第588話 第1章 1-4 追跡の気配

 湯が沸き、乾パンと乾し竜肉をかじる。これだけだったらちょっと時期の早いピクニックだが、パオン=ミはそれからその日はずっと、肉眼や遠眼鏡でひたすら山頂を見つめていた。


 夕刻になり、マラカが帰って来た。

 この時期に採れるフキノトウの一種を十ほども採ってきた。

 「なによ、これ。ハーブ?」


 「あぶって食べると美味です。シャシャ……」

 「あきれた。偵察に行ってたんじゃなかったの」

 「もちろん、行ってましたとも。お二人とも……どうも、尾行されている様子」


 さすがのパオン=ミも目を丸くして、やや絶句。マレッティはしかし、まるで信じなかった。


 「はあ? いったい何の足跡を見つけたってえのよ。具体に誰なの? 竜? それともガリア遣い?」


 「人……だと思われますが、よく分かりません。バグルス……かも」

 「バアグルスぅ!? いったい、誰の手下よお」

 「バグルスであれば、ガラネルであろうの」


 見たことも無いほど真面目な顔つきでパオン=ミがつぶやいた。ラズィンバーグ下の台地の、ユホ族の集落で戦ったガラネルの得体のしれぬ恐ろしさと、さらにそのガラネルが実は影武者のバグルスだったことの衝撃がまざまざと思い浮かぶ。なにを仕掛けてくるか予想がつかない。まして、ガラネルの使うバグルスはガリアを封じる力も持っているし、ガラネル本人のガリアは死者を一時的に蘇らせる秘術だ。


 それを聞かされ、マレッティも気色ばんだ。


 「な、なによそれえ、気味の悪いやつもいたもんねえ……。そんなのが歩いて見て回れる範囲内に潜んでるってえの。いつから追いついてたんだろ……」


 「夜は我がガリアを放っておこう。風さえ納まればスーリーでひとっ飛びゆえ、生半可なやつでは追いつけぬわえ。しばし、気を抜くでないぞ」


 パオン=ミが細い枝をフキノトウへ刺し、残った火で炙り始めた。すぐに香ばしい春の野草の匂いがしてきて、瑞々しい汁が滴る。表面に焦げが出たころ、火より上げ、軽く塩をふって食べると、ほろ苦くとろっとしてうまい。


 マレッティも驚いた。


 「こんなものが食べられるなんて、ぜんぜん知らなかったわあ。田舎の村じゃ食べてるのかしら……ストゥーリアでもこういうのを貧乏人に教えてあげればいいのに」


 「食べられる野草を研究している人はいたはずですけど、庶民はあまり、そういう本を読まないようですね、シャシャ……」


 マラカが皮肉めいた顔で云う。そこか。マレッティは片眉を上げた。確かに、本など読むことができる階層は野草を食べる必要がない。庶民にそういうことを伝授する酔狂で慈悲深い人も、まあ、ストゥーリアにはいないだろう。


 「それにしても、何のためにあたしたちを追ってるんだろう?」

 「それは、邪魔するためであろうのう」

 「どおして?」

 「聖地へ難なくたどり着かれると、困るのだろうな」

 「じゃ、どうやって邪魔するってえのよ?」

 「それは……」

 パオン=ミはやや考え、

 「マレッティならば、どうする?」


 「あたしなら、その乗ってく竜を殺しちゃうかなあ。流石に凄腕のガリア遣い三人を相手は、大変でしょおからあ」


 ギョッとして、パオン=ミの顔が固まった。

 「そうか、その手が……」

 「なあによお、そんなことも考えつかなかったのお!?」

 マレッティがあきれた顔をした。

 「ちょっとあんた、だいじょおぶなのお!? 不安ねえ」


 「生半可な相手では、かような顔はせぬわ。あのガラネルというダールは、生半可な相手ではないぞ。かなり危ういのだ……」


 「警戒を密にしましょう。パオン=ミ殿は、ガリアで警戒を。拙者も、夜に見回りをしておきます」


 「できれば、倒してしまいたい。こんな状況では、スーリーは呼べぬわ」


 パオン=ミが厳しい顔つきでそう云うと、すっかり暗くなった後にどこかへ行ってしまった。マラカも自らのガリア「葆光彩ほこうさい五色ごしき竜隠りゅういん帷子かたびら」をまとって完全に消え去ると、探索へ出る。この地味な鎖帷子のガリアは装着すると見た目が消えるだけではなく音も臭いも気配までも、何もかも竜から消えることができる。バグルスにすら探知されない。

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