第613話 第1章 6-3 束の間の慰撫

 大きな門をくぐり、よく手入れされた広い庭を横切り、正面玄関より中へ入った。すぐさま、使用人がわらわらと現れる。親王が板敷の縁へ腰かけ、履き物を脱いで、桶に用意された湯で足を洗いだしたのでみな驚いて見つめた。


 「こっちじゃ、家に入るのに履物を脱ぐんだ。慣れないかもしれないが、これも慣れてもらわないとね」


 云いつけるや、三人分の桶がやってきた。

 戸惑いながらも、云われるがままに靴と靴下を脱いで足を洗う。


 清潔な手拭いで足をふき、三人は客間へ通された。長い廊下を歩き、木と紙(?)と草(??)でできた屋敷にマレッティとマラカは言葉も無い。異次元に来た心持だ。パオン=ミも知識としては知っていたが、実際に見るのは初めてなので興味津々だった。


 途中で親王がどこかへ行ってしまい、使用人に通された豪奢な襖絵に囲まれた部屋でも、椅子がないのでどうしようもなく棒立ちだった。


 見ると、黒髪を後ろで束ねた、布を幾重にも巻いたような服を着た中年女性の使用人が引きった笑顔に汗だくで、草の編まれた敷物の上へ座れと必死にジェスチャーしている。


 三人はなんとなくその上に安座で座った。

 やがて、美しい小さな磁器に入れられた茶が漆塗りの丸盆に乗って出てきた。

 「独特の味ぞ」


 同じく喫茶文化のあるディスケル人のパオン=ミだが、故郷カンチュルクの茶は正確には茶の木ではなく、薬草を煎じた薬草茶だ。製法も味もまるで異なる。


 それを飲んで、やや待っていると、やがて風呂へ入り着替えて身なりを整え、別人のようになったマヒコ親王が現れた。


 「やあ、お待たせした。さっぱりさせてもらったよ……君たちは、風呂へ入る習慣はあるかな?」


 「お風呂があるのお!?」


 真っ先に食いつたのがマレッティだったので、親王が意外な顔をする。ストゥーリア人のマレッティが、もっとも風呂から縁遠いと考えていたためだ。


 「よかったら、話の先に使ってください。旅の汚れを落として……使用人もいますので」

 マレッティとマラカが浮足立つ。

 「殿下、私は、湯に浸かる習慣はございませんので……」


 「ああ、カンチュルクではそうだったね。行水くらいはするのだろう? 徐々に慣れるといいよ。この国では、風呂に入らない者は奇人変人扱いだよ」


 パオン=ミがなんとも云えぬ有難迷惑な顔つきとなる。親王はそれを楽しそうにみつめた。


 しかしマレッティとマラカは、出自はどうあれ風呂とあってはサラティス人の心がさわぐ。食事の前に御馳走になることにした。二人は久々に髪と身体を洗い、大きくて総檜つくりの浴槽に身体を沈め、心身を開放した。


 「木のお風呂なんてはじめてよお。珍しいわねえ」

 マレッティが木材の香りのする檜風呂を満足そうにさすった。

 「そうですねえ、拙者も、石造りの風呂しか入ったことはありません」

 マラカも、目をつむって満足げだ。


 だがパオン=ミはどうしても全身を液体へ沈める感覚が理解できず、なんとか湯を浴びる程度にしたが、それでも身を清めることができ、親王へ感謝した。


 風呂から出ると、ホレイサン側の衣服が用意されていた。着方が分からなかったが、侍女が手伝ってくれた。ボタンがいっさい無く、止めるのはすべて紐だったので驚いた。


 それでも、作業用の作務衣に近い装束で、軽衫袴かるさんばかまの男装と云ってよかった。ここまで旅を続け、そちらのほうが着やすく、動きやすいだろうという親王の配慮だった。


 それから食事だ。小さな膳に乗った慎ましい器の中に盛られた慎ましい料理の数々は、豪奢な器を見ても、また親王の立場から云っても、これでもかなり豪勢なはずだった。


 「ホレイサン=スタルって貧乏なの? これじゃストゥーリア以下よお」

 マレッティがささやいた。

 「こういう細かいのが大量に出るのだ。習慣の違いと思え」


 実際、歓待ということで、四から六品の乗った膳が、酒が飲み放題で七の膳まで出てきた。大は川魚や鳥の焼き物から小は八寸まで、全部で三十品は食べたであろう。結果からすると、食べきれなかった。


 食事をしながら、今後の打ち合わせをした。


 「まず、今夜はゆるりと休んでもらい、明日から私のほうで動くから、お三方はしばしここへ逗留してもらうほかはないだろう。長くはさせないつもりだが……」


 「殿下、感謝の極み。フローテルたちのことも、どうかお忘れなく」

 パオン=ミが両手を前で合わせて軽くこうべを垂れた。

 「もちろんだ。分かっている」

 親王は上機嫌で杯を重ねた。侍女が際限なく注ぐ。

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