「再戦は月光の下で」

 月の光が差し込む森の中、松明を持つドロシーの後を、俺達は歩いていた。

「……そういえば、夕食を食べるの、忘れていたな」

 ルーキは目を細めて、少し苛立っているようなため息を吐く。

 その直後、ルーキのお腹がぐぅーっと鳴る。

「ああ、そのことについては大丈夫だ。おそらく、周りの奴らも、お腹を空かせているのが多いと思うぞ」

 おっちゃんは進む先の闇をぼんやりと見ながら、気楽そうに言った。

 するとルーキは怪訝そうに顔をしかめる。

「それはどういうことだ? 依頼の内容は、スライムの討伐だろう? それと空腹に、何の関係があるのだ……?」

 ルーキがそう聞くと、おっちゃんは笑いながら頷く。

「まあ、その通りだな。簡単に言うとその目的と、空腹を満たすのが、同時に達成できるということになる」

 おっちゃんはそう答えるが、ルーキは上手く飲み込めていないような表情だった。

 かといって俺も、その意味を理解できていなかったが。

 少し不思議に思いながらも、おっちゃんのことだから、しっかりと考えがあるのだろうと、上の空で進行方向を眺める。

 すると暗闇の奥に、何か蠢く光が見えた。

 その光は瞬きながら、こちらへと凄い速度で向かってくる。

 じっとよく見てみると、それは目をぎらつかせ、土を巻き上げながら駆ける猪だった。

「……っ! 猪が来るぞ!」

 俺がそう叫ぶと、一同に緊張が走る。

「……ああ、今丁度、足音が聞こえてきた」

 おっちゃんは背中から、右腕に剣、左腕に斧を取り、前へと構える。

 そしてすぐに地面を蹴り、集団の前へと躍り出した。

「ブッギィィイ!」

 おっちゃんが先頭であるドロシーの横を通り抜けたその時、松明の光の中へと猪が入ってくる。

「おらよっ!」

 おっちゃんは走りながら斧を下げ、そこから一気に振り上げる。

それは猪の牙へとぶち当たり、バキリとへし折った。

「ブギュルル!」

 その反動で、後ろへと素早く飛び下がる猪。

 牙からは血が滲み、根元へとじわりと伝っていた。

「俺達を発見してすぐに突進とは、猪でもここまで無謀じゃない。こいつが件のスライムだな」

 おっちゃんが呟きかけている時、猪は突進を再開する。

 だがおっちゃんは冷静に、構えへと戻す。

「確かこうしてスライムと対峙したのは、三十五年ぶり……あの時も猪に取りついていたか」

 おっちゃんはそう言って、スライムの動きをじっと見る。

 そして寸前まで迫る瞬間に、すっと左へ踏み込む。

「ビギィイ!」

 猪はおっちゃんを目で追いながら、ブレーキをかけようと足を突っ張らせる。

 しかし既におっちゃんの目の前まで来ていた。

「ふんっ!」

 振り下ろされる斧は、猪の胴体をど真ん中から切り裂いていく。

 するとその胴の隙間から、赤い血と共に、青くどろりとした液体が溢れ出す。

「前はここで逃げ出して、分裂を許してしまったんだよなぁ……」

 ため息を吐くおっちゃんは、斧を引き下げる。

 遮るものがなくなったスライムは、猪の中から抜け出し、同時に二体へ分かれようとしていた。

「だが今回は、そうはいかない!」

 おっちゃんは叫びながら、右手の剣を突き出す。

 その切っ先はスライムの透明な身体を進み、中にあった赤い核を貫く。

「ピ……キィ……!?」

 甲高い断末魔をあげるスライムは、どろりと剣から溶け落ち、すっと消えていった。

「よし、これで俺もリベンジは完了だな」

 おっちゃんはそう言って、斧を空振りさせて、べとりと付いた血を軽く払う。

 その瞬間、自然と歓声が起こる。

「流石は英雄のおっちゃんですね!」

 ドロシーはそう言って、笑顔を向ける。

 だがおっちゃんは喜ぶ素振りを見せず、再び剣を構える。

「まだ気は抜くなよ。ここからが本番だ。おそらくこいつの叫び声を聞いて……」

 おっちゃんがそう言うと同時に、周囲の草木が揺れ始める。

 そして十数匹の猪が、そこから現れた。

「……なるほど、こいつらを倒して、今日の夕食にするのか!」

