行くべきか、想うべきか――「妄想旅行大賞」から

*この文章は2015年 6月8日に他サイトに投稿したものです。


DeNAトラベル社とエブリスタが共催した「妄想旅行大賞」。


字数は千字以上で上限なしの文学賞で、テーマとしては、旅の物語ならば、創作でも実体験でも良く、また、舞台が国内でも海外でも構わないという。


なお、入賞者には「妄想旅行」先の往復の航空券をプレゼントされるそうだ。


しかし、茶髪の学生風の女の子が世界各地の名所や遺跡に思いを馳せている広告を見ると、漠然と海外を舞台にした作品が期待されているように見える。


実際、DeNAトラベル社のサイトを見ると、海外への格安航空券やツアーを前面に出しており、そこからすると副賞も海外への往復航空券を暗に想定しているように思えてくる。


なお、告知に記された妄想の例は以下の三つだ。


・ハワイで恋人とラブラブ!

・南米で宇宙人に遭遇!?

・旅先で行方不明の父とまさかの再会! 


三つの内二つは「ハワイ」「南米」と海外が設定されている。


三つ目の「旅先で行方不明の父と再会する」例も、国内よりは海外の方が意外性があるように思える。


そもそも、「非日常への想いを爆発させてください!」という告知の文章からしても、日本とは懸け離れた雰囲気の海外でなければ、国内でも北海道や沖縄のようなリゾート的な性格の強い土地が想定されているように思える。


また、告知を読んだ側としても、大半の人がそうした場所を思い描くのではないかとも思う。


是非とも応募したい。


これが、告知を読んだ私の正直な気持ちだった。


行ったことのない土地を妄想で描いた作品が求められているのだから。

そこにリアリティが欠けていても、そもそも「妄想」という前提で許されるのだから。


出不精だが、海外で行きたい土地ならたくさんある。


というより、今まで海外で行ったことのある場所というと、台湾、北京、上海、香港、マカオ、大連といった中華圏の直行便で行ける場所に限定されており、他の地域には足を踏み入れたこともない。


パリ、ロンドン、ニューヨークといった欧米の有名どころの都市はもちろん、ハワイのような定番のリゾート地に行ったこともない。


国内だって、沖縄や北海道のようなリゾート色の強い地域には訪れたことがない(亜熱帯の沖縄に比べて亜寒帯の北海道は必ずしもリゾート的でない面も強いかもしれないけれど、どちらも温帯の本州の人間から見て『小外国』といった位置付けの地域だ)。


従って、実体験を書くなら中華圏が舞台になり、妄想を描くなら候補地はそれこそ無尽蔵にある。


しかし、実体験としての中華圏への旅行だと、私個人としては楽しい思い出であっても、ガイドブックに従って目ぼしいスポットをなぞっただけの実にありふれた内容だ。

人様にお見せしても、というより、自分で書いていても、あまり楽しい話になると思えない。


何より、過去の中国、特に上海を舞台にした作品をこれまで複数書いているので、マンネリに陥る気がした。


リアルタイムの上海を舞台に書こうにも、私の記憶は上海万博の頃で止まっているので、目まぐるしく変わるあの街を恐らく捉え切れない。


かといって、パリやロンドン、あるいはニューヨーク、ハワイのような欧米の有名どころの都市やリゾート地を取り上げても、恐らくはガイドブック的な情報を把握して投影するのが精一杯で、あまり独自の色が出せる気がしない。


何よりも、そうした土地は実際に行った人が多いので、現実の見聞を踏まえた作品が他にもたくさん投稿されることが予想された。


そんな中に、実体験の裏打ちのない物語を出しても貧弱で見劣りのするものにしかならないだろうし、単純に作品としても埋もれてしまう。


それならば、自分としては書く上での興味が持て、かつ、日本人がそう頻繁に訪れることもない地域を選びたい。


そこから、東欧という地域が浮かび上がった。


この地域は、ヨーロッパの枠組みにありながら、西欧ほど日本人にとって親しみやすい地域ではなく、どこか冷戦時代の暗い影を引きずっている。


自然や遺跡に関しては、むしろ現代的な観光地になった西欧よりも本来の姿を保っている面もあるので、その点でも妄想旅行の目的地としては魅力的に思えた。


しかし、東欧とはいえ、ロシアでは広大過ぎる。

それに、モスクワやペテルブルグのような主要都市なら、現実として訪れたことのある人は多そうに思えた。


ウクライナやグルジアのような旧ソ連に属していた国だと、どうしてもロシアの鬼子というか、小型版や亜流のようなイメージが付き纏う。


オーストリアだと国名が「オーストラリア」と紛らわしいし、国としてもドイツの分局に思える。

ウィーンは確かに音楽の都だが、クラシック音楽に無知な自分としてはあまり魅力あるイメージで描ける気がしない。


ハンガリーだと、そのオーストリアに少しアジアを足した雰囲気になるが、個人的にパプリカの風味の強いハンガリーの料理があまり好きでないせいもあって、さほど行きたいと思えない。


