「切実な問題で、色々足りないや」

 太陽が山の間から、ゆっくりと顔を出してきた頃。

 俺達はドロシーに案内され、やっと街に辿り着いた。

 その街は物々しい壁で囲まれ、ぽつんと空いた門が唯一の出入り口だった。

「……やっと到着したか。竜を祀る街、グラスティアへ」

 ルーキはさっぱりと眠りから覚めた声で言った。

 その顔にはどこか懐かしむような、感慨深さが窺えた。

 そして頭を掻きながら、その大通りを少しずつ歩き出していく。

「ここからは、宿屋探しですか?」

 ドロシーがそう聞いた瞬間、ルーキの歩む足が止まる。

 それどころか、俺は口を開けて思わず声をあげてしまった。

「……そういやお金、無いや」

 声を震わせて言った俺に、ルーキはすたすたと駆け寄ってくる。

 そして目を見開きながら、俺の胸ぐらを掴んできた。

「おい、どうするつもりだ! お前について来たはいいものの、ここまで無計画だとは!」

 そう捲し立ててくるルーキは、息を荒げて呆れているようだった。

 凶暴に殺気立ったルーキを、ドロシーが引き剥がすように仲裁する。

「そこまで着の身着のままだったんですか……大丈夫です、多少の金ならありますから。スライム退治のお礼です。これぐらいあれば、準備等を含めたとしても、二週間は何とかできるでしょう」