 ルーキはそう言って、腕を突き出すと同時に炎を出す。

 その瞬間にルーキの炎へと、皆の視線が集まる。

「……ルーキの命技に目を奪われるのは後にしろ、今はこいつらを全滅させて、そこから皆で夕食だ!」

 おっちゃんはそう叫んで、近くにいた猪へと飛びかかる。

「おおーっ!」

 皆がおっちゃんの声へ、雄叫びで返し、得物を構えて飛び出していく。

「おい正也、我らも遅れずに行くぞ!」

 ルーキは俺にそう呼び掛けて、猪へと走り出す。

「おうよ!」

 俺が返事する頃に、ルーキは猪の突進を、牙を掴むことで抑え込んでいた。

 じりじりと押され、踵に土を盛り上げていたルーキは、舌打ちをして、右手をすっと後ろへと下げる。

「食らえ、紅蓮火焔……ッ!」

 ルーキはそう叫びながら、猪の顔へと燃え上がる拳を叩き込む。

 焦げるような臭い香りが、鼻を少し突く。

「……ブギィィイ!」

 猪は酷い悲鳴をあげ、前足で地面を蹴って、身体を反らせる。

 その隙を見計らい俺は、猪の背中へとナイフを突き立てる。

「焦がしたら、まともに食べれないだろ……」

 俺はぼそりと呟き、突き刺さったナイフへぐっと力を込めて、皮膚を引き裂いていく。

 するとその隙間から、スライムがモコモコと溢れ出していく。

「そう言われても、まともに使える力はこれだけなのだがな……おらっ!」

 ルーキはぼやきながら、切れ目の入った逆側を殴り付ける。

 ぶるりと震えて倒れていく猪と、そこから出ていくスライム。

「ビッギィィイ!」

 叫びながら逃げていこうとするスライムへ、ルーキは腕を突き入れる。

 ぼんやりと透ける身体から見える、炎が消えた腕は、炎とは違う竜の赤へと変化していた。

 俺が驚くのも束の間、ルーキはスライムのコアを握り潰す。

 そして引き抜くと同時に、炎が腕を包み込んでいった。

「……おいおい、それを使ったらマズいだろ!」

 俺がルーキに耳元でそう言うと、目を丸くして首を傾げる。

「お、あんな一瞬で、よく見えたもんだな。まあ普通ならその発想には至らず、炎と勘違いしてくれるだろうし、大丈夫だろ」

 ルーキは鼻を鳴らしながら得意気に言うその時、後ろの木から猪が飛び出してくる。

「……っ!? 危ない!」

 俺はそう叫んで前へ駆け出すと、気が付けばルーキの身体を横へ突き飛ばしていた。

 その直後凄まじい衝撃、猪の突進を思いきり、腹部に受けてしまう。

「ぐっ……!」

 ナイフを手から落とし、俺は後ろへと転がっていく。

 そして背中から木へとぶつかり、一気にスピードを落とした。

 グラグラと揺れる木から葉っぱが落ち、頬をくすぐる。

 衝撃で肺が締め付けられるように痛み、息苦しさに視界が揺らめく

「……っ上手く受け止められなかったか……」

 徐々に焦点の合っていく視界の先には、再び突進を始めようとする猪。

 だが手元にナイフは無く、衝撃で受け止めることもままならない。

 必死に考えを巡らせていると、猪の後ろを追い掛けるルーキがいた。

「おらっ、止まれ!」

 ルーキは身体を捻らせて、猪の横っ腹に拳をかます。

 よたりとよろめく猪だったが、すぐにバランスを取り戻して、こちらへ加速する。

 俺はその間に立ち上がろうとしたが、膝を突くので精一杯だった。

 するとルーキは捻らせた身体を一回転させて、何かをこちらへと投げつけてくる。

「正也、頭を下げろ!」

 ルーキに言われるがままに頭を下げると、頭スレスレに何かが飛んで、木へと当たる。

 目線を上へ向けてみると、そこには俺のナイフが、木へと突き刺さっていた。

「ナイスだ、ルーキ!」

 俺はそう言いながら、突き刺さるナイフをぐっと引き抜く。

 そして手元でくるりと回して逆手に変え、向かってくる猪の額へと突き下ろした。

 溢れ出す血の温かさと、固い頭蓋骨の感触が手へ伝わってくる。

 だが俺は力を緩めない。

「ブギィィイ……!」

 断末魔の叫びと共に、バキリと頭蓋骨の割れる音が響く。

 猪の足取りは拙く揺らめき、俺の膝元へと首を垂れた。

「ふぅ……何とかギリギリで抑えられたか……」

