかなみに任せていればいいのに、と思う。

 特に翠華は高校生ということもあってしっかりしているから頼りがいもある。

 かなみと紫織に優しく皿洗いの手ほどきをしている姿を見てもそれは明らかだった。不意に、かなみの一言で手を滑らせてうっかり皿を割りそうになるのが玉に瑕だが。

 しかし、それにしても意外なのは――

「あんた、一人暮らししてるんだから皿洗いぐらいできるんじゃないの?」

 そう、かなみが皿洗いが出来ないことであった。

「それが……水道代節約のためにキッチンペーパーで拭くだけにしてるからすっかりやり方を忘れちゃって……」

 かなみは苦笑する。

「皿洗いって忘れるものなの?」

 まったくしたことが無いからみあは忘れるようなモノではないとイメージがあったが、ひとまず翠華に訊いてみる。

「普通は忘れないけどね。かなみさんはちょっと変わってるから」

「ちょっとどころじゃないでしょ、そういうの」

「まあ、かなみは借金で頭が回らないから、そういったことに頭使えないんでしょ」

「みあちゃん、ひどいよ。っていうか、回らないのは首でしょ、普通!」

「じゃあ、あるみに頼んで首にしてもらったら?」

「そ、それはダメよ!」

 翠華が慌てて否定する。

 これにはかなみもみあも驚かされた。

「か、かなみさんはなくてはならない人材だから!」

 私にとって、と翠華は心の中で付け加えた。

「翠華さん、そんな風に思ってくれてたんですか!」

 かなみは泣きたいほど嬉しかった。

 翠華に下心があるとはいえ、かなみにとって翠華は尊敬する純粋な先輩に映っているのだから褒められて喜ぶのは当たり前のことであった。

「かなみさんが首になったら、借金を返すために身体を犠牲にするって聞きましたが……」

「そうだった!?」

 紫織はどこから聞き出したのか、かなみさえも忘れていたことを思い出させた。

 もしも、株式会社魔法少女をやめることになったら、会社がヤミ金から肩代わりしてくれた借金は即座にヤミ金に戻って、ヤミ金はそれを返済させるために想像だにできない方法を行使させることが決まっている。

