9 逅

 午後十時前に玖珂さんからわたしの携帯電話に連絡があり、


「これから行く」


 と告げられる。

 だから、わたしは、


「来るってさ」


 と傍らの薫に伝える。


「そう、愉しみね」


 と薫は言うが、言葉の内容ほど愉しそうには感じられない。

 だから、


「どうしたの。緊張する」


 と尋ねると。


「不思議ね。月島さんの方が緊張しそうなものなのに」


 と応える。


「わたしは緊張しないわよ。今更だし」


「強いのね」


「言葉の意味がわからないわよ」


「だって、そのままの意味だけど」


「ふうん」


 それから五分ほどして部屋のチャイムがピンポンと鳴る。


 当然、玖珂さんはこの部屋の鍵を持っているが、


「今、開けます」


 とわたしが椅子から立ち上がり、ドアを開ける。

 歩いて数歩の距離でもあるし、薫もいるし……。


「来たよ」


「いらっしゃいませ」


「よそよそしいな」


「では、いらっしゃい」


 おかえりなさい、とわたしは言わない。

 玖珂さんも、そんな言葉を望まないだろう。


 ついで立ち上がろうか、それとも座ったままでいようかと悩んでいるらしい薫を発見し、


「ああ、きみが桐島さんか。初めまして、玖珂です」


 と早速言う。

 すると薫も、


「こちらも初めまして、桐島です」


 と椅子から立ち上がり、玖珂さんに応じる。


「まあ、二人とも座ってください。玖珂さんはビールがいいですか。それとも他のもの」


 とわたしが尋ね、


「では、角のハイボールを頼もうかな」


 と玖珂さんが答える。


「畏まりました」


 とわたしが言い、冷蔵庫を開け、ウィスキーとソーダ瓶を取り出す。

 ついでそれらを適量に注いでステアし、冷凍庫から取り出した氷を数個入れる。


「お待ちどうさま」


「ありがとう」


 玖珂さんはすでに上着をハンガーにかけ、椅子に座っている。

 わたしが玖珂さんの斜交いに座ればテーブルに三人。

 つまり玖珂さんの対面が薫。


 殺風景で家具の少ない部屋だが、さすがに少し窮屈か。


 男の人はやはり身体が大きいと思ってしまう。


「噂に違わずきれいな人だな」


 と玖珂さんがつくづくと薫を眺めながら呟くと、


「あたしには月島さんの方がきれいに見えますけど」


 と薫が応え、


「この人は心が真っ直ぐだからな」


 と玖珂さんが返すから、


「それは買い被りですよ」


 とわたしが応じる、


 ついで今度は薫が玖珂さんの顔をまじまじと見て、


「玖珂さんってイケメンですね。何かすごくモテそう」


 と評す。


「ありがとう。でも、そんなことはないよ。ぼくは臆病だし」


「玖珂さんが臆病な人だったら世界中をまわって強引に商談を纏められませんよ」


「いや、臆病だからできるのさ。だから不注意な失敗もしない。桐島さんはどう思う」


「あたしはそういうのは本当の臆病ではないと思います。あたしみたいなのが本当の臆病で……」


「そうかな。ぼくは行動できる人は臆病ではないと思うよ。いや、やはり臆病だからこそ、それをバネに行動できるのかな」


「何よ、あなたたち。まるで知り合いか何かみたいで」


 と玖珂さんと薫との会話を聞いてわたしが訝ると、


「いや、初めてだよ」


 とすぐに玖珂さんが言う。


「会うのが初めてなら、声を聞くのも初めてだ。でしょう、桐島さん」


 と続け、


「ええ、お会いするのは初めてです」


 と薫が受ける。


 わたしはわずかに違和感を覚えるが、放っておく。

 二人の表情が確かに初見者のそれだったからだ。


「余りもので良ければおつまみをお出ししますけど、いかが」


 それで、わたしが玖珂さんに訊く。

 知らぬ間に緊張していた自分を弛緩させ、日常の中に戻らせるように……。


「助かるな」


「今日は帰るんでしょ」


「そうするよ」


 と会話をしつつ冷蔵庫を開ける。


「はい、どうぞ」


 と玖珂さんに饗したのは、きんぴらごぼうとジャガイモの煮っ転がしだ。


「どれどれ」


 と玖珂さんが箸を伸ばし、きんぴらごぼうを口に入れと、


「ああ、味が違う」


 と感想を述べる。


「思ったよりピリ辛なんだな」


「薫の味付けだから」


 ついでジャガイモの煮っ転がしを一口頬張る。


「こちらの方はいつもの味だ」


「わたしのきんぴらごぼうは甘いから、煮っ転がしと被るでしょう」


「そう言われればそうだが、どちらもぼくが好きな味だよ」


「知ってます」


 玖珂さんの料理評にわたしがそう答えると思わず薫がクスリと笑う。


「ラブラブなんですね。羨ましいわ」


 と続けるので、


「こういうのがラブラブなら、いつもそうだよ」


 とわたしが返す。

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