 ルーキはいつものように腕を組み、こちらへと歩み寄ってくる。

「まあな……慢心してたらこのザマだな……」

 俺はため息を吐いて、木に掴まりながら立ち上がる。

「我こそ、完全に油断してしまっていた。迷惑をかけてすまないな……」

 ルーキは申し訳なさそうに眉を寄せて、少しだけ頭を下げる。

 そのしおらしい様子がおかしく見えて、思わず吹き出してしまう。

 笑いをぐっと抑えてルーキの顔を見ると、不思議そうな丸い目を覗かせる。

「わっ……笑うことないではないか! それに、お前も死にかけてただろう!?」

 下げていた眉をくっと上げて、ルーキは俺の腕を掴んで揺する。

「悪い悪い……まあ先にやらかしたのはルーキだし、少々は許してくれよ!」

 俺が軽く言うと、ルーキは揺する手を止めて、足をパタパタと踏みしめる。

 そして口をツンと尖らせて、その場にしゃがみこむ。

「むぅ……まあ仕方ないか……さて、次へ行く……前にだな」

 ルーキはそう言うと、俺の開けた猪の額の穴へと手を突っ込む。

 そこから探るように腕を動かしたかと思うと、一気に引き抜いた。

 その手にはスライムが纏わり付き、竜の腕には赤い核が握られていた。

「油断はいけない、今回はそれがよくわかったからな」

 そう言ってぐっと力を込めて、核を砕いた。

 同時に燃え上がる紅蓮火焔は、スライムの身体を熱して、一瞬にして蒸発させていく。

「まったく、人間の身体では、核を握り潰せないのが難点だな……」

 ルーキはそう言って立ち上がり、キョロキョロと周りを見渡す。

「……こうやっている間に、もうほとんど全滅か……一人当たり一匹、まあこんなもんか」

 ルーキはため息を吐くと、頬を掻きながら呟く。

 すると急に、少し遠くから、目映い光が起こる。

 俺とルーキが驚いてそちらへ顔を向けると、横で数人の冒険者達が走っていく。

「ドロシーの案山子灯だ!」

 その内の一人の言葉に、ルーキは首を傾げてこちらを見る。

「案山子灯? どういうことだ、まあとにかく行ってみるか……」

 ルーキの静かな言葉に頷いて、俺達は光の起こった方向へと向かっていく。

 その光の場所には、人が円形に集まっていた。

「ちょっと失礼するよ……」

 俺達がその隙間に入ると、円の中心にはドロシーが鋭い顔で剣を構えていた。

 その周りには、五匹の猪がタイミングを見計らうように、地面を蹴っていた。

「猪っ!?」

 ルーキがそう言って飛び掛かろうとすると、その前に静止する腕が伸びてくる。

「こら、待て待て、あれはドロシーに任せておけ」

 腕の主、おっちゃんがそう言って、期待の眼差しでドロシーを見る。

 ルーキは不満そうな顔をしながらも、それに従ってドロシーの方を向く。

 するとそのタイミングで、一匹の猪が一気に駆け出す。

 それを合図に、残りの四匹もドロシーへと向かい始める。

「魔物は、殲滅します……!」

 ドロシーはそう呟くと、ふらりと右へ踏み出す。

 その動きは、一匹の猪を紙一重で回避する。

 そして右足を軸にして、左足をぐっと下げ、捻らせた勢いで猪の腹を剣で撥ね上げる。

「ブッ……!」

 切り裂かれた傷口から無理矢理に押し出され、宙を舞うスライム。

 その核を、引き下がりながら切り下ろし、真っ二つにした。

「無駄、諦めてください」

 そう言って後ろから来る突進を、振り向きざまに下ろす剣で地面へと叩き落とす。

 そして反動で傷口から飛び出したスライムに、蹴りをかまして横へと飛ばす。

「ピギィイ!?」

 飛んだ先には、今にも突進をドロシーへかまそうとする猪がいた。

 ぶつかり合うスライムと猪。

 スライムはぶち撒けた水のように、猪の毛皮へと広がっていく。

 蹴りの勢いで一回転したドロシーは、スライムの核ごと猪の身体を切り裂いた。

 すると潰れていたスライムがすっと消えたかと思うと、同時に傷口からスライムが覗く。

 ドロシーは即座に剣を逆手に持ちかえて、その傷口へと差し込んでいった。

 そしてぐっと捻ると、傷口からスライムが溢れ落ちる。

