イタリアの光と影
*この文章は2015年 8月27日に他サイトに投稿されたものの転載です。
今年もまた、終戦記念日を過ぎた。
特に今年は戦後七十周年という節目の年でもあるため、玉音放送に象徴される日本国内での「終戦までの道のり」ばかりでなく、ヒトラーのモノクロ写真と怒気を孕んだ演説をアイコンにした「ファシズムの引き起こした第二次世界大戦」といった特集も目立った。
「ファシズム」という言葉は、一般には日独伊三国同盟を結んだ戦前の日本、ドイツ、そして、イタリアの体制に対して用いられる。
この内、ドイツのファシズムに関しては、政権を担当したナチスに因んで「ナチズム」と独立した名前も与えられている。
ファシズムの提唱者、もっと限定的にはファシズム体制の統治者を「ファシスト」と称する。
だが、日本の昭和天皇は戦犯としての追訴を免れたことからも明らかなように、元首ではあっても実質的な統治者としては曖昧な位置にいた。
これに対してドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニは名実共にファシズム体制の統治者であり、国の「顔」とでも呼ぶべき存在だった。
従って、「ファシスト」という言葉は、専らヒトラーとムッソリーニを指して使われる場合が多い。
しかし、もともと「ファシズム」こと「結束主義」とは、当初はイタリアの統一を目指したムッソリーニの提唱した思想であり、「ファシスト」とは彼の率いた「国家ファシスト党」から生まれた言葉である。
つまり、「ファシスト」としてはそもそもムッソリーニが元祖であり、ヒトラーが後輩であると言える。
更に言えば、ムッソリーニ自ら提唱・命名したことからも明らかなように、当初は「ファシズム」「ファシスト」といった用語に否定的な意味合いはなかった。
にも拘らず、日本で「ファシズムと第二次世界大戦」といったテーマで映像特集が組まれると、怒鳴り声のヒトラーの写真や映像ばかりが流されて、ムッソリーニはヒトラーと並んで閲兵するカットで言及される程度の言及に留まる。
正に、「ヒトラーの添え物」扱いだ。
チャップリンの映画「独裁者」は一九四〇年、ヒトラーの生前に制作・公開され、また、その後のヒトラーやナチスのイメージを決定付ける役割を果たした作品だ。
この中でもヒトラーを模したチャップリンの「ヒンケル」に対して、ムッソリーニを揶揄した「ナパロニ」というキャラクターが脇役で登場する。
このキャラクターは肥り気味の体格に軍服、制帽を着けた、明らかにムッソリーニその人に似せた風貌を持たされるばかりでなく、本来はイタリア出身だった「ナポレオン」とイタリア固有の食材である「マカロニ」を合成させたネーミングをされている。
そこからすると、この「ナパロニ」はムッソリーニのパロディであるばかりでなく、イギリス人のチャップリンの目を通したイタリア人男性のステレオタイプとも取れるわけだが、この人物は終始「押しが強く、年少のヒンケルに対して兄貴風を吹かせたがる割には、どこか間の抜けた男」として描かれている。
映画全体の中での彼の位置付けを見ても、「ヒンケルの引き立て役」といった印象である。
そもそも、映画の舞台は一貫してドイツを模した「トメニア」、そして侵略先のオーストリアを捩った「オーストリッチ」であり、近隣国「バクテリア」の独裁者「ナパロニ」はいかにも垢抜けない妻(劇中でも野暮ったく肥満した容姿を『装甲車』と揶揄されている)と共に「トメニア」を訪れる客人でしかない。
「ナパロニ」の本拠地である「バクテリア」は名前のみの存在であり、劇中でその実相が映し出されることはない。
彼に追従する「バクテリア」国民は、せいぜい同行した中年の妻しか登場しない。
だが、こちらも、ファースト・レディーであるにも関わらず、容姿も挙動も垢抜けず、無教養丸出しといった、いかにも侮蔑的な矮小化されたイメージしか持たされていないのだ。
