<バトル・イン・クリスタルフオレスト>~危険な奸計~
人類の歴史は闘争の歴史だなどとよく言われるが、大抵それは本来の意味を知らぬ半端な自称知識人どもや、あえてそう使う皮肉屋たちの台詞だ。
井の中の蛙と同じように、それは本来とは逆の意図を持った引用でしかない。
蛙が大海の広さを知らずとも空の高さを知るように、人類の歴史とは人が猿のなわばり争いと大差ない闘争を、規範で限定し、理想で抑制し、理性で克服しようとしてきた歴史である。
それは、電車のなかで性欲のままに痴漢をするのと同じレベルの思考で、政治を金儲けの道具としてしか考えない人間達の思惑で、‘ 生きる事とは戦う事だ ’などという歪められた価値観を刷り込まれてきた人間ばかりが増え、忘れ去られそうになった歴史観だ。
世の中には、表向きで理想を騙り、現実に則すようにするなどと言って、理想を歪めようとするやつらが多くいる。
それは例えば、新たに多くの物を作り出すために作られた共同投資というシステムを歪め、賭け事と大差ない投機システムを作り出したりだとか。
社会の不平等を是正する為の共産主義というシステムを歪め、‘ 全てのモノを服従させ収奪するための管理社会主義 ’というシステムを作り出すようなやつらだ。
しかし、だからといって理想などどこにもないとあきらめる必要も、理想など愚か者の夢だなどと嘲笑う必要もありはしない。
なぜなら、そんなやつらは社会にとっては寄生虫にすぎないからだ。
人類の歴史とは、自分達を貴族と呼ぶような社会に寄生して暴力で他者を従える‘ 恥知らずの獣 ’と。
それに抗い妥協しながらも共存を目指す‘ 理想という希望を護る人 ’の造ってきた‘ 人道 ’につけられた‘ 人類の足跡 ’だ。
生きることが戦うことでしかないのなら、限りあるものを奪いあうことでしかなく、新たに生まれるものなど何もなく人はとうに死に絶えたことだろう。
そのあたりまえの話を忘れ、信仰を利用して人を服従させる宗教者達や政治屋達。
それら権力の亡者供により磨き上げられ、あたかも真理のように語られる‘人が人を服従させるために作りあげた歪んだ理屈’に迎合するならば、そんなやつらは等しくクズにすぎない。
そう、オレの目の前で剣を掲げる‘流浪の精霊騎士’の背後で人を弄ぶ連中のように。
もちろん実際にやつらがシセリスに仕立て上げられたこの女の後ろに現れたわけではない。
そう簡単に現れてくれるなら苦労はなかった。
「ミスリアの護衛を名乗るなら力を見せなさい」
剣を鞘から抜かずに突きつけながらシセリスが言う。
それは、リアルティメィトオンラインそのままの聞き覚えのある台詞だった。
本来は‘わたしが欲しければ力を見せなさい’だったが。
「困ったなあ。 できれば穏便にすませたいんだけどな」
オレがそう言いながらも彼女に促がされるままにとりあえず外にでたのは、単純に狭い室内で刃物をさばくことが難しいからだ。
長剣は室内で戦うのに有利な武器とはいえないが、無手で戦うならば逃げ場のない室内よりは外のほうがましだ。
それにマントの裏あたりに短剣を忍ばせていたら、不利は更に増す。
「殺しはしないから安心しなさい」
少しも安心できない殺気まじりの声で、シセリスが言う。
どうやらこれは強制イベントらしい。
これをどこかで見てるやつがいるのだろうか?
もしそうなら、そいつはさぞかし下卑た笑みを浮かべているのだろう。
人を弄ぶのが大好きな変態くされ野郎に御似合いの醜い様で。
そう思った瞬間に目の前に剣鞘が現れた。
と同時に三度、時間の流れが緩やかに変わる。
鞘に包まれていて尚、オレの頭を叩き割れる剣をかわし後ろへ跳ぶ。
ゆるやかな時の流れの中でさえ、場末の剣道部員ぐらい速い面打ちが、タイムラグなしでそのままどころか数段、速度を上げて跳ね上がり突きに変わる。
身体能力が元のままなら喉を突き破られていただろうが、オレの後退速度のほうが速く剣先は。ただ空を突き破った。
空気を突き破る鈍い破裂音と巻き起こる風を感じながら続けざまに後ろに跳び、オレは大きく間合いを取る。
殺しはしない、どこがだ?
