第460話 第1章 2-1 スーナー村

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 朝起きて、冷たい高原の清水で顔と口を濯ぎ、窓越しにカンナはスーナー村の全景を確認した。この山間街道の両側に宿や集落の並ぶ細長い村は、宿数がそれでも三十はあり、山間には民家もあって、竜があまり来ないためか家畜も多くおり、バソやゴットよりは小さいが、こんな秘境にしてはなかなかの規模だった。人口は、ざっと三百ほどだろうか……。


 この村が街道で最も標高が高く、あとはバソへ向けて下りるだけである。


 宿は、時期がら三分の一ほど埋まっているようだった。二階建てが多く、一階が石造りで二階は増築したように木造だった。寒いが、暖炉には乾燥させた家畜の糞や、高山植物の木っ端が燃えている。意外に、村の周囲には雑木が多い。このスーナー村より少しでもパウゲンを上ると、本当に不毛の高山部となる。


 部屋を出て食堂へ向かうと、パオン=ミが既に食事をしている。村で焼いた薄パンに発酵バターがたっぷりと塗られ、ここらで収穫できる名前もわからない小粒な豆やよく分からない葉物野菜の塩漬け、それと乾燥牛肉のスープだった。味付けは岩塩だろうか。


 「すごい、竜肉じゃない」

 カンナはそれだけで感動した。


 パオン=ミはしかし、黙々と食事をし、カンナへ目配せして、無言でいろと指示した。カンナは昨夜の言葉を思い出し、黙って食べた。眼鏡の隅にチラリと周囲を見ると、小さな宿に泊まっておるのは自分たちのみで、宿の者が給仕のため立ってこちらを凝視している。表情は、冷たくもなく、笑顔でもなく、普通だった。


 二人は食べ終えると、部屋へ戻った。パオン=ミが、ガリアである呪符「火炎華符」を折り、トカゲのような生き物を作り出すと壁を這わせて慎重に周囲を確認して、誰もいないと分かるや素早くカンナの部屋へ入った。


 「ど、どうしたの?」

 「シッ。よく聞け」

 カンナは緊張した。


 「其方、スティッキィを看病しておれ。目を離すな。我は散歩のふりをして村を探る。ここは、何かおかしいぞ」


 「なにかって、なにが?」

 「今のところは、雰囲気が」

 「ふんいき?」


 「スティッキィが恢復かいふく次第、出立したいが……看病のふりをして何を飲まされるかわからぬ。其方、スティッキィの食事や薬は、なるべく毒見をせよ」


 「どくみ!?」

 カンナの翡翠色の眼が、驚愕と困惑に打ち震えた。パオン=ミも片眉を上げる。


 「……流石に其れは無理か。致し方なし。とにかく、スティッキィを護れ。頼んだぞ」


 云うが、パオン=ミは再び音もなく退室し、そのまま宿を出て行った。

 カンナ、呆然と見送る。

 「なんなの……もう……」


 しかし、とにかく、スティッキィのところへゆく。そう云われると、カンナも急激に不安になってくる。


 ゆこうとして、立ち止まる。

 どこにいるのか、知らない。


 この宿のどこかにいるのだろうが……カンナは下の階へゆき、宿の者を探そうとしたが、どこにもいない。先程まで従業員がつっ立っていた食堂にも、誰もいない。他の部屋といっても、二階に五つ、あるだけだ。そのうち、二つは自分とパオン=ミ。ひとつは他の客。ということは、残る二つのどちらかにスティッキィがいるはずだ。


 カンナは二階へ戻り、その、自分とパオン=ミ以外の三つの部屋を順に尋ねた。まず一つ目。誰も出ない。開けようとしても鍵がかかっている。二つ目。同じく。三つ目。同じく。


 「もしもし? 誰かいませんか? スティッキィ? いるの? 具合大丈夫?」

 返事が無い。

 「スティッキィ? どこにいるの?」

 どこからも返事が無かった。寝ているのだろうか。


 カンナはもう再び一階へおりて、やはり宿の人間を探した。呼びかけても返事が無いので、裏手へ捜しにゆく。一階の奥の部屋は家人の部屋なので、誰かいるだろう。


 「もしもし? すみません、ちょっと、だれかいませんか!?」


 返事の代わりに、唸り声が聴こえた。カンナは不審に思って、その声の方へ慎重に向かう。たいして大きくもない建物だが、奥の部屋へ廊下を少し歩いた。突き当たりへ向かって右側のドアの向こう側より、唸り声が聴こえる。カンナは迷わずドアを叩いた。


 「すみません、だれかいますか!?」


 唸り声が消え、何者かが近づいてくる気配がし、ドアが内側へ少し開いて、スターラ人である、初老に見える宿の主人が恐る恐る顔を出した。


 「……こ、これはお客様、いかがしましたか?」


 カンナは何とは無くドアの奥を覗こうとしたが、主人がそれをさせまいと、するりとドアの隙間から廊下へ出て、ドアを閉めてしまう。 

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