独裁者ヒンケルの秘書や迫害されるユダヤ人のヒロインは若く美しい女優が演じているのに対し、ナパロニ夫人だけは肥満した中高年の女優が扮しており、何となく独裁者夫婦への揶揄を超えて、イタリア人女性をドイツ人女性と比して視覚的に貶める意図も感じられる。
ちなみにイタリアでは戦後も生き延びたムッソリーニの妻ラケーレへの敬意から、二〇〇二年まで映画「独裁者」は、この「ナパロニ夫人」の登場シーンをカットされた形で公開されていたとの記事をネットで見かけた。
しかし、ラケーレが亡くなったのは一九七九年であり、死後二十年余りも公開を避けられていたのは、恐らく「ナパロニ夫人」の形象がラケーレという一個人を超えてイタリア人全体を嘲笑するものと受け取られたからではなかろうか。
見方を変えれば、独裁者ムッソリーニが惨死を遂げて半世紀以上経過し二十一世紀に入ってもなお、映画「独裁者」の垢抜けないファースト・レディー像は、イタリア人全体の心証を害する毒を持ち続けたのである。
なお、映画「独裁者」のドイツでの公開は一九五八年、日独伊三国同盟の一角を担っていた日本でも一九六〇年と戦後十年余りを経ているが、この両国で特定の人物や事件のシーンをカットして公開したとの情報は今のところ見当たらない。
この映画はヒトラーとナチス・ドイツを風刺する目的で制作され、また、かつて彼らに協調した日本でも一般にはそのように受け止められている。
だが、イタリアでの反応は、この作品をまた別の観点から捉え直す必要性を示唆していると思う。
何故、「ヒンケル」に従属する「トメニア」の女性たちは若く美しい外見を与えられているのに、「ナパロニ」に寄り添う「バクテリア」国民の代表たる夫人は終始姿形を嘲笑される存在として描かれたのか。
ここには、日本人の目には同じ「白人」であっても、民族としての差異が強く影を落としている。
そもそも、ドイツは英語で「ジャーマニー」、アルファベットにして「Germany」と綴るが、これは直訳すれば「ゲルマン人の国」といった意味だ。
ヒトラー及びナチス・ドイツは「アーリア人の人種的な優越性」を強く主張したが、この「アーリア人」とは実質的に「ゲルマン系」とほぼ同義語である。
ゲルマン系特有の金髪碧眼の目立つドイツ人に対して、イタリア人は白人とはいえラテン系で黒髪黒目、肌も浅黒い場合が多い。
映画「独裁者」はモノクロだが、その映像で判別する限りでは「ナパロニ夫人」はラテン系のアイデンティティを示すように黒髪黒目であった。
「金髪碧眼の王国を作ろう」と夢見る「ヒンケル」(本人は黒髪黒目かつ小柄という皮肉)の目には、あるいは、既に中年に達し肥満している「ナパロニ夫人」ばかりでなく、そもそも「バクテリア」国民全体が劣等人種に位置づけられているのかもしれない。
のみならず、劇中のキャスティングや描写からは、製作者のチャップリン自身がイタリア人をドイツ人の下に位置づけていた目線が浮かび上がるように思える。
ハリウッドで活動するイギリス人のチャップリンにとって、ヒトラーやナチス・ドイツは嫌でも意識せざるを得ない脅威であっても、ムッソリーニやイタリアは副次的な存在、もっとはっきり言えば一段劣った存在だったのだろうか。
「ナパロニ」夫妻の造型ばかりでなく、「イタリア」を捩って「バクテリア」と明らかに「細菌、微生物」を連想させる語感の国名に変えている点にも、「所詮は取るに足らない地域」といった蔑視が見える気がする。
ヒトラーとナチス政権下のドイツ、そしてムッソリーニとその体制下のイタリアに向ける戦後の日本人の目線は、意識的にか、無意識的にか、チャップリンの「独裁者」での形象をなぞっているように思う。
