第664話 第3章 9-4 竜煙

 まだ鼻血を出しているカルンがゆっくりと起き上がり、驚愕を通り越して放心に近い顔でカンナや皇太子妃と周囲の惨状を見比べる。死体とも呼べぬ消し炭からは白煙と黒煙が立ち、火も上がっている。火といえば神廟がもはや手をつけられぬほど燃え上がって、屋根も崩れてきた。熱気が凄い。


 「妃殿下、あぶのうございます! お早くこちらへ!」

 気を取り直したトァン=ルゥが叫ぶ。

 「行くぞ、カンナカームィ」

 皇太子妃があくまで優雅にカンナへ声をかけた。


 「ハ、ハイ」

 「カルンも」

 「ハ、ハッ」


 鼻血をぬぐうのも忘れ、カルンも我へ返って二人へ続こうとする。

 そのカルンめがけ、消し炭の下より生き残りが飛びかかった!

 アイナである!


 その姿はしかし五体満足ではなく、電流に撃たれ見るも無残に焼けていた。が、生きている! 脇差ではなく猛毒塗布の手裏剣を握り、カルンの脇腹へそれをつきたてた!


 ……かに見えた。

 カルンの身体が抱きかかえられて宙へ浮き、同時にアイナの右手が落ちた。


 護身用の短剣を右手にした皇太子が左腕で第二夫人を抱えあげ、転回しながらアイナの攻撃をかわしつつ同じ動きで右手を叩き切ったのであった。


 その動きだけでも、皇太子も武術の達人であることが分かる。


 一同は、何もすることができずにただそれを見つめていた。振り返った皇太子妃が、満面の笑みで夫を見た。


 「こいつめが!!」

 トァン=ルゥが怒髪天を突き、走りこんで大刀を振りかざし横薙ぎ一閃!

 アイナの首がふっとび、燃え盛る廟の中へ飛んで行った。


 残った首から下が、倒れ伏す。

 「……これは、なんと畏れ多きことにて」


 我へ返ったカルンが皇太子の腕から逃れようとしたが、皇太子はかまわずそのままカルンを抱いて神廟から出た。


 「で、殿下、御戯れを……!」


 顔を真っ赤にしてカルンが云うも、皇太子は無視して三神廟の階段を下りる。皇太子妃がその横へ並び、カルンは涙目となった。


 「も、もうしわけ……妃殿下をさし……おき……」

 「今日はよい」

 ふふ、と両殿下が目を合わせる。カルンはのぼせ上がって気絶しそうだ。


 「うらやましいなあ」

 後ろに続くトァン=ルゥが肩に大刀をかついでつぶやく。


 スティッキィとライバ、そしてカンナも二人……いや、三人の後姿を微笑ましく眺めた。


 だが、トァン=ルゥは気づいていた。このまま階段を下りれば、ルァンとエルシュヴィの倒された第二門前広場に行き着くことを。二人を死なせてしまったカルンへの、皇太子と皇太子妃の、何かしらの配慮なのだろう。


 生き残った兵士達と、火事に気付いた兵士や宦官、神職たちが後処理のためにわらわらと集まった。


 神山から立ち上る黒い煙が、竜のようにたなびいている。



 ∽§∽



 「で、どおなのお? カンナちゃん、体調に変化はあるう?」


 五日後。三人は正式に後宮から迎賓室へ移っていた。後宮姫こうきゅうきとそのお付きから、皇太子の賓客となったのだ。


 事情を知らぬ他の姫たちは、三人が急に消えたので何か粗相をし追放されたと信じている。しかし、なにせ火事という目に見える形で神廟で事件があったこともまことしやかに知れ渡っており、三人は最初からその関係で後宮へ入ったのだとする鋭い噂も広まった。が、両夫人が何も云わぬ以上、姫たちにそれ以上どうこうする術はない。


 「ううんと……いやべつに」


 カンナ、皇太子妃の天限儀ガリアによりなんとやらという力が備わったはずなのだが、まるで変化はなかった。


 「意識でどうにかなる力ではない。無意識の力を制御する力と考えよ」


 ふと、入り口にお付きを従えた皇太子妃が立っており、三人はあわてて席を立って礼をした。


 「もう、そなたらは後宮人ではない。殿下の客人ぞ。わらわと同格じゃ。やめいやめい」


 皇太子妃が笑って云い、三人と同じ円卓へ着く。じっさい、三人はウガマールで設えた元の服に戻っていた。

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