 ドロシーはそう言いながら、腰元の袋を一つ取る。

 そしてその袋を、俺の手に渡してきた。

 それを開いてみると、中には大きい銀貨が五枚入っていた。

 しかし退治なんてしてないと、言葉が喉元まで這い出かけていた。

 だが今はそれどころじゃないと、言葉をぐっと抑える。

 気持ちをゆっくりと落ち着けて、一つ頷いて口を開いた。

「……ああ、すまないな。それに申し訳ないんだが、宿屋までの案内を頼めるか?」

 俺がそう言うと、ドロシーはにっこりと笑う。

「これでも騎士ですからね、もちろんですよ!」

 誇らしく言うドロシーは、先頭に立って歩き出した。

 ルーキは俺の方をちらりと見て、呆れたようにため息を吐く。

 そしてドロシーを追って、とたとたと駆けていく。

 俺もそれに少し遅れて、ゆっくりと歩き出した。


 ドロシーは足を止めて、そこにあった看板を見上げる。

「……ここが、私がいつも使っている宿屋です。良心的な価格で質素ながら三食ありと、本当にお世話になってます!」

 そう言うドロシーに、俺は頷いて返す。

 そして看板を見てみると、黒いインクで宿屋と漢字で書かれていた。

 俺がその文字に驚いて眉を上に動かすと、ドロシーが不思議そうな表情で顔を覗き込んでくる。

「……どうしたんですか?」

 ドロシーがそう聞くと、ルーキがやれやれとため息を吐き出す。

「こいつは、いつもこんな感じだ、気にしなくていいぞ。それより、この街で金を稼ぐ、良い方法は無いものか? 二週間分だけでは、少し心許ないんでな」

 ルーキの質問と共に、ドロシーは渋い顔に変わっていく。

 あまり言いたくないようなそんな暗い表情に、ルーキは困り果てたか唸り声をあげる。

 するとドロシーは目を見開いて、何度か頷いた。

「……今は基本的に、魔物退治が主な仕事になりますね。誰かから依頼を受けて、それをこなすという流れです」

 ドロシーがそう説明して、腰元のポーチを漁る。

 そしてその中から鞘に入ったナイフを取り出すと、俺に持ち手を向けて差し出してきた。

「あんな木の棒だけでスライムを一匹倒したんですから、その辺りの弱い魔物なら楽勝ですよ。とりあえずこれは餞別です」

 ドロシーは確信を持った顔で、俺の手にナイフを押し付けてきた。

 だが俺の頭の中には、もやもやとした不安が渦巻いていた。

 異世界に放り出された次は、害獣退治をすることになるとは思ってもいなかった。

 俺は受け取るのをためらい、手を引きそうになる。

 すると横からルーキが手を伸ばし、俺の手と挟み込むようにナイフを取る。

「そうだな。我と正也ならば、何とかやっていけるだろうな。また困ったことがあったら、よろしく頼むぞ」

 ルーキは鋭い目をしたまま微笑み、首を少し傾げる。

 その言葉に答えるように、ドロシーは頷いた。

「はい、わかりました! それでは、これで失礼します!」

 そう言いながら、すたすたと去っていくドロシー。

 その後ろ姿を見て、ルーキはため息を吐く。

 そしてナイフを手に掴み、くるりと回した。

「……まったく、お前は男なのに、なよなよとしているのだな。女にあそこまで一目置かれたのだ、ここはしっかりと突き通してやるのが道理であろう」

 冷たい目で俺を見ながら、ナイフを懐へしまった。

「さて、宿屋に入るぞ。まずはこれからの計画だな……」

 肩をぐるぐると回しながら、ルーキは宿屋の扉を開いた。

「おう、わかった」

 俺は焦りながら、その後を追った。

「あら、朝早くからいらっしゃい! グラスティア一お得な、サーニャおばちゃんの宿屋へ!」

 宿屋に入った瞬間、そこの窓口に立っていた女性が笑いながら言う。

 ルーキはその前に歩き寄り、心配そうな顔で口を開く。

「質問だが、一泊でいくらかかる? 我々は少しばかり金欠でな……」

 ルーキがそう言うと、おばちゃんはにこにこと笑う。

「一応だけど、グラスティアでは一番安いと思うわよぉ! 一泊三食付きで、後払いの1000ドランの、一週間からは二日に1500ドランよぉ! ちなみに子供は、保護者料金だけでいいわ!」

 おばちゃんはそう言って、料金表を見せてくる。

 子供という言葉にむっとしたルーキだったが、料金表をじっと見てから、安心したように頷いた。

「ああ、それなら大丈夫だ。ここに泊まらせて貰おうか。名前は、我がルーキ、それでこいつが正也だ」

 それを聞くとおばちゃんは机の下を漁り、そこから鍵を取り出す。

 そして鍵をルーキの小さい手のひらの上の置いた。

「わかったわぁ。部屋は廊下の一番角ねー、そんでお昼ご飯は一時だからねぇ。それではごゆっくりー!」

 おばちゃんはまたにっこり笑って、俺達に手を振った。


 部屋に入ると古くさい香りと共に、ベッドと丸く小さいテーブルが置かれているのが目に飛び込んでくる。

 そして壁を見てみると、カチカチと音を立てる時計が掛けられていた。

 どうやらこの異世界、振り子時計程度ならば存在するようだ。

「……まずは、これからどうする? 多少程度、この世界のことがわかってきたと思うが。まだわからない点はあるか?」

 ルーキは部屋の真ん中に立ち止まり、冷静にそう言った。

 確かに、金を稼いで生活していく方法はわかった。

「今気になることといえば、この世界での言語はどうなってるんだ? 看板を見たところ、漢字が使われてたようだが……」

 俺がそう言うと、ルーキは眉をひそめて首を傾げる。

 そして息を吐き出して、何かを考えているかのように瞳を動かす。

「……看板というと、剛字のことか。お前の世界では、漢字と呼ばれてたのか。なるほど、あそこで悩んでいた理由はそれだったのだな」

 ルーキは机の上にあったメモ帳に目を落とし、一緒に置かれたペンを手に取った。

 そして拙い動きで、メモ帳へと何かを記していく。

 歯を食い縛りながら書いていくルーキの顔は、苦戦している様子をよく表している。

 それが書き終わると、ビリッと一枚破り取り、こちらへと見せてきた。

 そこには汚く、紅蓮竜王、やどや、ルーキと三様の文字が書かれていた。

「一番上は剛字といって、ここからずっと東の国、剛天が発祥のものだ。そして二つ目が、剛字の汎用性を増やすために作られた軟字だ。基本的にはこの二つが世界的に使われている。そして最後がハルス文字、かつてハルナード王国で使われていた文字だ。今は名前や一部の言葉にしか使われていないがな」

 ルーキはその文字を見ながら、渋い顔をしていた。

 おそらく上手く書けなかったとでも思っているのだろう。

 まあ、ギリギリ伝わったため、俺は頷いてやった。

「なるほど、呼び名が違うとはいえ、元の世界、それも俺の国と同じ言語みたいだな。これで、とりあえず直面していた疑問は解けたかな」

 俺はそう言いながら、ベッドに横たわる。

 するとルーキはメモを机に置いて、不満そうな顔をする。

「ならば、お前の目的を教えろ。元に戻してもらうためだ、はっきりしてもらわなくては困る」

 ルーキはベッドの縁に座り、ため息を吐いた。

 そこで俺は、ルーキとの約束を思い出した。

 あくまでルーキは、弱味を握られているからこそ、こうしてついて来ているのだ。

 俺はそのことを思い浮かべながら、ぼんやりと考える。

 簡単に達成されれば、騙していることが即座にバレてしまう。

 なんならその条件を満たしながら、元に戻す方法が見つかるようなものがいい。

 そんな大きく、ある程度難しいものを……


「折角だし、歴史に名を残すような……世界に無を轟かすような、有名人になってみるのもいいかな……」

 俺は目を閉じながら、眠気にぼやけた頭で、そう呟いた。

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