第二章・涙4

 僕にとって、家族とは所謂〝型〟でしかない。保の身勝手な思想によって形成される、がちがちの柔軟さのまるでない型。ほぼ保任せな篠美は、その形成にまるで関わっていないし、子どもと言う役割であるが故に、僕とエンはそこに参加させてももらえない。我が家の型は支配に満ちている。

ご飯を食べさせてくれているから。多大な痛みを伴ってまで産んでくれたから。そう言った誰一人として逃れることのできない理由で、果てしなく感謝を尽くす上に、大きな方針やライフスタイルに至るまで、従属しなければならない、親と言う存在。僕らはその絶対的な縛りを常に意識させられ、自らの運命を否が応でも委ねなくてはならない。弁論大会や運動会のリレーにひとかけらの価値も置かない保に、エンの努力は一つも響かない。だから労いの気持ちも湧かないどころか〝学力〟というあまりに偏った彼の中での絶対的価値を、押しつけるかのように怒鳴りつける。その絶対的価値に見合った能力を、幸か不幸か身に付けることができているだけの僕は、咎められない。但し、咎められないと言うだけで、特段、称賛されることはない。何故なら、僕がやっとのことで果たすこの学力は、彼の中では絶対条件なのだ。価値があるという言い方には、語弊があるかも知れないほどに。

「勉強ができるからと言って、社会で通用するとは限らないからな。勉強できるくらいで、図に乗るなよ」

 保は昔から、これをよく僕に指摘した。特に百点のテストを報告の為に持っていった時なんかに。頑張ったんだよと、それが結果につながったんだよと純粋な気持ちで伝えたかっただけで、別に図に乗っている訳ではなかった。自分はこんなにできるんだということを誇示したい訳では決してなかった。お前は自分の家族だから、親だから。感謝の気持ちを体現する方法は、こういった成果だと思ったから。もっとシンプルな言葉で言えば、お前を喜ばせたくて報告したんだ。飯を食わせてもらっているというだけで、己の努力に叱責をぶつけられることにすら僕らは耐えなくてはならないのか? 何をしてやれば、お前は満足するんだ?

 思ううちに、試し悩むうちに、保に容赦なく、そして明確な答えもなく押しつけられる子どもという役割に、心の底から辟易せざるを得なかった。そもそも何故、そんなハードルの高いものを求め続けられなくてはならないのか、その背景が何なのかを、そこはかとなく悟ってしまった時は、特に。


 保と篠美、そして僕ら。保の、絶対王政のもと築かれる石野家。保は長男で、親戚を含めた石野家系の中でも、祖父の死後は家長となる位置になる。保自身も石野家を背負っていると考えている様子だし、また祖父母からの信頼も厚いようだ。

 未来の家長として僕らや祖父母のみならず、叔母の子どもにあたる従姉妹いとこにまで、自分の子どものように、悪い言い方をすると自分の所有物のように意見する保は本当に失笑モノだ。離婚し、シングルマザーになった叔母は、娘たちから父親を奪ってしまった。その引け目も手伝ってか、結婚について表面上、成功者である保にいちいち相談するから、その文化が助長されてしまった。

従姉妹たちも、いちいち偉そうに口出ししてくる保に呆れ返りながらも、自分の親である叔母が従っている手前、恥をかかせぬ為に、可能な限り受容している。上の従姉である千冬ちふゆに至っては、進学の際、本当はデザイン系の専門学校に行きたかったのだが(たまにしか会わない僕やエンですら認識していたくらい千冬が明言していた希望だった)、安定志向の保が四大に行かせるとのたまったせいで、夢破れた。叔母も千冬の希望を優先させたい気持ちはあったが、千冬を大学や専門学校に上げるには、保の金銭的援助が少なからず必要だったこともあり、強く主張することができないようだった。千冬が最終的に、自分の将来という重要な希望に対しても従ったのは、やはり同じ理由による。

