#3 ある無名インターネッツ物書きのサークル

 穐山と白滝は文芸サークルに所属している。

 文芸サークルと言っても、所属している部員たちは常日頃から純文学を読むわけでなく、ましてや作品論や作家論について日夜熱い議論を交わす、といったこともしていない。

 気の向いた時にフラフラと現れては世間話や雑談をしたり、持って来た小説を読んだりしている者もいれば、携帯ゲーム機やスマートフォンのゲームに興じたりしている者もいる。むしろこの方が多数派だ。

 文芸サークルとは名ばかり、その実態は時間を持て余す学生たちの溜まり場と化している。部室には誰かのイヤホンから漏れて聞こえる電波ソングと、狩り系ゲームによる敵を切り裂く派手な音声が絞られた音声で混じり、取り留めもないBGMになっている。

 だがこの緩い空間の中、部室に設置されているPCと向き合い、ひたすら小説の執筆に打ち込んでいる人物が一人だけいる。穐山だ。

 彼はいつもデジタルメモを持ち運びしているため、そちらでも執筆出来ないわけではない。しかし端末サイズの都合上キーボードが小さく打ちにくいのと、変換機能がPCに劣っているため、PCで作業を進める方が圧倒的に効率が良かった。

 データはUSBケーブルを繋げればやり取りが出来るため、デジタルメモで書いていたものをPCに移せるし、PCで加筆したならそのデータも移せる。実に文明的な執筆方法を彼は採用していた。

 そんなわけで真摯に執筆作業に取り組む穐山からは、タタタタとキーを打鍵音が響いては止まりを繰り返しており、彼が部室に来てから一時間半はこの状態が続いていた。

 しかし突然ピタリを手を動かすのを止めて、腕を組み「ウーン」と唸ると、首を傾げて振り返る。

「やはりこの状況はおかしい」

 文庫本を読んでいた名藤なとうは唯一穐山の不満混じりの一言に顔を上げて反応した。彼女は穐山の一学年下の後輩であり、文芸サークルの数少ない女子メンバーである。

「はぁ。いつもこんな感じだと思いますけど」

 その他の部員たちは耳を貸すことなく各々の世界に没頭しており、穐山は彼らへ冷めきった顔で無言の一瞥をくれてやった。娯楽に勤しむ一同は彼の軽度の顰蹙を買っているのを知覚するわけでなく、何食わぬ顔で躱す。

「……名藤、ここは何のサークルだったか」

「文芸サークルです」

 彼女は読みかけの文庫本に栞を挟みぱたんと閉じると、穐山に表紙を向けて突き付ける。特に怒る様子もなく突き付けて来るので、逆に威圧感を漂わせている。

「いや、名藤のことを言ってるわけじゃない。むしろお前は積極的に活動してくれている方だ」

「そうですか、ただ読書に明け暮れているだけですが」

「実に模範的な文芸サークルメンバーのスタイルだと思う。何なら喝采を送ってもいい。頼むからここを出るまでは、変わらないお前のままでいてくれ」

「はぁ」

 切実に訴える穐山とは相反して、名藤は危機感を微塵も感じておらず、気の抜けた返事をした。彼女は無気力というわけではないが、決して情熱的でもない。機械的に行うべきことを行い、余程無茶な要求でない限り手助けをしてくれるし、従順でもなければ奔放でもない。

 自己を持っているようで持っていない、空気のようで鉛のような、淡くも濃い不可解なメンバーの一人である。欠点らしい欠点も見当たらないのだが、強いて挙げるとするなら表情の乏しさで、サークルメンバーの一人を除き彼女の感情の変化を汲み取れる者がいない。そのため、怒っているのか楽しんでいるのかがさっぱり他人には判らないのが難点である。

「それに比べてこやつは」

 PCデスクの椅子から立ち上がった穐山は、スマートフォンのリズムゲームをしている一人の男子メンバーのもとへ忍び寄る。

 熱心に肩を揺らして音程を取っている男の姿は傍から見ると奇妙な光景である。ついでに貧乏ゆすりさながらの脚で刻むビートが地味に鬱陶しいと、サークル内でもちょっとした問題になっていた。

 だがやっている本人はそんなことなどつゆ知らず、怪しい笑みを浮かべて鍛えられた指裁きを惜しげもなく発揮している。

「お前に名藤の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいな、諸越もろこし

 リズムゲームに熱中している男子メンバーの諸越は、穐山と同じ学年である。彼はゲーム画面とイヤホンから流れる音楽に全意識を集中しているため、穐山が真後ろに立っているのに気付いていないし、サークルの現状を嘆く彼の言葉もまた微塵も耳に届いていない。

