#2 ある無名インターネッツ物書きの昼食
無名インターネット物書きである穐山の朝は別に早くない。
大学三年になってから受けている講義の数も減った彼は、起床時間も遅くなった。遅い時は昼前に起きて、朝食と昼食を兼ねて食べている。朝早くに起床して、寝ぼけ眼で授業に赴いていた日々も久しい。
彼はいつも起きるなり、小説投稿サイトをチェックしている。自分の小説がどれくらいの人に読まれたのかを確認するためだ。起床して一回、大学に到着してから一回、一日の授業が終わった時に一回、帰宅してから一回、寝る前に一回。穐山は一日に五回は自分の作品の閲覧数を確認する。
これが一向に増えていないので無意味なのだが、もはや習慣と化しているのでやめられなかった。
午後から授業が入っていた穐山は、この日午前十時三十分に起床するなり、毎朝の恒例行事を済ませる。
「……増えてない」
いつものことではあるが、寝起きで見るには心的ダメージが大きく心臓に悪い。
深く息を吸い込んで吐き出し、布団からぬるりと抜け出して着替える。着替えながらテレビとハードディスクレコーダーを起動し、録画していた深夜アニメを再生する。頭の中に残っているトップランキングの作品たちを直ちに忘却するためだった。
「猫も杓子も似たようなものばかり書きやがって。なーにが異世界だ転生だコラ。馬鹿の一つ覚えかよ、似たようなタイトルばかり付けおって。転生したらナマコになちまったくらいものでも書いとけって話だ」
OPとCMを三十秒送りにしながら、見えざる敵に向かってグチグチと文句を垂れる。こんな文句を言ったところで、穐山の小説が評価されるわけではない。だが悲しいことに、これが彼にとってのささやかなストレス解消法なのだ。
テレビ画面には可愛らしい女の子たちがキャッキャウフフと戯れている。日常系アニメを視聴している時が、穐山にとって最も心落ち着く瞬間だ。何も考えずに視聴でき、この世の美しい部分だけを切り取ったような、そんなアニメが好みなのだ。
彼女たちの世界には争いもなく、競争もない。穏やかな時間と優しい空気が包み込み、健気に頑張っている彼女たちを支えている。穐山が望む理想の世界そのものだった。
半分残っている煎餅を齧りながら急須で入れた煎茶を流し込むように飲みつつ、HDDに溜まっている他のアニメも消化していく。朝食兼昼食を大学の食堂で食べるにしても、ピーク時が過ぎてからでいいし、講義にも間に合う。家から大学までは徒歩十五分圏内のため、公共交通機関の時間を気にする必要もない。
一頻り観て時刻を確認すると丁度良い時間になり、ようやく外出する。穐山の生活リズムはいつもこんなところだ。外出時での小説執筆に使うデジタルメモ端末をバッグに突っ込み、のらりくらり家を出たのは午後一時になってからのことだった。
「いや~奇遇だねぇ。まさかわたしのいる時間を狙って来てくれたの?」
食堂の入り口付近の席に座っていたのは、間違えようもなく白滝である。昼食は既に食べ終えた彼女はゆったりと食後のコーヒーを飲んでいたが、見覚えのある背格好を見るなり、周りの目など気にすることなく大きな声で呼び掛けた。
穐山と彼女は同じ大学に通っている。更には同じ学部であり、同じサークルに所属もしている。どちらかが意図的に行ったわけでなく、三度か四度の偶然が重なって起きた奇跡だ。
宿敵としては十分過ぎる程に天文学的確率を乗り越えた偶然を得た彼らだが、当の穐山は宿敵が行く先々に現れることへあまり快く思っていない。白滝はというと彼を歯牙にも掛けていないため、宿敵というよりもただの腐れ縁と捉えている。
「今日は表のラーメン屋で食うことにしよう。豚骨、ああ今日は豚骨な気分だ」
踵を返そうとした穐山だが、飛び出すように席から立ち上がった白滝に腕を掴まれ制止されてしまった。
「まーまーそう過剰な塩分を摂取しなくとも。成人病になっちゃうよ」
「気が変わったんだから仕方がないその手を離せただちに離せ」