長男というだけで、そう言った横暴を全て許しきっている石野家系の人間を、僕はまるで好きになれない。特に祖父は、保の劣化版みたいなところがある。僕らに保がしてきたことに近いことを、きっと保や叔母に強いてきたのだろうなと思わせる発言や態度を、会うたびに感じるのだ。また、従兄弟同士の中で男子も僕だけしかいないので(今さらだが、僕の志望校に通う従兄など、元から存在しない)、跡継ぎを産んだということ、また仕事もある程度成功して重役に就いていることが、保の家系の中での立ち位置をなおせり上げたようだ。

 保が僕らに変に厳しく接する理由の一つは、僕が跡継ぎだからなのではないだろうか。変な平等意識で、エンも巻き添えを喰らっているという、あまりにも古臭くて、くだらない理由。古さをそのまま摂理にあてがう、とんだ勘違いの典型である。保が僕を叱りつけた後、吐き捨てていく台詞の筆頭は『失望させるな』。篠美のけ口と同様、これも保がエンに向かって言っているのを聞いたことがない。保に見え隠れする僕への妙な期待に、反吐が出る。

 そんな、くだらない期待を背負わされた僕は、入った高校も、その高校で収めている成績もそう悪くはない。iモードのシステム内にあるセキュリティホールを数々見抜いてきたような(携帯をいじっていると、お前が今それを何の気なしに使えているのは……とこの自慢をよくされる)、保の嫌らしいくらい抜け目ない視線につけ入る隙を与えないよう、懸命に意識してきた自負があるから、謙遜もなければ、否定もしない。しかし、それと同時に、僕をミイラ男のように身体をぐるぐるとタイトに巻いていくレッテルは、肌の呼吸を許してくれない。裡に秘められた僕はだからこそ、そのレッテルに反しようと体温を上げていく。誠実さや勤勉さを体現したような日々を、家族や史穂を巻き込んで演出しながら、その裏側で育む深川との不誠実な関係。深川に対して誠実に向き合うのも、一つの僕の愉楽ポイントだった。

 しかし、深川にしろ史穂にしろ、二股しておいて何だが、どちらにもまるで本気にはなれなさそうだった。最初は、担任教師との不貞行為というレールの外れ方に溺れそうになり、深川にかなり入れ込んだ時期はあったが、いつしか彼女の機嫌を取って、掌握して操ろうとしている自分がいるのを感じて、これでは保と変わらないではないか、と気付いてしまうと、彼女への気持ちも水を打ったように萎えた。家族を壊すのを誘爆させる為に、深川の立場と態度を利用しているに過ぎないではないか、と。

 史穂に至っても、理由や立場は違えど、利害関係を考えない訳にはいかなかった。深川と付き合い始めて間もない頃、史穂からも告白を受け、僕は二つ返事でオーケーした。史穂は同性の友達を多く有し、ある程度整った顔をしているのに、派手さがまるでないところが男子にも密かに人気だった。進学校ということもあり、恋愛に関するニュースが校内に少ない分、男女どちらにも味方の多い史穂からの誘いを断ることは、教室での居心地を悪くすることに愚かなまでに直結する。告白された時、史穂に生まれた感情は、憎悪以外の何物でもなかった。付き合うにしても、恋愛を禁じて勉強に励んでいる連中に恨まれるし(奇しくもクラス一位と言う立ち位置にいる僕は、その恰好の的になってしまう)、断れば断ったで、史穂の性質上、僕が悪者になる。受験を理由としたところで、それが軽減されるとも思えない。付き合ってくれればライバルが減っていいのに、と言い出す奴はいる。変に頭のいい集団なだけあって、くだらない思考回路の働き方はいくらでもしてくれる。史穂の告白は、百害あって一利なし、ダブルバインドも甚だしい。憎悪が生まれて然りだった。どちらにしろ敵を作ることにつながるなら、こちらが勝ち組になってやる方が、味方を付けやすい。