 だからこそ、かなみは不当な労働を強いる会社を辞めたいと思っても、辞められないのだ。

「っていうか、あんた忘れてたの」

 みあは呆れる。自分の身の一大事だし、そんなことは忘れようがないと思っているだけに忘れていたのが理解できない。

「やっぱり、借金で頭が回ってないんじゃないの?」

「そ、そういうわけじゃないから!」

 しかし、どうして忘れていたのか、かなみにはわからない。

 下手をすれば生命が関わっているというのにも、だ。

 本当に借金の返済で頭がいっぱいになっていたのか、それとも、それを忘れてしまうほど会社を辞めるということが頭になかったのか……。

 そういえばここ最近、会社を辞めるなんて言う事が無くなってきた。

 辞めたいと思うようにならなくなってきたからなのかもしれない。

「かなみ、手が止まってるわよ」

「あ、うん、ごめん」

 みあに言われたことで手を動かす。

 ちゃっかり、みあも皿洗いに参加している。全員参加が自然な流れだったので誰もとやかく言わなかったが。

「気をつけなさいよ。あんたがぼうって皿を割っちゃったのは数知れずなんだから」

「ひ、ひどいよ! 大体、私が皿を割ったところ、みあちゃん、見たことないでしょ!?」

「だから、数知れずって言ったじゃない?」

「そういう意味じゃないでしょ、絶対!」

「まあ、でも皿割ったら弁償よ。それ一枚いくらするか知ってる?」

 かなみの肩を縮こませる。

「い、いくらなの?」

 恐る恐る訊いてみる。

 どうみても平凡な白い皿だが、みあの高級マンションにある物な上に三ツ星シェフが扱ったとあっては、いくらになるのか想像がつかない。

「知らない」

 かなみはずっこけかける。そのはずみで皿を落としかけるが、なんとか死守する。

「ええ、知らないの?」

「そりゃ、シェフが勝手に持ってくるから、あたしが知ってるわけ無いでしょ」

 まあ、それもそうか、と納得する。

 ただなんとなく高級品なんじゃないかというのはそれとなく感じる。

――大事に扱わない、と。

 これ以上、借金を背負うのは御免だし。何よりもみあに対して借金をするのは後ろめたいし、嫌な予感もするから嫌だ。

「紫織、拭き過ぎよ。それだと皿が傷つくわ」

 そんなことをかなみが考えているうちに、みあは紫織に声をかける。

 紫織は

「でも、シミが中々おちなくて……」

「中々おちないならほうって置いたほうがいいわ。元々あたし達がすることじゃないし」

「は、はい……」

 微笑ましい光景であった。

 二人並ぶと、世話焼きな姉と気弱な妹といった構図に見える。実際の年齢は逆なのだが、とにかく見ていて微笑ましい。

「ちょっと、何ニヤニヤしてるの」

 みあはかなみを睨む。

「別に」

 かなみはそそくさと皿を手にとって洗っていく。

 そんな和気藹々とした空気の中、全部の皿を洗い終えた。

「綺麗にすると気持ちいいわね」

 かなみは伸びをする。

「さあ、早くお風呂入りましょ!」

「やった、お風呂だ―!」

「え、お、お風呂!?」

 翠華はドキリとする。翠華や紫織は夕食を食べたら帰る流れだとばかり思っていた。

 というか、かなみは自然にお風呂まで入ろうとしているので、自分達も入るんじゃないかと思ってしまったのが原因だが。

「も、もしかして、かなみさんはいつも入ってるの?」

「――水道代節約のためです」

 それは要するに、水道代がかかるから普段は入っていないと捉えていいいのか、と確かめる勇気は翠華にはなかった。

「じゃあ、いつもどおり私はみあちゃんと一緒に入るね」

「いつもどおりって!?」

 翠華は驚嘆する。

「それじゃ、あたしがいつも一緒にお風呂入ってるみたいじゃない」

「あれ、違ったけ?」

「違うわよ。だから、あんたは翠華と入りなさい」

「私が、かなみさんと!?」

 翠華は思わず大声を上げる。

 どうして、そんなにも大声を上げるのか当のかなみは自分なんかと一緒だと迷惑なのではないか、と思い違いする。

「じゃ、そういうわけだから、紫織行くわよ」

「は、はい……」

「ちょ、ちょっと待って!」

 翠華がみあ達を呼び止める。

「あ、あの……みあちゃん、やっぱりいつもどおりに入るのが大事だから、かなみさんはみあちゃんと入るべきよ」

「なんで、そんな面倒なことしないといけないのよ?」

「翠華さん、私と入りたくないんですか?」

