第3話 ブリタニアにて


 ここはブリタニア大陸。灰原タクヤが転生した世界にある大陸である。東西約1万キロ南北約7万キロの面積を持つ。大陸は、大陸中央を南北に分割するかのように東西に伸びる「虎尾山脈」と、その東西の中央からさらに南方に向けて伸びる「竜骨山脈」により、大きく3つに分割され虎尾山脈の北方を「女王国」、竜骨山脈の西方を「深紫国」、竜骨山脈の東方を「虹国」がそれぞれ治めていた。女王国はさらに東西を二分割して東側を「黒の女王」が、西側を「白の女王」が治めている。「黒の女王」は軍事と政治を「白の女王」は祭事を司っていた。灰原タクヤが転生したのは、この女王国の中央南部、虎尾山脈の北側の麓の森、山を隔てて向こう側にはちょうど竜骨山脈が伸びている。そんな寒々しい森の中に灰原タクヤは転生した。この森は山を隔てて深紫国、虹国が存在している「国境」に当たる地域ではあるが虎尾山脈と竜骨山脈が交差する地点、聖域であり難所である「奈落の大瀑布」を経由する必要があるため実態としての「国境付近」のような緊張感がある訳ではない。そのため、この森にも国境警備隊は存在しているものの練度も士気も高い訳ではなく、言うなれば中世ヨーロッパ風の兵装をしただけの自警団のような連中である。こんな連中だったからこそ下半身を丸出しにした灰原タクヤが空から降ってきても、敵軍の疑いをかけて拷問にかけたり、後続への見せしめとして殺したりすることなく、いたって平和的に縄をかけ、日が昇ってから近隣の村へ連れていき、首実験をしようという悠長なことをしようとしている訳である。

 白の女王は祭事のために、女王国中(と言っても直轄地のみであるが)を周ることが多い。祭事といっても「豊作の祈祷」やら「疫病の防止のための祈願」などといったものよりは、もう少し実利からは遠い「形式」のようなもので「年に一回この時期にここでやる」と決まっているから「実施する」ようなもので、その「祭事」そのものには神事としての明確な意味はない。どちらかと言えば、この「祭事」が実施されたら、その地域の「税率交渉の締切」となる政治的な時報の役割が強い。今、白の女王が祭事のために訪れている村は「ネバーモア」だった。女王国のほぼ中央に位置するのだが、便宜上、白の女王の管轄である西側所領に分類される。旅人も滅多に訪れることのない辺境の村だが、大陸統一という偉業を、歴史上初めて成し遂げ、現在の女王国の基盤を築いた「偉大なる王鼠(グレートキング・ラット)」の生誕の地であるとされ、その経緯から白の女王の祭事の行脚の始発地点として指定されており、これから灰原タクヤの首実検を行う村でもあった。

 灰原タクヤは困惑していた。ラノベで読んだような異世界転生を体験しているのだから当然だ。しかし、よくあるラノベでは異世界に転生した時には、転生の過程でチート能力が使えるようになったりするものなのに、そういった能力の発現は今のところない。それはともかく、一番困惑しているのは言葉が通じないことである。一般的に異世界転生モノと言えば、陸続きで他国との交流が盛んで、同語族の多言語の人が多く行き交い、その行き来に不便な「文法と単語だけによる情緒表現」や「行間を読ませたりする曖昧さ」や「組み換え可能な語順」など、とうの昔に切り落とされた言語を使っていると推測されるのに、なぜか島国系言語をさらに独自発達ような日本語がそのまま通じたりするものだが、この異世界では、そんなご都合主義は許されなかった。しかし、彼等が本格的に喋っている時には、まったくもって分からないが、命令形で指示出しをしている時には、なんとなく何を言っているのかが分かる。日本語以外の「自分の知っている別言語」に似ているせいだろう。さらに、もうひとつ困っているのが、無茶苦茶寒いことだ。大陸北部の山脈の麓なのだから当たり前である。しかも、折しも冬と推測された。トイレに入る直前に着ていた(下は脱ぎかけであったが)スーツの下とワイシャツで転生しているのだ。寒いに決まっている。