今のは剣術の達人でも殺せるレベルの攻撃だ。
最初の面打ちも、剣道の有段者くらいは簡単に昏倒させる攻撃だったが、それが変化した突きは人間がかわせる速さではない。
武術の技には、そこを攻撃するからかわせと言われてから攻撃されても避けることのできない技がある。
予備動作と言われる攻撃の兆候となる動きを一切見せずに、虚を突いて放たれる技や人間の反射的な回避動作を利用した技だ。
今のはそういう類の技だった。
しかもその剣速が並みのものではない。
おそらく本物だろう剣を、達人が竹光を使って放つ斬撃並みの速さで打ち込んで、それ以上の速さで変化させるなど人間業ではない。
スポーツで例えるなら時速300キロでボールを投げるピッチャーや100メ-トルを5秒で走るスプリンターのようなものだ。
これに相対するには相手の動きを先読みして技の出端を押さえるしかないが、あの技量を見
ればそれも至難の業だ。
そしてそれが出来なかった時点で、今の攻撃で生き残れる人間はいない。
今のオレの身体能力でも、時間の流れが変わるほどの集中力がなければ死んでいただろう。
どうやらこれはオレの殺害イベントのようだ。
そう思ったが、なぜかそれ以上の追撃がなくシセリスは残心を維持していた。
これがゲームのように形だけのものなら攻撃をしかけるのだが、実際の残心とは格闘ゲームでいえば一撃必殺のカウンター狙いの待ちなのだ。
そこに飛び込むバカはいない。
「どこが殺さないつもりなんだ?」
オレは死を間近に見たことで冷たく冴えていく意識を感じながら問いかける。
「あれを避けますか。 手加減は無用のようですね」
そう言ってシセリスは残心を解いた。
「いや待て、面打ちはともかく今の突きはあたったら死ぬぞ。 命のやり取りが必要な話かこれは?」
何時また次の斬撃が来てもいいように集中するが、シセリスは剣を下ろしたままこちらを見ている。
「安心なさい。 剣はもう使わないわ」
冷たい笑みを浮かべながら酷薄な声が告げた。
「踊りなさい。 レン・ルォイグアー」
その途端、何かが吹き荒れた。
ゆっくりと流れる時間が再び訪れなければ、オレには何が起こったか判らなかっただろう。
(なんだいまのは? まるで魔法だ)
右へとかわすオレの横を不可視の刃が通り過ぎる。
「レン・ルォイグアー」
続けてシセリスの無慈悲な声がそれを唱える。
そう、それは魔法だった。
ルォイグアー。
リアルティメィトオンラインの敵を切り刻む風系統の呪文だ。
レンは発動の言葉。
次いで頭の中で形作る魔法陣と発動イメージ
最後に風の呪文を唱えることで魔術は発動する。
ルォイグアー、ツァール、イシューク、ハストゥール。
風系統の呪文と発動のさせ方。
知るはずのない記憶がまたどこかから湧きあがってくる。
いつのまにか知識を入力されたことへの嫌悪感で反応が遅れ、革のジャケットがざっくりと切れた。
幸い裾だけで怪我はなかったものの魔術は明らかな物理的攻撃力をもっているらしい。
魔術!
魔術だと?
では、ここはやはりASVRの中なのか。
あたりまえの話だが現実世界に魔術なんて者は存在しない。
オレは、この瞬間ここがデータ世界の仮想現実だと確信した。
そうなると問題なのは痛覚や衝撃の感受レベルがどれくらいに設定されているかだ。
もし、現実レベルなら現実でショック死するような出来事をここで体験すれば、それで終わりだ。
次から次に放たれる風の刃をかわしながらオレは考えていた。
いやダメだ。
今考えるべきは、そんなことではない。
考えるべきはこの状況への対処。
ならばやるべきことは決まっている。
シセリスの呪文詠唱と共に現れた風の刃をかわしながらオレは前へと進む。
近づくオレをなぎ払う剣鞘を後退して避け、目の前を鞘が通り過ぎると同時に前へでて‘気’を込めた掌を鎧へと打ち込んだ。
「んはあっ!?」
シセリスはその攻撃によろめきながらも剣をオレへと振るう。
目の前を通り過ぎたはずの剣が切り返してくるのを感じたオレは大きく後ろへ跳びずさり、それをかわした。
「くぅっ……なにをしたの?」
ダメージはさしてなかったのかシセリスはオレを睨みながら聞く。
だが、今まで顔色一つ変えずにいた彼女の顔が微かに紅潮して声も震えているのを見るとまったくのノーダメージではないだろう。
樹に試したときに枝葉がざわめいたように全身に細かな振動を走らせる攻撃だ。
表面上は何もなくても身体の芯に残った痺れは力を奪っていくはずだ。
一撃で倒せるような‘気’を使えればいいが、さすがにそれは無理のようだった。
相手もオレも動かずに鎧なども着ていない状況ならそれも可能かもしれないが、仮定の話をしてもしかたない。
仮に‘浸透勁’や‘透し’と呼ばれる衝撃を内部に打ち込む攻撃を使えば、あるいは気’を頭部に打ち込めば。
仮定でいいならいくらでも手はある。
できないわけじゃないが、今の身体能力でそれをやると前者ならよくて内臓破裂、後者なら脳障害だ。
手加減ができるほどオレはこの仮想空間になれてはいなかった。
どうせ仮想空間だから死にはしないと高をくくれればいいのだが、それができるほどオレはヤワな生き方はしていない。
分別のつかないガキや野犬並にひとに噛み付いて生きる馬鹿なら平気でするだろうが、オレは覚悟も決めずに相手に傷を負わせることはしないし、ましてやこのふざけた戦闘を仕組んだやつの思い通りになる気はなかった。
「たいして効かなかったか」
オレはそう返してシセリスを見返す。
「もうやめにしないか?」
「やめる? どうして?」
シセリスの瞳に何かが宿ったような気がした。
情念あるいは妄執だろうか。
深く一途に思い込んだ狂気のような何か。
それが、もともと彼女の中にあったものなのか、それとも全てを裏で操っている誰かに植え付けられたものかは解らないが、オレはどうやら虎の尾を踏んだらしい。
「こんなふざけたことをしておいて! 今度は本気で行くわ」
シセリスはさっきまでとはうって変わった熱のこもる声でそう告げた。
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