6 熱
高校生のときの見栄を張った事故を除けば、城戸先輩はわたしの初体験の相手だ。
だがこれもさほど色っぽい事情はなく、流れというか、若さに押されたというか。
何人かの知り合いと城戸先輩のアパートに集まり、ワイワイとやっていて一人減り二人減り、最後に二人になってという、どこかで聴いたような良くある話だ。
酒の勢いもあり、
「城戸先輩、イケメンだしモテるでしょ」
などと、その方面の話になる。
「まあ、それなりに」
「いいよなあ。振られたことなんてないんでしょ」
「いや、それはあるよ」
「本当に……」
等々親しげに話す。
城戸先輩のアパートはアパートと呼ぶよりマンションで(ただし日本的な言葉の使い方でだが)、わたしたちがいた部屋は六帖の和室だ。
布団がない炬燵が置かれている。
あのときは窓辺の畳に直に座り、外の風を感じながら酒を飲んでいたはずだ。
「月島さんの方こそ振られた経験がないんじゃない」
「……というより恋愛の経験がほとんどゼロです」
「それこそ嘘だろう」
「いいえ、本当。……先輩、腕を触っていいですか」
ついでそう訊いたが、城戸先輩は否定しない。
だからわたしは無言で木戸先輩の近くまで摺り寄るとペタペタと音を鳴らすように両腕を触る。
城戸先輩は筋肉があるがムキムキではない。
それが、わたし好みなのだ。
顔もバタ臭くなくて同じく好み。
それ以外では頭が良くて語学も堪能。
前に聞いたが、帰国子弟だという。
親の仕事でロサンゼルスにいたようだ。
「でも当事は本当の子供だったから、あの頃覚えた英語はすべて忘れたよ。日本で覚え直したというか」
「逆に、すごくないですか」
「褒めても何も出ないよ。もう少し飲む」
「いただきます」
城戸先輩が好きだというので雪の松島を持ってきた仲間がいて、けれども本人及びその他大勢が日本酒を飲まないので結構余る。
「月島さん、イケる口だね」
「そうでもありませんよ」
「口調だってしっかりしてるし」
「いえ、シラフだったらこんなことできません」
と言いつつ城戸先輩のお腹を触る。
しっかりと……。
すると、
「オレも触っていい」
と城戸先輩がわたしに訊く。
「どこをですか」
「まずお腹から」
「いいですよ」
季節は十月の半ばだ。
旧暦の後の月まで、あと十日ほど。
三日月よりは太い月が、雲はあるが晴れた空に浮かんでいる。
ちなみに、わたしの母は後の月を栗名月と呼ぶ。
母の田舎では月見に栗を供えるから……。
生憎、その季節に母の実家を訪ねたことがないので、話を聞いただけで食べたことはない。
あの夜は十月にしては少し暑かったと思うが、それでも二十度は上まわらかっただろう。
わたしはスポーツブラを別にしてタンクトップの上にカットソーを着、一応ストールも持ってきたが、そのときはかけていない。
「では失礼して」
城戸先輩の大きな右手がわたしのお腹をそっと触る。
「腹筋があるね」
「昔、陸上部でしたから」
「じゃあ、月島さんもおへそを出して走ってたんだ」
「まあ」
ついで少しずつ城戸先輩の右手が上がる。
あのときわたしは雪の松島が入ったグラスを右手に持ち、チビリチビリと嗜んでいる。
だから城戸先輩が目指したのは、わたしの左胸だ。
「ダメですよ」
と口では言う。
けれども左手でぴしゃりと城戸先輩の右手を叩いたりはしない。
よって城戸先輩の右手がわたしの左胸に到達する。
「小ぶりだけど、いい弾力だ」
「エッチな触り方をしてはダメですよ」
「それって、どんなふう」
と言いつつ城戸先輩の五本の右指がわたしの左胸の上で蠢く。
ウゴウゴと……。
「だからあ、そんなふうな」
とわたしが指摘すると城戸先輩は一旦右手を左胸から離し、ついでわたしの右手からグラスと奪うと立ち上がって炬燵の上に置く。
それからわたしの後ろにまわり、ふわりと両腕を伸ばしてわたしを覆う。
口先を左の耳許に近づけ、甘い息とともに、
「きみが欲しいな」
と囁く。
あのとき、わたしは何と思っただろう。
当時城戸先輩には恋人がいたが、わたしたちの仲間の一人ではないので、わたしはあのとき本人を知らない。
だから顔のないその女に申し訳ないと思ったかといえば、そうではなく、この先起こるはずのことをきっかけに城戸先輩の恋人にまで昇格するのはわたしにはきっとできないだろうという諦念だ。
恋に対して自信がないから、悲しくもわたしは思ったのだろう。
現実でも、わたしと城戸先輩の恋は成就しない。
城戸先輩とわたしは、その後複数回関係を持つが、結局仲間の誰に知られることなく、静かに終わる。
わたしが城戸先輩の当時の恋人を知ったのは、その後のこと。
想像したような美人ではないので驚いたが、イギリスからの帰国子女。
意志が強そうな顔つきをしていたところは想像通りだ。
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