妊婦と母親を巡る目線
四月上旬、二人目の妊娠が分かった。
ネットの専用サイトで計算したところ、出産予定日は十二月初旬と分かった。
次いで上の子を出産した病院のサイトで分娩予約状況を確認したところ、かなり差し迫っていることが分かったので翌日には来院して分娩予約を入れた。
なお、直接の来院で他院からの紹介状等はないので、選定医療費として三千円強を余分に負担することになった。
自分の住んでいる横浜市という自治体やあるいは単なる予約先の病院の事情もあるかもしれないが、妊娠・出産する側としてはとにかく早く動くことを迫られるのだ。
私のような専業主婦はまだ平日でも時間の融通が利くが、仕事をしている女性などはこうした際にかなり対応に苦慮するのではないかと察せられる。
正規・非正規問わず結婚後も働く女性の多い社会構造からすると、妊娠・出産に関して制約のきつい医療体制は早急に是正されるべきだと思う。
更に言えば、医療側のこうした余裕のない受け入れ体制が、働く女性が子供を生む選択に対して何らか悪影響を及ぼしていないとも思えない。
出産後の女性が育児と仕事を両立させる難しさは広く認識されているが、現実には妊娠した時点から働く女性には多くの困難が待ち構えている。
「セクハラ」「パワハラ」に続き、妊娠した女性を職場で不利な状況に追い込む行為をマタニティ・ハラスメント、略して「マタハラ」という言葉が最近になって出てきた。
しかし、働く女性にとって苦しい状況は職場の外にも処々で待ち受けているのだ。
話は変わって、三年前に上の子を妊娠した際は区役所に行けばすぐに母子手帳が交付された。
が、今度はマイナンバーの提示がなければ交付されないとのことで、家でしまい込んだカードを探してまた出向かなければならなかった。
これがマイナンバーを貰い受けて初めて使用した手続きとなるわけだが、手間だけが増えたというのが正直な感想だ。
あるいは母子手帳の不正取得といった行為を防ぐための措置なのかもしれないが、不正取得しようとする人間はマイナンバー制度を導入しても結局、マイナンバーを便宜的に提示して不正に取るのではないかと推察されるし、今ひとつ以前と比べたメリットが分からない。
こうした実質的な効果の疑わしい制度の改変というのは、案外多いように思う。
ともあれ、無事に分娩予約は入れられ、母子手帳も入手できたので、基本的な準備は揃ったことになる。
それはそれとして、今回も前回と同様、母子手帳と一緒にマタニティマークを配布された。
マーク全体の若干デザインは異なるが、「おなかに赤ちゃんがいます」という文言にお団子頭のお母さんと赤ちゃんが微笑んでいる絵柄は変わらない。
私は上の子の時と同様、外出用のバッグにはこのマタニティマークを付けている。
今のところ、それで嫌な思いをさせられた経験はない。
むしろ、上の子の妊娠時には後期でお腹が目立つようになると、電車に乗り込んだ瞬間、優先席にそれまで座っていた人がパッと立って席を譲ってくれることが多く、ごく短時間しか乗らない場合は却って申し訳なくすら感じた。
ところが、最近、このマタニティマークを敢えて付けない妊婦さんが増えているという。
「妊婦と知れると悪意を向けてくる人が少なくないので危険だから」
「妊婦と知っても優先されるわけでもないから」
というのだ。
その一方で、「公共の場で他人に席を譲るように強要する横暴な妊婦もおり、それに対する反発も起きている」との指摘もある。
尊大な態度を取る妊婦を揶揄して「妊婦様」というネットスラングも所々で見かける。
個人的な体験に即して言えば、私自身は見ず知らずの人に席を譲るように申し出たことはないし、また、そのような行動を取る妊婦を見かけたこともない。
加えて、前述したように、公共の場で妊婦に対して心無い仕打ちを浴びせかける人を目にした記憶もない。
実際のところ、横暴な妊婦にせよ、見ず知らずの妊婦に嫌がらせを加える人にせよ、ごく一部だろうと思う。
