「プリンセス」の虚実――皇女アナスタシアとアンナ・アンダーソン
*この文章は2014年12月29日に他サイトに投稿されたものです。
現在のDNA鑑定の上では完全に否定されているが、昔、ロシアの皇女アナスタシアを名乗って注目を浴びたアンナ・アンダーソンという女性がいた。
ロシア革命で父親の皇帝ニコライ二世共々惨殺された皇女の一人だというのである。
写真を見ると、アンナ・アンダーソンは顎のやや張った、唇の厚い顔立ちで、残された少女時代のアナスタシアにさほど似ているとは思えない上に、決して、正統派的な美女でもない。
しかし、映りの不鮮明な白黒写真で見てもその瞳には独特の力があり、女優のアンジェリーナ・ジョリーに少し似た、自我の強さを感じさせる風貌である。
アンジーにも例えば「唇が厚過ぎる」といった、一見して美人の典型から外れる特徴がないわけではないが、それでも、衆目を惹き付ける華やぎを持っており、だからこそ、競争の激甚なハリウッドでトップ女優になり得たのである。
むろん、俳優ジョン・ヴォイトの娘という出自も追い風にはなっているかもしれないが、本人に相応の資質がなければ、十年以上にも渡ってハリウッド映画のヒロインは演じられない。
ニコライ二世の娘を自称したアンナ・アンダーソンも、恐らくは相対すれば他人を圧倒する魅力を備えた女性だったのだと思う。
だからこそ、他にも数十人はいたという自称アナスタシアたちを抑えて王朝関係者を含む多くの支持者を得るに至ったのだろう。
また、一九二〇年、二十四歳で「皇女アナスタシア」として世間の注目を浴びてから一九八四年、八十七歳で死去するまでの六十年余りも支持者たちからの援助金で暮し得たのだろう。
ニコライ二世の実妹でアナスタシアの叔母に当たるオリガ大公女は、革命を生き延びた後は不遇に暮らし、一九六〇年に七十八歳で亡くなった時にはトロントの貧民街に住んでいた。
このオリガにしたところで皇帝アレクサンドル三世の娘で紛うことなきプリンセスであり、しかも正真正銘の本人であったにも関わらず、革命後は頼る者もなく零落していった。
その事実に鑑みれば、仮に本物の皇女アナスタシアであっても、その肩書きだけで革命後の世界を安穏と生きていける時勢だったとは言えない。
そもそもロシア革命ではそれまでの特権的な地位を失った貴族の多くが没落し、中には売春婦のような境遇に身を落とす人も少なくなかった。
アンナ・アンダーソンが「皇女アナスタシア」として名乗りを上げたのは、そうした転変の激しい時代である。
アンダーソンも晩年は奇行が目立ち、住んでいた街を追い出されそうになったこともあったらしい。
それでも若い頃は「皇女アナスタシア」としてヨーロッパ社交界の華となり、老いてもニクソン大統領の就任式に呼ばれるセレブリティであり続けた。
してみると、彼女は、やはり並々ならぬ才覚の持ち主であり、全人生をかけて「皇女アナスタシア」を演じ切った点からすれば、アンジー顔負けの名女優であったと言うべきだろう。
DNA鑑定の結果、アンダーソンは九十九パーセント以上の確率で貧農出身のポーランド人女工フランツィスカ・シャンツコフスカとされ、同時にロマノフ王家との遺伝子上の繋がりを完全に否定された。
客観的には彼女は自分の素性を偽っていたのであり、六十年余りもそれで生活費を得ていたことからすれば、稀代の女詐欺師だったとしか言いようがない。
ネットを検索しても、「相手を巧く誘導して信じ込ませる術に長けていたのだろう」という、彼女を徹底してシビアで戦略的な詐欺師と見て分析する記事を散見する。
しかし、騙し方がいくら巧緻であろうと、単なる自己顕示欲や目先の利得を目的にした詐欺は、早晩破綻するのが常である。
皇族関係の詐欺事件で言えば、日本でも、二〇〇三年に有栖川宮詐欺事件が起きた。
華族・有栖川宮の継承者を騙る男性が偽の結婚披露宴を開催し、招待客から祝儀を詐取した事件だが、半年後には詐欺罪で逮捕されている。