 ちなみに、部室内で微かに漂う電波ソングの発信源は諸越この男である。

「いや、想像しただけで気持ち悪いので、爪の垢も耳の垢も勘弁してください」

 先輩であるはずの諸越に歯に衣着せぬ一言をさり気なく飛ばす名藤だが、言われた当人は全く聞こえていない。ある意味で幸福な男だ。

 穐山は気配を察知されないよう、諸越の視界に入るギリギリまでゆっくりと手を伸ばす。凄まじい速度の密度で流れてくる譜面をタッチして処理しているため、ここまでやっても気付かれない。

「聞いているのかボンクラ、お前に飲ませる垢はないそうだ」

「……誰にも飲まれたくないんですけど」

 サッと手を伸ばした穐山は、諸越の持っているスマートフォンから、イヤホンのプラグを勢いよく引き抜く。同時に、滝のように流れている譜面を処理していた手が止まり、諸越は渇いた呼吸をしながら顔面蒼白になっていく。

 その間にゲームの体力メーターはメキメキと減ってしまい、ゲームオーバーになった。たった二秒か三秒くらいの出来事で、さっきまで機敏に動いていた指は現実を受け入れられず、脳内も含めてフリーズしてしまっている。

「聞いているのか諸越」

 石像のように固まった彼の腕に手を置いた瞬間だった。

「おいテメェ何してくれてんだオラァッ!」

 我に返って椅子から立ち上がった諸越は、振り返りざまに穐山の胸倉を掴む。努力を水の泡にされたことに青筋を立てて、唾を飛ばしながら詰問した。

「答えろやオラァ!」

 部室どころか周辺にも聞こえるような声量で訴えるのだが、見慣れた風景にメンバーは気にするわけでなく、さっきまで穐山と話していた名藤だけが憐れむ視線を向けている。

「お前こそ、ここをどこだと思ってるんだ」

「文芸サークルだよクソ野郎! ンなこともわかんねーのかダボ助!」

 血気盛んに問い詰めるため、穐山の顔にびちゃびちゃと唾が飛びかかる。

「だったらそのサークルの部室でゲームに興じるお前と、本来あるべき正しい姿勢で活動に臨む俺と、どっちが正しい」

「後者に決まってンだろクソ野郎! ンなこともわかんねーのかダボ助!」

 壊れたおもちゃのように同じフレーズを繰り返し、鬼の形相で迫る。

 クソ野郎なのかダボ助なのか、どちらかに一つにして欲しいと穐山は考えたが、敢えてここは受け流した。

「…………だったら、どうして俺はお前に怒鳴られているんだ」

「お前が邪魔したからだろうが! あともう少しで初のフルコンボだったんだぞ! 一番難易度が高い曲だったんだぞ! お前にこの気持ちが判るか、あぁ!? スタミナ返せ! 詫び石寄越せ!」

 胸倉を掴む手に力が加わる。

「え、ああ、なんかすまん……詫び石とかはよく判らんが……」

 気圧される穐山に見ていた名藤が後押しする。

「ちょっと待ってください、どうして先輩が謝っているんですか」

 名藤が氷のように冷たい視線を諸越に向けると、さすがに女子の後輩に指摘されてはまりが悪いと目線を逸らして、歯がゆそうに口をもごもごと動かしている。

「そういえば諸越先輩、で提出するはずの原稿。進捗はどうなんでしょう」

「ふ……筆が乗らねえんだよ」

「同じことを去年の学祭前にも聞きました。ついでに去年のブサフェスでも」

 『ブサフェス』という単語に、諸越は都合の悪いことを訊かれたと舌打ちをする。今の今まで彼は『ブサフェス』というイベントの存在を完全に忘れていたし、自分が作品を提出しなければならないことも忘れていた。

「原稿を書かずに遊ぶゲームは楽しいですか。編集するのが誰か、知らないとは言わせませんよ」

「ニートを養う親みたいに言うんじゃねえ!」

 他の部員そっちのけで冷戦が繰り広げられるが、いつの間にか戦う相手が入れ替わっており、穐山は蚊帳の外になってしまっている。このまま放っておくのはさすがにいかんと彼は仲裁に入ろうとするが、冷徹にあしらう名藤と逆上した諸越の口論は収まらない。

