第8話 断髪!? 少女の生命は刈り取られる運命か? (Bパート)
暗く冷たい路地裏。夜中のネオン街で人の雑踏が多くてうんざりしているところに一人となって落ち着くことができるスペース。でも今夜はとてつもなく心細い心境でこの道をかなみは歩く。
「っていうか、前にもこんなところ歩いたわよね?」
「君にはこういう道が似合うってことだよ」
「なんで似合うわけよ」
「臭い・汚い・気持ち悪い」
「その3Kはやめなさい!」
「じゃあ、路地裏系という新境地を切り開く」
「そんなアンダーグラウンドな魔法少女がいるか!!」
「地下に潜るよりはマシじゃないか」
「いやよ、どうせだったら清く明るく正しい魔法少女になりたいわ」
「借金があるから無理じゃないか」
「そもそも前提からおかしいのよ……」
「でも、借金が無かったら魔法少女にはなれなかったと思うよ」
「……うぅ、結局そうなるわけよね……」
かなみはため息一つこぼす。
「ところで、みんなもこんなルート通ってるのよね? 敵の目を欺くために人目のつかない場所を歩いてるのよね? だったら、私は一人じゃないんだなって強くいられるわね! うん! 私は一人じゃない!」
「……いや、こんな道を通ってるのは君だけだ」
「……なんだよ!?」
「ほら、人目につかない場所ってネガサイドからしてみれば襲うのにかなり都合がいいからね」
「だからってなんで私だけ!?」
「……一人ぐらい、そういう役目の娘がいたっていい」
「なんですって!」
「僕じゃない、社長の言葉よ」
「ああ、もう横暴なんだから……絶対に訴えてやる」
「鯖戸にもみ消されるから、徒労に終わるよ」
「うっさい!」
苛立ちは募っていくのが肩に乗っているマニィには簡単にわかる。
それでも、不安で押し潰されるよりはいいかとマニィは思う。とはいっても、いつもならここではたき落としているところ。重いアタッシュケースを持っていることを差し引いても、やはり不安はあるのだろう。
「でも、まてよ……」
「ん、どうしたの?」
「こんなに危険な道を歩いてる。私に本物を持たせるわけないわよね! そう、これは囮ね、間違いなく囮よ!」
ポジティブなんだか、後ろ向きなんだか……。これも負け犬根性が成せる業か。
「いや、そうとは限らないよ……」
「え、どういう意味?」
「………………………………」
「ちょっと、なんでそこで黙るわけ?」
「……ボクの口からはなんとも……まあ、そんな理由であの社長が温情をかけると思うかい? とだけ言っておくよ」
「思わない」
かなみは暗い面持ちで断言する。
「ま、このまま何事も無く駅までこいつを送り届ければいいのよ。そう、何も敵が必ず来ると決まってわけじゃないし!」
「だからどうして君は後ろ向きにポジティブなんだ?」
今度はマニィがため息一つこぼす。
変な意味で息の合ったコンビと傍から見た者は思うだろう。
路地裏を歩き続けていく。こんな暗い上に雨上がりでジメッとしている薄気味悪い路地裏は、女の子ならずともどうしても足取りがもたついてしまうところなのだが、なんだかんだ言って歩き慣れていることなのだろう。
これならば目的地まで遅れることなくアタッシュケースを送り届けることができるはずだ。
――敵の襲撃さえなければ。
楽観的な発言をしたとはいえ、無警戒でいるほどかなみは脳天気ではない。今だっていつでも戦闘態勢に入れるように、腹づもりはしてある。
(来るならこいってのよ!)
