第313話 第1章 1-3 北国の英気

 「いっしょにどう?」

 「そうですか? それでは……」


 いそいそとライバは着いてきた。宿から少し離れた湖の岸辺に、その蒸し風呂小屋はあった。


 ウガマールでは混浴が禁止されて久しく、サラティスもその週間に習っていたが、スターラでは男女が夏に湖や湖沼で裸で水浴びする習慣があり、トロンバーでは、蒸し風呂は混浴が当たり前だという。ライバも、とうぜん何の抵抗もなかったが、カンナは別だ。ウガマールではそんな習慣は無いと云い張り、しまいには、


 「宗教上の理由です!」


 と目をむいた。そんなものは無かったが、その見たことも無い翡翠色の眼と乳白色の肌、それに宗教都市のウガマール人ということで、きっとそうなのだろうと女将も折れた。


 「では、あちらの小屋をお二人の専用にしますので……料金は別途いただきますが、よろしいですね?」


 カンナは満足げにうなずき、トリアン金貨を一枚出した。

 「え……こ、こんなに……? まあまあ、これはこれは、ありがとうございます」


 女将は満面の笑顔で遠慮なく金貨を押しいただき、前にもましていそいそとカンナのために立ちはたらいた。カンナはまだ、よくスターラの貨幣価値が分からなかっただけだが、トリアン金貨一枚ともなれば、ほとんど一か月半ほどの宿代に匹敵する。通常の「こころづけ」ならば、四分の一トリアンにあたる銀粒ひとつでも充分すぎる。


 「いや、カンナさん、気前がいいですねえ。さすが、サラティスのカルマともなると、きっぷがちがうなあ……」


 ライバも、少し驚いたようだ。カンナの金遣いの大胆さにである。無分別に金をばらまく成り金というでもない、遣うところに惜しみなく遣うというべきか。ちょっと、恰好よいと思った。


 「え、そ、そう……?」

 カンナは、ライバの云っている意味が理解できなかった。

 それはそうと、小屋は小さめで、少人数用だったので、二人でちょうど良い。


 木製の蒸し風呂小屋は、更衣室と浴室のみの簡素な造りで、よく焼いた石を部屋の隅に積んであり、室内は既に夏のウガマールの砂漠かというほどに熱く、乾燥している。カンナとライバが全裸でそこへ入り、眼鏡を外したカンナが見えない眼で段差へ腰掛けると、ライバも横に座った。女将が、焼け石にザブザブと湖の水を杓でかけると、もうもうと蒸気が発生して、一気に室内は蒸し器の中のようになった。


 カンナはびっくりして、水蒸気にむせてしまった。


 それからはまるで雨期のウガマールもかくやという温度と湿度で、たちまちライバは汗びっしょりとなったが、カンナはそうでも無かった。ウガマールでの気候に慣れているからだろうか。しかし、四半刻(約三十分)もすると、さしものカンナも汗だくとなり、身体の芯から温まった。


 「さ、そろそろ出てください。入りすぎていると、逆効果ですよ」


 砂時計を管理していた女将が呼びにきて、二人は外へ出た。ライバはそのまま更衣室から全裸で小屋の外へ出てしまい、雪の中に倒れた。


 「気持ちいい~!」


 であったが、なにせ通りには衆人の眼があり、とてもでは無いがカンナには無理だった。タオルを巻いて水をがぶ飲みし、落ち着いてからいそいそと服を着る。


 そのころにはライバも雪中から戻ってきた。

 「いやあ、たまにはいいもんです」

 「不思議なお風呂ね……身体は洗えないけど、さっぱりする」

 気がつくと、外はもう暗くなりかけてきた。

 「もうそんな時間?」


 「この時期は、日が暮れるのが速いんですよ。まだ夕刻前ですけど、食事にしましょうよ」


 「そうね。疲れちゃった……早く寝たい」


 二人は宿へ戻り、食堂でそれなりに良いものを食べた。大きなライ麦パンに、ユーバ湖の新鮮な魚……カワカマス類や大岩魚、鱒類などとカブのスープに焼き魚、そして凍らせた魚の身を薄く削いでそのまま生で食べるもの。カンナは、いくら凍らせているとはいえ、生の魚はけして口にしなかった。故郷が乾期で食料が不足しているときや、旅路に食料が不足したときなどは虫の串焼きをも平気のカンナだったが、生食というのが想像を絶していた。まして魚。南国では水も濁っているし、病原菌や寄生虫、原虫の関係もあり、魚介類の生食は命にかかわるため、仕方がない。


 それでも、火を通したものは新鮮だけあって、また味付けや魚そのものがパーキャス諸島の海水魚とは違ったうまさがあり、堪能したカンナは満足だった。

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