7 涙

「冗談でしょう」


「冗談は言わない。きみが欲しい」


「本当に」


「本当だ」


「どうしようかな」


 と掠れ声でわたしが言うが、その息の漏れ方はすでに承諾したに等しかったはずだ。

 だから城戸先輩がわたしの唇を奪う。


 一旦それに応え、


「今日だけですよ」


 と喘ぎつつ言う。


 城戸先輩は何も言わない。

 ただわたしを見つめ、再度唇を奪っただけだ。


 城戸先輩の舌がやや遠慮がちにわたしの口中に入ってくる。

 何かを探すようにチロチロと蠢く。


 やがて口の奥に隠れていたわたしの舌を発見すると、こちらに来いよ、と呼びかける。

 ツンツンと叩くように呼びかける。


 だから、わたしが恥ずかしげにそれに応じる。


 二人の舌が一点で接触


 ついで絡み合い、相手を求める。


 城戸先輩の舌が、オレの方にも来いよ、とわたしを誘う。

 だからまるで大冒険をするように、わたしの舌が城戸先輩の口の中に入っていく。


 新鮮な感覚と言えばいいのか、

 わたしにとっては初めてに近い経験だ。


 もちろん、わたしだってディープキスをしたことはある。

 けれどもその後玖珂さんと付き合うまで、わたしは口内に別世界を感じていない。


「ああ……」


 と思わず心中に思う。

 おそらく口の動きにも出ただろう。


 この瞬間を絶対に逃すものかという、わたしの貪欲さの表れだ。


 城戸先輩の舌を探り、その裏を探り、歯を探り、歯茎を探り、口の上を、口の下を、右のほっぺたを、左のほっぺたを探り、味わう。


 息が苦しくて、鼻息が荒くなると途端に恥ずかしくなり、自分の唇を一度城戸先輩の唇から離す。


 城戸先輩のわたしの胸への愛撫はすでに始まっていたが、それに気づきもしないように城戸先輩の瞳を見つめる。

 その中に移っているはずの自分を探す。

 今だけは城戸先輩はわたし一人のもの。

 そう確信しているはずの自分自身を探す。


「月島さんって思ったより情熱的なんだね」


「そんなことはないです」


「本当に」


「ええ」


「じゃあ、オレだけが見たのかな。月島さんのとても情熱的な姿を……」


「恥ずかしいわ」


「きれいだよ」


「お世辞でも嬉しいです」


「月島さんって、実は自分に自信がないんだね。日頃の態度からは、とても想像できないけれど……」


「恋愛に関してだけですよ。それ以上は秘密」


「そうなの。じゃあ、聞かない」


 けれども城戸先輩は、わたしがその秘密を話したがっていることに気づいたと思う。


 言葉にすれば大したことではない秘密だ。

 自分のことを好きだと信じていた相手が浮気をしただけのこと。

 その浮気が浮気ではなく本気に変わり……。


 意地を張ったわたしはクールビューティーを装い、涙一つ見せずに相手を放免。

 好きな女のところに行かせてしまう。


 クールビューティーな役に成り切ることで自分自身を守ったのだ。


「月島さん、泣いてるの」


 と城戸先輩が心配そうにわたしに問う。

 わたしが黙って涙を流し続けると、


「月島さんを鳴かせたなんて悪い男だね。いつか会う機会があったらオレが懲らしめてやるよ」


「ふふっ」


「さあ、こっちを向いて」


 知らぬ間に、わたしは顔を俯けていたようだ。

 それを城戸先輩がグイと持ち上げ、わたしの瞳を見つめつつ、


「真珠の味だ」


 とわたしの涙一粒を舌で拭い取り、そう囁く。


「先輩、格好付け過ぎです」


「似合わないかな」


「ううん、そんなことないです」


「布団を敷かなくちゃ。いいよね」


 後半の『いいよね』はこれから始まるはずの行為に対する確認だ。


「はい。わたしも手伝います」


「醒めちゃわない」


「もう一度、先輩に酔います」


 そして昭和の若夫婦のように静々とアパートの和室に布団を敷く。


「ああ、シャワー」


 と布団を敷き終えたととき、わたしが気づく。


「そのままじゃ、ダメ」


「だって……」


「真珠が流れ落ちてしまうから」


「もう乾きましたよ。それにきっと汗臭いですよ」


「どうしても,イヤ」


「そんなことはありませんけど」


「じゃあ、決まりだ」

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