 灰原タクヤは村の広場に連れてこられた。続々と村人達が集まってくる。妙に老人が多い。皆一様に、羊毛と思しき毛糸の編み物を着ていて温かそうである。国境警備兵が村人に対して何かを言うと、村人達がタクヤの前に一列に並び始めた。警備兵は「こいつを知っているか?」と尋ねたのだろう。ひとりひとりタクヤの顔を覗き込んでは首を横に振って「いや知らん」とばかりに去っていく。最後のひとりが首を横に振り終わる頃、タクヤは凍えかけていた。白い物がチラチラと空から舞い落ちている。タクヤは泣きそうな気分で空を見上げた。「ああ、ラーメンが食べたい。喜多方ラーメン坂内のチャーシューラーメンが良い……」とか考えていると、白いマントに身を包んだ若い女(タクヤと同じくらいか少し上だろうか)と3人の重装備の男が近くの小屋から出てきた。女が警備兵に何ごとかを言うと、タクヤに近付いてきた。白いマントの女がタクヤの前に立つと重装備の男のうちひとりがタクヤの喉へ槍を突き付けた。治安の良い国ランキングを作れば確実に10位以内には入るであろう治安優良な上に隣国による領海侵犯すら黙認するレベルの平和ボケ国家日本で育ったタクヤとしては卒倒するレベルの恐怖であった。白いマントの女はタクヤの怯えた様子を確認すると、槍を構えた男の腕にそっと手を置き槍を下げるように指示を出した。男は警戒しながらゆっくりと槍を下げる。槍が下がりきたことを確認すると、女は友好的な表情を浮かべながら、ゆっくりと綺麗な発音で、なるべく平易な言葉で話かけてきた。


「Hi, Traveler. Please call me Mercury. your name please?」

 タクヤは、この国の言語が英語に似ていることに気付いた。なんとか話が通じるかも知れない、希望が見えた。なんとか意思の疎通をはかってみよう。英語なら片言でも話すことが出来る。もし、英語的表現が失礼な言い回しになって、その槍を持った男に突き殺されることになっても仕方ない。言葉が通じなかった場合、遅かれ早かれ死ぬしかないからだ。

「ミス・マーキュリー。こんにちは。わたしのことはタクヤと呼んでください。自分は旅行者ではありません。気付いたらここにいました」

 白いマントの女「マーキュリー」は驚いた顔をした後、マントを脱ぐとタクヤにかけながら、こう言った。

「タクヤは旅行者ではないのですね。どうして、このような辺境の村に居たのですか?気付いたら、ここにいた……ということは、その前はどこにいたのです?」

「信じてもらえないかも知れませんが……おそらく、こことは『別の世界』にいたのだと思います。なので、分からないかも知れませんが、その前に居た場所は『日本』という国でした。家で寝ようとしていたら急に光に包まれて、気付いたら夜の森の中に居た────」

 流石に「黒田の尖端とトイレ」の部分については誤魔化したが、片言で、ゆっくりと、そして、なるべく嘘の無いように誠実に話をした。

「詳しいことは分かりせんし『光に包まれて気付いたらここにいた』というのは、にわかに信じがたい話ですが、わたくしにはあなたが嘘を言っているようには思えません。とりあえず、あなたは旅行者(Traveler)ではなく漂流者(Castaway)であるということは理解しました。あと、ゆっくりと、簡単な言葉で話せば、少しだけ話が通じるということも」

 マーキュリーは脇に居る重装備の兵士に何事かを伝えると、兵士は警備兵の元へ走っていった。続いて、先程槍を喉元に突き付けてきた兵士に何事かを伝えると、タクヤの縛めを短剣で切りはじめた。