いつくるか、わからない。
そのために気を張っていなければならない。直接戦うより疲れるものね、こういう仕事は二度とやりたくないとかなみは心の中で悪態をつく。
「これで半分だね」
「まだ、半分なのね……疲れるわ……」
アタッシュケースもだんだん重く感じるようになってきた。そもそも女の子にこんなものを運ばせる方がおかしんじゃないかとさえ思えてきた。
「こりゃ、ボーナスもらわなくちゃ割に合わないわ……」
「そう言って、まともにもらえたためしがないじゃないか」
「そう思うんだったらあんたも手伝いなさいよ」
「なんだって、ボクが?」
「あんたの仕事は私のサポートでしょ?」
「催促のサポートなんて請け負った憶えはない」
「憶えが無いんだったら、今覚えなさいよ」
「無茶苦茶だ」
「無茶でもなんでも、やるのよ。いいわね?」
「仕方ない……勝算は無い戦いはしたくはないんだけど」
「いつ勝算がないって決まったわけよ?」
「相手が悪い」
「それは確かにそうだけど……でも、可能性は無いわけじゃないわ!」
「そういうところはポジティブなんだね」
「そうじゃなかったら、やってられないわよ」
「だったら、――こっちもやってもらないとね」
「え?」
マニィの口調が突然変わる。これまでのどこか気の抜けたモノではなく、真面目な仕事人としてのそれに。
彼が切り替えたということがどういうことか、かなみは瞬時に理解する。
「敵なのね!」
「どこにいるのか、位置まではわからないけどね」
「勘弁して欲しいわ……なんだって私ばっかり……」
ぶつくさ文句言いながらも、しっかりとコインを手に取って変身の準備をする。
「でも、やるしかないわね!」
かなみもまた切り替える。敵が来たのなら迎え撃つ、そういう考えでなければこの仕事は成功できない。
シュッ!
風切り音のような足音が耳に入る。
なんでもそよ風ともとれる物音だが、かなみとマニィは瞬時に敵が来たことを告げる警音に聞こえた。
だとしたら、することは一つ。
「マジカルワークス!」
コインを高らかに舞い上げる、コインを中心として辺りは光に包まれる。
そして、一瞬の光のヴェールから黄色を基調としたフリフリの衣装を身に纏った魔法少女が姿を現す。
「愛と正義と借金の天使、魔法少女カナミ参上!」
誰もいない、人目などまったくない路地裏だというのに、誰に向けているのかわからないおなじみの名乗り口上を上げる。
「ねえ、これもトリィがとってるのよね?」
「彼女は仕事熱心だからね。それがどうしたのかい?」
「ううん、なんでもない」
ちょっと恥ずかしくなってきた、と思ったが、それもまた恥ずかしくて言えないカナミであった。
「それよりも敵ね!」
意識を敵に向ける。空にいるはずの撮影者を見上げてばかりではやられる。
シュッ!
またも風切り音のような足音が聞こえる。だが、敵の姿は見えない。路地裏で薄暗いとはいえ、遠くまでは見渡すことはできる。ましてや魔法少女となって魔力強化された視力なら昼間の平地とさほど変わらないように見える。それでも見えないとなると身を隠しているのは明白。
「コソコソした敵ね、誰かしら?」
露出癖のある女性、妙にハイテンションな男、小生意気な坊っちゃん……今まで出会ってきた三人の幹部が思い浮かぶ。
ただ今までの作戦を思い返すとこんなコソコソした行動をとるような連中ではなかったはず。
(新しい敵……?)
そう考えた瞬間、ヤツは姿を現した。
シュッ!
「わあッ!?」
見えたのは一瞬。
それも頭と腕の影。そして、銀色の光が自分へと向かってくるのが。見えた。
キィン!
反射的に杖を前に出した。
すると、銀色の光がステッキに当たり、甲高い金属音を立てる。
そこから人のシルエットは後へと駆け抜けていく。カナミはのけぞりながらも体勢を立て直す。
「なんなの、今のッ!?」
「速いね、恐ろしく速いよ」
人影は再び現れる。それもさっきととてつもない速度で迫ってくる。
「あつぅッ!?」
今度はかわせなかった。横腹に一筋の切り傷を入れられる。
「ち、血が……」
衣装が切り裂かれ、そこから血が滲み出ている。
「落ち着いて、傷口は浅い。それよりも敵の方に意識を向けないと生命取りになるよ」
「て、敵……?」
わずかな痛みを抑えて、敵が去っていた方へ目を向ける。
「厄介だな。君とは相性が悪いよ」
「相性ってどういうこと?」
カナミが訊くやいなや、敵は現れる。
「やられっぱなしでいられるかってのよ!」
反撃に魔法弾を撃つ。
だが、敵はそれをものともせず、光を掻い潜って銀色の光をカナミに浴びせる。
今度は顔目掛けての攻撃だった。
「つぅッ!?」
すんでのところでかわして、頬へ一筋の傷を入れられる。
――チィ、外したか!
