第611話 第1章 6-1 いざ、ホレイサン=スタル

 「あの斜面を登って山へ入ったら、今日はもう休憩しよう。よもや、さらなる追手は現れないだろう」


 そうは云っても不安もある。パオン=ミが、こんどこそ地面から空から、何十という小動物を放って探索を開始する。


 「ねえ、パオン=ミ、そのネズミやら小鳥やらって、何日もそのままなの?」

 「いや、三日が限界ぞ」

 「ふうん……」

 不思議そうに一斉に散らばった小動物たちを見やって、マレッティがつぶやいた。


 やがて湖を半周し、一行はまた山へ分け入った。そこで今日は休む。いよいよマラカが震えだしたので、パオン=ミはタカンがいるにもかまわずマラカの衣服をぜんぶ剥いで絞り、木の枝へかけると呪符火炎を大量に燃やしつけ、乾かし始めた。近くへ焚火も用意する。幸い、マレッティの着替えが荷物にあったので着替える。少し、大きかった。


 「助かりました、マレッティ殿」

 「あんた、荷物がやたらと少ないと思ったら、着替えも無かったの」


 マレッティが呆れる。職種がら、二人は普段から旅の概念がちがう。マレッティは移動のための旅だが、マラカは探索や索敵の旅なので余計な荷物は一切持たないし、そもそもこんな遠出をしない。


 「ちょっと、勝手がちがいました」

 妙な声で笑う余裕も無く、マラカは早々にテントへ入って横になった。

 「さて、今後の行程だが」

 云われ、ドゥイカが例の素朴な地図を出す。


 「いま、ここだ。三日後にはこの辺まで行く。ここに、ホレイサン=スタルの国境警備のための出城がある。こっち側を通ると見つかりやすいので、こっち側を行く。タカン先生には申し訳ないが、ここの国境警備に見つかると先生だけ保護され、我々は捕縛される可能性がある……」


 「こちら側の道は、タカン先生にも通れるのか?」

 「ここまで来た歩きっぷりを見ると、難しくはないと思うが」

 パオン=ミがディシナウ語で、タカンへその通り説明した。


 「ああ、問題ないよ。ここら辺も、何度も通ったことがあるんだ。それに、ここの関所に見つからないようにするのは賛成だ。今の奉行は融通が利かないし……私のような者を道楽者として疎んじているからね。なにせ、身分をわきまえずに一人でフラフラ出歩いてるんだから……おっと、今の部分は訳さないでくれ給えよ」


 パオン=ミがかすかに笑い、前半だけを伝える。

 「では、こちら側で」

 その後、粗末な糧食を摂って、戦いの疲れもあってそれぞれ休んだ。

 マレッティだけはしばし寝つけずに、火の番をして深夜までおきていた。

 空は曇っていたが、ときおり月が梢の合間より見えた。

 山犬か、サティラウトウではいなくなった狼の声が聴こえた。

 マレッティが空を見上げた。

 「おフロはいりたあい」



 二日後、特に何事も無く目的地へ到達した。すなわち、木々のまばらとなった丘陵地帯から遠くホレイサン=スタルの広大な広葉樹林とその奥に雑穀や豆、根菜類の畑が広大に広がっているのを望む場所だ。ちょうど雪解けに肥料をまいている時期だった。ホレイサン=スタルもディスケル=スタル東部及び南部と同じく主食は米であり、北部に位置するこの国ではもともと南のほうでしか米は栽培できなかったが、品種改良を重ね、この北限を除きホレイサン=スタルの中部以北まで水田は広がっていた。が、この最北端の地では米はまだ穫れず、畑作が主な産業である。


 「街道を外れて、あそこから入ろう」

 タカンが指さしたのは、山際から窪地を通ってまた反対側の尾根へ入る道筋だった。


 「人も少ない。そこから、私の領地まで山の中を通る。いろいろ飛び地になっててね、一番近い村まで、三日くらいかな」


 「では、私はこれで。タカン先生、御口添えはくれぐれもよろしく頼みますよ。こっちは一人死んでいる」


 ドゥイカが氷みたいな表情で、タカンを睨みつける。

 「分かっている。任せ給え。本当にありがとう。命拾いしたよ」

 ドゥイカが、チラリとマレッティやパオン=ミを見た。パオン=ミが小さくうなずく。

 「では……」

 そう残し、ドゥイカは湖のほうへ去っていった。

 「では、行こうか」


 ここからは逆にタカンが案内役だ。一行は、ガリア遣いではなくホレイサン=スタルの役人や警戒心の強い村人を避けながら進むことになる。特にマラカとマレッティは、見た目も完全に異邦人だ。深くフードをかぶり、姿を隠す。いや、マラカはガリアでその姿ごと消えてしまった。

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