「タクヤ……ひとまずあなたの身柄は、ここに滞在する間だけですが、わたくしが預ります。『念のため』の監視はつけさせてもらいますが、温かい部屋と食事の保証はいたしましょう」


 タクヤは重装備の兵士に一軒の空家に連れてこられた。小さいが石造りで、とても頑丈そうな家である。家財道具が一式揃っており、すぐにでも生活ができそうな様子だ。兵士の話では、最近まで身寄りのない老人が住んでいたが、この冬の一番寒かった日に亡くなったそうだ。その老人は、いつもなら日が昇る前から畑に出ているのだが、その日は昼前まで姿を見せなかった。不審に思った百姓仲間が様子を見にきたところ、床に倒れて冷たくなっていたという。その手には小さな骨が握られていた。20年程前、この老人には息子がいたのだが、国境沿いの小競り合いが活発化している情勢を受けて、志願兵として村を出ていってしまった。その数年後に起きた「病鼠事変」の折、最前線で戦い、そして戦死した。あまりに凄惨な戦いだったため老人の元に帰ってきたのは息子の右手の小指だけだった。老人が死んだ時に握っていたのはその小指の骨だ。当時、多くの若者が「これといった名物も名産もないこんな村にいるくらいならば、兵として名をあげる」と言って志願兵となり、そして死んでいった。この村が老人ばかりなのは、それが原因である。

「ここを使うと良い。今夜、ここで女王様による祭事がある。それが終わって翌朝、女王様がここを離れるまでは、ここに居てもらうことになる。完全に疑いが晴れた訳ではないが、まあ、この中にいる限りは好きにしてもらって構わない。なにか要り用なものがあれば外に居るので声をかけてくれ」

 そう言って兵士はドアの外へ出た。タクヤは、そこで緊張の糸が切れたようで、そのままベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。

 次に気付いた時には真っ暗だった。日がすっかり落ちてしまったのだろう。目が慣れてくるにしたがってボーッと見上げていたのが見慣れぬ天井であることに気づき、漠然とした寂しさを覚える。しかし、タクヤのそんな気持ちなど知らん顔をして、外ではお祭騒ぎが始まっていた。ドアを開けて外を見てみると文字通り「お祭騒ぎ」をしていた。先程の白いマントの女──今はマントを着ていないが──マーキュリーが薄衣一枚で舞をしており、それを村人達が囲んで踊っている。一通り舞終えたマーキュリーが村人達になにごとかを言うと村人達が騒ぐ。それを見て彼女は首を横に振り、俯きながら、重装備の兵に囲まれて、その場を離れた。その後、残された村人達は鍬やら鎌やらの農具を振り上げては大声で騒ぎ、その様はまるで決起集会のようであった。その異様な様子に恐怖したタクヤはドアを締め、ベッドに腰をかけて考える。


「ここを逃げ出そうか……いや、地理も分からないのに、どこへ?」

「そもそも今、軟禁されているのに逃げようもないだろう。」

「ここにいる限りは安全か?」


 そんな答えの出ないことを考え、出口のない思考の迷路に迷い込んで窒息しそうになっていると、急にドアをノックされて、心臓が口から飛び出そうになるほど驚いた。今、居留守を使ったところで意味をなすと思えなかったので、ドアにゆっくりと近付いて「誰か?」を質問した。マーキュリーであった。タクヤが用心深くドアを開けると、マーキュリーと重装備の兵ひとりが部屋に入ってきた。「お茶でも出さないと……って言っても、ここは自分の部屋でもないし勝手が分からないな……」などと考えあたふたとしているとマーキュリーは食卓の椅子に座り、重装備の兵はその隣に立った。タクヤはマーキュリーに「あなたも座ったら」と椅子を勧められたところで、ハッと我に返りマーキュリーの正面に座った。マーキュリーは「調子はどう?」と聞いてくる。「ゆっくり休んだので、まずまずです」と答える。すると、マーキュリーは「あなたが、なんのしがらみもない旅人……ではなかった、漂流者だからですかね。少し話を聞いてもらいたい」と疲れた顔をしつつも、どこか優しい目で話し始めた。


