<イベント・ラッシュ・デイズⅡ>~トラトラトラは勘違い?~








 理と利というやつは、欲に溺れた人間には、混同されがちなものだ。


 そういう人間ほど理とは情と反する概念だと思いがちだ。


 ゾロアスター教によって生まれ、ユダヤの神々を人為的に習合した唯一神を奉じる宗教が広められる事により歪められた‘正義’と‘邪悪’という対極する二つの概念。


 それとは違い、情と理は、鳥の羽のように対になって存在するものではあっても反するものではない。


 理性とは情に溺れず人を守るためにあり、情を否定するものではない。


 情操もまた狂気に抗い人を守るためにあり、理性を排することをよしとはしない。


 情理という言葉が、物事の正しい道筋を表すようにそれは一対であるべきのものだ。


 それを歪めた‘下種脳’どもは、人の為にあるべき神を己達の為に利用したのと同じように。


 理とは冷たく情を介さないもので、理性に従うとは情を排して利を追求するということだと主張する。


 利を求めることでこそ社会は繁栄するという‘下種脳’どもの創りあげた幻想で人間を縛りあげ。


 多くの金を持つ人間が力を持ち、力ある者は力なき者を服従させて当然という猿山の猿なみの‘下種脳’の価値観で社会を動かそうとする。


 社会が利なくして動くことは、悪しき例ではあるが共産主義を利用して‘下種脳’達が造り上げた独裁国家達が、証明した。


 ‘下種脳’の価値観で行われた冷戦というボス猿争いに負けた‘下種脳’達の一部とともに消え去ろうとはしているが、それが社会の在り方として否定されたわけではない。


 だが、勝った‘下種脳’は自らの力を維持するために、勝った者こそが正しく負けた者はそれに従うべきだという‘下種脳’の価値観でそれを否定し続ける。


 結果、生じる格差社会に対する不満を、倫理を捨て利を求めることでジャーナリズムの義務を捨ててその影響力だけを振るうこと恥じず、自らをマスコミと呼ぶ‘下種脳’どもが、娯楽こそが人間を豊かにするという歪んだ価値観でなだめすかす。


 そうして造り上げた社会に‘下種脳’どもが増えることで、その社会はゆっくりと滅びの道を歩み続ける。


 そうして滅びた西洋の大帝国ローマを教訓とせずに手本とした‘下種脳’どもは、人間世界を滅ぼせるほどの武器を抱えたまま同じ道を歩むことを、その愚かさゆえ恐れない。


 ある‘下種脳’は、かつて自分たちが創りあげた幻想に自分が騙され。


 ある‘下種脳’は、目先の利を得るために子供達の未来を切り捨てる。


 多くの人間の命を救うために少数の人の命を救うことを後回しにすることと、多くの人間の利のために少数の人間の命を奪うことを混同させ。


 少数の力ある者の利を多数の利と偽って、見捨て、奪い、殺して、尚それをしかたがないことと言う。


 そんなやつらに成り下がる気はないが、オレはガキのように全ての人間を救いたいなどという感傷に溺れる気もないし、またそれができると思うほど傲慢でもなかった。


 それでも、とりあえず明らかに死体となった乗合魔動車の護衛達をたすけようなどと思ったのは、ここがリアルティメィトオンラインをもとに作られた世界だからだ。


 現実では死んだ人間は生き返ることはないが、この世界には蘇生の呪文というやつがある。


 もっとも最近のゲームにあるお手軽な呪文と違い、コンピューターRPGの元祖にある呪文と同じく失敗すれば灰になり、消滅するという呪文だ。


 しかし、死者に永劫石化や永劫氷結という手段は問題がある。


 リアルティメィトオンラインでは、成功確率は隠しステータスのカルマに影響されPKと呼ばれるゲーム内での殺人行為や自分より弱いモンスターを殺し続けることで下がっていく。