「ヒトラー」という固有名詞からは、ファナティックな演説をする独裁者と盲従する群集、そして、迫害される人々の痛ましい表情が喚起される。
だが、「ムッソリーニ」という単語からは、「ヒトラーに招待されて共に閲兵する盟友兼ライバル」といったイメージしか連想されない。
彼が統治したイタリアで、この独裁者を支持・追従したり、あるいは苦悩・反発したりしながら敗戦の道に突き進んだ人々の姿は、まるでナチス政権下のドイツの人々の重複表現として割愛された場面のように、日本人の関心の外に置かれている。
第二次世界大戦後、「ファシズム」は実質的に「恐ろしい悪の思想」とほぼ同義語になった。その中でも「ナチズム」は「思想の形を取った猛毒」といった扱いになり、アドルフ・ヒトラーは「悪の権化」としてある意味、神格化された。
ヒトラーを意識したキャラクターがダークヒーロー的な悪役として登場する作品も大量に制作された。
画学生時代のヒトラーに焦点を当てた「アドルフの画集」(日本公開二〇〇四年)、名優ブルーノ・ガンツが末期の独裁者を演じた「ヒトラー最期の十二日間」(日本公開二〇〇五年)といった伝記的な作品も日本で公開され、話題を呼んだ。
しかし、ムッソリーニに関しては、昔、レンタルビデオ店でイギリスのBBC制作で彼の伝記ドラマのシリーズが置いてあったのを見かけたことは何となく記憶しているが、むろんこれは一般に広く注目を集めた作品ではないし、その後、彼に焦点を当てた作品が発表された話も寡聞にして知らない。
そもそもムッソリーニの「ベニト」というファーストネームすら、ヒトラーの「アドルフ」に比して、日本では圧倒的に認知度が低い気がする。
そういう私にしても、ヒトラーとその周辺については、愛人のエヴァ・ブラウン、片腕のゲッペルスとその妻マグダ、側近のゲーリング、ヘス、ヒムラー、心理学実験で有名なアイヒマンとある程度名前が挙げられる。
一方、ムッソリーニに関しては、
「戦後も生き延びた本妻がラケーレで、一緒に撃ち殺された若い愛人がクラレッタだったかな?」
「死後に生まれた孫娘の一人が女優になって、政治家に転身したんだったかな?」
くらいしか浮かばない。
ちなみに愛人の名前は、ムッソリーニ共々銃殺刑にされて遺体を逆さ吊りにして晒し者にされた写真の記事から知った。
付記すれば、独裁者の末路とはいえ、遺体を衆目に晒して辱める行為に、人心の荒廃はもちろん、率直に言って当時のイタリアの民度の低さといったものを感じざるを得なかった。
話をムッソリーニ周辺の認知度に戻すと、ヒトラーにとってのゲッペルスやゲーリングのような存在が、彼にもいたと察せられるが、戦後の日本においてその部下たちにナチス幹部と同レベルの関心が向けられたことはほとんどない。
ヒトラーとムッソリーニの大きな違いは、前者が対外侵出と並行して大規模なホロコーストを行ったのに対し、後者はエチオピア併合など対外侵出を図りはしても特定民族への迫害には出なかった点にあるだろう。
敗戦後、死滅した二人は共に否定の対象、悪の代名詞となったが、よりダークな「悪」としてヒトラーがクローズアップされた分だけ、ムッソリーニは影が薄くなってしまったと言える。
ナチス・ドイツとファシスト・イタリア(という呼び方もあまり頻繁には使われない気がするけれど)という体制の枠組みで見ても、前者はホロコースト以外にも「人はどれだけ残酷になれるのかを試した」アイヒマンの心理学実験など不気味でおどろおどろしいエピソードに事欠かない。
だが、後者について検索してもそこまで病理的、非人間的な所業は浮かび上がらないのだ。
「総統(フューラー)」ことヒトラーは、政治的な所業はもちろんその出自すら「そもそも彼はオーストリア人だから」と現在のドイツ国民から全面的に拒絶されている。
しかし、「総帥(ドゥーチェ)」ことムッソリーニは、「分裂していたイタリアを統一させた」との見方もあり、現在のイタリア国内では必ずしも全否定的に捉えられていないという。