 先に説明した通り女王国は東西で分かれており、西を白の女王、東を黒の女王が治めている。この二人の女王の体制は政教分離を目指したものであり、女王国全体で見れば、黒の女王が政を白の女王が教を担当している。先の「病鼠事変」の折から山脈の切れ目(山が低くなっており、比較的交通の容易な箇所)付近で他国の貴族達が略奪や人さらいをすること多くなっており、女王国でも軍備増強のために税を重くしている。また、東西に長い国であるため、東に住む黒の女王の政は、西の端の地域までは行き届かず、対応が後手に回ることも多い。そのため西辺所領については白の女王が「暫定的な代理としつつも実態として」政を見るというのが代々繰り返されてきた体制である。このように伝統を重んじる保守的な体制を継ぎ接ぎしながら運用しているため、近年のスピードが求められる国際状況に対して遅れをとることがしばしばあった。それこそ「王は貴族の代表である」という骨董品のような価値観であり「王といえども貴族である以上、貴族としての任を誰よりも担うべき」として直轄地については自ら徴税に出向くような有り様である。そのような王国が、なぜ未だに滅んでいないのか?代々の「黒の女王」と宰相「鉄猫」の手腕によるところが大きい。黒の女王は幼い時分から徹底した英才教育を施される。算盤勘定をはじめとして、果ては魂の高潔さと圧倒的な非情を含む徹底した合理主義を叩き込まれる。「鉄猫」とは「偉大なる王鼠(グレートキング・ラット)と言えども間違えることはある。その鼠を監視する猫」の役であり、位としては宰相である。次代の黒の女王が14歳となる時、平民の中から同い年の男性が学術の選抜で選ばれる。黒の女王と兄弟の如くに育てられ、帝王学を除く学問の全てを同席で学ぶ。鉄猫が帝王学を学ばないのは、帝王学に基く判断を諫めるのに邪魔になるためだ。その代わり鉄猫は用兵を学ぶ。黒の女王が鉄猫を疎ましく思い、鉄猫を滅そうとしても鉄猫の方が用兵に長けていれば思い留まるからだ。この相互監視の仕組みが骨董品のようなこの国を生き長らえさせてきたのだ。そして、諸侯の間では今代の黒の女王と鉄猫は数百年に一度の天才であると呼ばれ、理想的な王と鉄猫だとの呼び声が高かった。特に黒の女王は理想的であった。むしろ理想的でありすぎた。「極めて合理的であり、極めて厳格である」そして、それが民の幸福を最大化させるのであれば非情な決断も躊躇なく行う。対して今代の白の女王は和を尊び、未来よりも今を大事にする仁君であった。「病鼠事変」からの流れで民が困窮する中、黒の女王への不満がつのり、白の女王を推す声が大きくなってきているのは当然と言えた。黒の女王を廃して、白の女王を立てろという声や、もしくは、白の女王が治める地域に黒の女王の介入を止めさせる、つまり西辺所領の独立を要求する声もある。ついには革命軍を名乗る輩まで現れる始末だ。先程の「決起集会」もその中の一つで、彼等はもう革命軍のつもりなのだろう。翌朝、黒の女王がこの村へ来て、税についての説明をする。その中で刃傷沙汰になったりはしないだろうか……自分には止められる自信が無い。早馬を飛ばして、黒の女王へ、この村へ来ないように伝えることは出来ないだろうか?いや、そんなことをすれば、黒の女王は兵を編成して、殲滅しにくるに違いない。どうしたら良いのだろうか?