 そこまで迷惑に思われているとは思わなかったかなみは少なからずショックを受ける。

「い、いえ、かなみさんと入りたくないとかそういうわけじゃなくて! むしろ入りたいのよ!! 入らせてほしい!」

 翠華は錯乱していた。そのせいではずみと勢いで自分が何を言っているのかわからなくなってきていた。

「だったら、いいじゃないの? かなみもあんたと入りたがってみたいだし」

「そ、そうなの、かなみさん!?」

「え、ええ、はい……」

 翠華は赤面した。

「ふ、ふつつかものですが、よ、よろしくお願いします!」

「は、はい、よろしくお願いします!」

 翠華にあわせて、かなみも困惑しておかしな受け答えする。

 まったくお風呂入るだけでなんでこんなに騒ぐのか、理解に苦しむみあであった。



 しばらく時間が経って、みあと紫織がお風呂から出てくる。

 そこでとうとう来たのだと翠華は胸を高鳴らせる。

「さ、行きましょう翠華さん」

「は、はひ!?」

「どうしたんですか? さっきから様子がおかしいですよ」

「そ、そんなことないわ!」

「やっぱり、私と一緒に入るのが嫌なんですね……」

「そういうわけじゃないわ!」

 翠華は強く言う。

「じゃあ、先に入ってますからね」

 そのおかげでかなみに笑顔が戻り、先に行ってしまう。

 それを見てやっぱり断るべきだったか。それとも、せっかくのチャンスを不意にしなくてよかったと思うべきか悩む。

「翠華さん、どうしたんですか?」

 その様子に紫織まで心配する始末であった。

「放っておけばいいわ。おかしいのはいつものことだから」

 いつもはこんなんじゃないと思う翠華だったが、言い返す気力が無かった。

「……じゃ、じゃあ、みあちゃん、お風呂、入らせてもらうわね」

「はいはい、しっかりやりなさいよ」

 何をしっかりやるのか、自分で言っておいて意味がわからくなってきたみあであった。

 それでその翠華はというと、洗面所までやってきて足踏みしていた。

 さすがに高級マンションだけあって、風呂場前の洗面所がまるで脱衣所のように広さと清潔さが整っている。まあ、そんなことは今の翠華にとってはどうでもいいのだが。

(か、かか、かなみさんがこの向こうにいる)

 ガラス戸一つ向こうに一糸まとわぬかなみが入浴している。そう思うだけで顔が真っ赤になり、全身が震える。

 以前、社員旅行で泊まった宿の温泉で一緒に入浴したが、あの時はみあもいたし、ネガサイドの幹部達が先に入っているという予想外のトラブルに見舞われていたため、有耶無耶になった感がある。

 しかし、今日は何もない。

 みあもいないし、こんなところにネガサイドの敵がやってくるわけがない。

 正真正銘の日常のワンシーンでの二人っきり。これがみあの部屋でなく、どこかしかるべき場所だったら、一気に大人へと階段を駆け上がってしまうところだ。

(って、私達は女同士よ!)

 と、ここで翠華は少しだけ我に返る。

「そうそう、私とかなみさんは女の子同士……恋愛対象になるわけがない、第一私が好きなのは魔法少女のかなみさん……強くて可愛くて優しくて……でも、弱いところもあって、守りたい……そう思っちゃう……そう、彼女は理想の魔法少女だから……だから、私は好き……私はかなみさんが好き……」

 ブツブツと呟いて平静を取り戻そうとしたが、結局、思考が元に戻っていくような感じがする。

「私は彼女の憧れの先輩で……彼女は私の可愛い後輩……理想的な関係よ、これ以上何を望むっていうの?」


――もっと親密になりたい


 そのとき、心の声が耳の内側から囁いた。

「かなみさんともっと仲良くなりたい、好かれたい……」

 それが本音だった。どんなに取り繕っても、かなみが好きで好きになってほしい。

 それは普通の少女が抱く当たり前の恋心だった。それが少女に向いていなければの話だが。

「そうよ、これはチャンスなのよ。かなみさんの心をつかむまたとない裸の付き合いをするチャンスなのよ!」

 翠華は意を決して衣服を脱ぎ、浴槽へと向かう。

「か、か、かなみさん、入るわ……!」

 言って、心臓の鼓動が一気に高鳴った。

「はい、どうぞ」

 かなみはごく自然に答える。

 それが翠華の平静になりかかった心を揺さぶる。

(かなみさん、いいのね。私が入っても自然体なのね……だったら、私だって……!)

