七五三に始まって

 現在二歳半の娘は、今年は七五三の「三」に該当する。


 今、妊娠中の第二子の出産予定日が十二月初旬なので、写真館で前倒しして記念写真を撮ることにした。


 検索すると、多くのスタジオで七五三の本番シーズンよりも前に撮ると割引になるキャンペーンが組まれている。


 単純に店としてオールシーズンに客をばらけさせる目的もあるだろうが、客の側でも私のような事情を抱えた人も少なくないのだろう(三歳の娘を持つ母親が次の子供を妊娠している可能性は、五歳の息子、七歳の娘がいる母親と比べても高いはずだ)。


 空き状況を確かめてみると、本番より三ヶ月も早い今の時期ですら、予約はかなり埋まっている店も多い。


 まだどこで撮るかは決めていないが、仮に十月のシーズン本番で撮影したとしてもクリスマス生まれの娘は満年齢として三歳に達しないので、あまり長時間無理はさせられない。


 二歳半の子は自分の欲求は訴えられても、周囲の要請に長く応じるだけの忍耐力は備わっていないのだ。


 四月生まれから翌年の三月生まれまでを同学年として区切る日本の慣習だと、冬以降に生まれた子供たちにそんな不利が付きまとう。


 ちなみに私自身は四月の中旬生まれなので、そうした親の目線で体格や発達の遅れといった問題はなかった。


 だが、本人としてはまだ新学年が始まったばかりで他の子と仲良くなる前に誕生日が来てしまう。


 転校や編入を繰り返したせいもあって、他の子の誕生会には何回も呼ばれた記憶はあるが、自分の誕生会は一、二回しか開いた覚えがない。


 自分が同じクラスの子たちよりも早く年を取ってしまうという感じも嫌で、

「どうせなら、あと半月早く生まれて一学年上の中で一番年下だったら良かったのに」

と思った記憶がある(後に大学浪人してすぐに十九歳、一浪後に入学してすぐ二十歳になってしまったので余計にこの感覚は強まった。お酒も飲めず煙草も嫌いな私にとって大学入学早々二十歳を迎えてしまっても、快楽・嗜好の面でのメリットも薄かったからだ)。


 早く生まれても遅く生まれても一長一短がある。


 話を七五三に戻すと、色々なスタジオのサンプル写真を見る限り、伝統行事のせいもあってやはり和装がメインであるし、親としても娘には華やかな着物に可愛らしい巾着を持たせて写真を撮りたいとは感じる。


 ちなみに、私自身も三歳の頃は直接には覚えていないが、朱色の着物に緋色の巾着を持った写真を撮って後から見た記憶があり、また、七歳の頃には黒のワンピースと着物をそれぞれ着て撮った明確な記憶がある。


 大きくなって後から写真を見直す分には着物の方が明らかに華やかであり、見る楽しみがある。


 しかし、七歳の子供としては

「着物なんて紐やら帯やらで体を締め付けて息苦しいし、トイレにも自由に行けない。頭もピンやかんざしでグサグサ刺されて痛い。足袋に下駄を履くと歩きにくいし、転んだら高い着物を汚して怒られそうで怖い」