 マーキュリーはここまで話すとテーブルに突っ伏してしまった。タクヤは、考えをまとめるように、ゆっくりと話始めた。

「思うのだけれど……多分、この村の人達はもうダメだと思う。多分、黒の女王が何を言っても『自分達にとって不利なことを言った』としか受け取らないから。それで、黒の女王が僕の想像する通りの人ならば伝えたところで逃げも隠れもしないし、この村を殲滅したりもしないと思う。恐らく、正々堂々と村人達の前に立ち、現状に対して最大限に配慮しながらも『ルールはルールである』と言うだろう。多分、本当に人の心が分からない人なんだと思う。皆が、自分と同じように最大限の幸福を目指し、ルールに則り、真っ直ぐに最大限の努力をするものだと思っている。だから、どうしたって争いは避けられないんじゃないかな。ただ、黒の女王も衛兵を連れてきているだろうし、革命軍も無駄死にしたい訳ではないから、その場では争いは起きない。だから、近い将来に争いが起きる前提で先に手を回せば良いんじゃないかな?」

 タクヤはこの話をしながら黒田のことを思い出していた。あの人も「人の心」が分からない人だった。「誰もが自分のように、自分の心を殺して、全ての人の最大限の幸福へ向けて一生懸命に生きている」と考えていたはずだ。だから、黒の女王を救いたいと思った。タクヤは黒田が正義だと思っていたからだ。タクヤの信じる正義が敗北するところを見たくなかった。

「ありがとう。確かに『争いが起きるのを避けられない』のなら『起きても最小限の被害で済む』ように先手を打つのが良いのかも知れないですね。あなたに話せて良かった。あとはこちらで考えます。では、おやすみなさい」


 翌朝、黒の女王が村に到着した。黒い詰襟に細身のパンツに身を包んだ凛々しい目をした若い女性だ。あれが黒の女王だろう。白の女王同様、歳はタクヤと同じか少し上くらいだろうか。到着早々、村の広場に人を集め、黒の女王が今年度の税に関する説明を行った。タクヤの予想通り、村人達は表向きは穏かに話を聞いていた。黒の女王が一通りの説明を終え「異論はあるか?」と尋ねると、一人の男──恐らく「革命軍」の代表か何かだろう──が、立ち上がり、こう言った。

「今年は不作で……、いつもと同じだけ持っていかれてしまうと、流石に生活が苦しいです。どうにかなりませんか?」

「なるほど。不作とは事前に聞いていたので、それを考慮しての量を提示したつもりだ。去年の半分のはずだが、これでも多かったか?『耕作地として把握している限り』の通常の獲れ高の2割だ。去年聞いた時には、去年は過去最悪の不作と言っていた。それのさらに半分だ。今年のこの辺りの気象条件は耕作に適したものだったようだが、これでも足りないのか?」

 『耕作地として把握している限り』を強調したのは、耕作地として申告していない土地、税から逃れる言うなれば『闇畑』があるのだろう。黒の女王は、しっかりとした検地をしており、さらに天気の記録もつけてあり、その上で、「不作」と聞いて、それを鵜呑みにしたフリをして税率の軽減を実施していた。それに対して、さらに税率軽減の交渉をしてきたから「これは不正である」と判断し、追求を始めたのだろう。ここで下手に言いなりになっては「他の土地への示しもつかない」という部分もあるのだろう。男は舌打ちをひとつして「白の女王様なら……」と言い捨てながら座った。

「他に異論が無ければ、はじめに提示した量を納めてくれ。国は君達の働きにかかっている」

 黒の女王がそう言って去ろうとすると、また別の男が立ち上がった。

「待ってくだせぇ。こちらは国の西側。あなたの住んでる東側は物も豊かで平和みたいですが、こちらまでは充分に目が届いていないんじゃないですかね?ここのところ他国の貴族が略奪していったり色々と酷いんですわ。そんな時、女王様を頼りたくても東側のことで手一杯で西側は後回しだから色々と困ってるんですよ。西側のことは白の女王様にお任せになってはいかがですかね?そうなりゃ、我々も文句言わずに白の女王様に税を納めるし」