 そこに勢いよく扉を開けて現れた闖入者は、二人の冷戦を強制的に中断させるが如く、豪快に部室へ入って来るなり全員に向けて挨拶をした。

「おっつかれ~! 映像資料を観る講義って楽でいいんだけどさー、途中から眠くなるよね~! うっかり半分くらい寝ちゃって感想文が…………なにやってんの?」

 目の前で睨みあっている二人にポカンとした闖入者は、文芸サークルのエースこと白滝だった。


 ブサフェスというのは文化部サークルフェスのことで、穐山たちの大学で年に一度行われている小規模イベントである。口頭で正式名称を言うと長いので、いつからかこのイベントはブサフェスという誤解を招きそうな名前になった。

 顔がアレな人たちが何かを競い合うとか、決してそういうイベントではないので留意して欲しい。

 このブサフェスに文化部サークルにあたる文芸サークルも毎年参加しており、メンバーたちによる新作の小説、詩、短歌、俳句などが発表されている。ただし文芸サークルにポエマーも平安貴族もポスト松尾芭蕉もいないため、発表されているのはいつも小説だけで、詩や俳句は数年に一度にしか現れない。

 開催は今月末のため、文芸サークルの面々は急ぎ原稿を書き、印刷と製本作業に取り掛からなければならない。また悲しいことに、彼らのサークルは小規模で資金もないため、製本までの作業をハンドメイドで行っている。

 だからこそ誰かの執筆が送れると製本作業まで遅れてしまうため、最悪の場合徹夜でひたすら製本作業という、指先の乾燥と戦い続ける地獄を見る羽目にもなってしまう。

「で、二人の進捗は?」

 全員が落ち着きを取り戻し、ついでに穐山が顔に吹っかけられていた唾を手洗い場で洗ってきたところで、白滝が報告するよう促す。訊ねた彼女はと言うと、一週間前には完成していた。

「俺はもう完成間近だ。あとは加筆修正するだけだし、批評会にも間に合うと思う」

 既に出来上がりそうだと報告したのは穐山で、さっきまでやっていたPCでの作業も、ブサフェスに出すための作品の執筆だ。完成した作品はサークル内の批評会で批評され、そこでの感想をもとに加筆修正を加える場合もある。

 初稿が出来上がると書き手自身による加筆修正を行い、次に批評会で更に修正を加える。そうして二度修正を加えたものがイベントなどで発表されるのが、文芸サークルでの一連の流れとなっているのだ。

「あとは結末だけだな。どういうオチにするか」

「さすがアッキー、課された仕事はこなすってところが、いかにも職人っぽいねぇ」

 うんうんと頷きながら賞賛するが、特に心を込めてはいない。

「ウワーヒエダセンセイ、サスガッスネー」

「アッキー言うな。そして諸越、そっちの名前ペンネームで呼ぶんじゃない」

 二人とも『穐山』と呼ぶつもりは毛頭ない。

「じゃあアッキーは問題ないねー。諸越くんはどーよ?」

 白滝が諸越に目を遣ると、彼は始末が悪そうな顔をして答える。

「……千文字くらいは書いた…………はず」

「は……? 千字?」

 思わず穐山が呆れた声を洩らす。

 ブサフェスなどのイベントで発表する小説は原則的に短編とサークルで決めているが、明確な字数までは定めていないため、各々の裁量に一任している。が、短編と言えど大抵のここのサークルの書き手は一万字前後を目安に書くので、諸越の千字しか書いていないというのはあまりにも少ない執筆量となる。

「はずってことは、原稿の存在すら忘れていたんですね」

 やり取りを見ていた編集担当を務める名藤がすかさず指摘する。

「オイ、この後輩鋭いぞ」

「……図星なのか」

「ただでさえ書き手の数が減ってるんですから、さっさと書いてサークルに貢献してください。頭数揃えるだけでも違うので」

「頼むのか罵るのかどっちかにしろよこの後輩は!」

「まーでも、なーちゃんの言う通りだよ。書き手が減ってくばかりで、配布冊子も薄くなるばっかりだしさー。わたしたちが入部した時は書き手も多かったし、冊子だってもうちょい厚かったはずなんだけどねぇ。どうしてこんなに減ったんだろ」

 穐山は彼女の疑問に対する答えをすぐに頭の中で導き出していた。元々文芸サークルには同人活動や文芸雑誌に投稿している書き手もいたのだが、年月を重ねるごとにメンバーの意欲が削がれて退廃的な空気になってしまったのが最もたる原因である。