そんな理由で、面倒ながらも僕は二人の女性を往来しながら、恋愛を禁ずる者たちの冷ややかな視線に晒されながらも、何とか教室で日々を生き抜いている。ただし史穂には、彼女から別れを切り出してもらうように、爆弾を仕掛けながら。深川のこともあるので、面倒は少ない方がいい。学生の恋愛に関しては特に、男が全て悪役を担う運命にあるので、ある程度は覚悟しておかなくてはならないが、できればその傷も浅く済ませたい……とまあ、こんな調子で史穂においても言わば〝保性たもつせい〟を存分に活かしながら、曲がりなりにも僕に告白をすると言う決断をした彼女の気持ちを、蹂躙している。篠美を意のまま責め、操る保と、そう変わらない。その気付きが、僕に呪いをかけ、恋愛に対する熱を根こそぎ奪っていった。

でも、いいのだ。僕は既に、家族を壊すという復讐の魅力に、惹きつけられているから。保に縛られながら、同時に追い詰められていく篠美を見て、いつの間にかその欲求は明確なものになっていた。一度頭の中で形になってしまうと、我が石野家は何とも壊しがいのある家に感じられた。篠美が僕にあたるのも、その意味では好都合だった。篠美が感情に任せて、僕を取り返しのつかないほど傷つけてしまえば、それだけで石野家は、終わる。

だからエンが出て行ってくれるというのは、僕にとってこれとないほど好都合だった。崩壊を示すサインであるのは明白だし、何より篠美のこのところの不安定さに対する、これ以外にない程の呼び水になってくれている。感情を吐き出した篠美の相手をするのは消耗するし、酷く面倒だが、家が壊れてくれるサイクルになるのであれば、我慢できる。傷を残す為に相手をしている感覚すら、今はある。深川にも軽くだが事情を話してしまった。いよいよ保の絶対王政の下にある石野家と言うジェンガは地盤がスカスカになってきている。

僕はこの復讐の為に、もはや結婚する気すら失せてしまった。仮に今後、伴侶を得ようものなら、きっとまた保のように相手を掌握しようとする自分がしゃしゃり出てくる。きっとそれは、自分では止められない。そのことに対する自己嫌悪が、僕から男としての自信をきれいなまでに奪っていった。掌握したいという欲求は、僕にとってみれば喩え芽ほどの微かなものだとしても、保を肯定することに繋がってしまう。まるで呪いのように。第二の石野家を作ることは是が非でも避けたい。しかも、結婚しないことはそのまま、跡継ぎという期待を裏切ることにも繋がる。結婚しないことが、はたまた子を残さないことが、何よりの復讐になる。石野の姓を引き継ぐのは、唯一の男児である僕だけ。ならば。

僕の手でこの家を絶やしてやろう。あくまで保のせいで、石野家は存在しなくする。保に似ていることを利用して、可能であるなら石野家を壊した上で、何も残さずに消えていなくなる。エンがいなくなった今、あとは僕の細かい一つ一つの選択次第で、この家を壊すことができるかも知れない。篠美の暴力が発覚する、それか僕の傷を知る深川が何かしらの働きを見せる、若しくは深川との関係が明るみに出ることでもいい。家族というタワーを崩すピースは、いくつも用意することができた。衝動に任せ、情報を操作する愉楽に現を抜かしながら、いずれかのピースが抜かれて、保が築いてきたタワーが崩壊する時を、僕は今か今かと待ち望んでいる。

若しくは、と最近、思い耽るのは、どうしたら保が僕を勘当してくれるかを考えることだ。失望させるな、とのたまう保が、懇願するように僕を諭す姿をうっとりと妄想し、そこへ向かうプロセスをじくじくと紡ぐ夜は実に愉快だ。

あの愚かな父親を、いかに惨忍に裏切るか。それを想うことが、僕の人生を楽しませてくれている。

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