 そして、消滅したキャラは永遠に戻らないところは、現実と同じだ。


「ハーウァタート・アレア・ハーマ 生の輝きをもって傷を癒せ 」


 互いに背を預けて倒れた三人に傷を癒す呪文を唱えるが傷は消えず、呼吸も鼓動も再開することはなかった。


 この三人がAIで動く人形なら意味はないが、あとはグォーグンと同じ神呪系最高位蘇生呪文のエクプラーシスを使うしかない。


 グォーグンのような永劫系の状態停止呪文は生者にしか通じないはずだ。


 仮にそうでなくても、脳の活動を停止した状態での固定というイレギュラーでの使用が脳死をもたらす可能性は極めて高い。


 ASVRを使ってのアンドロイド操作中にバグで脳死した実験体を俺は知っている。


 エクプラーシスの発動有効期限は、死後300秒。

 体感時間では既に200秒は越えている。


「ジウルヴァーン・クローノス・ウクァピムス」


 一瞬迷った後、オレはエクプラーシスの呪文を唱えた。


「生死の理を超え命の火を燃え上がらせよ エクプラーシス 」


 次の瞬間、術が発動して白い光の粒が雪のように倒れた三人の上に降り注ぎ、それが眩いばかりの熱を伴わない白い焔へと変わって三人を包む。 


 そして血にまみれた三つの亡骸は、装備を残し細かな灰となった。


 灰はどこからともなく流れてきた風に巻かれ、宙にとけるように消えた。


 血の跡さえ残さずに消えていった三人の体をミスリアとシセリスは、痛ましげに見ていた。


 ただ取得し難い呪文を見せるリスクを負っただけになってしまったが、さっきも同系統の呪文を見せたのだからいまさらだろう。


「中を見てくる 遺品は集めておいてくれ」


 オレは、ミスリアとシセリスにそう声をかけて乗合魔動車の入り口へと向かった。


 助けられなかったなどと悔恨を抱くほど、知りもしない人間に入れ込むような‘ 愛すべきお人好し ’とは違い。


 悲嘆を感じたりはしなかったが、無力感や徒労感はあった。


 ミスリアとシセリスが、この死をどう感じているのか。


 それは、ASVRで創られた幻想の感情なのか。


 そういう疑問はあったが、それを暴く事に意味はない。


 今は、他に大事な事がある。


 乗合魔動車はバスサイズの決められたルートを自動で動くゴーレムのような車だが、外見は紺一色のボンネットバスとさして変わらない。


 大陸でよく見るように屋根には取っ手が付き荷物や人がのせられるようになっている。


 大きく違う部分と言えば車体が金属ではなくプラスチックのような質感を持った物質でできていることと。


 前部を除いた窓が円形をしていること。


 あとは車輪にタイヤやホイールがなく、渦巻き状に巻かれたゴム状のものが使われていることくらいだろう。


 リアルティメィトオンラインの設定では、この世界に石油などの化石燃料は存在しない為、車体は巨大甲殻虫の甲殻で、車輪はワームスライムの外皮だという。


 そのモンスター素材で作られた前輪は、布で偽装された落とし穴に落ち込み車体を斜めに傾けている。


「盗賊は倒した。ここを開けてくれないか?」


 オレは、車体の手触りや硬度などをさり気なく確かめることでバグを探しながら、閉じられたバスの前扉を叩き中に声をかけた。


 少し待ったが返事はない。

 警戒しているのか、脅えているのか。


 あるいは、この襲撃イベント自体が罠である可能性を考えれば、最悪中に入った途端、バスが爆発という可能性もある。


 まあ、実際は、そんなことはないだろうが。

 

 確かにこの襲撃に偶然オレ達が居合わせるのはおかしい。


 この襲撃がオレ達がここに通りかかるのを見計らって行われたと考えるべきだろう。


 普通ならオレを殺すか陥れるための罠だ。


 しかし、ここは現実ではない。

 ASVRによる世界だ。


 オレ達の生殺与奪権を握ったやつらが、わざわざそんな手を使う可能性は低い。


 オレは扉に手をかけて横へと引いてみた。


 プラスチックや木を爪でこすったような鈍い摩擦音と同時に扉が開いていく。


 どうやら脱輪の影響でどこかが歪んでしまったらしい。


「無事か? ケガ人がいたら──」


 声をかけながらステップを昇ろうとしたとき、顎をめがけた蹴りがとんできた。


 反射的に避けながら体に‘気’を纏って防御のための闘気へと変えようと思うと同時に伸びた蹴り足が振り下ろされ鎖骨を叩いた。


 リアルティメィトオンラインの武術系スキルの打撃技。


 テコンドーでいうところの踵落としネリチャギに似た蹴り技だ。

 