この事実は、かつてこの両国と結んで戦争に突き進んでいった日本においても、もっと認識されるべきではなかろうか。
むろん、独裁者としての批判は避けられないとしても、ムッソリーニをヒトラーの添え物としか見なさない認識は、彼の統治下で暮らした当時のイタリアの人々を軽んじるものであるように思える。
そもそも「日独伊三国同盟」とイタリアをドイツの後に置いた名称からも、戦前・戦時中の日本人が同盟国としてイタリアをドイツより下に位置づけていた目線が仄見える気もする。
だが、戦後の日本にとって、イタリアという国がドイツに比して軽視されてきたかといえば、決してそうではない。
パスタ、ピザ、ジェラード、ティラミスといったイタリアの料理は日本でも広く好まれている。
というより、ヨーロッパの料理の中で日本人に一番親しまれているのはイタリア料理ではないかと思う。
パスタやピザは冷凍食品で手軽に家庭でも食され、外食産業でもイタリアンは比較的手頃な価格で美味しく食べられるイメージがある。
同じヨーロッパでも、例えば「フレンチ」ことフランス料理は食材一つを取っても日本の一般家庭で手軽に作れる類のものではなく、外食産業の中でも高級な印象が強い。
ドイツだとハンバーグやソーセージ、ビールといった単品では日本でも定着している観がるが、これらはドイツという国とあまり結び付けられて連想されることはないように思われる。
ハンバーグはその名の通り、ドイツのハンブルグ発祥ではあるが、ファーストフードのハンバーガーなどはアメリカが定着させて日本に普及した観があり、そもそも、「ハンバーグ」「ハンバーガー」という呼び方自体が英語読みに基づいている。
ソーセージやビールも原料の性格上、ある程度どこでも作れ、実際に製造されている状況からして、やはり「ドイツ料理」という感触は薄い。
イタリア料理だけが、手軽に日本の一般家庭でも再現でき、かつ発祥地を明確に認識されている例外的な存在に思える。
遠い外国料理でありながら、日本人の嗜好によく合った料理とも言えるだろう。
ちなみに一九八二年生まれの私にとって、小学生くらいまではナポリタンなどイタリア式の麺類は「スパゲティ」と呼んでいた。
しかし、中高生辺りから「パスタ」という言い方が新たに出てきて、大学に入る頃には完全に「スパゲティ」を駆逐して定着してしまった。
ウィキペディアを確かめると、「パスタ」はイタリアでの「麺類」の総称であり、「スパゲティ」はパスタの一種だという。
日本で言えば、総称である「麺類」の中に、「うどん」「そば」といった固有の料理が含まれる感覚だろうか。
恐らく「スパゲティ」以外の種類の麺を売り出すに当たって、総称の「パスタ」が一般化して使われるようになったのだと思う。
「ティラミス」はバブル期の「イタ飯」こと「イタリア料理の食事」ブームの流れで出てきたが、一過性の流行に終わることなく定着した。
専門のイタリアンばかりでなく、ごく普通のファミリーレストランのデザートにもティラミスがラインナップに加わっている場合が多い状況からしても、日本人の中でデザートの定番になったと見るべきだろう。
「ジェラード」は元からアイスクリーム好きの日本人の国民性もあってか、今では少し大きなショッピングモールの一角には専門店があるイメージだ。
同じ外国発祥のアイスクリームでもトルコ式の伸びるアイスクリームなどはやはり「変り種」という扱いで、ジェラードほど深く定着はしていない感触があることからしても、こちらの方がより日本人の好みに合っていた観がある。
更に言えば、トルコの料理は焼肉のケパブにせよ、伸びるアイスクリームにせよ、固定した店舗ではなく移動式の屋台で売られているイメージが強く、そこに、イタリアとトルコの格差ばかりでなく、消費者である日本人側に潜む「ヨーロッパのものの方が中東のものより格上」という差別心も透けて見えるように思う。
