聖母観音
ねごとや
第一話
美濃の国(現在の岐阜県)の冬は雪深い。
それゆえに、多少なりとも寒さには堪え性が利くほうであると思っていたのだが、それは少しばかり思い違いだったようである。
確かに彼は美濃の国の生まれであり、冬場の雪中歩行は慣れていると言えるのだが、あいにくとここは美濃の国ではなかった。
ここは、陸州弘前藩。津軽氏が治める最果ての地。
ぼろぼろの法衣は、容易く寒風の運ぶ冷気を体にしみこませ、脚絆も旅もそれを履いている人間以上にくたびれ果てて、冷気も湿気もその足元にまとわりつかせ、ただでさえ重い足取りに疲れが容赦なく絡み付いてくる。
山中にあるその身は、津軽の地のうわさ聞く激しい海風を浴びるまでもなく、もはや朽ちてしまいそうでさえある。
「やれやれ……。」
いつ果てるとも知れぬ山道を睨みながら、彼はひとりごちた。
「このままでは、海を見ることもなく果ててしまいそうだわい。」
そうして、彼はその場において目に付いた大岩に腰を下ろす。
尻の下から伝わる岩の冷たさも、足を叩くシダの葉の湿気も、それぞれ体にしみこんでは来るものの、立ち続け、歩き続けから来る疲労、その誘惑には勝てなかったし、そうした不快感も体を動かし続けることに比べれば何ということもない。
ただ……。
山間をぬけるこの強風だけはどうしようもなかった。
寒さに対し、多少は耐性のあると自負する円空にしても、ついつい目を閉じてしまいがちである。
「こりゃたまらんわい。」
時は寛永五年(1665年)、円空三四歳。
この時代にあっては、もはや壮年の入り口にさしかかっていると言って良く、その身からは若さというものが削り取られてしまっている。
しかし、彼はいま北の地に身を置いている。
どうして、命を削るがごとき旅を重ねてこのような地に身を置くのか。つい一年ほど前には、生まれ育った美濃の地にて神像建立に立ち会ったばかりだというのに。
「神さんは彫るわ、お狐さんは彫るわでは、心ある僧籍の方々とはうまく行きゃせんわね。」
実のところ、彼の場合、一所に留まれないのには、そうした堅苦しい教義第一主義との軋轢もあった。彼が彫るモノはあくまでも、そこにいる者達が望むモノである。この時代においては、寺社という言葉にあるとおり、神仏というものは決して相対するものではなく(寺が神社を管理するケースもあったほど)、現代以上に民衆の間に緩やかに混在した状況であったのだが、いつの時代にも教条主義者というものはいる。ことに、僧侶が知識人代表の一角だった時代であるだけに、力のある僧侶の中には、円空のように緩やかな民間信仰をそのまま受け入れた仏師は例え僧籍を持っていようとも、疎まれやすい存在でもあったのだ。
「大体、わしゃ、お坊様だのというほどの者じゃないわな。」
円空のように旅から旅の暮らしをし、その道すがら世話になった家の者の求めに応じて仏を彫る僧侶は、いわゆる「造仏聖」と呼ばれており、僧籍を持つ者達の中でも比較的に軽く見られがちである。しかし、彼自身はそれでいいと思っている。だからこそ、民衆と同じ目の高さで接することが出来るし、彼の彫るものに接することで少しでも人が仏を感じてくれるのならそれでいいとも。時には、童たちが寝床の友とし、戯れに放られることもあるが、それもまた円空の望むに叶うであろうという思いが漠然とではあったが持っていた。
「そうか、坊主、おめえ、ええやつじゃなぁ……。」
円空しかいない筈の山中、不意に人の声が聞こえたような気がした。
はっとして振り向いた円空の目に映るのは、ただ草木が風に揺られる様のみ。
「はて、空耳か……。」
ここに人がいるはずがない。
山には入る前に、そのことはさんざん麓の村の衆から聞いた話である。
しかし……。
「頼めば、誰にでも彫ってくれるのけ?」
空耳ではない。
それは見知らぬ女の声。
もう一度振り返るが、やはりそこには誰もいない。
「はて、これは幽鬼か、それとも狐狸妖怪の類か?」
円空の心の内を読んでいるかのようなその言い様に、彼は少し薄ら寒いものを感じはしたが……。
「おうよ、この円空、手慰みに御仏を彫って進ぜよう。身分の上下、貴賤などは問いはせぬ。例え、狐狸妖怪の類であろうとも、無下に断りはせぬぞ。」
返事はなく、代わりにざわざわと草同士がこすれるような音がした。
何か期するモノを感じ、再度振り向いた円空の視線の先、そこには……。