敵の舌打ちが聞こえる。
「まずいな、敵は接近して必殺の一撃で仕留めるタイプみたいだ」
「くぅ……顔を狙ってくるなんて……おかげで、傷が入っちゃったじゃない!」
カナミは怒りで燃え上がる。
ステッキで敵が消えていった方向へ魔法弾を撃つ。
だが、そこには既に敵はいない。
「よせ! 闇雲に撃っても当たるわけがない!」
「だったらどうしろっていうのよ!」
「まずは落ち着くことだよ!」
マニィの説得でカナミは魔法弾を乱射させるのをやめる。
その途端に、疲労が押し寄せてくる。当たらなかった徒労感と魔力の消耗によるものだ。
「いいかい、この敵は君との相性が最悪だ」
「さっきもそういったわね、どういうこと?」
「君の弱点は接近戦に弱いところ。君のステッキは中距離から遠距離にかけては文句無しに強い。その分、懐に入られると対応しにくいんだよ」
「そういうわけね」
「今までは敵が弱かったのと翠華やみあとの連携があったから浮き彫りにならなかったけど」
「わかったわ……」
「ん、何がわかったんだ?」
「ようは接近させなければいいんでしょ!」
「本当に何がわかったんだ?」
カナミはステッキを敵に向ける。
その目は気迫にみなぎっており、身体から風が巻き起こる。それが魔力により発生した流れ。溢れる魔力が身体中から迸り、風を起こしているのだ。
「相変わらず凄い魔力だ。だけど、どうするんだ?」
「こうするのよ!」
敵が見える。
それと同時に、溢れる魔力をステッキに込めて撃ち出す。
――ッ!?
敵は予期しなかっただろう。
まさか避けようがないほどの魔力による砲弾――津波が押し寄せてくるなんて、容易に想像ができるはずがない。狭い路地裏ということもあって敵に逃げ場所なんて無かった。
「直撃よね?」
「うん、狙い通りだね。正直恐れいったよ」
「あなたが褒めてくれるなんて思わなかったわ」
「失礼だね。僕は心に思ったことをすぐ口に出しているだけさ」
「だから、いらんことばっかり言うわけね」
「そんなことより、敵を捕縛するが先だよ」
「そうだったわね」
倒れた敵を見下ろす。
敵は呻き声を上げながら、なんとか立ち上がろうとする。今まで見えなかった敵の正体は黒服の男であり、顔は白い仮面をつけているせいでわからない。
ただ身体つきと声の低さからして男だということは間違いない。
「う、うぅ……ぐぅ……」
「観念しなさい、私急いでるんだから悪いようにしないわ」
「よこせ……!」
「え……?」
「その髪、よこせ!」
「わあッ!?」
執念に満ちた声に背筋がゾクッとくる鋭い視線。それは弱っているというのに、カナミにステッキを向けざるを得ないほどの恐怖を抱かせた。
「な、何なのよ、あんた!?」
「お、俺は髪を生きがいにして髪を刈る……髪裂かみさきカミキリだぁぁッ!」
そこまで言ってカミキリは駆け抜ける。速度こそ落ちているが、いきなり動いたことで面を食らったせいで反応が遅れる。
「キャッ!?」
カミキリはアタッシュケースを奪い取る。
「ああ、ああ、あ、あ、ケースがァッ!」
「油断したね、まだあれだけ動けるなんて」
「よくもやってくれたわね、このカニカマかまきり!」
「髪裂かみさきカミキリだ……そんなわけのわからない昆虫ではない」
「どうでもいいわよ、名前なんて。今ここでケースを渡してぶっ飛ばすんだから!」
「カナミ、もっと言葉を選んだほうがいいよ。今のはちょっと物騒だ」
「いいのよ、どうせ編集でなんとかしてくれるんでしょ!」
カナミは威勢よく返事して、魔法弾を撃ち出す。
「くッ……!」
カミキリはそれをかわしながら、後退する。
「逃がすもんですかッ!」
「待て、カナミ。冷静になるんだ」
「これが冷静にいられるかってのよ! 一億、一億がぁぁぁッ!!」
そう叫びながら、カナミはカマキリを追っていく。
「仕方ない、あるみに連絡する」
聞く耳を持たないカナミを諦めて、マニィは携帯を操作する。
長く暗い路地裏で、カミキリを見失わないようカナミは必死に追いかけた。そのため、マニィがどういった報告して、どのような連絡を受けたのか耳に入らなかった。
