<イベント・ラッシュ・デイズⅠ>~風と光蛇と野盗の石と~











 あたりまえの話だが、一つの言葉には、一つの意味しかないわけではない。


 辞書を見れば一目瞭然だが、言葉とは多くの者が使うことで移ろい変わるものだ。


 例えば、貴様という言葉はかつては字の示す通り、貴方と同じように敬愛を持って相手を呼ぶ言葉だった。


 距離の遠さや立場の遠さから派生した貴方という言葉が遠さの意味を薄めたのみなのに比べ、貴方からその呼ぶ相手を区別することで生まれた貴様は、大きく意味を変えてしまう。


 男が自分と同等の友をを呼ぶときに使われた貴様という言葉が相手を蔑みとののしりの意味で呼ぶ言葉に変わったのは、それを多く使っていた軍人達が横暴の限りを尽くしたためだ。


 本来、戦友に対し敬意とともに使っていた言葉を汚し歪める‘下種脳’どものせいで生まれた言葉だ。


 近年では同じように変わった言葉といえば、世界でも広く使われるようになったオタクという言葉がある。


 これも御宅という字が示すようにかっては相手の家を敬意を持って呼ぶ言い方だった。


 家という言葉がそこに住む人間や同族全てを広く意味する時代、人々を含めた意味で相手の家というように使われた言葉は、大日本帝國が日本国にそしてニッポンに変わっていくなかで意味を変えていく。


 上下関係を明確に区別された帝國から、突如、平等を建前とする日本国に変わった時代、相手との関係に自意識過剰気味になった世代の中で、御宅はおたくという上下関係を表さない呼称して貴方やお前などと区別して使われるようになった。


 そして、その言葉はコミケで知られる同人誌即売会の前身といえる場で貴様と同じように貶められることになる。


 同じ趣味を持ちながら、自分達を特異視するカルトな人間の中にいたカルトな知識を多く持つことを自慢してそうでない者を蔑む‘下種脳’を、嫌った人間が、彼らがおたくという呼称を使っていたことから、蔑称として、そういう人間をオタクと表したのだ。


