<バトル・イン・クリスタルフオレストⅡ>~真昼の決闘~
運と呼ばれる概念がある。
概念なので虚数と同じくこの世界に存在はせず、だからそれは虚構にすぎない。
だが概念とは常識と同じく人が生きる為に作り出したものだから、無意味ではない。
だからそれに価値を見出すものもいるし、それが実在するように勘違いするやつも多い。
いわく幸運には限りがある。
そして運の総量は決まっていて、あるものが幸運になればあるものは不幸になる。
インチキ宗教の類がよく使う台詞だが、当然それは運という虚構に基づいた嘘にすぎない。
そして幸運に限りがあろうが運の総量が決まっていようが、それが幸運になる為には誰かを不幸にしなければならないということにもならない。
つまり、‘ 自分が幸福になるには誰かを不幸にしなければならない ’なんて類の話は二重の嘘だ。
運とは確率の偏在によって生まれた概念だが、たいてい確率が偏在するには何某かの理由があるし、三段論法のすり替えなどサギの基本だ。
だからオレは今までどんな窮地に陥ったとしても運が悪かったなどと考えたことはない。
そうこんな理不尽極まりない状況にあってでも。
「君がなぜ戦いたがるのか解らないが、こっちには理由がない」
あくまで戦いたくないという姿勢をみせて言うオレにシセリスという役を与えられた女は首を横に振る。
「死にたくなければ本気をみせなさい。 あんなことをしてたら死ぬわよ」
シセリスは話を聞かずに、まだ少し震える声で一方的に宣言した。
「わたしもすべてを賭けるわ」
ゲームキャラとしては自然なしかし人間としてはかなりエキセントリックな論理展開だ。
なぜそうなるのか解らないが、こうなると彼女が精神操作あるいは洗脳によりオレと戦わされている可能性が高い。
‘流浪の精霊騎士’としてオレに対する彼女の意思は、間違いなく本物だった。
ならばシセリスというNPCキャラクターそっくりの性格をした人間がシセリスのふりをしているというよりは、そのほうがずっと自然だろう。
修羅場をくぐったことのない人間には解らないだろうが、演技をしたまま命の遣り取りをできる人間などはいない。
甘やかされて育ってきた世間知らずや理不尽に立ち向かったことのない人間にはこれは、決して解らない感覚だろう。
命の価値が今よりもずっと低かった時代や今でも人の命にたいした価値を見出さない国々では、それを実感として知っていた人間が多かった。
今では、リアルさなどまるでない子供の見る物語にさえ使われる戦闘時の敵との会話シーンなどの演出も、大本はそんな時代に書かれた小説などで真実を語らせるのにリアリティをもたらせる演出がもとになっているのは皮肉と言っていいだろう。
「勝手に賭けてもらってもこまる。オレに──」
応えをまたずにシセリスの掌がこちらに向けられ、オレはもう当たり前になったかのように歩みを変える時の流れを感じると同時に横へ跳ぶ。
地面を切り裂いて衝撃波がオレが今まで立っていた場所を通り過ぎていく。
(無詠唱魔術。ツァールか)
当たれば人体を容易く両断できる風の上位呪文。
相変わらず不愉快な気分にさせてくれる知識が浮かんでくる。
呪文を唱えていたときとは段違いの速さで連発される魔術を掻い潜り、オレは前よりも強めの‘気’を再び鎧に覆われた腹部に続けざまに打ち込む。
「んああっ! アっ! あはあっ!!」
びくんと感電したように跳ねた身体がよろめきながらも、剣を跳ね上げた。
鞘ごとではなく銀色に輝く刃が、間一髪で退ったオレの目の前を通り過ぎる。
と同時に翻り切り下ろす刃身を見ながらオレは後ろへと大きく跳びながら、前方へ掌から‘気’を放った。
「こ、こんなァ! あああっ! はぁあンっ!!」
掌圧による風に打たれたシセリスが悲鳴を上げる。
「やああっ!! くうううっ!!」
しなやかな肢体が全身で‘気’を受ける感覚にひとりでに反応し跳ね踊った。
催眠下にあったミスリアに試したときは、これで失神してしまったが、この状況ではそこまでの効果は期待できない。
しかし、思ったとおり破壊力はなくてもそれなりの効果はあるようだった。
このままならなんとか傷つけずに無力化できるだろう。
それにしても、視床下部への刺激で強制的に敏感にされた全身に、細かな振動を流される感覚のなかであれだけの剣が振るえるのだから恐れ入る。
普通ならとうに剣を取り落としてうずくまっているところだ。
強靭な精神力といい剣の技量といい本来のオレがとうていかなう相手ではない。
この常識外れの身体能力と時間加速とも呼べるようなこの感覚がなければ、何度死んでいたことだろう。
そう考えてオレはふと気づいた。
ここがASVRの仮想世界であると踏まえて考えてみると、このオレの能力はオレが専用ツールで強化したキャラクターのステータスやスキルが反映されているのではないか。
身体能力はそのままステータスが反映し、この時間の流れが緩やかになる感覚は攻撃速度の増加。
だが、だとすればこれはデスゲームではない?
オレは合意でここにいるのか?
ASVRのゲーム化が実験段階であったのは間違いない。
そして、オレがその実験の中にいるのもまず間違いないだろう。
ならば、なんらかの事故でオレの記憶が曖昧になり今の状態があるのか。
それとも、この状態自体が実験であるのかが問題だ。
前者ならオレが合意してその実験に参加した可能性は低いがゼロではない。
今のオレなら絶対に受けないだろうが、長期に渡って記憶がないのなら、危険を冒してもそうしなければならない理由ができたとも考えられる。
しかし、後者のほうが可能性は高い。
ミスリアは完全に自分を‘水晶のアルケミスト’だと思っていた。
それは、明らかな違法行為で最悪の行為だ。
さすがにオレがそれに同意した可能性はない。
それは、オレにとって最も忌むべき行為だ。
だが、そうするとオレにこの能力値やステータスを与えた訳がわからない。
そういった実験であるなら何の実験だ?
