第365話 第3章 4-1 三人の戦い

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 一方、逃げ出した三人、肺が痛くなるほど走った。雪に滑って斜面を落ちかけたベッカの手を、クシュフォーネがつかんだ。ふだん、暗殺者として単独で行動し、けして助け合わない者どもが、ここは必死に助け合う。それほどの、我を忘れるほどの恐怖だった。


 足元が悪く、逃げるにしても限界がある。クシュフォーネ、ベッカ、メランカーナの三人は、カンナの発した轟音が背後をゆさぶったとき、二千キュルト、すなわち二百メートルていど離れたゆるやかな谷間を超えるのが精いっぱいだった。斜面を這うようにして雪まみれとなり、最後はクシュフォーネのガリアで冬枯れの木を操って、何とか上って振り向いた。森の中で雪が爆発し、衝撃波で震え、稲妻の閃光が目に刺さる。


 三人とも荒く息をついて、茫然とそれを見つめた。罪悪感も少しはあったが、すべて吹っ飛んだ。あの場にいたら、竜より先にカンナに殺されてしまう。


 「逃げますよ、二人とも……私たちだけでも、このことを報告しなくては……」

 何を報告するというのだろう。ベッカとクシュフォーネがメランカーナを涙目で見つめた。

 ホルポスの軍団が、トロンバーではなくこちらに集結している。

 果たして、こんな報告をレブラッシュは信じるだろうか。

 しかし、そうは問屋が卸さぬ。


 森の上空を旋回していた眼の良い飛竜どもが、三人を発見した。ギャアギャアとカラスめいて舞っていた、二十頭ほどの毛長飛竜と数頭の吹雪飛竜が、すーっと三人めがけて冷気を裂いて滑空してくる。


 三人はぎょっとして、あわててその場を後にした。外れかけているかんじきを結びなおす間もなく、雪へ埋まりながら懸命にまたすぐ目の前の木の中へ逃げこむ。木に紛れてしまえば、飛竜どもは下りてこられない。


 だが、足元が悪く雪庇せっぴとなっている部分をベッカが踏み抜いてしまい、隠れていた沢へ落ちかけた。なんとか腕で雪へしがみつく。


 クシュフォーネが思わず立ち止まり、助けようと近寄ったが、

 「あなたも落ちますよ!」

 とメランカーナに云われ、躊躇する。

 「あなたもガリア遣いなら、ガリアでなんとかしてください!」

 メランカーナはベッカへ云い放つと、行ってしまった。

 「そのとおりだ、わたしは大丈夫だから、行きな!」


 ベッカが気丈に云い、クシュフォーネを促す。その瞬間、雪庇がすべて砕け、ベッカはクレバスの下へ消えた。クシュフォーネはせめてガリアのドングリを幾つかベッカの落ちた場所へ投げつけると、その場を後にした。


 そのクシュフォーネへ、影と共に吹雪飛竜が覆いかぶさった。

 一瞬の差であった。

 「……あああ!」


 足で捕まれ、空中へ強力に持ち去られる。吹雪飛竜は、あまり人を襲わない。雑食だが主食は植物なのだ。したがって脚力も弱く、人間をつかみ殺すほどではない。しかし、毛長飛竜は違う。獲物めがけて、吹雪の周囲へ集まる。


 クシュフォーネは懸命にガリアを投げつけたが、むなしく空中で何かの植物が生えかけるのみだった。


 とにかくおちついて、自分の手より蔦植物を発生させ、吹雪飛竜へからめようとしたとき、吹雪め、クシュフォーネを空中で離した。


 そして落下するクシュフォーネを、数匹の毛長が我先に襲い、掴んでは空中へ放り投げ、また掴んでは離し、掴んでいるものを数匹でかみついて引っ張り合い……腕が抜け、足が食いちぎられ、腹が裂かれ……たちまち、五体バラバラにされたのだった。


 メランカーナとベッカも、その後、その姿を見た者は、いない。



 後の、スティッキィの証言によると、カンナの戦いは衝撃的だった。竜と戦うことに特化したガリア遣いが、竜とどう戦うのか。それを極端なまでに具現化したのが、サラティスのカルマであると突きつけられた。アーリーやカンナは、もはや人間の領域を超えているといえば、確かに超えているのだろう。そもそもまともな人間では、竜の鱗一枚を剥がすのも至難であることを鑑みれば、ガリア遣いというだけで人間の力を超えている。そのガリア遣いの中でも、カンナはおそらく段違いに次元が異なるのだ。


 爆発と衝撃波が踊るたびに、雪が舞い上がり、森の木が折れ、あるいは根こそぎ倒れ、土砂が吹き上がって轟音が天空へこだまする。すると、あまりにもたやすく竜が死ぬ。


 スティッキィは避難しながら、その音をもってカンナの生存を確認するのがやっとな距離まで逃げ切ることができた。


 振り返って、尾根の麓で湧きあがる爆音と、その都度乱れる飛竜の群れを確認する。

 だが、あの力は、人間の精神が生み出すものだ。

 無尽蔵ではない。


 人の心は、折れるときは呆気なく、そして急激に折れる。魂が敗北すると、ガリアは消える。


 スティッキィは大きく深呼吸し、カンナを見失わぬよう、移動を始めた。いざというときは、カンナを救出しなくてはならない。ここは、足手まといにならぬまで距離を保ちつつ、つかず離れずで追跡する必要がある。

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