違和感があった。カナミはカミキリを追えている。さっきの速度があるのなら一瞬でカナミをまくことができるはず。ビームによるダメージがあることを差し引いても十分できるはずなのだがあえてそうしないように見える。その狙いは……マニィにはわからないが、嫌な予感はする。
連絡が終わったところで、ちょうどカミキリは飛び上がる。
「ああ、ちょっとッ!」
カナミもそれに合わせて飛ぶ。
魔力を足に込めて、思いっきり跳ぶ。
「おりゃぁぁぁッ!!」
そして、周りの家屋の屋根を超える高さに上がり、カミキリの位置を確認し、屋根へ着地する。
「絶対に一億! 逃がさないわよぉッ!!」
「凄まじい執念だね、ぶっつけ本番で跳躍魔法なんて危険こなすんだから」
練習していない跳躍魔法。それは着地にしくじれば大怪我になる危険があるため、これまでは使わなかった。あるみ曰く「自転車みたいにちゃんと練習使えば問題無い」らしいのだが、それでもカナミは練習する気にも使う気にもなれなかった。
それを今ここで使って、いきなり成功させるのだから火事場での強さにつくづく驚かされる。
「まあ、逆に言えば火事にならないと本領発揮できないのが難点だけど」
またマニィは余計な一言を入れる。
その一方で敵もカナミが追ってくるのを確認するやいなや夜空を飛び続ける。カナミもそれを
ネオン光る街の屋根を駆け抜けていく。
屋根から屋根へ移る跳躍。というよりも勢いに乗った疾走ともいうべき、軽やかな踏み込みで次から次へと飛び移っていく。
敵はダメージを追いながらもペースを落とすこと無く駆け続ける。
カナミを全速力で追いかける。後先なんて考えていない。ただ一億の報酬がかかったアタッシュケースを持ち去ったカミキリだけが目に映る。なんとしてでも捕まえる。その一念で追いかけているのだ。
「ハァハァ……!」
何分追いかけただろうか。
いくら桁違いの魔力の量を誇るといっても、移動のために放出し続けていれば疲労は募っていく。しかも、移動はまだ不慣れなため、ペース配分がわからず、ガムシャラにつかっていれば一層疲れる。
息切れはそんな魔力の消耗を如実に表していた。
一旦休むべきだ、とマニィは提案しようとしたが、やめた。どうせ、カナミの性格からして「休めば見失ってしまう」と聞き入れるわけがない。
その返答さえも余計な疲労になってしまう。無駄を嫌う彼にとってそれは許しがたい非効率な行動だ。
一休みして見失うか、このまま追い続けるか。それならば後者をとるべきだとマニィは判断した。
これは根比べだ。どちらが先に止まるかの勝負になってくる。
そして、それは思ったよりも決着がつくことになる。
「――止まった!」
敵はビルの屋上で着地してから飛び移らない。
観念したのか、疲れたのか、それとも……。
そんな考えよりも止まったことにカナミは歓喜し、これまでの疲れを吹き飛ばすようにあっという間にそのビルへ追いつく。
「さあ、観念なさい!」
カナミはステッキを使い、さっそく魔法弾を撃ち出す。しかし、あっさりとカミキリはかわす。
観念したのならかわさない。疲れていたならかわせない。
つまり、思いついた楽観的な理由で立ち止まったわけじゃない。
「――ここで迎え撃つために誘い込んだのか」
嫌な予感は当たった。
振り切るだけの力を持っていながら、何故追いかけていられるのか。
その答えがこれだ。
「どういうこと?」
「ここならさっきみたいに逃げ場所が無いくらいビームを撃つのは不可能だ」
「え?」
狭い路地裏なら敵が迫ってくる方向も限られてくるし、避けられる範囲も狭いため、通路を埋め尽くす魔法弾を撃ち出すのは難しいことではなかった。
だが、今は勝手が違う。広い屋上と壁に遮られないため俊敏な動きはいかんなく発揮できるだろう。
――カリツクシテヤル
仮面から漏れた声は執念に満ちており、意味は伝わらないまでも全身に寒気が走る。
「な、なんなのよ、あんた!?」
「お前の髪が欲しい!」
「はあ!?」
そして今度は意味は伝わった。だが、理解までには時間がかかった。
その隙を突かれた。距離を一瞬で詰めてからの銀色の刃による攻撃だ。
この攻撃、さっきは見えなかったが、今はおぼろげながら捉えることが出来た。
――ハサミ!