 要は白の女王を担いで独立させろと言っている。男がそう言うと、あちこちから「そうだ!そうだ!」という声があがる。刹那、黒の女王はきょとんとした顔をして、その光景を見つめていたが、すぐにこう続けた。

「余は西側所領を疎かにしたつもりはないが、諸君らがそう感じるというのであれば、そうなのかも知れない。折よく、白の女王もこの村に滞在している。少し話し合いの時間をくれないか。1時間後に、また、ここへ集合してくれ」


 黒の女王は白の女王が泊まる小屋を訪ねた。目深にフードをかぶったローブの男を伴っている。この男が宰相であり王の暴走を止めるための監視役「鉄猫」である。部屋に入った黒の女王は白の女王の勧めるままに卓につく。鉄猫は音もなくその傍らに立つ。白の女王は男のその様を見て眉をしかめた「相変わらず不気味な男だ……」声に出さずとも顔に表れてしまったのだろう。鉄猫は白の女王に笑顔を送った。「警戒する必要はない」という意思表示なのだろうが、より一層不気味に見えた。端的にいって、この男が苦手であった。

「久方ぶりであるなマーキュリー」

「ええ、メイ」

「挨拶はこれくらいにしよう。あまり時間がないので要件だけ。西辺所領の民は君による統治を望んでいる。余としては西側を疎かにしたつもりはないのだが、確かに余の元へ情報が届くまで、また余の指示が届くまでに時間がかかり、後手に回ってしまっている傾向はある。最近、山脈の切れ目の地域で他国の貴族が略奪をしたりと、急を要する事案も増えてきている。政情が安定するまで権限を明示的に君に委譲するというのは良い案なのかも知れないと考えた。また、現在の統治体制は、この広い国土に対して限界が来ていることも事実だ。しかし、彼等が望むような『西辺所領の独立』というのは急過ぎて混乱を招くだろう。これについては段階を踏んで考える必要がある」

「とてもあなたらしい現実的な回答ね。権限委譲については承服するわ」

「しかし、本当にそれで良いのでしょうか?」

 ここまで口をつぐんでいた鉄猫が口を開いた。

「どういう意味だ?」

 メイが口を問う。

「政治の分からぬ彼等が、政治について口を出してきた。という点について、もう少し深く考えてもよろしいのではないでしょうか?端的にいって『政治的な論理など後付けに過ぎない』ということです。逆に言えば『政治的な論理である必要すら無かった』ということでもあります。いや、女王、これについては、これ以上説明してもご理解いただけないでしょうし、王としての判断に含める必要のない部分でした。お忘れください」

 このあと広場にもどった黒の女王は「政情が不安定な間、白の女王による統治を認める」「税については変わらず黒の女王へ納めるように。白の女王への再分配を行う」の二つの決定事項を説明した。この決定は非常に現実的な内容であったし、民意もよく汲んだものであった。しかし、この民意はあくまで「理性としての民意」であり、「感情としての民意」ではなかった。黒の女王へ反感を持っている住民達にとっては「独立を認められなかった」という一点の不満が爆発した。この訴えは住民達にとっては「独立が認められるか否か」の話でしかなかったからだ。住民達が早馬を飛ばし各地へ決起を促し始めた。白の女王はその気配を察知し、タクヤを連れてきた国境警備隊に住民の動きに警戒しておくように伝えた。

 そうとは知らぬ黒の女王が帰り支度を始めた時、広場でジッと佇む見慣れぬ服装をした若い男が目に止まった。灰原タクヤである。

「そこの男、君の名は?」

「タクヤ。灰原タクヤです。昨日、この辺りに迷いこんでしまって、マーキュリーさんのお世話になっております。」

 タクヤは「迷い込んだ」をどう表現するべきか悩みながら答えた。すると、こちらを遠目に眺めていた白の女王が、近付いてきて黒の女王に話かける。

「こちらはタクヤよ。TarvelerではなくCastaway。お困りの様子でしたので、こちらで保護しておりました。本来であれば、あなたの元へお届けするべきでしたね。タクヤのことをお願いしてもよろしいかしら?」