「ほう、これはこれは、なかなか器量よしのあやかしよな。」
顔こそは多少薄汚れてはいるものの、そこにはまだ若い娘が一人立っていた。年の頃は、円空の見立てでは二十歳に届くか届かないかというところか。
「何だ、坊主。こんなとこで何してる?」
「行き倒れかけておる。」
「行き倒れの割には、口はへらねえだな。」
「口先で説法するのと、仏様を彫るのが仕事じゃでな。」
「ふ~ん……。」
娘は、興味深そうに円空をひとしきり見た後
「行き倒れかけでも、もう少しだけ歩けるだか?」
と聞いてくる。
(行き倒れなら、歩くことも叶わぬだろうに。)
円空は、内心苦笑しつつも
「飯と寝るところがあるのなら、歩いてやらぬでもないぞ。」
と憎まれ口を叩く。
「何じゃあ、口の悪い坊主だなや。でもまぁええ。動けん言われても、オレにはあます(手に余る)げな。」
憎まれ口を叩かれた側の娘の方も、あまりいい口の利き方とはいえない。
「とりあえず、オレのあとさ、あべしておけじゃ(ついてこい)。」
そう言いつつ、娘は草木の茂る道外れへと消えていく。
円空は、というと、
(やれやれ、御仏のお導きか、それとも狐狸妖怪の戯れか、幽鬼の誘いかは知らぬが、ついていってみようかの。)
そのようなことを思いつつ、重い腰をあげ、娘の後を追う。
娘の足は、山歩きに慣れているからか、びっしりと生えた草に足を取られ、足取りの重くなった円空を置き去りにせんばかりにすたすたと前を歩いていく。振り向くこともしようとはしない。
「何じゃ、全く親切なのか不親切なのか分らん娘じゃわい。」
円空がそう毒づいても
「口の悪い坊主だな……もうちょっと辛抱しろじゃ。こんなとこまで登ってきたんじゃ、もうちょっと元気出せ。それとオレの名前は、おせんだ。娘、娘、言うな。」
と軽くいなされるばかり。
これには、円空も苦笑しつつ、そして息を切らせながらもついて行かざるを得ない。
そうした辛抱を乗り越えた先、草深い視界が急に晴れ、そこには一軒の古びた小屋。
「ついたぞ、坊主。ここがオレの家だ。」
どこか誇らしげにおせんという娘は、その小屋を指す。
「うむ、ええ家じゃ。」
円空も、それを受けて感心してみせる。
別におせんに気を使って、そうした態度を取っているのではない。確かにおせんという娘の住むという家は、まるで廃材を組み合わせたような小汚い小屋でしかなかったが、およそ野外で寝ることも少なくない円空にとっては、屋根があるというだけでもありがたいことであったのだ。
「ええ家じゃろ?」
円空に言われて、おせんも気を良くしたらしい。自分が、山中の小屋に住んでいることに対して何の引け目も感じていないらしい。
「オレのおど(父親)が作ってくれたんだ。」
笑顔を浮かべるおせん。日に焼け、泥に汚れているのか、その顔は黒ずんでいるが、笑うと案外と器量よしのようである。
「まぁ、遠慮しねえで入れ。」
ぎしぎしと音のする煤けた色の戸を開けて、娘が先に小屋に入っていく。途端に中からドタンバタンという音が聞こえてくる。採光のためか、空気の入れ換えの為か、戸張を開けているようだ。
「うむ、ではご厄介になるとしよう。」
中に入ると、最初に目に入ったのは観音菩薩の絵。
ひどく拙い絵であるし、描線はところどころ墨が滲んでいるものの、全体から受ける印象は柔らかく、この絵を描いた人物が絵の対象たる観音菩薩に対して並々ならぬ信仰心を抱いていたであろうことが分る。
「ほう、これはいいものだわい。」
円空が手を合わせると、おせんと名乗った女はその様子に感心して
「へぇ、坊主、この絵がわかるのけ?」
「おお、これでも坊主の端くれよ。よき観音様じゃの。描いた者のこころがよう現われておる。よい絵には、仏様の方から寄ってくださりよる。」
「坊主、おめ、何言ってんだ?」
絵に対して頭を垂れ手を合わせる円空に、おせんは呆れたように言い放つ。
「これ、マリア様だ。おどが昔描いてくれたんだ。観音様なんかじゃねえ。」
「マリア様とは……ぬし……。」
おせんは分っていないようだが、円空は彼女の発した言葉に戦慄する。
「だども、いい絵って言ってくれたのは嬉しいべ。坊主、ありがとな。」
やはり、おせんは分っていないようだ。円空はおそるおそるおせんに尋ねる。
「ぬしゃ、まさかとは思うが……隠れか?」