銀色に光る二つの刃が突き立てられる。
狙っているのは髪。顔ではなく髪を狙っての攻撃だ。そのことに気づくのと身を屈むのは、ほぼ同時だった。
身体を横転させて、攻撃を避けると同時に敵を向く。
追撃が来ない、今の横転から立ち直るのは一瞬ですませたが、それでも高速で動けるカミキリにとっては致命的な一瞬になったはずだ。
だが、それがこない。
その理由はカミキリが手に持っているモノにあった。
カミキリはその手に持っているモノを満足気に眺めている。
それは細く長い金色の毛。カナミの背中まで伸びている毛と同じ金色の毛。それを笑顔で見つめている。仮面越しだが、雰囲気でわかる。
――あれは間違いなく笑顔だ。
「フヒヒ、フヒ……」
気味の悪い笑い声。はっきり言って気持ち悪い事この上ない。
「な、なんなのよ!? 俺の髪がなんだっていうのよ!? そんな目で見ないでよ! 何がそんなに嬉しいのよぉぉぉッ!!?」
――髪、これほど素晴らしいものが他にあるか?
ゾクリとする返事。恐怖とはまた違う寒気で背筋が凍りそうになる。
「長く細く、弱々しくも輝かしい。これほど神々しく、素晴らしいものだぞ! 髪の毛!」
仮面でくぐもっているのが嘘のようにはっきりと伝わってくる。
カミキリの執念と愛情が合わさった声。思わず後ずさるほどの気味の悪さ。そして、男は満悦顔で仮面から出ている頬を撫でる。
「この感触……! 一本一本が俺を後押ししてくれるようだ! なめらかで艶やか……うーむ、最高だよ!! やめられない!」
「これは意外だったね。彼の狙いはケースじゃなく、君だったみたいだ」
「い、いや……!」
悲鳴であった。アタッシュケースが無ければこの男の気味の悪さから逃れるべく全速力で立ち去ったであろう。
「……もっと触らせろ」
一歩迫る。
「――もっと切らせろ」
また一歩迫る。
その一歩ごとにカナミは一歩下がる。
「俺に髪をよこせぇッ!!」
そして血走った目と共に一気に走りだす。
「来るな! 来ないで!」
もう我慢の限界とカナミは悲鳴を上げ、ありったけの魔法弾を撃ち出す。
だが、カミキリはあっさりとかわす。さっき路地裏で使ったビームよりも大きいビーム。だが、それも広い屋上だと意味を成さなかったようだ。
ビームをかわしたカミキリは、ハサミの一撃を入れる。
「あうッ!?」
ハサミは頬をえぐり、髪を引き裂く。
「か、髪が……!」
背中まで伸びた髪をバッサリとやられた。
「フヘ、ハフハヒヒヒヒッ!!」
笑い声が夜空へ木霊する。
「このぉッ!」
それを聞いて、恐怖よりも憎たらしさの方が勝まさった
範囲の長いビームを放つ!