 殺気のない技のせいか、それともオレの危機感が関係しているのか、それを受けてやっと時間が緩やかになる感覚が訪れる。


 もし後者ならマズイ傾向だ。


 蹴り技を放ったのは、驚いたことに十代後半ぐらいの少女だった。


 ミスリア達とは違い、アジア系それも中国朝鮮系に東南アジアとアーリア系の血が混じった日本でなら人気女優かアイドルを張れそうな美少女だ。


 明るい栗色の長い髪を後ろで一房に纏め上げたボリューム満点のポニーテールと光の加減によっては金にも見える淡い琥珀色の瞳が踊るように揺れていた。


 リアルティメィトオンラインでは舞闘士の服と呼ばれるディープブルーのチャイナドレスを基調にして全体に施された金飾の部分が金属鎧となった装備のスリットから伸びた黒い半透明のストッキングに包まれたしなやかな長い脚の先で、服と同じ青地に金飾の堅いブーツがオレの胸を叩いている。


 幸い岩を叩き割る程度の打撃では、闘気に変わる前の‘気’すら突き破れなかったが、それで油断していると痛い目をみるだろう。


 オレは緩やかな時間の中、反撃をしようと鎖骨を折ろうとした足を払おうと手を伸ばした。


「ふああああっ!?」


 しかし、その時間加速は少女の叫びと同時に解け、再び元の時間の流れが戻ってくる。


「うそっ!? ダメぇえええ!!」


 やや高めのアルトが嬌声へと変わり、びくびくと震えながら少女はバランスを崩し、後ろへ倒れこもうとする。


「あっあ゛あ゛あ゛アア──ッ!!」


 反射的にその身体を抱き寄せると少女は痙攣するように全身を震わせ、オレにしがみつく。


「あ♥……ぁ♥……♥」


 思念伝達の腕輪に飾られた腕がオレのシャツにすがりつき、切りそろえられた桜色の爪をたてる。


 甘い敗北の声をあげながら何度も身を強張らせていたが、やがて力尽きたように喉をのけぞらせたまま、その肢体から力が抜け落ちる。


 オレは纏っていた‘気’を治めて、ぐったりとした肢体をそのまま抱き上げた。


 女達相手に使うことで覚えたせいか、どうやら‘気’の練り方に妙な癖がついてしまったらしい。

 

 乗合魔動車の中を見ると、12,3歳だろうか日本人形のような小柄な少女が、こっちを見ていた。


 日本人形を思わせたのは紅を基調に金糸をあしらった呉服を基にしたデザインのローブのせいだ。


 さすがに玉章結びの帯はないが、一見帯を思わせる魔方陣を刺繍した太いベルトのせいで、前から見れば和服姿に見えるのだ。


 ぬばたまのというのが相応しい長い黒髪を背に流し、黒い瞳の幽玄な趣をもつ綺麗な顔立ちに歳に似合わぬ妖艶な表情を浮かべ、少女は黙ったままそこに立っている。


 その腕にはやはり思念伝達の腕輪があった。


「心配しなくていい。 オレは盗賊じゃない」


 安心させるように笑顔で言って、オレは腕の中の少女を座席にもたれかけさせる。


「……助けてくれた?」


 どこかさびしげにも聞こえる微かに震えるようなソプラノが、人気のない車内に響く。


「ああ。 もう大丈夫だ」


 横に倒れこまないように少女の身体の位置を調整しながら肯定したオレの後ろでミスリアとシセリスの気配がした。


「何がだいじょーぶなんですか?」


 シセリスの冷たい声が響く。


 振り返るとなぜか非難するような目でオレを見る二人がいた。


「悲鳴が聞こえたんで来て見れば!」


 ミスリアが信じたくないというように首を振る。


「デューンはどうしてそんなに手が早いの!!」


 どうやらオレはたらし野郎だと思われているらしい。


 何の因果か、オレは予期せぬ弁明をするはめになったようだった。



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