ASVRとゲームの整合性チェック?
来るべきデスゲームのための心理分析か?
危うく思考に没入しそうになったオレは、巨大な殺気に今が戦闘中であることを思い出す。
どうやら時間の流れが通常に戻ったようだ。
この時間加速は制限があるのか、それとも攻撃速度だけに攻撃の意志がとぎれると効力を失うらしい。
「イア・レイ・クシューグァ」
シセリスの声と同時に無数の半径1m近い巨大な火球が辺りを覆いつくさんばかりに降ってくる。
広範囲殲滅型火炎魔術クシューグァ。
それは鉄をも溶かす熱を持った最上級の殺傷力を持つ魔術だった。
いくらゆっくりと降り注いだとしても、降りしきる雨をかわすことができないように、逃げ場なく現れた半ばプラズマ化した火の球に、オレはなすすべもなく包まれていった。
いくら圧倒的な力を持っていても、使うものがそれに不慣れなら力は万全には発揮されない。
やはりオレは、一瞬の油断が死を招く殺し合いの世界には向かないようだった。
しかし、それはオレ自身が自ら選んだ生き方だ。
例え殺されたとしても、理由のない殺しはしない。
どんな時だって考えなしの生き方はしない。
そして死んでも生きることをあきらめない。
オレはブスブスと革の焦げる音を聞き、全身を炎で焼かれながら考えていた。
これがデスゲームでないならこれで終わりではないだろう。
いや、例えそうだとしても大人しく死んでやる気はないと。
そう思いながら、炎に包まれた体を前へと進める。
炎がない場所、それはシセリスの立つ場所だ。
オレは地を蹴って自ら巨大な火球に突っ込み──
そして、それを突き破る。
抜けたかと思った瞬間、剣が目の前に現れ、オレを袈裟懸けに切っていた。
いかにゆっくりとした動きでもすでに当たってしまったものは避けようがない。
死を意識する恐怖の中、オレはその刃に切り裂かれながら、今までで最も速く‘気’を練り、それをシセリスの身体に打ち込んでいく。
強さは考えずに、只々速く多くを。
「ああ゛っ! くっ! ふあああっ!!」
剣を握る手から力が抜け、肩に食込んだ刃が背中へとすべり落ちていった。
「んあっ! や! んっ、くふうううっ!!!」
ついに敗北の声をあげて全身を痙攣させながら、シセリスは喉をのけぞらせて後ろへと身体をそらせた。
「─────────ッ!!!」
その藍色の瞳は大きく見開かれ、同じく大きく開かれた薔薇色のくちびるは端から透明の滴をたらしながら声なき悲鳴をあげ続けた。
やがて長い長い痙攣が終わり全身から力が抜ける。
そして、そのまぶたが落ちると同時に彼女は膝をついて前のめりに崩れ落ちた。
完全に意識を失った身体をまだ痙攣させながら倒れ付すシセリスから離れ、オレはざっくりと切り裂かれた肩を見る。
革のジャケットは完全に切られその下のシャツも切られているのに、不思議なことに血は一滴も流れていない。
確かに肩に食い込む刃の感触があったはずなのに、覗いてみてもそこには傷一つない。
(そういえば痛みもなかったな)
軍用のASVR訓練システムでは痛みや傷が再現され、ショックで心臓が止まっても自動的に強制再鼓動させられ訓練を続けさせられるなんていう都市伝説があったが、ゲーム化の為に変更されているのだろうか?
だが、ミスリアやシセリスはそうではないようだった。
試しに頬を抓ってみるが、普通に痛い。
では剣が鈍らだったのか?
とてもそうは見えなかったし、現に革のジャケットは切り裂かれている。
地面に落ちた剣を拾って調べてみると、それは確かに刃を研がれた剣だったが、一部分だけ刃引きされたように刃が潰れている。
まるで何か硬いものを切ろうとして刃を潰してしまったかのように。
(どういうことだ、これは?)
素直に考えればオレを切った為にこうなったのだろうが、オレは鎧など身につけていない。
いや、ここは現実ではないのだ。
だとすればそういうこともあるのだろうか?
しかし、それならなぜ服は切れているんだ?
防具や武具の破損システムか?
確かにリアルティメィトオンラインでは物品の損耗度というシステムがあったが、あれか?
では、オレが傷一つ負っていないのは──。
自動回復……いやダメージ無効か。
それとも単に防御力が極端に高いせいだろうか。
どちらにしてもこれが誰かの仕組んだゲームなら、オレがゲームバランスを完全に無視した存在として配置されたのは何故だ?
実験だとしてもそれは本来のリアルティメィトオンラインをASVR化させる為のテストではないだろう。
これがリアルティメィトオンライン本来のゲームシステムに対する実験なら、オレに特別なキャラを宛がう必要はない。
ではいったいなんのために……。
そこまで考えたところでシセリスが微かに身動ぐ気配がした。
ふり返ると彼女は手を地面について起き上がろうとしながら、こちらを見ていた。
まだ頬は紅潮し瞳は微かに潤んではいたが、はっきりと意志を持った視線だ。
決意、それとも覚悟だろうか?
そこには、もう敵意も呪いめいた執念のようなものもない透明な視線だった。
「わたしの負けですね」
「ああ、私の勝ちだ」
そう確かめ合った後、シセリスの役を与えられた女が言った。
「今後ともよろしくお願いします。 御主人様」
「………………」
どうやらこの強制イベントは殺害イベントではなく、ハニートラップだったようだ。
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