だが、それでもカミキリは回り込み、かわしていく。
「もっと! もっとだ! もっとよこせ!」
カミキリは雄叫びを上げて、追撃をかける。
「あうッ!?」
今度は額から頭上にかけて大きく切り裂かれる。
「まずい、このままじゃやられてしまう。一旦退却するべきだ」
「退却なんて……出来るわけないじゃない!」
カナミはそれでも倒れず、ステッキを夜空へと掲げる。
「ここまでやられて、黙ってやられるかってのよ! 神殺砲!」
ステッキを大砲へと変化させる。
「それでも当たらないと思うけど、どうするんだ!」
「こうするのよ! ボーナスキャノン!!」
凄まじい魔力による砲撃が夜空へと撃ち出される。
撃ち出された魔力の塊は夜空ではじけて、大輪の花を咲かせる。
「これは……!」
マニィがその狙いに気づいた次の瞬間、咲かせた花は地上へと降り注ぐ。
「ぐわあああッ!」
魔力砲弾による雨、というよりあられを浴びたカミキリはその場に膝をつく。
「如何に敵が早くても雨を避けることはできない、というわけか」
「思いつきでやったけど案外上手くいったわね。あとはなんか気の利いた名前をつけなさいよマニィ」
「なんで僕が名づけなくちゃいけない?」
「それもあんたの仕事だからよ。ま、今はそれより……」
カナミはカミキリへ歩み寄る。
本当なら一歩も近づきたくないのだが、今は仕事と割り切るしか無い。
一億のためなら私情を捨てる。ある意味、この仕事に対して一番熱心に取り組んでいるのはカナミかもしれない。
「さあ、観念しなさい! もうあなたに勝ち目ないわ!」
「ぐ、ぐぉぉ……!」
カミキリはそれでも諦めずに立ち上がろとする。だが、余程ダメージが大きいのか、芋虫のように這いずることしか出来ていない。
「諦めが悪いみたいだね」
「もう、いいわ。それよりアタッシュケースを取り戻さないと!」
カナミはアタッシュケースを拾う。
「よかったよかった! これで一億もバッチリよ!」
「その代償は高かったみたいだけど」
「どういう意味よ?」
マニィはどこからか鏡を取り出してカナミに見せる。
「あ、あぁ、ああぁぁぁッ!?」
カナミの顔は切り傷でいっぱいになっているが、それ以上に髪は切り裂かれて、悲惨なことになっている。
「く……こんのッ!!」
その怒りの矛先はカミキリに向ける。
「あんた、どうしてくれんのよ!? 私の髪! 私の髪を返しなさいよ!」
胸ぐらをつかみ上げて、グイグイ振り回す。
「お、俺は……俺、俺は……ただ切るだけだ……!」
「あん! 人の髪切っておいてそれだけですむと思ってんの!?」
「う、うぐう!」
「もうやめなって。もう気を失っている、これ以上やると君の方が悪党になってしまう」
「ん……く……!」
マニィの説得でカナミはカミキリを離す。
そのはずみでカミキリの胸元から一束の髪が落ちる。
「なに、かしら……?」
人の髪に興味はない。ましてや、この変態の胸元に入っていた髪ならなおのこと。だが、それでもカナミはそれを取り上げざるを得なかった。
「あ、今はそれよりケースね、ケース! 遅れたらそれどころじゃないし!」
「それなら連絡した方がいいね」
カナミは携帯を操作してあるみに連絡を入れる。
「君に代わって欲しいってさ」
「え、ええ?」
カナミはマニィから携帯をもらう。
「もしもし、社長?」
『そっちは上手くやったみたいね』
「ええ、そうだけど……」
『こっちも大丈夫よ、無事ケースはみあちゃんが送り届けてくれたわ』
「え? じゃあみあちゃんが本物を持ってたんですか?」
『ええ。まあ、誰を髪裂きカミキリが襲うのかまではわからなかったけどね』
「誰が襲ってくるのかわかっていたんですね?」
『ええ、そいつの拠点の襲撃したのは私だしね。だから、念の為に一本余計にとっておいたからね』
「え、一本余計に……ってどういうことですか?」
『私が持ちだしたのは二十一本……渡したのは二十本ってことよ』
「え……それじゃ、あるんですか?」
『そういうことよ。でも、これ高いのよね?』
「え?」
『ま、カナミちゃんも頑張ったわけだしね。今回のボーナスはこれで手をうってあげるわ?』
「……え?」
電話越しでニッコリと悪魔のように微笑むあるみの顔が思い浮かぶ。
「ぼ、ボーナスって……?」
『今回は大サービスではずむつもりだったけど、カナミちゃんにだけの特別サービスよ』
「ちょ、ちょっと待って下さい! 大サービスっていくら出すつもりなんですか!?」
『あら、カナミちゃんは髪よりもボーナスの方が大事なの?』
「え、いえ、そういうわけじゃないですけど……でも、ボーナスと天秤にかけろだなんて……!」
『でも、これはその軽く十倍以上の値打ちがあるのよ。それに魔法薬だから効果はバッチリよ。』
「で、でも……!」
カナミの中で天秤が揺れる。
この戦いで失った髪はそう簡単に戻っては来ない。それこそ魔法の薬でも無ければ……。
でも、それは今ボーナスとしてちらつかせられているキャッシュを手放せといっているようなもの。
髪か……キュッシュか……
なんて酷い二択だ。
こんなのどっちも選びたいに決まっているじゃないか。
悔しさのあまり、歯ぎしり、拳を握り震わせる。
とても魔法少女という可憐なイメージに相応しくない姿で、カメラが回っているのなら間違い無く編集でカットしているところだ。
『どうするのカナミちゃん? 私はどっちでもいいのよ?』
ただ、それでも決断は迫られる。
悪魔から提示される二択。
下さなければならない、決めなければならない。
この二つから選ぶとすれば……!