 こうしてタクヤは黒の女王に随伴することになった。道中「念のため」ということで腕を縄で縛られた。タクヤは「もう、どうとでもしてくれ……」という気分になり、特に抗議も抵抗もすることなく大人しくしたがった。その夜、野営をしている時、荷馬車の上で寝転がっていたタクヤへ黒の女王が話かけた。

「今日の広場での一件は見ていたか?」

「いえ……」

 タクヤは、本当のところは見てはいたのだが、ほとんど何を言っているのか分からなかったため見ていないのと変わらないと判断して、そう答えた。

「私は……私の心を殺して王であろうとしてきた。そして、王であり続けていると自負している。私は論理的な判断を降し続けてきた。しかし、何かを決断すれば、誰かは喜び、誰かが苦しむ。だから、苦しむ人が最も少くなるように決断してきたつもりだ。その苦しんだ人間から、私は恨まれ続けてきたのだな。今回のことで、痛いほどよく分かった」

「そういう姿は皆見ているもので分かる人には分かるモノです。少なくとも僕は、王であろうとして、王であったあなたを認めます」

 タクヤの答えがよほど意外な答えだったのか、メイはきょとんとした顔をしてタクヤを見詰めた。タクヤとしては黒田に常々感じていたことをそのまま言っただけなのであるが。メイはポケットに上着の胸ポケットからペーパーナイフを取り出してタクヤに渡した。

「ありがとう。私を、王としてではなく人として見てくれる人がいることが、なんとなく嬉しくてな。友になってはくれまいか?これは友情の証として受け取って欲しい」

 鉄猫はその様子をジッと見ていた。目深にかぶったフードの奥に光るその目には、何を映していたのだろうか?

 寝静まった夜の森は静かだ。もちろん、なんらかの音はしている。風が草木を揺らす音、野生動物の足音。しかし、その音が風景に溶け込んでいるからだろうか?聞こうとしなければ聞こえてこない。寝静まった夜の森は静かだ。

────ガサゴソ─ガシャガシャッガシャガシャッ──────────

 静寂を切り裂く無粋な音が響きわたる。革命軍の急襲である。辺りを見回してみると野営を完全に包囲されている。無闇に動くのは得策ではないと様子を窺っていると、ひとりの男が前へ出てきて芝居がかった口調でこう言った。事前に練習でもしていたのだろう。

「突然の非礼をお許しください。我々は西方解放軍である。小生はこの軍のリーダーを務めさせていただいているジョンといいます。手短に言うとメイ殿下を差し出してください。こちらといたしましても手荒なことをしたくないのですが、いかがでしょうか?」

 メイは革命軍に見付からないようにタクヤを拘束していたロープを切り重装兵にひとこと告げる。包囲されているとは言え相手は非戦闘員である。一度に襲いかかってこれないように細い道を見付け、そこを突破して、道を塞いでしまえば、簡単に逃げのびることが出来るだろう。「メイが時間を稼ぐ間に、逃げ道を探してくれ」という指示であった。

「余に何か用か?生憎、今は直轄地を回る旅の途中でな。明日には王城へ着く予定だ。日を改めて謁見の間に来てくれないか?」

「用ですか?端的に言って死んでいただきたい。もう『白の女王の独立を認めてもらえれば済む』という状態ではないのですよ。みんな、あなたが憎いんだ。あなたが死なない限り、もう止まらないんですよ」