 翠華は気合を入れて、戸をガラガラと開ける。

 さすがに浴槽は大理石で出来ており、中高生の二人が入っても大丈夫なぐらいで、ちょうどいい湯加減のお湯が入っている。そして、かなみはそこに気持ちよく入浴している。

「気持ちいいですよ、翠華さんもどうですか?」

 かなみは天に昇るような心地よさにご満悦中であった。

 しかし、そこに飛び込んでもいいと言われたら、翠華は一気に頭に血が上る。

「か、かか、か、かなみさんとふふ、二人で入るの!?」

「大丈夫ですよ。十分大きいですから」

「そ、そうね……かなみさん、細いから、その分大きく見えるわ」

「何の話ですか?」

 かなみは首を傾げる。

 裸体となった彼女のその一挙手一投足が翠華を悩ませる。

「や、やややや……」

 そして、理性と本能の間で揺れる翠華はとうとうこの苦悩に耐え切れなかった。

「やっぱりむりよぉぉぉぉッ!」

 翠華は逃げた。

 廊下を全裸で走り抜けるという痴態を晒して。



「まあ、人生色々、女も色々っていうから気にしないでいいわよ」

 なんでこんな慰め方をしなくちゃいけないのか、みあ自身にもわからない。

「……私、これからどうすればいいのかしら……?」

 そんなのしるか、というのがみあの正直なところだが、さすがにそれを口に出して言うほど無神経ではなかった。

 ため息をついて、そっとしておくことにするのであった。

「私、やっぱり翠華さんに嫌われてる……」

 かなみはかなみで沈んでいるし、面倒くさい。

 そもそも、どうして自分がフォローしなくちゃならないのか。

 一番先輩。それはあくまで魔法少女としての話であって、人生の先輩としてなら翠華が適任のはずだ。

 しかし、その翠華があの落ち込みぶりからしてあてにならない。

「なんで、こんなことになってるわけよ?」

 みあは頭を抱える。

 オフィスなら放っておいて仕事に行ってもよかったが、ここは自分の家だし、放っておいたら面倒で嫌になる。

「面倒ね」

 みあはぼやく。

 しかし、どうにかしてもいいかなと思う。

 単なる気まぐれかもしれない。

「大丈夫よ」

 しかし、不思議と実行してみようかと思ってしまうのもまた事実であった。

「あいつがあんたのことを嫌うことはありえないから」

「……え?」

 みあの口からそんな言葉が出るなんて、でも言いたげな意外そうな顔をかなみはした。

 予想はしていたし、当たり前だと思うけどいざそういう顔がされるといらつく。

「そ、そうかな?」

「そうよ。大体、あんたは嫌いになるっていうより可哀想とか哀れとか思われている方がありうるのよ」

「な、なんで?」

「お金がないから可哀想、財布もいらないぐらいお金がないから哀れ」

「みあちゃん、酷いよ」

「かなみさん、みあちゃんはかなみさんを励まそうとして……」

「わかってるけど……けどね、もっと上手な励まし方ってないの?」

「あ、あたしは別に、あんたを励ましてるわけじゃないから!」

「みあちゃん、素直じゃないから」

 かなみは笑顔で言う。

「……やっぱり、放っておけばよかった……」

「みあちゃんに放って置かれたら、私、生活できないよ!」

「どんだけあたしに依存してんのよ!?」

 食事の方面では、かなり本気だったかなみ。

「月に五日ぐらい……」

「やけに具体的ね」

「だって、本当にギリギリなんだもん!」

 かなみはグッと拳を握り締める。

「そういうことは翠華にも言ってやりなさい。あいつ、喜んで力になってくれるから」

「翠華さんが?」

 思い返してみると、翠華は時々弁当を作ってきてくれたり、おやつをわけてもらったり、かなり親身になってくれているような気がする。

「まあ、こう言っておけば大丈夫かな……」

 とりあえず、かなみの機嫌は直った。

 あとは翠華だ。

 まったくなんだって面倒な役割になっているのか、みあは思うが、しかし不思議と嫌じゃない。

 どうやら自分で思っているよりもこの面倒な役割を面倒と思っていないせいかもしれない。

「まだ塞ぎこんでるわけ?」

 そう考えながらみあは翠華に声をかけた。

「だって……だって……」

 相変わらず翠華は暗い面持ちであった。