「わ、私は……!」
カナミはありったけの想いを込めてその場で叫んだ。
「雨また降りましたね」
翠華はオフィスの窓を見つめて言う。
「いいんじゃないの、一切合切洗い流してくれるんだから」
あるみは歌うように言う。
「水に流すって言いたいんですか?」
「そうそう! さすが翠華ちゃん、上手い言い方するわね!」
「別に普通だと思いますけど」
「フフフ」
「楽しそうですね」
「ええ、楽しいわよ。かなみちゃんがあんな選択をするなんてね」
「人が悪いですよ。ボーナスだったら両方挙げればよかったのに」
「それはできないわね……」
「あの育毛剤が高価だからですか?」
「それだけじゃないんだけどね、フフフ」
この人は何を考えているのか……時々、得体のしれない部分を感じる。
だけど、不思議とそれが魅力に思えてならない。秘密がちらつかせるということは、それだけで女性を魅力的にしてしまうものなのか。翠華はそう考えずにはいられなかった。
「ああ、もう! いきなり降るなんて!」
「また傘を忘れるからだよ」
ずぶ濡れのかなみが入ってくる。
「しょうがないじゃない! だって天気見れないんだから!」
「そんなんだったら、素直に百万受け取ればよかったじゃないか」
濡れた髪は艶やかな輝きを放っている。昨夜のカミキリに傷つけれ、バッサリとやられた跡は一切残っていなかった。
「仕方ないでしょ、髪は女の生命なんだから!」
「なるほど、生命はボーナスで支払ってもらえるものなのか」
「うっさい! うちはおかしいだけなんだから!」
「なーにーがーおかしいって?」
「しゃ、社長!?」
いつの間に、と翠華は思った。あるみは一瞬でデスクからかなみの目前にまで移動していた。とはいっても、そこに驚きこそすれ不思議には思わない。何故ならそれがあるみ社長だからだ。
「い、いえ、何もただ、生命はボーナスで支払ってもらえるものだね~って話ですよ!」
「あら、そう。だったら大事に使わないとね。せっかくの生命なんだから」
あるみは笑いながら、デスクに戻る。
「せっかくの生命、か……」
「かなみさん、また濡らしちゃったの?」
「あ、翠華さん。おはようございます」
今頃、私に気がついたのかしらと翠華はその挨拶に一瞬悩まされる。
「ごめんなさい、昨日せっかくとかしてもらったのに……台無しにしちゃって」
「ううん、全然いいのよ。あなたのおかげで仕事が上手くいったんだから……私の方が感謝しなくちゃいけないのに」
「い、いえ、そんな必要ないですよ!」
「でも、髪をとかす必要はあるわね」
「……え?」
「またとかさくちゃいけないでしょ?」
「え、えぇ、はい、……でも、いいんですか?」
「いいのよ」
翠華は頬を赤に染めながら笑って答える。
――かなみさんの髪は綺麗なんだから、そのままにしておいた方がいいわ
昨日の翠華の言葉が脳裏をよぎった。
この言葉があったから、あの時、かなみは迷いながらも髪を選んだのかもしれない。そのおかげでボーナスを失ってしまったのだから、複雑な心境なのだが。
「はあ~気持ちいいわ」
だけど、こうしてドライヤーをかけてもらって髪をとかしているこの時をくれることには感謝したい。
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