話をイタリアに戻すと、単純に料理が好まれているばかりでなく、国全体のイメージとしても明るく親しみやすいイメージが日本人の中に根付いている。
同じ枢軸国の代表都市でも、ベルリンは冷戦期に突入すると分断ドイツの象徴となり、イメージ回復には程遠かった。
しかし、イタリアの首都ローマは一九五三年、敗戦後わずか十年足らずで、ハリウッド映画「ローマの休日」の舞台となった。
第二次大戦の圧倒的勝者であるアメリカ人の目を通しても、この敗戦国の首都はロマンスの舞台に相応しい華やぎを備えていたのだ。
初々しい妖精を思わせるオードリー・ヘップバーンが架空の国の王女を演じたこの映画は日本でも記録的なヒットとなった。
今なお日本人の中には、「ローマ」という都市名からこの白黒のラブロマンスを連想してノスタルジックな感慨を抱く向きがある。
首都のローマばかりでなく、古都のフィレンツェ、水の都ヴェネツィア、港町ナポリ、ファッションの街ミラノ等々、イタリアには日本人の目にも魅力ある個性を持った都市が少なくない。
イタリアは都市の独立性が強く、国民の国家への帰属感情が乏しいとはしばしば指摘されるが、裏を返せば、統一国家としては挫折的な状況にあっても、個々の都市が精彩に欠けるわけではないのだ。
前述したように「ローマの休日」はハリウッド映画であり、いわば外国人の目線で捉えたイタリア像になるが、イタリア現地からも魅力ある作品やスターが次々登場した。
具体的な名前を出すと、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンは日本でも人気スターとなった。
二人が共演した映画は数多いが、第二次世界大戦で運命を狂わされた夫婦を演じた一九七〇年日本公開の「ひまわり」は特に有名だ。
イタリア人の夫が敗戦後は当時のソ連にそのまま住み着いてしまうことから生じた悲劇を描いたこの作品は、同じ敗戦やシベリア抑留の傷跡を持つ日本人のシンパシーを強く引き起こしたと察せられる。
ただ、大柄で豊満なソフィア・ローレンが演じるイタリアの本妻とリュドミラ・サベリエワ演じる華奢で可憐なソ連での現地妻とでは、俳優の個性とはいえ、実際の両国の国土や国際的な地位に鑑みると、やや皮肉な印象も受ける。
日本人の好みからすると、気性の激しさや自我の強さを隠さない前者よりも清楚で儚げな後者の方が悲劇のヒロインに相応しくも映る(旧ソ連及びロシアの女優リュドミラ・サベリエワは、バレリーナの前歴を持ち、女優としても『戦争と平和』のナターシャを演じるなどタイプとしてはオードリー・ヘップバーンに似ており、日本人好みする華奢で可憐な美女である)。
しかし、悲惨な敗戦から辛酸をなめたイタリア国民としては、逆境にあってもしたたかに生きていく骨太な女性こそ、あるべきヒロイン像であり、だからこそ、ソフィア・ローレンは長らく戦後のイタリア映画の顔であり続けたと察せられる。
演者から製作者に視点を移すと、ヴィスコンティやフェリーニといった現在では巨匠といった扱いの映画作家の活躍も目立った。
この内、ヴィスコンティはまずその本人がミラノの貴族出身であり、作品の雰囲気も貴族趣味的な印象が強い。
だが、ヴィスコンティはアラン・ドロンやヘルムート・バーガーといった非イタリア系の俳優をたびたび主役に起用している。
「地獄に堕ちた勇者ども」「ルートヴィヒ」といった国際的にも注目された作品はドイツが舞台である点からしても、イタリア映画というよりはより広汎な「ヨーロッパ映画」の作家といった観がある。