隠れ、今で言う隠れキリシタンのことである。隠れキリシタンといえば、九州地方、島原の乱のこともあり、いまで言う長崎県周辺の者達がよく知られているが、東北地方にもそうした勢力は小規模ながらある。円空とて、旅から旅の暮らしゆえにそうした噂を耳にしないでもないが、この陸奥(東北地方太平洋海岸周辺)ならば南部藩(岩手県)のあたりにそうした集落がひっそりとある程度にしか思っていなかった彼にすれば、最果ての地であるこの津軽において隠れを目にすることになるとは思ってもいなかった。
「隠れ?」おせんは首をかしげる。
「ああ、何かそんなこと、村の衆からも言われたことあるっぺな。だから、どした?」
「どした、とはぬし……。」
あまりにもあっけらかんと言い放つおせんに、円空は心底呆れていた。
「ええい!隠れなら隠れらしく、もうちょいひっそりとしておこうと思わんのか?」
「何でだ?」
「隠れ……切支丹はな、御法度なのじゃ。知らぬのか?」
「それくらい知ってる……バカにするでね!」
「知っているのなら、なおのこと……。」
「だども、何で御法度なんだ?オレにはそれが分んね。」
円空、答えに詰まりながらも、はたと考える。
切支丹が御法度……この当たり前のことを、実に当たり前のこととして自身生きてきて、さてそれはなにゆえにか?となると、とんと良い答えを思いつかぬ自分に気づく。
「何だ、お上か?お上って言うのは、けちくさいもんべな。」
(こやつ、言いおるわ!)
おせんの言っていることは、本当に率直ではあるのだが、その率直さは世間では罪とされる。
(そういえば、麓ではこの山の中には人は住んでおらんと言っておったな……この娘が隠れならば、それも道理よな。)
江戸時代、現代における戸籍、庶民の住民台帳は、幕府或いは藩というよりも、寺社の預かりであった。「宗門人別帳」、俗に人別帳ともいうが、これは誰それはどこそこの寺の門徒であるという記録であり、この時代においてはこれが戸籍の役割を果たしていた。寺社が戸籍を管理しているということは、寺の門徒になれぬ者は必然的に人別帳からは外れることとなる。故にこの制度自体が切支丹弾圧の機能を果たしているとも言える。
おせんの場合、隠れ切支丹であるがゆえに、当然人別帳には載っていない。いわば、戸籍という部分から見れば、存在しない人間である。また、おせんの存在を知っている者にしても、自分たちの近くに隠れ切支丹がいることなど公には出来ない。故に、おせんという娘は、二重の意味で存在しない人間なのであろう。だから、円空のような外部の人間に対しては、「この山の中に住んでいる者などいない。」という話になる。
(惨い話と言えんこともないが、さて……。)
ここで、円空ははたと考える。
しかし、村から大きく外れたところに住んでいるとはいえ、役人に狩り出されることもなく、ここにこうして暮らしているということは、村の衆なりの情けあってのことということか。それに、おせんの先ほどからの話を聞く限りにおいては、どうやら村の住人ともそれなりに交流らしきものはあるように思える。
(人の情けとは、何ともややこしいものよな。)
円空は、そうも思うのだが、さりとて何が正解か、などということは思い至らない。曲りなりにも僧侶である自分の立場としては、この異端の宗徒を何とか仏門に帰依させることが仕事なのだろうと思いはするが、彼にはその気がない。第一、そのような気があるのなら、とっくにそうした話を始めている。
(結局のところ、人の心など、格式通りには囲めやせん。)
それが、円空の結論だった。
何しろ、円空自身、寺にとどまることなく、流浪の身。いまのこの暮らしも、円空なりのこだわり有ればこそだった。
(わし自身が、型にはまらんことをしておるんじゃもの。)
だから、おせんが切支丹というのなら、それはそれでよい。
いささか乱暴ではあるが、それが円空の出した答えだった。
「まぁ、よいわ。たまには耶蘇の神さんのお世話にもなろうかの。今夜一晩、お世話になりますわい。」
円空は、そう頭を下げ、再度手を合わせる。
その動作は、あくまでも仏門の流儀に則ったものではあるのだが、おせんはいたく感じるものがあったらしい。
「坊主、おめ、やっぱ、いいやつだわ。」
そうして、またにこりと笑う。
(やはり、こやつ、笑うといい顔になりよるわい。)
円空、御年三十四歳。まだ、身のうちの熱いものは冷め切っていない。
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