第441話 神々の黄昏 5-2 勅

 それは、裏金ということだ。この宮城内を含む、上は大臣から下は街の情報屋まで、帝都のあらゆる情報通へグルジュワンから相当量の賄賂が行き渡り、デリナへ集約される仕組みが出来上がりつつあった。軍事費でカツカツのカンチュルクにはできない藝当だ。


 「まずは、お互いの主に情報を伝えて、第二次調査へつなげましょう」

 デリナは、慌ただしく帰国の準備を始めた。



 一時帰国は、十日後と決まった。皇帝へ謁見を申しこみ、七日後に許可が出たので、そこから逆算したのだ。朝服へ身を包み、一年半ぶりに二人は皇帝へ謁見した。相変わらず謁見の間はすさんでおり、皇帝の見た目はあまり変わらなかった。ただ、一言も声を発しなかった。アーリーは、ついに本当の人形と入れ代わったかと思った。


 その夜、デリナは緊張が解けたのか、早くに休んだ。


 隣の棟で、アーリーは帝国北方の主要な酒である雑穀と麦から造る微炭酸の蒸留酒、白ディラ酒を飲みながら、この巨大な山城と宮殿を兼ねた景色を名残惜しんでいた。雪が降りしきり、白く絶景を飾っている。


 すると、にわかに香のにおいがした。

 アーリーは幻覚かと思った。


 嗅いだことのある香で、こんなところに現れるはずのない人物が愛用する香だったからである。


 すなわち、皇帝ディスケル=カウラン九世の御成おなりというわけだ。


 しかも、皇帝は平服のまま、アーリーにすら気配を察知させずに、薄暗いアーリーの部屋の入り口に立っていた。いったい、どこから入ったのかすらわからない。


 「……こ、これは、夢か……」

 アーリーは飲みすぎたと思って目をこすった。


 老年の皇帝が笑いながら右手を振った。血色も良く、とても玉台の上で押し黙っていた姿と同じ人物とは思えない。


 「夢ではない、アリナ=ヴィエル=チィ」

 アーリーは慌てて片膝をつき、両手を合わせ、平伏した。

 「畏れながら申し上げます。こ、これは、いったいどのような……?」

 「赤竜の子よ。其方へ、託したき儀これあり」

 「は!?」

 おもわず、許しをえずに顔を上げ、あわててまた伏した。


 「こ、これはご無礼を……」

 「かまわぬ。おもてを上げよ」

 アーリーは改めて皇帝を見上げた。……本物のようだ。

 「アリナ=ヴィエル=チィよ。ウガマールへ行け」

 「……えっ?」

 思いもよらぬ勅に、アーリーが唖然とした。

 「ウ、ウガマール……ですか?」


 はるか地平の向こうの、世界の反対側の都市だ。そんなところの街の名がよもや皇帝から出てくるとは、思いもよらない。


 「今すぐではない。其方へ引き継ぐものがある」


 そう云うや、皇帝は未だ片膝のアーリーの額へ、その老いた掌をかざした。何の儀式かとアーリーが緊張する。


 とたん、アーリーの脳内へ、秘儀が流れこんできた。

 「こ……これは……!!」

 黄竜こうりゅう秘伝の、バグルス製造技術の一端だった。

 だが、途中までだった。


 皇帝がめまいを覚えてよろめき、思わずアーリーが支えた。そして、すかさず平伏する。

 「こ、これは御無礼を……玉体に触れてしまうなど……なんたる不浄……お赦しを……」

 「かまわぬ。よいか、覚えたか」

 「は……」


 「すまぬが、一度には無理だ。少なくとも、あと三度は来てもらわなくてはならぬ。朕が生きておるうちに」


 「なんと仰せられる」

 皇帝の眼が、見開かれ、それとは逆に声は潜まった。


 「この技術をウガマールへ伝えよ。そして、ウガマールでバグルスを超えるバグルスを造るのだ」


 アーリーが息を呑む。

 意味がわからない。


 「あ……お……畏れながら……バ、バグルスを超えるバグルス……とは、いったい……!?」


 なんとか、そこまで声を出した。

 「それはウガマールの秘神官どもに聞け……」

 「い、いったい、何ゆえ、さような?」

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