<ハーレム・ステップⅢ>~ダンス・イン・トラップメイズ~

  

 


 よく女はわからないと愚痴をこぼす男や、男なんて皆バカばかりだと嘆く女がいる。


 それは全て間違いとは言い切れないが、当然すべて正しいわけでもない。


 要は男だろうが女だろうがバカはバカだし、どんな人間でもその人間の全てを理解できるわけではないということだ。


 人間の精神を形作る人格というプログラムは、動物的本能という基本プログラムを社会という外部プログラムからの入力を受けて上書きしていくことで形成されていく。


 そして、ある程度の因果認識ができるようになると、入力されるデータを取捨選択することで、個性と呼ばれる環境対応プログラムを作り上げる。


 それは人間が生まれてから死ぬまで続けられ、データ数が多くなるほど変化はしにくくなるのだが、ハードである肉体の変容に大きな影響を受けるため、年齢を重ねたからといって人格が変化しにくくなるとはいえない。


 人間とは生涯学び続ける生き物だとは、そういう意味だ。


 更に‘精神というソフトによって動くハード’自体が‘遺伝子という別個の設計図’によって、作られているうえに、それを育てる‘社会環境という教育プログラム’もまた別個であるのだから、その全てを理解できないのは当たり前だろう。


 だからこそ、世のためにつくした人が悪事を働く事も、冷酷で人の心を踏みにじることをなんとも思わない人間が人を救うこともある。


 人は全ての存在と等しく多面性を持ち、しかも変わり続ける、。


 神道がいう神は全てに宿り神とは人間が全てを理解できるものではないとはそういう事だ。


 ‘欧米を中心に発展した力を重視し戦いを神聖化する一神教的価値観’と‘商人達が世界を征服することで生まれた合理的な欲望追求をよしとする価値観’の融合によって動く現代の社会機構。


 その中では、正しくあり続けるには難く堕落するのに易いとはいえ、それは社会としての方向性にすぎない。


 それは絶対ではなく個々で見るのなら可能性は無限ではないが多様だ。


 だが熱いものに触れると手を引くなどという条件反射のように、単純なあるいは極端に本能に訴えかける状況では、それは限定された反応を引き起こすことが多いのも確かではある。


 例えば、画面の中でしか見たことのないような美女に迫られたときなどはどうだろう。


 たいていの男は二つの反応をみせる。

 鼻の下をのばすか、引いてしまうかだ。


 これは基本プログラムに類することなので、世の女達が好むような物語にでてくるように、さらりとかわすだとか、愛する女だけをみて目もくれないなどという芸当をこなすには、外部プログラムからの入力である経験や教育が必要となる。


 しかしオレの場合、そんなものなどなくてもその二つに当てはまる事はなかった。

 もちろん経験もないわけではない。

 

 だがそれ以前に、今まで自分を殺そうとしていた相手に対してそういった本能的反応が起きるわけがなかった。


 なぜなら、生存本能は三大欲求よりも優先されるのだから。


「わたしは全てを賭けて敗れました。 もう、わたしの全ては御主人様のもの」


 御主人様などとオレを呼ぶ意図を問いかけると、彼女は潤んだ藍色の瞳でこちらを真っ直ぐに見て、はにかむ様に言う。


「それに、あんなことされては。 もう他のかたには嫁げません」

 