 こういう態度をとられるとみあは苛立つというより呆れてくる。

「大丈夫よ、あんたのことかなみは尊敬してるみたいだし」

「尊敬? かなみさんが私を?」

「心当たりないわけ?」

 ないわけじゃなかった。

 かなみはいつも自分に対して恭しく接してくれる。頼りにしてくれているというのも自覚はある。

「心当たり、ある……」

「だったらいいじゃない。あとあいつ、ご飯を一回でも恵んでやったらすぐ好きになってもらえるわよ」

 みあは何度もやっているだけに、そう思えてならないのであった。

 一回恵んでやっただけで、子犬のようによく懐いた気がする。

「かなみさん、そんなに軽いとは思えないけど……」

「軽くてチョロいわよ、特にお金とご飯絡みだと」

「うーん」

 お金はともかく、ご飯なら自分も力になれるし、なったことはある。

 何よりも、心を掴むにはまず最初に胃袋を掴むことだという格言がある。

 そうか。だから、かなみとみあは仲が良いのか。

 いつも食事を分け合う仲だから、その絆も固いのか。

 そうと決まれば自分も何か力になれるよう行動してみよう。

 翠華は少しだけ元気になれた。



 そうこうしているうちにかなみと翠華はすっかりいつもの調子に戻っていた。

 いざこざやトラブルがあっても、最終的には元の鞘に収まる。そうなるようにできている。

 それは自然の成り行きか。そもそもそうなるように自分達の関係は成立しているのか。

 わからない。考えてもわからないから……まあ、それでいいか、と気にしないことにするみあであった。

「んで、今日は泊まるわけ?」

 気づいてみるともう夜の十時。

 深夜まで会社で仕事をしているかなみ達にとっては寝るにはまだ早く、かといって帰るには少々遅い時間だ。

「そうね、そろそろ帰った方がいいわね」

「翠華さん、帰っちゃうんですか?」

「あんたはもう泊まるのが確定なのね」

「初めてじゃないからいいでしょ。それにみあちゃんのベッドは柔らかくて気持ちいいし」

「べ、ベッド!?」

 翠華はあらぬものをイメージしてしまった。

「毎回毎回ベッド寝れると思ったら大間違いよ。あんたはソファーで寝なさい!」

「っていうか、泊まっていいんだ?」

「なに、公園でダンボールで寝たいわけ?」

 ちなみにこのマンションの近場に児童公園がある。

「そんなことするぐらいなら、無理に泊めてもらうよ!」

「帰るって選択肢はないわけね……」

「あ、でも……ここのソファー、高級でフカフカそうだから楽しみ」

 ヘタしたら自分の部屋よりも寝心地がいいかもしれない、とかなみは期待するのであった。

「訂正、あんたは床で寝なさい」

「酷いよ!」

「……と、かなみは床でねかせるからあんたらはソファーで寝なさい」

「みあちゃん、酷いよ……」

「かなみさん、私が床で寝るからソファーで寝ていいわよ」

「そんな、翠華さんを床で寝かせるわけにはいきませんよ! 大丈夫です、地面で寝ることを考えたら遥かに寝心地がいいです」

「あんた、ちゃんと住む場所あるのよね?」

 みあは不安そうに訊いてみる。

 実はアパートの部屋を借りて暮らしているというのは嘘なんじゃないかと一瞬思った。

「でも、かなみさんを床で寝かせるのは不憫よ」

「まあ、足りない時は親父のベッドを使えばいいから安心していいわよ」

「でも、それじゃ、みあさんのお父さんが眠れないんじゃ?」

「大丈夫大丈夫、あいつ滅多に帰って来ないから使われてないのよ」

「……え?」

 紫織にとってはそれは初耳だった。

「社長やってたら色々忙しいみたいだよ」

「忙しい、ね……単に仕事に夢中になってるだけよ」

 そう言ってはみるものの、みあの顔は不満に満ちていた。

「みあちゃん、大丈夫だよ。私達が家族みたいなものだから!」

 かなみは強く言う。

「あんたみたいな姉は願い下げよ。どうせなら可愛い妹がほしいわね」

「酷い! 私はみあちゃんのこと、可愛い妹だと思ってるのに!」

「き~もっちわるいわ! あたしはあんたのこと、可愛い姉だって一度も思ったこと無いんだから!」

 言い争っている内に不満顔だったみあの顔が晴れていることに翠華は気づいた。

「ふふ、本当に姉妹みたいね」

