第603話 第1章 4-3 谷へ向かう
ドゥイカとラマナが眼を合わせる。そして、立ち上がるや、
「それでは話がちがう。我々は貴方をガラン=ク=スタルへ引き渡し、そちらで生活を保証してもらうしかない」
タカンが驚いて、引きつけめいた声を発した。いまにも卒倒しそうだった。
「まあ、まて……それに関しても、進みながら最善の手を考えようではないか」
パオン=ミがとりなし、二人は座った。だが、その顔つきが、明らかに不審に彩られている。
「……殿下、そこはウソでもなんとかすると云っていただかないと……」
ディシナウ語でパオン=ミが囁き、タカンも何度もうなずいた。いかにも象牙の塔の学者であり、交渉ごとなどやったことがないのが明白だ。
(これは……何かしら手だてを考えなくてはならんな……)
パオン=ミが決意する。
「とにかく、いまはタカン殿を無事に送り届けるのが大事。それに専念しましょう。パオン=ミ殿、ガラン=ク=スタルの襲撃があるとしたらどのへんを想定しておりますか?」
マラカが助け船。
「それは、この谷と湖であろうの……」
やはり、そこだろう。マレッティやフローテルの二人も、そこしかないと思った。森林に街道があるわけでもなく、こちらの位置が知られない限り、相手にとっては延々と不慣れな森の中を探し回るより、どこかポイントを決めて待ち伏せるほうが確実だ。そのポイントが、必ず通らなくてはならない谷と湖というだけだ。
それから、まるで事態が想定できないタカンを除き、五人で一刻ほど打ち合わせをして、その日はそれで休んだ。
先日もそうだったが、重い荷物を抱えて、とにかくタカンはよく歩いた。パオン=ミはおろか、マラカやフローテルたちと比べても遜色なかった。いくらフィールドワーク派の学者だとしても、マレッティのほうが先にへばってきたのだから、驚くべき健脚家だ。
「……イタ……」
休憩時間にマレッティが
「タカン先生は、いつもこれほど歩いているのですか?」
密かにマラカ、疑いの眼を向ける。マラカの常識からいっても、この学者は歩けすぎだ。そもそも、一人で捕まったのだろうか。お付きや護衛、研究室の助手などはいなかったのか。
「ええ……私はもう、森から砂漠から、ひたすら歩いて古代神像を調査するのが仕事なものでね。これくらいは、難なく歩くよ」
「おひとりで?」
「そうだね、たいていは一人だね。助手は、いないんだ……学会では異端派なものでね。誰も、私なんかの助手をしようとしないよ」
タカンが目を細めて苦笑する。その表情からは、特に裏は読めなかった。マラカがパオン=ミへ目くばせする。パオン=ミは片眉を上げるだけだった。
「ドゥイカ、いま、どのへんぞ」
木へ登って方角を見定めていたドゥイカが下りてきたので、パオン=ミが尋ねた。
「……谷と、うっすら湖も見えてきた。谷へは、この調子だと明日の夜には着く。湖は、五日後だ」
「なんという谷ぞ?」
「特に名前はないが……」
「湖もか?」
「ああ」
「そうか。まあよいわ……出発しよう」
パオン=ミ、ついに、密かにガリアの小動物を大量に放った。
その「谷」へは、ドゥイカの目算通り、翌日の暗くなることに到着した。あまり深くはなさそうに見えたが、思っていたより長く、回りこむと数日はかかるという。また、下りさえすれば、反対側はゆるやかに斜面が続いているので上りは容易そうだった。
「追手が心配ゆえ、ここを渡るしかなさそうだが……下りられるのか?」
「道はつけてある。それに、そのためにラマナに来てもらった」
ラマナが片手を上げて笑った。つまり、そのためのガリア遣いなのだろう。
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