 そして何の裏もなくそんな台詞を口にする女はいない。


 例え、奇跡的にそんな女がいたとしても、シセリスという女は実在しないのだから同じことだ。


 友人を称するヤクの売人に、体に害はないからなどと言われてヤク中になるような、想像力の欠片もない馬鹿なガキなら、ここで何も考えずにひっかかるだろう。


 だが、まともな人間なら、さすがにこれを何の疑いもなく信じられるわけがない。。


 これはシセリスという刷り込まれた人格の感情からでた台詞なのか。


 それともオレを篭絡しようとする黒幕があらかじめ用意したシナリオなのか。


 いずれにしろ、ろくでもない話だ。


 自分の記憶を失くし偽りの記憶と人格にふりまわされる哀れな女にしろ、何らかの目的でオレを嵌めようとする黒幕に操られる人形にしろ、言い寄られて嬉しい相手ではない。


「自分を安売りしてはいけない」


 そんな内心を隠し、とりあえずありふれた台詞を口にして、オレは彼女を見返した。


 これがシセリスの台詞なら回避するべきだろう。


 ミスリア一人なら制御できる状況操作も二人になると難しくなる。


 そしてこれが敵のシナリオなら、狙いが何にしろそれにのってやる必要はない。


 だが、どっちにしても馬鹿正直にそれを口にするのは下策だろう。


 おまえらの企みは解っているなどといってボロをだすほどお粗末な相手とも思えないし、交渉しようにも材料がない。


 最悪、オレにオレとしての記憶があるのがイレギュラーなら、消されるかもしれない。


 拉致されてきた人間が眠る無数のASVR接続端末。


 コフィンと呼ばれるその端末の一つで眠るオレとコフィンの群れを見て、嗜虐的な笑みを浮かべる究極の‘下種脳’。


 その幻像に被って、かつて死刑台送りにした殺人ビデオスナッフフィルム製作者の‘非人脳’の姿が脳裏に浮かんでくる。


ここがASVRによる仮想世界だということは、オレの肉体は無防備で誰かの手の内にあるということだ。


 これがデスゲームにしろそうでないにしろ、オレの生殺与奪権はその誰かに握られている。


 この状況が事故でオレが記憶を失っているだけでいつか助けがくるはずだなどと楽観してもいられまい。


 ましてやオレにかけられている賞金額を考えれば最悪のことを考えて行動するべきだろう。


 その可能性があるからこそ、今まで様子を見てきたのだ。


 そうでなければ、とうにここから出せと、宙に叫んでいただろう。


 この世界がASVRによるものだと解ってその可能性が高くなった以上、下手な真似はできない。


 今まで以上に慎重にいかねばなるまい。


 ならばどうする?


 まんまとひっかかったふりをして馬鹿を演じるか?


 あいてのシナリオに敢てのってやり敵の思惑を探るのが定石ではあるが。

  

「御主人様の命の対価が安いわけはありません。 わたしの全てと御主人様の全て、あれはそういう勝負でした」


 そうしろと促がすかのようにシセリスは言った。


「だが、望んだ戦いではなかった」


 だとしても、あっさりと肯くのはしゃくなので、オレは彼女の言葉に継ぎ足した。 


 そう、あれはゲームでいう強制イベントだった。


 避ける手段としては、この場を放棄して逃げるしかないが、そうしてもここがASVRによる仮想世界である以上、逃げ場などどこにもない。


 そしてこの展開もまたそうなのだろうが、それでも何の抵抗もせずにあきらめるのは、オレの趣味ではない。


 例えこれをみてほくそえんでいるヤツがいるとしても、せいぜい足掻いてやろう。


「確かに御主人様の望まれた勝負ではありません」


 彼女はオレの言葉に少し悲しそうな声でそう応え、涙目で上目遣いにこっちを見てくる。


「でも、わたしが望んだ以上この命は御主人様のもの。 いらないと仰せなら死ねと命じてください」


 これは脅迫か?


 現実でこんな台詞をはく女がいたら無視して逃げるところだが、彼女が何者かに操られている以上、これは最後通告だろう。


 ここでシセリスの言を退ければどうなるか予想がつかない。


 現実の女ならせいぜい狂言自殺程度だろうが、これが誰かのシナリオの一環なら彼女が死んで終わりとはいかないだろう。


 それを理由に命を狙われる。

 あるいは官憲に追われる。

 他にも色んなまずいことが考えられる。


 どうやら潮時のようだ。


 いずれにしろ相手の出方を待つしかないのなら、ここは受けるべきだろう。


「さすがに死ねとはいえないな」


 オレは溜息をついて言った。


「でも、直ぐに返事もできない。 一晩お互いに考えよう、君の気も変わるかもしれない」


 それでも半ば嫌がらせめいた時間かせぎを口にする。

 

 今までのやりとりを見ているやつがいれば、してやったと思った瞬間を狙った肩すかしだ。


 たいした意味はないが何もしないよりは、気が晴れるだけましだった。


 そんなことはないという彼女をなだめすかし送り出すことができたのだけが、この不毛なやりとりのささやかな成果だった。 


 これが事故で今のオレの懸念が笑い話になるのならいいのだが、世の中ってやつはそうやさしくできてはいない。


 大衆は豚だとばかりに、食い物と娯楽を与えておけばいいという古代ローマ程度の見識しかない馬鹿な連中がのさばる政治は、高度の情報処理システムを使えば実現できる民意を反映させた選挙や全国民の政治能力の上昇を目的とした教育を封殺して恥じない。


 強いものが弱いものを弱いものが更に弱いものをくいものにすることを前提とした経済は、賭博や抗争を投機や戦争と言い換えた暴力団と変わりない方法論と倫理観で運営され続け、金銭なしで社会を運営するシステムを提唱する人間の意見をを殺し続ける。


 それはあまりにありふれていてそれと気づくこともできない哀れで善良な子供たちの心を追い込み腐らせ、いじめや社会への嫌悪を容認する馬鹿なガキを作り出す。


 その価値観に迎合し大人になっていく人間はいるが、そう言う人間は主流派であっても決して多数派ではない。


 ニュースや画面の中にどれだけ殺人や犯罪があふれていても平和に暮らす人間がそれ以上にいるように、それでも心の中にある大切ななにかを守って生きている人間は少なくないのだ。


 ‘ 勝ち組負け組み ’や‘ 上から目線 ’などという言葉が本来の用途から逸脱して使われ、形だけの平等を揶揄するように、多くの大人達は無力感とともにそれを知っている。


 そして、真っ向から立ち向かえずとも、オレと同じようにささやかな抵抗をし続けている。


 だからとりあえずはこれでいい。


 オレは、明日の夜また必ず訪れると言って去っていくシセリスの背を見送りながら、そう考えていた。



 

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