代表作「山猫」にしても、ジュゼッペ・ランペドゥーサの小説が原作でイタリア貴族とその没落を描いた作品であり、ヴィスコンティ自身のルーツを掘り下げた作品と目されてはいるものの、主要キャストはバート・ランカスターやアラン・ドロンといった非イタリア系の俳優たちである。
フェリーニの方がよりイタリア人固有のメンタリティやローマといった代表都市に漂う空気を掘り下げた感触がある。
一九六〇年に公開された、これもマルチェロ・マストロヤンニ主演の「甘い生活」は、フェリーニの代表作の一つであり、また、当時のローマの退廃的な空気を描いた作品として名高い。
ちなみにこの作品にはマストロヤンニ演じる記者がローマを訪れたハリウッド女優と仮初めの恋に落ちる一幕があり、「ローマの休日」の皮肉なパロディとも言える性格を持っている。
実際にはスウェーデン出身のアニタ・エクバーグが扮するハリウッド女優は、明らかに当時一世を風靡していたマリリン・モンローを揶揄したキャラクターである。
華奢で妖精然としたオードリー・ヘップバーンに対して、敢えて対照的なイメージのモンロー風の人物を「ローマに降り立ったアメリカ人セレブリティ」としてイタリア人のフェリーニは登場させているのだ。
劇中ではこのハリウッド女優が同じハリウッドスター仲間とレストランでどんちゃん騒ぎをして周囲の客から眉を顰められるといった描写も出てくる。
そこに「世界の覇者」を自認するアメリカ人に対するイタリア人の冷笑的な目線が浮かび上がる。
第二次大戦でアメリカは勝者となり、イタリアは敗退を余儀なくされた。
しかし、ローマには歴史ある古都としてのプライドが厳然と備わっているのであり、現地の人々にとって金を落としはしてもマナーの悪い異邦人は本当の意味で歓迎はされないのだ。
どこか、経済的に躍進した中国人の爆買いを誇張して取り上げて冷笑する昨今の日本のメディアとも重なる目線である。
だが、「甘い生活」中の漫画的に誇張された浮薄なアメリカ人像からは、現実的にはアメリカに敗北を強いられ続けるイタリア人の屈折した感情も覗く。
「ローマの休日」でグレゴリー・ペックが演じた男主人公はスクープを狙う新聞記者だが、「甘い生活」でマストロヤンニの扮する男主人公は「作家になる夢に破れてゴシップ誌の記者をしている」設定であり、この時点で明らかに挫折感が滲む。
ハリウッド製の「ローマの休日」が映し出すのは日差しにきらめく明朗なローマの風景だが、ご当地版の「甘い生活」は邦題に反して苦い後味を残すデカダンな光景を描出しているのだ。
以前、このエッセイで映画「世にも怪奇な物語」の第三話「悪魔の首飾り」を取り上げた。
同じフェリーニ監督による、一九六七年に製作されたこの短編映画は、前二話同様、ポーの小説を原作とはしているものの、内容は大きく改変され、舞台はやはり現代都市ローマである。
原作の無職無為の青年から落ち目のイギリス人映画スター(演じているテレンス・スタンプ本人に敢えてだぶらせた設定)に改変された男主人公は、これも本来の小説にはない展開として新たな映画製作のためイタリアのローマに降り立つ。
酒と麻薬に溺れ正気を失った体の彼は、テレビのインタビュー番組でカトリックの総本山たるローマの観衆を挑発するかのように「私は無神論者だ」と言い放ち、イタリアの誇る名車フェラーリを寄贈されるものの、まるでそれまでの自堕落の制裁を受けるかのように、最後はローマの街を暴走して事故死を遂げる。
異邦人の目線で描かれてはいるものの、ここでもローマという街は、虚無感や退廃的な気分を増幅させる舞台装置として機能しているのだ。
しかし、「甘い生活」から七年を経た「悪魔の首飾り」は、訪れる人間を惑わす魔都としての威力を回復したかに見える。
「甘い生活」ではイタリア人の主人公たちの退廃ぶりが自虐を込めて強調される一方で、この都を訪れたハリウッド女優は周囲に眉を顰められつつ、本人としてはごく無邪気に観光を楽しんで去っていく。
