12 始

 薫と共同生活をしていて不思議とまでいかなくとも気になったのは彼女が下着姿で部屋を歩きまわらないことだ。


 わたし自身は気にしないが、それは自分の部屋だからだろう。


 薫の場合は他人の部屋という遠慮の表れかもしれない。


 そういえば入浴は部屋の風呂を使うが、わたしの前で裸になることを極端に恥ずかしがるのもどういう神経か。


 わたしは別に薫の肢体をじっくり鑑賞したいわけではないが、これまで裸体を見たことがない。

 平日は、そもそもわたしが会社から帰ってくる前に風呂を終えている。


 土日はそうはいかないが、


「絶対覗かないでよ」


 とまるで思春期の子供のように頑なだ。


 だから、わたしは薫が風呂に入るときにはフローリングに引き篭もる。

 寝る前に筋トレとストレッチをする習慣なので、やや早い時間にそれを行うだけだ。


 風呂場のボディーソープが切れ、バスタオルを巻いただけの格好で薫がフローリングまでやってきたとき、押入れから出すのを忘れていた買い置きを渡すと、


「ありがとう」


 と首肯いた後、


「本当に覗かないでね」


 と真顔で念を押す。


 わたしが冗談好きな性格だったら薫の入浴中絶対に風呂を覗いただろうが、残念ながらその趣味はない。

 単に可笑しな輩と感じただけだ。


 話の流れで薫にそのことを問うと、


「ちょっと身体に問題があってね」


 と少し困った口調でそう答える。


 だから、わたしは薫の言う(精神の)病気に関係するのだろうなと想像する。


 結果的にその想像は外れていないが、わたしには思いもよらない内容とわかる。


「月島さん、これまでありがとう。どうやらアパートが借りられたわ」


 ある日、会社から帰ると薫が言う。

 薫が言っている内容がわからないので、


「ああ、それは良かったね」


 と考えなしに相槌を打つと、いつになく真剣な目で薫がわたしの顔を睨む。


「わけを話すときが来たようだわ」


「ご飯を食べながらでもいいかな」


「それは構わないけど、緊張感ゼロね」


「緊張する話なわけ」


「まあ、いいわ。腹が減っては何とやら……。ご飯にしましょう」


 それだけ言うと食事の用意を始める。


 甲斐甲斐しく食卓を整えつつ、煮魚と味噌汁を暖め直し、茄子/しめじ/豚の炒め物などを丁寧に添える。

 後者の炒め物は味付けを薄くしてあるので、好みにより山椒や胡椒または七味をかけていただく。

 簡単で美味しい一品だ。


「いただきます」


 と二人で言い、わたしがご飯を食べ始め、一通りおかずに手を付ける。

 お味噌汁を啜ってから、お椀をテーブルに置くと、


「月島さん、これまで気づいていなかったでしょう」


 と薫が水を向ける。


「何を」


「あたしが月島さんを好きだってことを」


「えっ」


「ホラ、気づいていない」


「急にそんなこと言われてもな」


「いいのよ、すぐに玖珂さんから奪う気はないから」


 それが第一の衝撃だ。

 ついで、


「月島さん、絶対に気づいていないでしょ」


「今度は何を」


「あたしが実は男だってことを」


「えっ、冗談だろ」


「残念ながら本当なのよ。だからアパートを探すのが大変で……」


「アパートを」


「名前は偶々男女共通だから良かったけど、ホラ、住民票とか、戸籍謄本だとか」


「ああ、そういうことか。でも、ちょっと待ってよ」


「あのね、あたし身体は男だけど心が女なの。でも面倒臭いことに女として女が好きなの」


「ああ、確かに面倒だな」


「うん。でも仕方がない」


「風呂の件はそれか……」


「そう。ずいぶん前からホルモンを使っているからペニスは小さいけど、でも反応するし……」


「わたしには大変だとしか言えないな。家族は……」


「否定と肯定が半々ね」


「わたしがそんなことを言い出したら父が発作を起こすだろうな」


「あたしのところもそれよ」


「知らないうちに薫に襲われたりしてないだろうな」


「実はちょっとだけ唇を……」


「えっ」


「嘘よ。何もしていないわ」


「ああ、吃驚した。脅かすなよ」


「あたし、やっと今、月島さんに想いを告げたの。つまり諦める気はないの」


「まさか、それで……。もしかして薫はわたしと玖珂さんとのことを知ってたのか。それで、この部屋に現れる前に玖珂さんにコンタクトをして……」


「どんな人か知りたかったのよ。それに月島さんを単に利用しているようなら懲らしめようと思って」


「でも薫の眼鏡に叶ったのね」


「悔しいけど、そう。だけど月島さん、不倫は……」


「言われなくても、いけないことだって知ってるよ」


「そうよね。でも……」


「わたし、覚悟はしてるんだ。いつかはわからないけど、いずれわたしは玖珂さんと別れる。だからそうなれば薫がわたしを狙うのは自由だけど、でもとても可能性があるとは……」


「いいえ、スタートラインに立てるだけでも、あたしは大歓迎よ。ありがとう、月島さん」(了)

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