だが、お年寄りや足の不自由な人といった、他の優先対象者には向けられない悪意が妊婦にのみ注がれやすいとすれば、そこには女性の妊娠に対して悪意を生じさせやすい土壌があるということだ。
妊娠は女性特有の身体現象であり、体調不良は伴っても、病気や障害とは異なる。
加えて、基本は四十週という一年足らずの期間に限定される状態である。
だからこそ、男性はもちろん、妊娠経験のない女性にも、辛さが理解されにくい面はあるだろう。
また、もうすぐ子供が生まれるという幸福なイメージが基本的にあるので、例えば怪我や病気で足が不自由になった人のように不運、不遇な印象の強い優先対象者とはその点でも決定的に異なる。
ネットで紹介されている見ず知らずの妊婦への暴力行為の事例には「子供を持ちたくても持てない女性が怨念から迫害した」と推察されるものも少なくない(ただし、これも実際の件数としてどの程度あるのかも不明であり、加害女性が本当に不妊に苦しむ立場であったのかも定かではない。更に言えば、『妊婦を迫害するのは不妊に悩む同性である』という図式を強調することは、リアルタイムで不妊治療に取り組む人たちへの蔑視や偏見を助長する別な危険性も孕んでいる)。
妊婦に対する反発は、
「十分幸福な人間の癖に、それ以上、保護や他人への犠牲を求めるな」
という妬みや突き放しが根底にあるように思う。
同時に、子供をこれから産もうとする女性に対して、
「産む前の苦労も、そして産んだ後の苦労も飽くまで本人の自己責任だ」
とばかりに冷淡な目線を注ぐ社会の現実も浮かび上がるのだ。
「保育園に落ちた。日本死ね」のブログに続いて保育所の設置を巡る地域住民の反対がニュースになったが、これは働く母親たちが保育園を強く必要としている一方で、社会の側では十分な受け皿を用意できていない現状をよく表している。
ちなみに、私は現在二歳の上の娘を保育園ではなく幼稚園に入れることにしたが、ネット検索して初めて横浜市には私立の幼稚園しかないことを知った。
市立の保育園はあっても、幼稚園はないのだ。
加えて、横浜市の幼稚園全体の傾向として年少組から入園するのが主流だとも分かった。
私が幼稚園生だったのは三十年近くも前の福島市においてであったが、当時は年中から入園する子が多かったし、何より自分もそうだったのでとても驚いた。
なお、横浜市内のどの幼稚園も概して十月中旬には願書が配布され、十一月の初旬には入園が決定する運びになる。
四月の頭に検索して、「実質、あと半年しか準備期間がないのか」ととても焦った。
更に言えば、多くの幼稚園が「プレ保育」と呼ばれる入園希望者への体験入園的な試みをしているとも分かったが、この四月の頭の時点でも申し込みを既に締め切っている園もあり、自分たち母子が世の中から取り残されている気分になった。
結局、そこから急ぎ足で近隣の通えそうな園をピックアップしてその内の一園のプレ保育には申し込めたが、こうした情報は自治体でもっと書面なり何なりで子供を持つ家庭に広くシェアして欲しいと感じた。
四月の頭の時点でプレ保育を締め切っている園にせよ、何とか申し込めた園にせよ、各園のホームページで告知・応募を行っており、ネットを自由に使えない環境にある人はそもそも情報を非常に得づらいと言わざるを得ない。
私は曲がりなりにもネットが自由に使える環境にいるので、プレ保育を既に締め切っている園やまだ申し込み可能な園の情報を得て対応することが出来たが、これが何らかの事情でネットを自由に使えない環境だったら、それこそ入園したいと思った時にはもう手の打ちようがなかった可能性が高い。
また、自分が検索した限りでは、どの園のホームページも基本的に日本語のみの記載なので、横浜に多いはずの外国人家庭にはあまり対応できているとは言い難い印象を受けた。
もっとはっきり言えば、
「日本語の不自由なご家庭には最初から来ていただきたくない」
という無言の拒絶めいた空気すら感じた。
