第621話 第2章 3-1 逃げ時

 「そうなのよお。私ってなにせ古株でしょう? 昔のことを、なんでもかんでも聴いてくるんだから……」


 それは、王国としてはあまり良くないとレストは思った。国王がいても、常にガラネルが裏で支配しているに等しい。


 「リネットは?」

 「相変わらず、臥せってますよ」

 「そうなの?」


 ようやく、ガラネルが少し顔を曇らせる。しかし、それはリネットの体調を心配してのことではないのを、レストは見抜いていた。


 「起こしてきますか?」

 「いや、寝かせておいてあげて。どうせ、一月後にはいやでも元気になるから」

 「そうなんですか?」

 レストが、意外だという顔をする。

 「一か月後に、何かありましたっけ?」

 「古来よりの儀式の日なのよ」

 「ふうん……月の……湖でしたっけ」

 「そうよ。レストにも手伝ってもらうから。楽しみしていてちょうだい!」

 「僕がですか?」

 「そうよ」


 レストの表情が微妙に変わるのを、ガラネルの鋭い視線が観てとる。レストは心の中でしまった、と悪態をついた。感情を隠しきれていない。


 「だいじょうぶよ、会ってほしい人がいるだけ」

 「……僕にですか?」

 「そうよ」

 訳がわからない。逃げ時だ。レストは決心した。



 3


 その夜、さっそくレストはガリアであるネコを出した。雉虎文きじとらもん短尾たんび黄眼猫きがんねこだ。いきなりこの王宮から逃げたところで、捜索の網から逃れることは至難に思えた。従って、一か月のあいだに城中から街中を調べ、逃亡ルートを確保する。


 (そうは云っても、こんな異国で僕みたいな異人の子供が一人でウロウロじゃ、なあ……)


 消えるとすれば、忽然と跡形もなく消えなくてはならない。それは、遣い手であるレスト自身ですら小さくするガリアの力を持ってすれば、できなくはないだろう。しかし、この街を出てあの密林をどうやってどこまで逃げ果せれば良いのか……。ちょっと想像がつかない。


 (それに、ガラネル様は僕のガリアの力なんてとっくに知ってるし……)


 バグルスや竜だけならまだしも、この国の人間が全て自分を狩るのを想像すると、とても逃げるのは無理な気もしてくる。


 (最後までつきあうしかない……か)

 そう思いつつ、念のためガリアの猫を城や街へ放った。

 死ぬのが恐いわけではない。

 (どうせ、スターラでのたれ死んでいた身だ……)


 生きてラズィンバーグへ行けたのも偶然だし、ナランダへ拾われたのも偶然ならば、ガラネルと出会ったのも偶然だった。偶然のまま、最後まで行くのも一興だ。レストは、十一歳にしてそこまで達観している。それが大人びた雰囲気を出しているし、じっさいストゥーリア人らしい死生観とも云える。あの、生と死が裏表になっている魔都では、誰しもそう思って生きている。わざわざ生命をかけて竜を退治して金を稼ぎ、生の喜びを爆発させるサラティスとは根本から異なる。


 儀式の日までどうの、とガラネルは云っていたが、実務的にもガラネルは忙しかった。日に日に謁見の人間が増えている。持ちこまれる書類も山になる一方だった。それにつれてガラネルの機嫌も悪くなる。


 レストはあまり関わらないようにした。リネットは、部屋からほとんど出てこない。それこそ猫の入る隙間もないので、中がどうなっているのか、まったく分からなかった。


 また子供の吸収力が凄いのか、もともと才能があったのか、レストは半月もすると片言ながらハーンウルム語を話しだした。そこで、召使にリネットのことをなんとか聴きだす。しかし、判で押したように体調が優れないが腕のよい宮廷医師が診ているので心配ない、という返事だった。


 いよいよ怪しいが、どうしようもなく日にちが流れ、一か月後となった。初春だった季節は、春の盛りを迎えて花々が美しく咲いている。特に王宮の庭は様々な花が植えられており、花の王宮と呼ばれているのだとレストは教えてもらった。


 「レスト、出発するわよ?」


 ある日、なんの前触れも無くいきなり部屋にやってきたガラネルそう云われ、レストは戸惑った。

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