振り解こうとするが逃れられない。彼が貧弱体質なのに加えて、掴んでいる側がやたらに怪力だからだ。一歩踏み出そうにも足が前へ進めず、穐山の右足は
「こんなに可愛い女の子が一緒にお昼ご飯食べてあげるんだよ?」
「自分で言うな!」
「とかなんとか言っちゃって~! このこの~!」
「本心だ!」
そんなやり取りをしばらくしていたが、観念した穐山は渋々白滝が取っていたテーブルの席に着いた。騒ぐ二人に食堂の学生が注目し、集まる視線に耐えられなかったからである。
ただし白滝は微塵も気にしてはいない。
「結局こうして付き合ってくれるんだからツンツンデレデレだよね~」
「流行りの言葉覚えたての昭和生まれか」
「まぁまぁ、引き留めちゃった代わりにお昼ご飯奢ったげるよ。はいこれ」
彼女はバッグをガサガサと漁ると食堂の半券を一枚取り出し、それをビッと爪先で弾いて、対面に座っている穐山の方へ滑らせて渡す。
「立場が逆な気もするが……
昼食代が浮いたことに内心ラッキーと思っていた彼だが、半券に印字されている文字を読むなり顔が歪んだ。
「……カレーうどん」
この日穐山が着ている服は、白いシャツだ。
うどんの汁が飛ばないよう注意を払いながらどうにか食べ終えた穐山の額には、大粒の汗が浮かび上がっている。カレーが辛かったからではない、シャツが汚れないよう気を遣って食べたせいだ。
「そんなになるなら食べなきゃよかったのに」
「出費は極力抑えたいんだ。アルバイトなんてする暇があったら執筆時間に充てたい。だから、もらえるものはもらっておく。働きたいやつは働けばいい、どうせ大学を出たら死ぬほど働かされるんだ。学生の間だからこそ使える有意義な時間を労働に費やすのは御免だね」
こういう考えもあって、基本的に穐山は倹約家だ。
彼が啜っている熱々の茶は、食堂に置いているやかんに入っているものだし、食堂のメニューも学生向きの低価格に設定されている。だから穐山にとってこの食堂は、天国のような場所の一つに登録されていた。
「こりゃ~高尚なこと言ってくれちゃうね~。でもカレーうどんが嫌なら言ってくれればよかったのに。他にもいくらだって代えはあったしさ」
テーブルに肘をついていた白滝が再びバッグを漁ると、中から数枚の食券が出てきた。カレーうどんだけでなく、ラーメンやカツ丼、唐揚げセットに日替わり定食といった様々なメニューが印字されている。
「他にあるなら先に言ってくれ……絶対わざとカレーうどん選んだろ。というか、どうしたんだその食券たちは」
ざっと二千円から三千円分の食券だが、わざわざ買い溜めておくものでもない。繁忙時には販売機も込むが、当日限りのものでもないし、ピークを過ぎれば並ばずに買える。
「大学の本屋でキャンペーンやってたの知ってる? 千円以上購入した人が引けるクジ」
「あー……コンビニみたいなことやってたな」
「たまたま本屋でお菓子と不足してた文房具買ったら千円超えててさ、クジ引いたら食券当たったんだよね~」
「そこは店員も本を買って当てて欲しかっただろうな」
「置いてるものを買ってるんだからいいじゃない」
かくして偶然にも食堂の食券五千円分という豪華な景品の一部は、穐山の昼食となり胃に収まった。尚、彼女が引いたのは三等のアタリであり、二等は多いのか少ないのかが微妙なストレージの音楽プレイヤー、一等は図書券一万円分と本屋らしい妥当な景品になっている。
中には一等の換金目当てでクジを引く不届きかつ大学生にしては知力の足りていない残念な学生もいるが、クジの中身は九分八厘がハズレになっている仕様なので、玉砕をする確率の方がかなり高い。これを知っている本屋のスタッフが裏でほくそ笑んでいるのもまた
「でも運がよかったじゃないか。しばらく食費が浮くだろうし」
「まーそうだね。ツイてた」
ツイてた、という言葉に顔所は引っかかりを覚える。
白滝はテーブルの下で足をぶらぶらさせて、二ヶ月前にあったとある出来事を思い出していた。