私たち一家は横浜市の中では比較的地味な地域に住んでいるが、それでも、近所を歩けば中国系やインド系の家族連れと当たり前のように擦れ違う。
児童館や公園でこうした家族連れとお話することもあるが、率直に言って、日本語の不自由なお母さんが多い。
彼女らが子供を市内の幼稚園に入れさせようとネット検索しても、まず、ホームページの内容理解の段階で苦慮するのではないかと思う。
例えば、ほとんどの園のホームページでは「平成二十八年度」「平成二十五年四月二日生から平成二十六年四月一日生まで」といった日本独自(というより日本国内でしか通用しない)の元号を基準にした年月日記載になっているが、日本での生活が短い人にはまずこれを西暦に換算するだけでも一苦労なのではないだろうか(ちなみに、私は台湾に三度ほど訪れたことがあるが、現地ではテレビのニュースでもコンビニのレシートでも中華民国が成立した一九一二年を起源とする民国暦を採用している。後から土産物のレシートを見返すと、『あれ、これはいつ行った時のだったかな?』といつも混乱する。なお、西暦二〇一六年こと平成二十八年は民国一〇五年である。日本人にとっての元号は天皇の代替わりと同時に刷新されるが、台湾の人にとっての民国暦は飽くまで本土での中華民国成立が起点であり続けているのだ)。
横浜市の私立幼稚園はこうした人たちを入園希望者として想定していないのだろうか。
それとも、彼らを暗にふるい落すフィルタリングとして日本語版のホームページしか用意していないのだろうか。
英語教育や海外研修など国際的な教育をアピールした園は少なくないだけに皮肉である。
むろん、幼稚園は義務教育ではないし、まして私立となれば「園が入園者を選ぶ」面が強くなるのはある程度避けられないかもしれない。
それでも、義務教育の前段階で子供たちをこうした出自や言語的なアイデンティティによって選別にかけることが、当の義務教育の段階になって彼らが合流した際に父母同士を含めて何らか齟齬や摩擦を起こす要因にならないとは思えない。
余談だが、私も福島の私立幼稚園に通っていた。
当時の福島は今の横浜よりもはるかに外国人は少なかったはずだが(加えて、ネットで海外の情報をたやすく得られる時代でもない)、お母さんが台湾人の男の子が同じクラスに途中から入ってきたことを覚えている。
男の子本人は完全な日本語ネイティブで他の子たちにすぐ溶け込んだ。
しかし、迎えに来たその子のお母さんが青いアイシャドウに真っ赤なルージュで目鼻立ち自体も明らかに他の日本人のお母さんたちとは異なる雰囲気だったこと、その子の持ってきた台湾の絵本に見慣れない文字が並んでいたことは今でも鮮明に記憶している。
当時の自分は台湾がどこにあるのかすら知らなかったが、大人になってから振り返ると、幼稚園時代にそうしたアイデンティティを持つ子が身近にいたことで台湾という地域を自分とは切り離された所にある異邦ではなく、血肉の通った人の住む土地だと早くから認識できたように思う。
もちろん、三十年前に育児の当事者であった私の母たちからすれば、今の私にはない不便や苦労は多々あったはずだ。
件の同級生のお母さんだって、同じ台湾人の知り合いが身近にほとんどいなかったであろう状況で内心は孤立感を覚えていたかもしれないし、外国人、特にアジア系というただそれだけの理由で侮蔑的・排他的な応対をされることも今よりはるかに多かったかもしれない(福島はそもそもあまり開放的な土地柄ではありません)。
だが、情報化が進み、外国人の移住も増えたはずなのに、というより、むしろそれゆえに情報強者・弱者的な格差が大きくなり、そのことによる不利益が「自己責任」という言葉で片付けられ、救済もされにくくなった感触は否めない。
妊婦と母親を巡る社会の目線の冷たさは、究極的にはその社会の将来そのものを先細りにするものに思えてならない。
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