第355話 第3章 序 氷竜の幻像

 いや、全てではない。

 いるのは、バーララの乗る三頭白銀竜と、何頭かの飛竜だけだ。


 バーララも、驚きの表情で周囲を見渡している。しかし、すぐに、竜の頭の上で笑い出した。


 「貴様、これはどういうことだ!!」


 アーリーが、いきなり誰も知らない言葉で喚いた。陰寂いんじゃくの雪原に声がこだまする。


 「さすがに、これが限界ってことですよ、アーリー殿」

 バーララが雪原に澄み切った声で答える。これは、竜の国の言葉だ……!

 「限界……だと!?」

 「ホルポス様のガリアですよ」

 そこでアーリー、さすがに戦慄する。

 「まさか……全て……幻影……だと……いうのか……!」


 「強力すぎる幻像術は暗示を伴い、みな、本当に傷を負い、死ぬ。それをこの規模でやってしまうのが、あのお方の力です。しかし、さすがに、限界のようです」


 「……すると……じっさいは……!」

 「私の役目はここまで。おさらばです、アーリー殿!」


 バーララが三頭白銀竜の頭上から飛び降りて、飛来した毛長飛竜の背中へ移るや、そのまま一目散に曇天の彼方へ飛んで行ってしまった。


 一同が、わけがわからず、茫然とそれを見送る。


 すべてを悟ったアーリーが、怒りと屈辱と焦燥に戦慄き、その真っ赤に焼けたガリアから灼熱の炎が吹き上がった。


 「うおお!」

 その憤りを、ちょうど炎をアーリーめがけ吐きつけた三頭へむけて叩きつける。


 炎が炎を押し返し、プラズマ炎熱弾が三頭白銀竜へ直撃し、その巨体を爆裂させた。焼け焦げ、バラバラに吹き飛んで、巨獣は一撃で倒れた。燃えカスが天から降ってくる。


 フーリエが、恐る恐るアーリーへ近づいた。

 「あ……あの~……」

 アーリーは珍しく歯ぎしりをして悔しがり、足元を凝視していたが、ギッと南を向いた。

 「カンナが危ない!!」


 だが、どうしようもない。急いで戻ったとしても、おそらく間に合わないだろう。敵は幻像だったとしても、被害が現実である以上、とても戦力を割く余裕もない。


 (たのむぞ……!)

 アーリーは、手配した策が、うまくゆくのを祈るしかなかった。



 第三章


 揺籃ようらんめいた大きめのロッキングチェアに、毛布を厚く敷き、そのうえで静かに眠って……いや、瞑想しているのは、だれあろう、薄い水色の、絹のワンピースを着たホルポスだった。まるで夏のように、ノースリーブで白く細い肩が出ている。リュト山脈の中腹に設えられた、外の明かりがうっすらと洞穴内に差しこむ氷の宮殿と似てはいるが、規模の小さな氷の部屋だった。すると、別の場所なのだろう。石造りの小さな暖炉には、申し訳程度に火が入っている。およそ暖房という効果を期待しているものではなく、飾りのようなものだった。


 傍の質素な木のテーブルには、見るからに見事な黄金の、ちょうどホルポスが抱えるにちょうどよい大きさの小型ハープが置いてあって、竜の毛による絃が張られていた。ハープは特段に華美な装飾があるものではなく、流麗だが無垢の塊から形成したようなすっきりとした清潔感を感じさせるもので、それがひとりでに音を発している。ぽつん、ぽつんと単音が鳴って、明るい旋法せんぽうによって単旋律を奏で、ときおりごくごく単純な和音がそれを彩った。


 安らぎの中で、ホルポスが静かに休んでいるとしか思えない。


 が、ホルポスの顔は、とても平安というものではなかった。眉根を寄せ、苦痛にあえいでいるほどでもないが、苦悶というか、苦悩しているふうには見える。


 やがて、ギャーン、と、ハープが酷い不協和音を奏で、次にはそれにも劣る、音程の合っていないただの雑音がボロボロと鳴った。


 そのとたん、ホルポスがガバッと起き上がって、大きく息を吸った。


 同時に、洞穴のようになっている出入り口よりバグルスのボルトニヤンが駆けこんで来る。


 「ホルポス様、お目覚めに!?」


 ホルポスは両手で頭を押さえた。ボルトニヤンが、身を屈めてそんなホルポスを抱きかかえ、母親のようにその美しい黒髪を撫で、頬を当てた。


 「よく頑張られました……よく……」


 慈愛に満ち、涙まで浮かべてボルトニヤンはホルポスを抱いていたが、当のホルポスは顔を真っ赤にして、邪険にその頭を撫でる手を払う。


 「だいじょうぶだってば!」

 「も、もうしわけございません」

 「ちょっと、いままでやったことがないくらい長丁場だったから、疲れただけ」

 「しばし、お休みを……」


 ボルトニヤンはまたホルポスを抱きかかえて椅子へ座らせようとしたが、ホルポスが嫌がって体をよじったので、そのまま床へ立たせた。

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