「春にサークルの新入生勧誘やってた時にさ、話を聞きに来てた新入生の中にわたしのファンがいたんだよね。しかも女の子。どう、羨ましいでしょ?」
ニヤリと自慢げに言うが、穐山は気に留める様子もない。
「……お前の唐突な話題の切り出しには慣れたからな。勝手に続けてくれ」
促された彼女は回想しながらぽつぽつと話していく。
「好きな物書きが同じ大学にいるからって喜んでたんだよね。しばらく話してたら、その
前のめりになり、空になったコーヒーのプラスティックカップを弄びつつ話す白滝だが、正面に座っている穐山の視線からだと彼女の胸元の谷間が見えている。
この無防備に気付いた彼は己の色欲を悟られまいと視線を逸らして、残っている茶を啜り話に耳を傾けた。
「でもその新入生はうちのサークルに入らなかったんだろう。小説を書ける貴重な人材だったのに、勿体ない」
もしもサークルに入っていたなら互いに知った名前であり、わざわざ名前を伏せる必要もない。つまり彼女の相手をした新入生は入って来なかった見知らぬ誰かだと穐山は察していた。
「その娘にね、わたしの小説が人気出たのは『運がよかった』って言われてさ。んで、なんとなくカッチーンって来ちゃったわけで、冷たく当たっちゃったんだよね」
白滝が執筆して人気を得ているのは、美少女ハーレム異世界転生モノという、小説サイトではありふれたジャンルだ。人気なジャンルなのでこれにあやかろうと書く者も続々と現れているが、全員が成功者になるわけではない。
大量に書かれるからこそ、埋もれてしまう
彼女自身、自分の運がよかったからこそ今があるとは自覚していた。穐山のように誰からも注目されず、道端の雑草や小石のように見逃される者は少なくない。そんな中で注目されたのは幸運故というのも、皮肉ながら事実の一つなのだと、彼女は心得ていた。
「お前が癇に障る気持ちは判らんでもない。確かに芸事で大成した連中のほとんどは運で成り上がった奴の方が多い」
「でもさ――」
「だからと言って、お前は運だけで成り上がったわけじゃないだろう。死に物狂いで腕を磨いて、
努力して初めてスタートラインに立つ権利が与えられる。そこから先はまさに運次第だが、走り続けるためには日々切磋琢磨してないと置いてかれる。このことを重々承知しているからこそ、運だけが全てじゃないと言いたくて、お前はその新入生に冷たく当たったわけだ。違うか?」
問いかけに対して白滝は答えなかった。だが穐山の指摘は彼女の考えていたことに寸分の狂いもなく合致していたし、言いかけていた言葉を全て代弁してくれた。
「肯定するも否定するも勝手だ。世間話なんていつまでも念頭に置いておくものじゃない。ただ一つ言っておくなら、お前がただ運だけで今の立場を手に入れたなら、好敵手として見ることもなかったってことだ。まあ、増えるべき人材が一人減っていたのは残念だがな」
そう言って空になった湯飲みを置く。
「……好き放題知ったような口利いてくれちゃってさぁ」
「何だ、外れてたか」
「うっさいバーカ! さっさと童貞卒業しろ!」
不意打ちを食らった穐山は、胃の中にある麺が逆流しかける。
「人の性事情に口出しするな! それは今関係ないだろ!」
時刻はまだ午後十四時前である。ついでにピークが過ぎたとはいえ、ここは多くの学生が集う食堂でもある。
「まあいい、腹ごなしは出来た。俺はもう行くぞ」
そう言って食器の乗ったトレイと荷物を抱えて返却口へ向かう。
「クジの景品とはいえご馳走になったからな、礼は言っておく。ありがとう」
「あれ、でも次の授業一緒だったっしょ? それにまだ始まるまで結構時間あるし」
呼び止める彼女に穐山は小さく嘆息する。
「……トイレくらい行かせてくれ」
白滝という女は、小説を書く上でのずば抜けたセンスを持っている半面で、ずば抜けたデリカシーのなさも持ち合わせていた。
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