「なに、言ってるんですか。翠華さんも家族じゃないですか?」

「え、私も?」

「もちろん、紫織ちゃんもよ」

「私もですか?」

「うん。だってみんなと一緒にいると楽しくて気持ちが暖かくなるから。魔法少女として頑張っていけるのはみんながいるからなんだよ」

「……そういう恥ずかしいこと、よく平気で言えるわね」

「だって心からそう思ってることだもん」

「それが恥ずかしいことだって言ってんのよ」

「かなみさんがそう思っていてくれるなんて」

 翠華は顔を真っ赤にする。そして表情は嬉しさ満面である。

「……あんたさ?」

 しかし、みあは神妙な面持ちで言う。

「なに?」

「いえ、なんでもないわ」

 みあはため息をつく。


ガチャ


 その時だった。

 突然、玄関のドアが開く音がした。

「な、なに?」

「お客ならノックするところじゃないかしら?」

「ってことは泥棒、ですか……」

 紫織が恐る恐る言うと、みあは頭を抱える。

「まったく、なんでよりによって……」

「え、みあちゃん、誰が入ってるの?」

「いい、このマンションはセキュリティで万全なのよ。泥棒なんて入ってくるはずがないのよ」

 ここまで言われてかなみは察した。

「ってことは、まさか!?」

「ただいま、みあちゃん」

 優しい声をして、語りかける。

 その声の主は青年で声の通り優しい顔つきをしている。

「なんで、帰ってきたのよ?」

「そんな言い方はないじゃないか。僕はみあちゃんに会いたかったんだから」

 素っ気ないみあに対して青年は諭すように言う。

「この人が、みあちゃんのお父さん?」

 青年はここでかなみ達に気づいて、そちらの方に向かってニコリと微笑む。

「こんばんは、みあちゃんがいつもお世話になってるね。私はみあちゃんの父・阿方彼方あがたかなたです」

「こ、これはどうも御丁寧に」

「初めましてだね、かなみちゃん」

「私のこと、知ってるんですか?」

「みあちゃんからいつも話は聞いてるからね」

「まともに話したのは何ヶ月振りだと思ってんのよ?」

 みあは文句を言う。

「まあ、忙しくて中々帰れないけど。毎日みあちゃんの寝顔は見ているよ」

「ちょッ!? 何恥ずかしいこと言ってんのよ!?」

「みあちゃん、愛されてるんだね」

「バカを休み休み言いなさい。だいたい部屋には鍵かけてるのよ、どうやって!?」

「娘の部屋の合鍵の一つや二つぐらい持ってて当然でしょ、父親ならね」

 そう言って彼方は誇らしげに鍵を見せる。

「当然なわけあるかぁッ!」

「なんていうか、凄いお父さんだね」

 かなみは素直に言う。

「ほめてくれてありがとう」

「褒めると、こいつは図に乗るから!」

「なんていうか、親子っていうより」

「……兄妹みたいですね」

「おお! そう言われたのは初めてだよ。それじゃ、みあちゃん、私のことをお兄ちゃんと呼んでもいいんだよ」

「誰が呼ぶかァァァッ!!」

 みあはそう言って部屋の方へと飛び出した。


バタン


 勢い良く扉を閉める。

「入ったら殺す! 来ても殺す! 開けても殺す!」

 その叫びに呆気にとられるしかなかったかなみ。

「フフフ、あの娘の癇癪もいつものことだよ」

「何ヶ月か振りなんですよね?」

「おお、そんなところに突っ込みを入れるなんて、かなみちゃんって案外野暮なんだね」

「そんな風に言われたの初めてです」

「僕も会ってみて初めてそう思ったからね」

「あ、あの……みあちゃんは私のこと、なんて話してますか?」

「一億円の借金があって、哀れでみじめな生活をしている同じ日本人とは思えない女の子――」

「うぅ……みあちゃん、やっぱり酷い……」

「っていうのが私の感想かな」

「お父さんのですかッ!?」

「本当はバカでおせっかいやきで放っておけない面倒な後輩だって聞いてるよ」

「面倒な後輩……」

「……妥当なところね」

「翠華さんまで酷いですよ」

「あ、ごめなさい。そういうわけじゃなくて、かなみさんが放っておけないっていうのは私も思うから」

 もっともその意味合いはかなり違うようだが。

「まあ、みあちゃんと仲良くやってくれているのは助かってるよ。私は忙しいからあの娘を一人にさせてしまったから」

