第二話 内藤
「う~ん……」
俺はIHクッキングヒーターの前で頭を抱えていた。
(いったい全体、なんでこんなことになってんだ……?)
リビングのテーブルでは洋介が、佐竹に見てもらいながら今日の宿題をやっている。
洋介は俺の弟。今年小学校に入学したばかりの七歳だ。ぶっとい4Bの「かきかた鉛筆」で、「たんぼの、たー」とか言いながら、ゆっくりとプリントに漢字を書き込んでいる。
その横に、ひとりの男子高校生が文庫本を片手に座っている。今まで同じクラスだったにも関わらず、ほとんど話したこともなかった
見てくれはすこぶる良くて、背は高いし、ちょっと怖くて近寄りがたい雰囲気はあるけど十分男前だし、じつは女子のファンも結構多い。
今風にいうなら「イケメン」と評したいところなんだけど、どうもこいつにその単語は似合わない。どこかがこう、時代劇風というか立ち居振る舞いがきりっとしすぎてるというか、とにかくちっとも今風じゃないんだ。
男の俺から見ても「ちぇっ、かっこいいなあ」なんて思ってしまうことがあるぐらいだから、女子にもてるのなんて当然か。
とはいえ、とてつもない勇気がなければこいつに「告白」なんてできっこない。
確か一年ぐらい前、女子から告白されたとき、こいつは速攻で振ったらしい。だが、その時のこいつの台詞が、いまや校内で伝説にまでなっているのだ。
『あんたと俺がつきあうことに一体どんな意味がある? 五百字以内で説明してくれ』――。
(おいおいおい。告白してくれた女の子に向かって、いくらなんでもそれはないでしょー!)
と、俺だってそう思ったものだ。
ま、とにかく。
以来、うちの学校の女子の中にはこんな奴に告白しようなんて「
そりゃそうだよな。
どんなに見てくれが良くたって、このいかにも他人を寄せ付けない感じはさあ。付き合うにはちょっとつらいと思う。
別に悪い奴でもなさそうなんだけど。なんていうか、どーも普通の高校生が付き合える相手って気がしないもんね。
だからって年上のお姉さんがたなら扱えるかっていうと、それもどうなのかな~とは思うけど。
「料理中に、人の顔を見て百面相か。面白い趣味だな」
いきなりそう言われて、ハッと我に返った。
佐竹が半眼になっている。
「あっ、ごっ、ごめ……」
「俺より芋のほうを見ていろ。油断すると焦げるぞ」
言ってその強面野郎はまた文庫本に目を落とす。
何を読んでいるのか、俺なんかにはさっぱりわからない。だけどとにかく全然知らない作家の、全然わかんないテーマの本だということだけは分かる。
ああ。言葉にしてみると、なんだかものすごくなさけない。
結局あれから学童までついてきて、佐竹は洋介と一緒にうちまでやってきてしまった。理由は「芋の煮方の指南」だそうだ。
それだけ見れば親切な奴なのかなとも思うんだけど、何しろ態度がなんなので、ちっともそういう風には思えない。
(ただの高校生だよな? なんでこんなに態度がでかいんだよ、こいつ……)
最初、学童にいきなり現れた背の高い高校生を見て、洋介はびっくりして固まっていた。でも、すぐに慣れたようだった。今はなんだか楽しそうにドリルの計算なんか教えてもらったりしている。子供の順応性ってすごい。
だけどまあ、やっぱり悪い奴じゃないんだろう。このちょっと引っ込み思案で内向的な弟がこれだけすんなり慣れるってことはさ。
それに。
佐竹はうちに上がるやいなやこう言った。
『手を合わさせてもらっても構わないか』
そりゃまあ、クラスメートなんだから知っていて当たり前なのかも知れない。だけど俺はやっぱり驚いた。だいたい普通、高校生がいきなりそんなこと言うか?
俺の許可を取ると、佐竹は和室に入って仏壇に手を合わせてくれた。
正座して手を合わせてる姿がまた、堂に
「ありがとな」ってちょっと頭を下げたら、そのまま向き直って一礼してくれたけど、どうってことないうちの和室にどこの剣士がいるのかと思ったよ。
こいつはきっと、日本の武道のどれかをやってる。多分だけど。
そうだな、剣道じゃないのかな。
ともあれ、佐竹が母さんの位牌に手を合わせてくれたのは嬉しかった。
母さんが死んで、もう二ヶ月になる。
交通事故って、本当にあっけなく人の命をもってっちまうよな。
初七日が明けて登校する日、父さんは「このまま部活を続けてもいいんだぞ」って言ってくれた。だけど俺は断った。やっぱり洋介のことが心配だったからだ。
小学校に入ったばかりってこともあるけど、洋介はまだ、母親が死んだことを受け入れられていない。
そんなの当たり前だ。こいつは、たったの七歳なんだ。俺だって、まだ「受け入れられた」なんてとても言えないんだから。
だって、いまだにときどき呼びかけそうになる。洗濯物なんか取り込みながら、ふとキッチンのほうを振り向いて「あ、母さん」なんてさ。
そんな時は、もう本当に、心から洋介がいてくれてよかったと思う。
そうでなかったら、俺は……こうやって普通に学校行ったり、料理したり家事やったりだなんて、とてもできてなかったと思うから――。
精神的に不安定になった洋介は、頻繁に
最近では、登下校時の子供を狙った犯罪も増えている。こんな状態の弟を遅い時間までひとりで放っておくなんて、できるわけがなかった。バスケは本当に好きだったし、大事な仲間たちだっていたけどさ。やっぱり仕方ないって思った。
(そうか。こいつ……)
俺はやっと気がついた。
佐竹は多分、俺が「部活を辞めた」って言ったとき、ちょっと前に忌引きで休んでたことを思い出したんだろう。
その上でいろいろ心配……ってのが言いすぎなら、まあ気を遣ってくれたのだ。
だからわざわざ家までついてきて「芋の煮方を指南する」と言い、家に上がるやいなや仏壇に手を合わせてくれたのに違いない。その上、意外にも──なんて言うとまた怒られるんだろうけど──結構手際よく料理なんかもやってくれた。
「やっぱり、ちょっといいやつなのかも」と、その時思った。
……でも。
(まっ、俺はやっぱり……怖いけどさ)
「焦げてるんじゃないのか」
そう、この低い声がまた怖い。
これが高校生の声かっつーの。
(って。……え?)
なんか、変な臭いがするような。
「うわ! マジ!?」
一気に現実に戻された。
結局その夜の夕食は、失敗して焦げまくった芋の煮っ転がしになったのだった。
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