「余が憎い……と……真面目に政をこなしてきただけで、そこまで憎まれるようなことをした覚えはないのだが」

「さあ、我々も正直、何がそんなに憎いのか分からないのです。税が重かった?そんなことはない。非道な選択の犠牲になった?そんなこともない。ほとんどの連中は『憎いから憎い』だけなんだと思いますよ。『憎いから憎い』『暴れたいから暴れる』『暴れる理由が欲しいから憎む』『憎しみのままに暴れたら言い訳できないから"正義"の主張をする』そのための西方解放軍なんですよ」

「ははッ、お前はなかなかに面白いヤツだ。良い政治家になれるだろう。お前になら、この首くれてやっても良いのだが、まだまだ死ぬ訳にはいかない身でなッ!!」

 メイはそう言うと、いっきに重装兵の元へ駆け寄った。重装兵が道を塞いでいた解放軍の兵を殴りつけるとメイはその道を駆け抜ける。それを確認すると、重装兵が道を塞いだ。残り二人の重装兵も、そこに集まり時間稼ぎの準備をした。重装兵がタクヤを呼び逃げるように促す。しかし、タクヤはそれに応じずジョンに近付いていった。話し合いをしようと思ったのだ。メイの正義を説きたいと思ったからだ。メイの正義が守られる世界であって欲しいと思ったからだ。タクヤはジョンの顔を間近で見ると、この世界へ転生したあの日、自分を捕縛した国境警備兵であることに気付いた。ジョンは嗜虐的な昏い光を目に宿しながら、こう言った。

「残念ながらメイ女王様には逃げられてしまったが、楽しみはとっておくにこしたことはない。不幸中の幸いというべきか、子羊ちゃんは一匹残った。これから始まる祭の生贄にはちょうど良い。そうだろッ!!」


 生命からがら逃げきったメイは革命軍への対処を行うために各地へ伝令を飛ばした。また警護を固めるため兵を再編成し、自らも率いて周辺警護に当たることにした。女王自ら兵を率いて警護にあたるのは異例ではあるが、これは相手が「革命軍であろうと守るべき住民である」ため兵士達の間に広がる動揺をやわらげることを目的としていた。「この作戦が正当なものである」と認識させ士気を高めたかったのだ。女王を先頭に警護部隊が城下街を進軍する。すると、門の前で門番達が騒いでいる。

「おい、どうした?」

 メイが門番に問う。

「人!?のし、死体!?が……」

 門番が指をさしたその先にはボロ布をまとった奇妙で巨大な肉塊が転がっていた。門番が「死体!?」と疑問符をつけたのは無理もなかった。答えは単純明快、謎かけにすらならない。単純に人の死体には見えなかったからだ。その肉塊は全てが赤黒かった。手足であったであろうものは潰れてあらぬ方向に向いている。内臓が破裂して腹の中に血が溜まっているのだろう、人とは思えないほどに腹が膨れていた。顔も潰れきっていて誰だか分からない。しかし、メイにはこれが誰だか分かった。分かってしまった。あの日、夜の森の中で「王であろうとして、王であったあなたを認める」と言ってくれた男、タクヤである。人としての自分と、王であろうとした努力を認めてくれた友である。タクヤの胸の上に紙と血に汚れたペーパーナイフが置かれていたからだ。その紙にはこう書かれていた。

「お前が逃げるからひとり死んだぞ?」

 メイは唇を噛みしめて後ろを振り向いた。そこに控えていた兵へ向けて叫んだ。

「ヤツらは……こんなことをするのは……人ではない。オーガだ。オーガの生き残りだ。グレートキング・ラットの末裔 メイの名において命ずる。オーガを殲滅せよ!!諸侯に通達せよ!!」

 女王の命令とは言え「民への攻撃」である。兵の間に動揺が生じる。すると、宰相の鉄猫が一歩前へ出てきた。

「正気ですか?」

「ああ、かつてないほどになッ!!」

「そうですか……」

 鉄猫が剣をメイに向けて、兵に向けて叫んだ。

「女王のご乱心だ。事前に伝えていた通り女王を捕えろ」

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