 サークルに入っても娯楽に興じるばかりのメンバーを目の当たりにした意欲ある新入生たちは、堕落した彼らを見切っては次々と姿を消し、結果一握りしか残らないという悪循環に陥っている。そのため穐山達が三年次になる頃には、書き手が全体の三分の一までに減ってしまっていた。

 問題は書き手が減少した原因を穐山以外が自覚していないことにある。

「どしたの、急に難しい顔なんかしちゃって」

「……いや何も。それよりも諸越はどうするんだ、このままは批評会どころか原稿を落としそうだが」

「もう恒例行事になっているので、特別驚くことでもありませんが。素直に原稿を落とすのと地下室で監禁されるの、どっちがいいですか」

「え? うちの大学地下室とかあんの……?」

 恐る恐る後輩に訊ねる諸越。

「間違えました、土の下で生き埋めにされるとどっちがいいですか。ちなみに原稿を落とすと自動で生き埋めにしますが」

「どっちも生き埋めじゃねぇか! わかった書くって書きますよって! っつーか名藤の場合、本当にスコップ一本で生き埋めにしてきそうで怖いんだよ!」

 元々地を這っていた諸越の地位が更に落ち、下水道辺りを駆け巡る。どちらが先輩で後輩なのか判らない。

「諸越、今回はどんな話を書くつもりなんだ」

「あぁん? 恋愛系だよ、ラヴストーリー。ヤバいぜ、携帯小説超える」

 親指を立てて意気揚々に言ってのけるが、この男は締め切り前にしてまだ千字しか書いていない。

「むしろ超えてないとマズイからな……」

「諸越先輩って恋愛経験なさそうですけど、恋愛系の話なんて書けるんですか?」

 サラリと毒を混ぜながら尋ねる後輩に、言われた側もさすがに頭を抱えた。

「このナチュラルポイズンめ……。いいか名藤、異能力バトル系漫画を描いてる漫画家が、全員異能力での戦闘を経験したことがあるとでも思ってんのか?」

「さすがにないと思いますけど……」

「まー異能力バトルとかじゃなくてもいい。世の中にはいろんなジャンルの創作があるわけだが、中には綿密に調査だの取材だのして創ってるものもあるわな。経験を基に書いてるものだってあるだろうし」

 柄にもなく創作論について語り始める諸越に、耳を傾ける。

「だけどさ、創作ってのは妄想の産物なわけよ。そりゃ必然的に調査だの考証だのが必要になるモンもあるが、オレはそんなモン書かん。小難しい話を書けるほど頭も良くねえしな」

 頭をポリポリと人差し指で書きながら続ける。

「だけどバトルとか恋愛って妄想が出来る範疇だろ? こういう展開でバトりたいとか、こんな恋愛がしてみたいとかよ。全部妄想からのスタート。創作なんだから、別にリアルにこだわンなくてもいいじゃねえか。だってオレの妄想であって創作なんだからよ、詰め込んで考える必要ねーってこった。他人からどう言われようが知ったこっちゃねえし」

 名藤は「なるほど……」と感心して手を打つ。

「諸越先輩でも珍しくいいこと言うんですね。まるで文芸サークルの一員みたいです」

「一員だっつーの! これでも三年目だからな!」

 口こそ悪いが穐山も、そしてエースの白滝ですら、ホウと感嘆する言い分である。何も考えておらず、ろくに活動もしていないように見えて、この男は実のところそこそこの実力や考えはあるのだ。

 筆が遅いのとほとばしるやる気のなさが、実力を相殺するどころかマイナスに陥れてしまっているが玉に瑕である。そんな彼には一部の隠れファンがいるのだが、本人はそんなことを知る由もなく、日々娯楽に身を投じて生きている。

「物語は妄想から始まる。だから経験したことがなくても、恋愛系だって書けンだよ」

 ケッと吐き捨てるように言うと、仕方ないとばかりに諸越は空いている作業用PCの方へフラフラ向かう。溜息を吐き、文句や呪詛の独り言をこぼしつつも、律儀に作業を開始した。

 そんな彼の背中を見ている名藤が、少し嬉しそうな顔をしたのを見逃さなかった穐山もまた、諸越に続いて作業を再開する。

「職人たちの背中はいいね~。漢って感じがするねぇ~」

 残されて頬杖をついている白滝は愉快そうに二人を見守りながら、原稿の修正を始めたのであった。

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