 そう言って笑った彼方の顔は寂しげであった。

「いや、仕事に没頭するとついつい時間を忘れてしまってね。あの娘のことは忘れたつもりはないんだけどね、アハハ」

「社長業って大変なんですよね?」

 社長といえば、あるみのことを思い浮かべるが、彼女は一般的な会社の社長とわけが違うのだが、それでもかなり多忙なのは容易に想像できる。

「まあ、大体経営は役員が決めてるし、僕は方針を決めるだけ。僕はおもちゃ開発の方が性に合ってるんだよね」

「じゃあ、アガルタ玩具ってお父さんが作ってるんですか?」

「まあ、そうなるね。今度も新商品は必ず大ヒット間違いなしだし」

「どうなの、作ってるんですか?」

「それは企業秘密で言えないよ」

 それは何度も聞かされた言葉だが、不思議と彼の口から言われると嫌味な感じがしない。

「――あたし、知ってるよ」

 扉越しからみあの声が聞こえる。

「この前会った時、聞いたらホイホイ喋ってくれたわよね?」

「み、みあちゃん、絶対に他の人に喋っちゃいけない約束でしょ!」

「――この世に絶対なんてない」

「うん、いいことを学ばせてもらったよ。って、だから、喋っちゃダメだよ!」

 扉越しの親子の会話は娘が主導を握っている。

 心なしか、みあはさっきの意趣返しと言わんばかりに生き生きと張り切っているようだ。

「喋って欲しくないんだったら……わかってるわよね?」

 黒い微笑みが浮かべているのがみあが想像できる。

「わ、わかってるよ! 今後、絶対にみあちゃんの部屋に入らないから! 寝顔も我慢する!」

「それだけじゃ信用出来ないわね、合鍵、全部よこしなさい」

「ううぅ、わかったよ……」

 一部始終見ていたかなみは一言言わずに

「――意外と子供っぽい人ですね。とても、大企業の社長には見えません」

「おもちゃ会社だかららしいといえばらしいんだけど……」

「……楽しいお父さんだと思います」

「どこが楽しいのよ?」

 扉を開けて出てきたみあはぼやく。

 彼方はそんなみあに合鍵を全部渡す。

 ちなみにその全部というのは十個である。

「なんで、こんなにあるのよ?」

「これで、失くしても失くしても失くしても失くしても失くしても失くしても失くしても失くしても失くしても」

「って、何回失くすつもりなのよ!?」

「備えあれば憂いなしって言うしね」

「備えって言っても限度があるでしょうが!?」

「ハハハ、でも全部盗られちゃったら意味ないか」

「笑ってる場合じゃないでしょ!」

 中々愉快なやり取りだとかなみの目には映った。それは両親がいなくなってしまったかなみにとって眩しくて、目を背けたくなるほど楽しいものだった。


ジリリリリン!


 携帯電話が鳴り出す。

 それは一つではなく、四つ同時であった。

「こんな時間に何か用?」

 そのうちの一つはかなみのもので、これは仕事の用件以外で鳴らないものだった。

「ああ、取り急ぎ解決してほしい案件が出来てしまってな」

「案件……?」

 かなみは眉をひそめる。

 こういうときはろくな仕事じゃないことが多い。

 しかも四本同時ということは魔法少女四人全員に協力して当たらないといけない仕事ではないのか。

 それだけ急を要して、当たらなければならない大仕事。そんな気がする。

「まあ、とりあえずテレビをつけてくれ」

「テレビ?」

「チャンネルはなんでもいい、とにかくニュースになっているはずだから」

「ニュースね」

 嫌な予感がますます膨らんでくる。

 かなみは言われるままテレビを付けてニュースのチャンネルに合わせる。

 やっていたのは、見覚えのある街角。

 かなみが通っている学校だったり、よく使うバス停やコンビニ。次々と切り替わる都心の映像の中であるものが映っていた。

「――ロボット?」

 それはデコボコしたロボットでカッコいいわけでも可愛いとも言い難いが、不思議と愛嬌のある造形――のはずなのだが、そいつらが大挙しておびただしい数で街中を歩いている。

 映画で見たような光景で、あまりにも非現実的で何かのコマーシャルかと勘違いしてしまいそうになる。だが、これは現実だと魔法少女としての本能が言っている。そして、この光景をなんとかするのが自分だということも。