 地面に落ちて消えていくスライムを見て、ドロシーはため息を吐く。

「あと二匹……」

 ドロシーが剣を振ると、勢いで刺さっていた猪がすっぽりと抜けて飛ぶ。

 その先にいた猪に当たり、少しよろめかせた。

 ドロシーはその隙に駆け寄り、剣を持ち直すと、薙ぎ払うように横から切りつける。

「ブッ……!」

 猪はそれを牙で受け止めるが、反動で少し退く。

 だがドロシーは躊躇うことなく、斬撃を続ける。

「ビッ……ギィ」

 猪はゆっくりと引き下がりながらも、ドロシーの斬撃を受け止めていく。

 するとピキリと鋭い音が響く。

「ブッギィイイ!」

 ドロシーの真後ろから突進を加えようとする、もう一匹の猪。

「自ら襲撃を知らせるとは、猪突猛進なだけでなく、本当に馬鹿ですね……」

 嘲笑うかのように言ったドロシーは、すっと横へ移動する。

 猪が急ブレーキできるはずもなく、ドロシーの横を通り過ぎていく。

 そして斬撃の猛攻を受けていた猪へと、正面衝突しそうになる。

「追撃ですよ」

 ドロシーは突進していた猪の後ろから剣を振り、切り裂くと同時に前へと押し出す。

 牙と牙のぶつかり合う音と、脆く崩れる音が混ざり合い、響く。

「ブギッ……ギィイ!」

 牙を折られて悲鳴をあげる猪。

 その前の猪は力なく崩れ落ち、傷口からはスライムがどろりと溢れ出していた。

「しっかり考えて動かないから、避けられただけでなく、自分の仲間に攻撃してしまったりするんですよ?」

 ドロシーは傷口を塞ぐように、剣をズブリと突き刺し、グリグリと回す。

 すると猪はビクリと跳ねたかと思うと、すぐに動かなくなる。

 傷口から溢れていたスライムは、すっと消えていく。

「……あと、一匹ですね」

 傷口から剣を引き抜いたドロシーは、最後の猪へと剣を向ける。

「ブッ……ギギギィィイ!」

 金切り声を上げながら、ドロシーの胸元へと飛び込む猪。

 その叫びは助かりたい一心にも、仲間を倒されていった怒りにも聞こえた。

「本当に愚かですね……」

 そうバッサリと吐き捨てたドロシーは、同じくバッサリと猪を切り裂いた。

 残っていた牙は粉々にへし折れ、身体には横一直線に傷が描かれる。

 ドロシーは一歩踏み込み、勢いに乗っていた猪はその横を通り抜けていく。

「これで終わりです」

 静かにそう言って、左足でくるりと回るドロシー。

 その回転を使い、叩き落とすように猪を切り下ろした。

「ブッ……ピィイ!?」

 耳に響く、混ざり合う猪とスライムの断末魔。

 砂煙を上げて、地面に落ちていく猪。

 傷口から溢れるのは、粘り気を失ったスライムと、砕けた核だった。

 すっと消えていくスライムを見て、ドロシーはため息を吐く。

 そして一振りで血を払い落とし、ゆっくりと鞘へ仕舞っていった。

 カチャンと音が響くと同時に、拍手と歓声が起こる。

 それはドロシーへの労い、はたまた依頼成功の喜びで満ちていた。

 俺はそれに合わせて拍手をするが、少し気が重かった。

「うん、どうした正也? 見事にリベンジが成功したんだぞ? もっと喜べ!」

 ルーキがにっこりと笑いながら、俺の背中を叩いてくる。

「いやこう見ると、ちょっとスライムが可哀相だなって……まあ気まぐれ程度だし、気にするな」

 俺は息を吐いて気を取り直し、少し微笑んでみせる。

 するとルーキは安心したように、ため息を吐く。

「この世は弱肉強食、利害が一致しなければ、弱者が淘汰されるものだ。そして最悪の場合、死ぬしかなかったりな……それは人も同じ、仕方がないことだ。さてさて、猪を運ぶようだぞ? 我らが狩った分だけでも確保しに行かなくてはな!」

 ルーキは冷静な口調で淡々と言って、すっと声色を明るく変えて歩き出す。

「ああ、そうだな……」

 俺は一言返事を返し、鼻歌を鳴らすルーキの後を追っていく。

 弱肉強食、それは人も同じ、その言葉を胸に刻みながら。

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