 やがて‘下種脳’を、嫌うことで‘下種脳’と同列になった彼らも、そうではない人々も、それら全てを含めた同じ趣味を持つ人間に、同じ運命が襲うことになる。


 マスコミという‘下種脳’が、彼ら同じ趣味を持つ人間全てを、彼らも含めオタク族と呼んだのだ。


 当時のマスコミにとっては、そんな趣味を持つ人間達などカルトな趣味を持つ低俗で気持ちの悪い人間であり。


 エリートである自分達から見れば等しく価値がないという‘下種脳’の価値観で、オタクという言葉は、生まれた。


 だが、その文化が広まりカルトから脱し始めると、オタクという言葉は、蔑視の意味を薄めたものとなる。


 オタク文化が金蔓になると気づいた‘下種脳’によって‘下種脳’の価値観でオタクのイメージアップが行われ、‘下種脳’なマスコミを利用してオタクを増やそうとし始める。


 結果、一部の‘下種脳’に蔑視され一部の‘下種脳’にカモと見られる今のオタクという言葉は、定着し世界へと広まった。


 このように言葉というものは、容易く移ろい変わるものだ。


 そして同じ意味で言葉を使う人間達にとってすら、その言葉によって表されたものが同じ意味を持つとは限らない。


 それは、一つの言葉の意味に対する思い入れの違いと言ってもいい。


 ガラスという言葉を、同じ物質を指して使ったとしても、その組成と作りかたを知るものと知らないものとでは言葉の深さが違うし。


 事故で割れたガラスの破片が体中に突き刺さり死に掛けた人間とガラスで怪我をしたことのない人間とでは、言葉の質が違う。


 これらの言葉の有様は、言葉が意思疎通の道具に過ぎない以上、必然とも言える。


 だが思い入れの深さ故、言葉を単なる意思疎通の道具に過ぎないとは思わないものもまたいるのだ。


 だからこそ、言葉とは厄介なものだと考える人間もいれば、また言葉が不完全なものだと意識しない人間もいる。


 言葉に意味などないと考える人間もまたいるが、また言葉は力であると考える人間もいる。


 どれもそう思う彼らにとってはそれが現実なのだろうが、真理とはありふれていてどこにでも転がっているもので、中庸で凡庸なものの中にしかない。


 言葉が不完全で移ろいやすいものであることを知り。


 言葉に意味などないとあきらめず。


 言葉を力として利用せず。


 言葉を厄介だと遠ざけないことでこそ。


 言葉は使える。


 それは、効率という言葉とは、ほど遠い作業だ。


 だが、だからといって限られた時間の中で最善を尽くすべきことではある。


 そう、今のように言葉を使おうとしない‘下種脳’のクズどもを相手にするとき以外は────。




「レン・フゥア・ヴァーユア」


 森を出て街道に差し掛かったところで、いきなり射掛けられた矢の雨に対してシセリスの声が響き、周囲を覆うように吹く風が壁となって矢を弾き飛ばす。


 それは、オレ達から見て左手のほうから、飛んできたものだった。


 見れば、六人の男が弓を構えこちらを狙っていた。


 罵声と共に再び飛んでくる矢も風に巻かれてオレ達に届くことはなかった。


 どうやらこれは襲撃イベントらしい。


 黒幕の仕業なのだろうか、次から次にうっとうしい話だ。


 前方では一台の乗合魔動車が、落とし穴に車輪をとられ、その周りで馬車の護衛らしき男達三人とそれを襲う賊達が、死闘を繰り広げている。


 いや、いたと言ったほうがいいだろう。


 直ぐに護衛達は討ち取られてしまい、襲っていた八人の賊たちは、こちらへと向かってきていた。


 連携しての動きから見て、かなり人を襲いなれているらしい。


 昨日今日作り上げられたとは思えないその動きは、デスゲームのプレイヤーというよりは、生粋の野盗を思わせる。


 無駄のないその動きは、物語によく出てくるようなザコとして戯画化されたそれとは違い。


 紛争地域や治安の悪い国に出没する肉食獣同然の人殺しで糧を得ることになれたものたちの動きだ。


 少なくともやつらが、AIによる戦闘人形でないことは、お馴染みの殺気でよくわかる。


 人間もどきの‘下種脳’が放つ欲にまみれたそれは、オレのよく知るものだった。


 オレはゆっくりとしたものに変わった時の流れを意識しながら、やつらをどう始末するかを考えていた。


 もちろん、安っぽい‘ガキの精神の成長を描いた物語の演出’のように殺すことができるかを悩んでいたわけじゃない。


 人を襲う肉食獣を殺すことにためらうほどオレは感傷的ではない。


 気分が良くなくても、被害を拡大させない為に殺すべきは殺すし。


 捕らえて飼いならせるかもしれないと考えて自分の命を危険にさらすほどの愛すべきお人好しでもない。


 いつものオレならば、そしてここが現実ならためらわずに殺しただろう。


 だが、今のオレはやつらに殺られるほどやわではないし、ここは現実でもない。


「エウリュアード・メドゥサーダ・シュテンノー」


 オレはシセリスとミスリアが動き出す前に呪文を唱え始めた。


「ハーデス遠き眼光よ。我が剣となりて敵を撃て グォーグン」


 神呪系最高位呪文グォーグン。

 対象を永劫石化する状態異常系の呪文だ。


 対象を“ 決して風化せず傷つける事もできない石像 ”にする呪文で。


 解除法は、神呪系解除の最高位呪文をオレ以上の魔力で使うしかない。


 つまりは、このふざけたゲームが終了するまでこいつらはこのままだ。


 数週間もすれば気が狂うだろうが、洗脳で創られた仮想人格なら破壊しても問題ないし、もとももとの‘下種脳’ならば遠慮はいらない。


 ミスリアとシセリスが動きを止め、驚いたようにオレを見る中、呪文が完成し。


 こちらに向けて走ってきていた八人と、再び矢をつがえようとしていた五人の頭上に、光の雲塊が生まれ、雨のように蛇の形をした光の矢を降り注がせる。


 リアルティメィトオンラインの売りの一つである派手なエフェクトが終了した時、全ては終わっていた。


 そこには驚愕と苦悶の表情を浮かべた13の石像だけが大地に貼り付けられるようにして立っていた。


「……神話呪文!」


 ぽつりとミスリアの口から感嘆の響きを持つ声が響いた。


「さすが御主人様です!」


 シセリスからも感動に近い賞賛の声があがった。


 どうやらオレはしくじったらしい。


 そういえば、神呪系の最高位呪文はかなり取得が困難なものが多かった。


 これがデスゲームでやつらが洗脳された被害者かもしれないと復活可能な状態異常で対処したのだが、これはやぶ蛇だったかもしれない。


 光の蛇を出す呪文で本物の蛇をだすなんて洒落にもならない。


 ゲーム内の状況を全て把握できているわけではないだろうから、即アウトというわけではないだろうが、この状況を裏で覗いているやつがいれば、オレのステータスに疑問を持たれないとも限らない。


 運営用のデータを見ても、オレのキャラのステータスは高いものではあるが不自然ではない値が表示されるようにしてあったが、やつらがそのことに気づかないとも限らない。

 そう、ASVR用にコンバートされたのなら……。


 そのとき何かがひっかかってオレは思考をとめた。


「デューン?」


 不意に動きを止めて考え込んだオレをいぶかしんだのかミスリアがオレを呼ぶ。


「ああ。 乗合魔動車の乗客が心配だ。 行こう」


 オレは話をごまかすためにそう言って歩き出す。


 今はイベントの真っ最中だ。


 考えるのは後でいい。


 オレの予感が正しければイベントはこれからが本番だろう。


 ミスリアとシセリスもオレの後について歩き出した。


 何が待っているのか判らない乗合魔動車に向けて、オレ達は足早に近づいていった。







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