第四章・涙2

 高野が、史穂の机の中に写真を入れると言う、中途半端な手段を用いたせいで、発覚が少しばかり遅れた。

放課後に写真を発見した史穂は誰にも相談しないまま、そのままピロティで待っていた僕を、人のいない廊下に連れ出した。

「これ、机の中に入ってたの」

 昨日見たものと全く同じ写真が、史穂の手にあった。史穂がふるふると小刻みに震えている。

「ああ、それ高野だよ」

 馬鹿みたいに、そう教える。

「どういうこと?」

 予想通りの返答。高野に詰め寄られた時点で覚悟が決まっていた僕は、もはや史穂を怒らせたくてたまらなかった。

「昨日、その写真を俺にも見せてきた」

「だから、どういうこと?」

 イラついたように史穂が声のトーンを上げる。ぼろっと涙が零れる。悪いけど、エンが一つも厭うことなく僕の前で泣いてばかりいてくれたお陰なのか、女の子の涙を見たところで、何とも思わない。史穂が訊きたいのは別のことだろうけど、どうせ頭に血が昇っているんだから、順を追って説明してやりたかった。きちんと、僕の気持ちを理解してもらう為に。それが喩え、彼女のプライドをズタズタにしてしまうとしても。

「未だに史穂ちゃんが大好きな高野くんはね、手段を選ばなくなったんだよ。別れさせる為にわざわざ僕と先生がラブホから出てくるところを写真に収めた。で、俺が言うこと聞かなかったから、史穂の机の中に写真を入れた」

 史穂がすぅ、と息を吸い込んだ。だけど、どう詰ればいいのか解らなかったようで、吸い込んだ呼気はそのまま吐息になった。

「解るでしょ? これは合成でも何でもない。ただの事実だよ」

 もうここまで来て、隠しておきたいような真実など一つもない。きっぱりと言い切る。

「……本当に行ったって、ことなんだね」

 頷いてみせると、史穂は視線をそらして、サイテー、とひと言零した。

「これ、浮気だと思ってるでしょう」

 写真を指差して、言う。他に何がある、とでも言いたげな鋭い視線が飛んでくる。本当にこの子は視線で物を語るなあ、と感心する。本当に気の毒だけど、僕の手に残るカードは一枚や二枚じゃないのだ。

「史穂が告白してくれた時、もう僕は先生と付き合ってた。僕からしたら、史穂との方が浮気なんだ」

 史穂が目を見開く。視線に、鋭さが増すのを変に心地よく感じながら、僕は更に続けた。

「史穂には味方が多いからね。敵に回したら、面倒だって思っただけなんだ。それに」

 これが保への復讐の一部であることまでは、どうせ史穂には理解できない。とすれば史穂に開示できるカードはあと、一枚くらいだろうか。ただこの一枚こそが、史穂を黙らせるにはこれ以上ない切り札だと、確信がある。

「史穂が本当に好きなのはさ、僕じゃないよね」

 史穂に告白された時に、真っ先に思ったことがある。この子は、本当にプライドの塊なんだな、と。

 自分が真に好きな子と付き合うんじゃなくて、恥のかかない相手を選ぶんだな、と。


「史穂ってさ、ゼッタイ松村まつむらのこと、好きだよね」

 教室の中から、高い女子の声がする。距離と壁のせいで微かなものだったにも関わらず、耳がそれを抜き出してきたかのように拾った。その声を聞いて、教室に入ろうとしていた史穂の足が止まった。廊下でたむろしている一団の中にいた僕は、その後ろ姿を見ていた。女子が仲間内の誰かがいなくなると、途端にその仲間の噂を始める習性のようなものがあるのは知っていたけど、それを偶然訊いてしまった場合、どんな行動に映るのか。ちょっと興味があったから、僕を含む一団で繰り広げられているオーラルコミュニケーションと言う授業担当の中崎なかざきの発音の話題そっちのけで、教室の女子の顰める様子すらない声の方に耳をダンボにしながら、史穂の背中を見つめた。

「ウチもそれ、思ったぁ! あのコ、プライド高いからさー、『アタマいいから、石野くんが好き』とか言ってたけどさ、ゼッタイ違うよねー」

 教室内にいるあの子たちは、廊下で僕がこれを訊いていることにはまるで気付いていないようだ。耳を向けていたことに少しばかり、後悔を覚える。無駄に恥ずかしい思いをさせられた。

「当たり前じゃん。最近のあのコの口癖って言えば『松村くんってさ……』だし」

 史穂の高い声を真似た声を受けて、女子の嬌声がどっと広がる。教室のドアの手前で立ち尽くす史穂もまた、僕がいることに気付いていなかったみたいだった。

 松村と言う男子は、クラスに一人はいるお調子者タイプの奴で、空気も読まずにAVの話とか、下ネタを大っぴらにまくし立てたりするところが、女子の失笑を買っていた。ルックスはまあまあいいのだが、最近、下ネタや悪ノリが度を過ぎてきていて、人気は右肩下がりだった。

 流石に可哀想だなと思うのと、僕の名前を出していることに恨めしさを込めて見ていると、固そうな拳を作って、悔しそうにぶるぶると震わせていた。

史穂は別の話題に移ったのを見計らってから、教室へ戻っていった。きっと、何も訊かなかったかのように、輪の中に戻っていき、やっぱり彼女もまた、その場にいない女子の悪口で盛り上がるのだろう。女の子のハートのタフさは見習いたいものがある。

僕が史穂から告白を受けたのは、その日の放課後だ。付き合い出してからも、心なしか史穂は松村くんを気にするように目で追っていたし、不自然なタイミングで彼の話題が僕らの会話にまで上ることもあった。最近でさえ、時折そんな瞬間があった。それは、僕が彼女へ罪悪感を持てない理由にもつながった。お互い、実にくだらない理由で利用し合う交際。お互いに、相手も自分をも騙して恋を演出する。僕らがやって来たことはそういうことだ。こんな恋愛に、どちらが〝サイテー〟も何もあったものではないと思うのは、僕だけだろうか。


「最近、受験も近づいてきたからか、松村も落ち着いてきたじゃん。もう、自分に嘘つくの、やめたら?」

 すっかり黙り込んでしまった史穂の表情すらきちんと確認せずに、僕はさっさと恵泉へと向かう。史穂は呼び止めない。くだらない、嘘の恋らしい終わり方だと思いながら、僕はほくそ笑む。今ならまだ、講習に間に合うはずだった。

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