旧ユーゴ諸国では、現実的に危険過ぎて妄想旅行としても訪れるのは怖い。

また、この地域に関しては物語の舞台として選ぶことそれ自体が、プロパガンダ的な性格を持つので、政治音痴の自分としてはそういった創作は避けたい。


アルバニアだと具体的な街や人の様子が浮かんでこないし、長らく鎖国を行なっていて、今も十分に成長しているとは言いがたい国で、日本人が一人で街を歩いていたら、異邦人そのものになる気がする。


ポーランドというと、キュリー夫人とかアンジェイ・ワイダとか白黒写真や映画のイメージで、そこにリアルタイムの自分の色を付けるのは何だかおこがましく思える。


チェコだと朱色の屋根の並ぶおとぎ話風の街並みや色鮮やかなボヘミアングラス、そしてどこか不気味なアニメーションの世界のイメージで、それはそれで魅惑的ではあるけれど、そこに日本人女性が訪れていって新たなドラマを生み出す余地はあまりなさそうに感じた。


ブルガリアだと、薔薇の咲き乱れる丘の上でのどかにヨーグルトを作っているイメージが浮かび、確かにそれ自体は牧歌的で魅力的だが、やはり日本人が訪れて行っても一時的な客として歓待されて帰途に就くストーリーしか導けない。


そこから、ルーマニアに焦点が絞られた。


ドラキュラ伝説や「白い妖精」コマネチ、処刑されたチャウシェスク大統領夫妻など、日本人にとってもイメージの浮かびやすい国だ。


また、私個人としても、葡萄や薔薇をかたどったルーマニアの素朴なレースや澄んだ音色を持つ民族楽器のナイなど惹きつけられる要素が少なくない。


実際、行く計画もないのに買った「地球の歩き方 ルーマニア/ブルガリア」版やルーマニア語の初歩テキストがあったので、妄想旅行としての資料はある程度揃っていた。


そこから、ルーマニアのどこに行くかが問題になった。


日本でも、例えば、東京と大阪では都市としての位置付けも街の雰囲気もまるで違う。

同じことはルーマニアの諸都市についても言えるはずだ。


最初は当然、首都のブカレストを舞台にすべきかと思われた。

政治経済の中心地でもあるし、外国人が赴く場所としては妥当なはずだ。


しかし、ガイドブックやネットを調べたところでは、ブカレストはチャウシェスク時代に歴史的な遺跡や旧跡の類が破壊されており、本来の面影を残していないという。


また、「ブカレスト」という地名も、ハンガリーのブダペストと紛らわしい。


次に、ドラキュラ伝説に纏わる場所として、ブラド・ツェペシュの居城だったブラン城のあるブラショフが浮上した。


しかし、写真で見るブラン城は「中世ヨーロッパの品の良いお城」といった雰囲気で、それ自体の吸引力はさほど感じられなかった。


そもそも、ドラキュラのイメージでルーマニアを描く発想自体が陳腐というか、あまりにも手垢にまみれている。


もっとはっきり言えば、外国人の観光客が「フジヤマ、ゲイシャ」を求めて、軽装で富士山に登ろうとしたり、祇園で白塗りの舞妓さんの写真を撮りまくったりする行動とさほど変わらなく思える。


そこで、目に留まったのがティミショアラだった。


ここは、まず、地名の響きが突出している。


宝冠を意味する「ティアラ」ばかりでなく、「ティラミス」「ショコラ」といった甘いお菓子に似た語感なので、ドレスにティアラを着けた可愛らしいお姫様がスイーツに囲まれてお城に住んでいるような牧歌的なイメージが浮かんでしまう。