「洋服のドレスの方が楽だしずっといいや」

と思っていた。


 恐らくこれは七五三で着物を着せられた女の子の多くに共通する感想だと思う。


 また、

「男の子は五歳だけでいいのに、どうして女の子は三歳と七歳で二回も着物を着てきつい思いをするのだろう」

と不公平感も覚えた。


 あるいは男性も

「どうして女の子は二回お祝いして千歳飴がもらえるのに自分は一回きりなのだろう」

と感じた記憶のある人は多いかもしれない。


 だが、女性の方が七五三を皮切りに子供の頃から和装で着飾る機会が多く、同時に必ずしも衣服として快適でない和装に慣らされる傾向が強いのは確かだと思う。


 成人式というと女性は和装、男性はスーツ姿がデフォルトの印象があるし、花火大会やお祭りの光景を見ていても浴衣で着飾るのは圧倒的に女性が多い。


 女性は同性だけの友人同士の場合でも浴衣を着ているケースが珍しくないが、男性は連れの女性に合わせて自分も浴衣や甚平を着ていると察せられる場合が多い。


 洋装であれば高価な服や装飾品を買い集める男性も少なくはないだろうが、着物のコレクションとなると完全に女性の趣味といった感触を受ける。


 実際、デパートの呉服コーナーなどに行っても貼られているポスターのモデルはほぼ漏れなく女性であり、展示されている着物は遠目にも女物と分かる商品ばかりだ。


 男性でも一着か二着、自前の高い和服を持つ人はいるかもしれないが、何着も色柄の異なる和服を買い揃えるのはそもそも商品の供給面として容易でないように思える。


 浴衣や甚平も男性向けの商品は女性向けと比べると明らかに色柄のバリエーションが少ない。


 若い女性向けの雑誌では夏になると「浴衣を着て好きな彼の目を引き付けましょう」といった趣旨の企画が組まれるのが定番だが、逆はあまり見ない。


 これは「和服は女性が特別に着飾るための衣装、女性が着てこそ映える衣装だ」という通念の裏返しである。


 日本の着物に限らず、アジアの伝統衣装は現代では「女性が特別に着飾るための衣装」といった性格が強いように思う。


 中国の旗袍(チャイナドレス)は日本では「スリットの入った艶かしい衣装」といった認識があり、中華料理店などでもウエイトレスが制服として着ていることもあるが、男性の長袍姿はこれと比べるとリアルに見かける機会は明らかに少ない(個人的に簡素な麻や木綿作りの長袍を纏った男性も清艶で魅力的だと思うのだが、映画やドラマの中でしかお目にかかれないのが残念だ)。


 韓国・朝鮮の伝統衣装も日本の着物と似たような位置付けらしく、女性のチマ・チョゴリと比べると男性のパジ・チョゴリは結婚式などかなり限定的な場面でしか現在では着用されないらしい。


 実際、私は大学の卒業式で、色鮮やかなチマ・チョゴリを着たお母さんがスーツ姿の息子さんの写真を撮っている様子を見かけて、

「あれは韓国人留学生のご家族なのかな?」

「日本の着物と同じで女性は晴れの席で好んで着用するけれど、男性はそうではないんだろうな」

とおぼろげに察した記憶がある。


 話はずれるが、ネットで見かけた写真でも、赤ちゃんや小さな男の子が色鮮やかなサテンのパジ・チョゴリを着た姿は本当に可愛らしいのだが、成人男性が纏うと二枚目で売っている芸能人ですら何となく大仰で違和感がある。


 日本の着物や浴衣と比してもパジ・チョゴリは成人男性の着用写真がネット上でも明らかに少ないので、韓国では日本以上に男性の伝統衣装離れが進んでいるのかもしれない。


 なお、北朝鮮のプロパガンダ広告をネットで見たことがあるが、その中にあった「美しく文化的な伝統衣装を着用しましょう」という文言のポスターに描かれているのはチマ・チョゴリを着た若い女性ばかりで、実質は女性(特に若年層)に限定した施策だと窺わせるものであった。


 ベトナムのアオザイも男性にとっては結婚式の花婿衣装でなければ伝統芸能の芸人など特殊な職業人の衣装といった位置付けらしい(日本でも歌舞伎や落語、相撲など古典芸能の従事者が基本的に和服姿で公の場所に出てくるのとこの辺りの事情は一緒だろう)。


 着物でも、チャイナドレスでも、チマ・チョゴリでも、アオザイでも、伝統衣装を纏った女性にはそれだけでエスニックな魅力が加味される事実は否定しない。


 七五三にしても、親として娘には可愛らしい着物を纏わせて写真を撮り残してやりたいという気持ちは変わらない。


 だが、日本の着物の扱いには、女性を古い伝統の中に縛り続けて賞玩しようとする社会の意識を感じるのも確かなのだ。

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