第306話 ホルポス
アーリーが黙りこんだ。カンナはまずかったかな、と思って、動悸と共にその間を耐えた。ただでさえ湯に温まって血圧が上がっているのに、卒倒しそうだ。
「す、すみま……」
もういったん出ようと思った矢先、暗がりでアーリーが口を開いた。
「白竜のダールは、私がむかし会ったことのあるダールの娘にあたる、若くて新しいダールだ。若いと云えば聞こえがいいが、なにせ幼い。子供だ。子供がデリナに何を吹きこまれたかしらないが……どう出てくるか図りかねていた」
カンナは驚いた。
「子供? 子供のダールなんですか?」
「ダールだから、三十年ほどは生きている。しかし、人間でいうなれば、十になるかならないかだろう」
「十歳ですか? そんな子が、竜の軍団を率いているんですか?」
カンナの声が、さらにうわずった。にわかに想像できなかった。
「そういうことだ。子供が、恐るべき軍団の力と権力を継承している」
「それは……」
たしかに、どう出てくるか、わからないだろう。カンナは、何ともいえない気持ちになった。まさか敵が子供だとは……。
「……なんていう、名前なんですか? その子……」
「ホルポス。……ラドホルポスヴャトヴィトプスクス」
アーリーはそこまで云うと、瞑想に入ってしまった。
「ホ……ホル……!?」
カンナ、いまアーリーは古代の呪文か何かを云ったとしか思えなかった。
∽§∽
スターラより北東へ深い森林地帯を踏破し、七日も歩くと巨大な湖に到達する。古い名前でユーバ湖という。東西に長く、内海のように広がっており、南北には狭い。森林街道を行きついた街が、スターラ領トロンバーだった。トロンバーから先は完全に前人未踏の地で、連合王国時代は遊牧民との交流もあったが、都市国家時代になってからはそれも途絶え、まして竜が出るようになってからはまったくの不明の地となった。遊牧民族たちは竜に家畜を食われ滅びたという説もあれば、竜を家畜化して竜属の民となったという説もある。
そのトロンバーから湖沿いに東へ三日進み、そして湖畔を離れてやや南東へ五日ほども進むと、北から張り出した巨大な山脈につきあたる。リュト山脈といい、北方ではこの山脈を境に竜属の世界と旧帝国の世界が分かれている。スターラから真東に進む道もあるが、パウゲン連山からやや離れた孤峰トローメラ山のすそ野に広がる広大な樹海地帯を補給なしで進むため、トロンバー経由の北回りルートが交易に使われている。いや、使われていた。
いまは、リュト山脈とトローメラ山のふもとに、竜の北攻軍団の営巣地ができて、ここ数十年、人間の往来はほとんどない。リュトが本陣で、トローメラは出城といえた。
リュト山の中腹にある氷の洞窟は、日の光が差しこんで、氷の宮殿のように輝いていた。
底冷えに冷えきって、極地に住む生物以外は、とても住めるような状況ではない。
外では大小の毛長竜や凶氷竜、雪原竜がうろうろし、洞窟の中にもそれらの小竜や、様々な外見をしたバグルスが仕事をしていた。
その中で、ギロアやブーランジュウを思わせる完成度と階級の高いものは、やはり人間めいていた。
赤茶の髪に真っ白な肌、眠そうな顔つきに背の高い豊満な肉体を惜しげもなく氷へ映す黄色い眼のバグルスが、毛長竜の防寒着を着こんだ人間の来訪者を奥の部屋のようになっている空間へ案内した。とてもではないが、人間が入れる場所ではない。完全にここは竜の巣だ。
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