恐らくこれは、有栖川宮が皇族の系統でも明らかに傍系で世間的にはマイナーな存在であり、生存する関係者も少ない点を利用した詐欺と思われる。
だが、アナスタシアはニコライ二世の実子でいわば直系中の直系と言うべき存在であった。
しかも、アンダーソンの出現時にはアナスタシア本人を良く知る祖母のマリア・フョードロヴナ皇太后や叔母のクセニア、オリガ大公女らが存命であった。
実際、祖母の皇太后マリアはアンダーソンを含む自称皇女たちとの接触を終生拒否したものの、オリガ大公女は一九二五年にアンダーソンと面会しており、「偽者」とはっきり否定しているとの記事も私は目にした。
元より皇女アナスタシアは、一九一八年に十七歳の若さで家族共々惨殺されたと当時から推察されていた人物である。
また、これに先立つ一九一四年にはオーストリアの皇太子夫妻が暗殺されており、これを契機に第一次世界大戦が勃発した。
アンナは一九二〇年にドイツで皇女アナスタシアの名乗りを上げているが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が大戦の敗北を受けて退位・亡命を強いられたのはそのわずか二年前の一九一八年である。
高貴な血筋だからといって、必ずしも生涯安泰とは言えないばかりでなく、むしろそれゆえに一般市民とはまた別な形で命を狙われる危険性も高かった。
こうした状況下で本人の意識において「嘘」としか認識できない素性を半世紀以上も平然と名乗り続けられるものだろうか。
あるいは身分を偽っている罪悪感や真相が露呈することへの恐怖感から、彼女は精神を病んだ晩年を送ったのかもしれない。
だが、私としては、彼女は自分がアナスタシアだと信じ切っており、また、アナスタシアとしてあるべき生き方を逡巡した結果、疲弊したのではないかと思う。
実際、アンナ・アンダーソンは当初は自らアナスタシアだと吹聴したのではなかったようだ。
一九二〇年にベルリンで入水自殺を図り、収容された精神病院で、本人としては記憶喪失で意識が混濁した状態でいるところに、周囲が年恰好や風貌からアナスタシアではないかと騒いだのが発端だという。
ポーランドの貧農の娘として生まれたフランツィスカ・シャンツコフスカは出稼ぎ労働者としてベルリンの爆弾工場で働くうちに、手榴弾を誤って落とした事故で同僚は爆死、本人も重傷を負い、精神不安定になって消息を絶った。
入水自殺を図った時点で彼女はそれまでの人生に絶望し、極度の自己否定に陥っていたのであり、それが記憶喪失に繋がったと察せられる。
パソコンで言えば古い情報をデリートして新たな情報を入力・保存するようなもので、記憶が混濁した状態で周囲からロシアの皇女アナスタシアと騒がれ、偽りの素性を刷り込まれた。
彼女の中では、ポーランド生まれの女工フランツィスカとしての記憶や自我は本当に葬り去られて完全な形で蘇ることはなかったのかもしれない。
もしかすると、彼女の中では
「他の人が皇女アナスタシアだと言うのだから、私はきっとそうなんだろう」
「皆を失望させないように、そうあり続けるしかない」
と思っていたのかもしれない。
「あなたはポーランド人の女工フランツィスカ・シャンツコフスカだ」
と指摘する人がいても、芝居でなく
「そんな人は知らない」
「どこの誰の話だろう」
と困惑していた可能性はある。
記憶が混濁した状態では、フランツィスカとしての記憶が断片的に蘇ることはあっても、本人としても無意識に「皇女アナスタシア」の記憶に改竄されていった可能性も否定できないだろう。
恐らく出稼ぎ女工フランツィスカにとって、爆発事故で同僚は爆死し、自らも重傷を負った事件は精神を根底から揺るがす凄惨な経験であった。
アンダーソンは爆発事故の結果、全身に負った傷跡を
「アナスタシアとして銃殺刑に書せられた際に負った弾痕」
と説明し、また、