「な、なんなの、これ!?」

「実はある玩具会社の新商品を大量保管している倉庫がネガサイドに襲われてね」

「しん、商品……?」

 そのたった一言で、かなみは大体の察しがついた。

「それでこんなに徘徊するようになったわけね」

 ネガサイドにはただの物を怪物に変えるダークマターの魔法がある。

 しかし、一度にこれだけたくさんの物を怪物に変えたのは初めてだ。

「まだ被害はそれほど出ていない。取り返しのつかないことになる前に解決してほしい。

――君達、全員の魔法少女で」

 これだけたくさんのロボットがいると、一人で全滅させるのは困難。

 それで総動員して人海戦術で手っ取り早く速やかに解決させるのに、一番いいという判断だろう。

「わかったわ、それで報酬は?」

「一体につき五百円」

 テレビだけを見た限り、ロボットの数は百や二百じゃない。四人とはいえ、かなりの数を倒す。珍しく歩合制の仕事で、かなり割が良い。これは張り切らないわけにはいかない。

「のったわ!」

「良い返事だ。ああ、あとあるみはもう出ているから」

「ええッ!?」

 ここで携帯電話は切れる。

「みんな、聞いたわね?」

「……は、はい、聞きました」

「滅茶苦茶、面倒なことになったわね」

 翠華が号令をかけ、紫織は緊張し、みあは心底面倒そうな顔をする。

「とにかく、やるしかないわね!」

 そして、かなみは大いに張り切る。

「おお!」

 ここで、彼方がテレビを見て驚嘆の声を上げる。

「ど、どうしたんですか?」

「これは我が社の新商品のおもちゃじゃないかぁぁぁッ!!?」

「はあ!?」

 そういえば、みあは素っ頓狂な声を上げる。

 その時、かなみの脳は異常な高速回転を始める。

 玩具会社の新商品……

――まあ、そうなるね。今度も新商品は必ず大ヒット間違いなしだし。

 阿方彼方が社長を勤めているのはアガルタ玩具。

――実はある玩具会社の新商品を大量保管している倉庫がネガサイドに襲われてね

「……そういうことね。つまり、あれはみあちゃんの会社の新商品のロボットッ!?」

「そうなるわね」

 みあはこのことにすぐ気づいたのか、さっきからずっと面倒そうな顔をしている。

「なんてこった! せっかくの新商品がこんなことになるなんて!?」

「みあちゃんのお父さん、不憫です……」

 紫織の言うとおりだった。

 せっかくこんな夜遅くまで仕事に没頭して、作り上げた商品がこんな形で悪の組織に利用されるなんて思いもしなかっただろう。

 そう考えるとかなみも同情の念がこみ上げる。

「これはネガサイドの仕業か……」

「……え?」

 かなみ達は驚く。

 彼方がネガサイドのことを当たり前に口にしたことに、だ。

「親父、ネガサイドのこと知ってるの!?」

「ん、まあ、そういうことは後回しにした方がいいかな」

 彼方は苦笑してごまかす。

「それよりも今は事態の収拾が先決だよ」

 そう言って彼方はこれまでと違って別人のように真剣な顔つきで携帯電話を操作する。

「私だ。事態は知っている。すぐに対処する」

 携帯電話で会話しながら、外へ出て行く。

「親父……何を知ってるの?」

 みあは呆然とそれを見送るしか出来なかった。

「そういうことは後回しだよ、みあちゃん!」

「かなみ……」

「あのロボットはみあちゃんのお父さんの会社の物なんだから、あれが人に危害を加えたら評判落ちて信用問題に関わるよ!」

「あんた、そんな気を使って……!」

「でも、かなみちゃんの言うことは正しいわよ」

 翠華がかなみの助言に後押しする。

「私達、なんとかしよう!」

「……はあ」

 みあは一息つく。ため息ではなく気持ちを切り替えるための一息だ。

 父親のこと、会社のロボットが暴れている事実、困惑している事態なのだが、切り替える。敵を殲滅し、仕事を果たしている魔法少女としてのみあに気持ちを切り替える。

「さ、グズグズしていられないわ!」

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