しかし、実際のティミショアラはルーマニア革命の口火を切ったその街だと資料で分かった。


ハンガリー系の牧師に下された国外退去処分に反発するこの街の住民がデモを起こし、軍が発砲したのが始まりだという。


銃撃に驚いた子供たちが街のシンボルである三成聖者大聖堂に駆け込もうとして背後から次々撃たれ、聖堂の階段が血に染まったという逸話も複数の資料に載っていた。


当の大聖堂の写真を見ると、ビザンチン様式で建てられたルーマニア正教の寺院であるこの建物は、「聖堂」というよりテレビゲームの悪役の居城にこそ相応しい外観だった。


地理的にもこの街はハンガリーやセルビアとの国境に近いところにあり、本来は同国の首都であるブカレストよりも、ブダペストやベオグラードの方がはるかに近い。


どこかアンバランスな街なのだ。


スイーツのような可愛らしい名前が付いているのに、血塗られた歴史を秘めている。

悲劇の大聖堂のはずなのに、まるでそれ自体が「魔の城」のように禍々しい。


この街の夜景の写真はオレンジ色の灯りを点した街灯に彩られており、その蝋燭の炎じみた灯りの輝きは、灯篭流しの光景を彷彿させた。


ここを舞台にしたい。

そう思った。


そして、DeNAトラベルのサイトで検索した結果、日本からティミショアラへの直行便は見当たらないものの、ドイツのミュンヘンを経由して行く航空券は見つかった。


現実に行こうとすれば、歴史あるミュンヘンの街を覗き見してから、ティミショアラに向かうのだ。


そう思うと、その過程を含めて余計に書きたくなった。


ただし、本来はルーマニアという国に何の関わりもない私が、首都のブカレストや名所のあるブラショフをすっ飛ばしていきなりティミショアラに行くのはいかにも不自然だ。


そこで、日本人研究者の父とルーマニア人の母を持つハーフのヒロインを設定し、故あって母の故郷を初めて訪れる彼女の目線で描くことにした。


そうして書き上げたのが、中編「ティミショアラ、薫って。」だ。


「住谷(すみたに)ナディア」というヒロインの命名について記すと、作中にも示したように名前は「白い妖精」ナディア・コマネチにあやかったが、姓はルーマニア文学者の住谷春也教授から拝借した(なお、作中にも登場したミルチャ・エリアーデの自伝的恋愛小説『マイトレイ』は、住谷教授により邦訳が刊行されている)。


彼女の年齢などは、作者と同じに設定した。


一九八二年生まれの私の世代にとって、「ナディア」と聞けば、「白い妖精」よりもアニメ「不思議の海のナディア」の褐色の肌を持つヒロインだった。


チャウシェスク大統領といえば、ニュース映像で夫人ともども銃殺されて横たわっている、「堕ちた独裁者」のイメージしかない(彼が一時期にせよ西側諸国から好意的に受け止められていたと知ったのは、後から歴史として知ったことだ)。


ルーマニアという国そのものが、今なお中近世の不気味なドラキュラ伝説の影を引いているように見える。


幼稚園から大学までの同級生や先輩・後輩を思い出しても、アメリカ人とのハーフやクウォーターは何人かおり、彼らはいずれもある種の羨望の目で見られていた。


しかし、ロシアを含めた東欧圏にルーツを持つ人というと、全く思い出せない。


仮にいたとしても、そうと分かった時に、アメリカや西欧圏にルーツを持つ人と同じ羨望や憧憬の対象になったとは率直に言ってあまり思えない。


それが、私の世代の現実だ。


そうした認識の下に書かれた作品は、賞の告知で求められているような「みんなが思わずわくわくしちゃうような妄想」には、必ずしも当てはまらないかもしれない。


書き手としてもそうした自覚はある。


もっとロマンチックな雰囲気の場所を選んで、素敵な男性と恋に落ちるストーリーでも書いた方が、むしろ賞の趣旨に適っていただろうとも思う。


だが、ガイドブックに書かれた注意やルーマニアという国の治安を考慮すると、外国人女性が現地でいきなり出会った男性にそのままついていくような行動は軽率を通り越して自殺行為に等しい。


何よりも、旅先で初見の相手と一足跳びに恋愛関係になるヒロインを直球で描くには、私の心は疲れているというか、もう年老いているのだと思う。


それはそれとして、今回、実際に行くつもりで情報を集め、創作した結果、ルーマニアのティミショアラという街を現実に目にしたくなったのは確かだ。


恐らく、現地に行けば、今、頭の中にあるイメージ通りではないだろう。

むしろ、異なる面の方が多いのではないかという気がする。


だからこそ、頭の中のイメージを大事にしたいという気持ちとありのままを目にしたいという気持ちが半ばするのだ。


「妄想旅行大賞」の本当の狙いは、副賞と引き換えに応募作の中から宣伝に適した作品を選ぶことではなく、むしろ、応募者全員がDeNAトラベル社を通して現地に行きたいと思わせることにこそあるのかもしれない。

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