「先に銃弾に撃たれた姉皇女たちの下にいたおかげで助かった」
と主張して憚らなかったという。
あるいは、手榴弾が爆発して共にいた相手が爆死した光景が、彼女の中では「姉皇女たちが大量の銃弾を受けて斃れた場面」として解釈されていたのかもしれない。
どちらにせよ、彼女の意識においては、九死に一生を得た瞬間の風景である。
アンダーソンの熱心な支持者の中には、アナスタシア本人と親しく交流していた幼馴染といった人たちも含まれていた。
こういった人たちを信じ込ませるには、表面的な風貌の類似だけでは説得力に欠けるであろうし、前述したようにアンダーソンの容姿は実際のアナスタシアとは似ていない部分も目立つ。
そこからすると、アンダーソンはアナスタシアと実際に親しかった相手に対しては、本心から「皇女アナスタシア」として親しみと信頼を込めて接した結果、相手からも自分への親愛を引き出すに至ったのではないかという気がしてくる。
自分の知る皇女アナスタシアに生きていて欲しいという願いを抱いてアンダーソンに面会したであろう人々。
彼らにとって、多少の矛盾よりは、自分に向けられた彼女の表情を信じたい、この人を支えたいと思わせるだけの真実味や魅力が彼女にはあったのだろうと思われる。
また、そのような女性でなければ、生涯を通して支援を得ることは到底叶わなかったはずだ。
ウィキペディアによれば、一九三〇年代に入って、フランツィスカ・シャンツコフスカの兄弟たちは時の権力だったナチスドイツの仲介でアンナ・アンダーソンに面会した。
彼らはアンナが自分たちの姉であることを一旦は認めたものの、「姉の新しい『仕事』を邪魔してはいけない」と前言を撤回したという。
この「仕事」とは他ならぬ詐欺であり、それこそ兄弟総出で止めるべき犯罪ではないのかと他人には思える。
だが、彼らは詐欺師の身内として世間から非難される累が及ぶのを恐れたのか、元から精神を病んで行方をくらましたフランツィスカを厄介者と見ていたのかは不明だが、とにかくそうした形で彼女を絶縁したのである。
結局、アンダーソンはロシアでも、ポーランドでもなく、アメリカに移り住んで生涯を終える。
アナスタシアとしても、フランツィスカとしても、彼女は祖国に帰れなかった。
富裕な支援者の一人と結婚はしたものの子供もなく、夫とも不和に陥った彼女は、前述したように晩年は猫を数十匹も放し飼いする等の奇行が目立つようになった。
実の肉親からは切り捨てられ、表向きは「唯一生き残った皇帝一家のプリンセス」を名乗り続けた彼女にとって、本能の赴くままに行動し、繁殖する猫たちしか心を許せる相手がいなかったのだろうか。
写真に残る実際の皇女アナスタシアは非常にあどけなく、美人揃いの姉皇女たちと比べると決して際立った容姿ではないものの、
「せめて、この末のお姫様だけでもどこかで生き延びてくれればいいのに」
と思わせる可憐さがある(というより、私には未だに、若く美しい皇女たちを惨殺し、遺体を焼き払った人々が理解できない。平和な時代なら憧れの対象となるプリンセスたちの無垢な美は、混迷する時代においてはむしろ憎悪の目線しか注がれなかったのだろうか)。
そもそも「アナスタシア」とは「復活」を意味する名である。
単なる騙しのテクニックに長けた詐欺師として切り捨てるには、生涯に渡って余りにも長く信憑性を持ち続け、今もなお、信奉者を持つというアンナ・アンダーソン。
「アナスタシア」として世間に出てから彼女が辿った光と影は、本物のアナスタシアが生き延びても同じ道のりを歩んだかもしれないと思わせる。
のみならず、まるで無念の死を遂げたアナスタシアの霊が不遇なフランツィスカに憑依して復活し、本来は生き延びて送るはずだった人生をやり直したかのような、暗いロマンを掻き立てるのだ。
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