これに対して、「悪魔の首飾り」でこの地に降り立ったイギリス人俳優は既に病み切った目線を通して魑魅魍魎がごとき現地の映画人に迎えられ、これも現地の誇る名車を与えられるものの、まるで迷路を抜け出ようとするかのように街を疾走して死に至る。
巨大なセットのようなローマの街を迷走する異邦人テレンス・スタンプの姿は、「全ての道はローマに通ず」という誇りやかな格言を「全ての道はローマから抜け出られない」または「ローマに抗する者は道を失う」と現地人の目で皮肉っているようにも感じられる。
だが、これもローマという街ばかりでなく、イタリアという国そのものが対外的な地位を回復した証左であろう。
そもそも、仕事への意欲を失い、無気力に陥っていたイギリス人スターがローマへのオファーを引き受けたのは、報酬となるフェラーリに惹かれたためである。
セレブリティとして一応は高級品に囲まれる暮らしをしてきた外国人の目にこのイタリア産の自動車は魅力あるものと映っていたのであり、ここにも、イタリアの復興が窺える。
作品としてもモノクロの「甘い生活」に対し、「悪魔の首飾り」はカラーであり、映像表現において、一九六〇年から一九六七年までの七年間は時代が一つ切り替わる転機だったと言える。
ローマをカトリックの総本山と述べたが、パゾリーニ監督による一九六四年公開の「奇跡の丘」は聖書のマタイ伝を忠実に映像化したものであり、内外で話題を呼んだ。
同監督はこの他にもギリシャ悲劇を映像化した「アポロンの地獄」、「王女メディア」、「アラビアンナイト」「デカメロン」「カンタベリー物語」等、古典文学の映像化が目立つ。
なお、このパゾリーニ監督はマルキ・ド・サドの小説を第二次大戦末期のイタリアの出来事に置き換えて映像化した一九七五年の「ソドムの市」でも有名だが、こちらは作品のテーマよりも残虐描写の衝撃、その後の監督本人の惨死により一般には強く印象付けられた感触を受ける。
政治的に過激な主張をしていたパゾリーニ監督の惨殺は、当初は「同性愛行為を強要した相手からの私怨による犯行」と明らかに故人を貶める意図の見える判断を下されたものの、近年では犯人を名乗り出た当の人物から「真犯人はネオ・ファシストたちであり、自分は脅迫されて嘘の自白をした」との証言が出ている。
作品ばかりでなく全人生を通して、戦後イタリア社会の闇を体現する作家だったと言えよう。
話は変わって、他のヨーロッパ映画との違いとして、イタリア映画には家族物や人情物が多い点がよく指摘される。
ピエトロ・ジェルミが監督と主演を兼ねた一九五六年の「鉄道員」はその古典的な代表例である。
幼く愛らしい末息子の視点を通して描かれる、昔かたぎで不器用な鉄道員の中年男。
この父親像は日本の戦前の家父長にも通じる形象だ。
戦後十年を経てイタリアで制作されたこの作品は、日本でも親しまれた。
一九九九年に高倉健主演で公開された邦画「鉄道員(ぽっぽや)」は、浅田次郎の同名短編小説の映像化だが、タイトルからしてもこのイタリア映画へのオマージュといった感触がある。
主演に「古き良き昭和のスター」である高倉健を配しているキャスティングにも、「古き良き時代の映画」の雰囲気を打ち出す意図が感じられる。
ただ、イタリア映画「鉄道員」の父親が幼い末息子にとっては憧憬の対象であっても、青年期を迎えた長男や長女とは軋轢を起こす間柄にあり、いわばリアルタイムの家庭生活に苦悩する立場にいる。
特に年頃の長女は、恋人と隙間風が吹いている状況で妊娠が発覚し、父親のてこ入れで結婚するも死産、夫との不和に鬱屈して不倫に走り離婚、という若く美しい女性ゆえの生々しいトラブルに見舞われ続ける(いわゆる出来ちゃった結婚や不倫は今の日本でも少なからず抵抗があるが、敗戦から十年程度、しかもカトリックの気風の強いイタリアにおいては、この娘の所業はもっと破廉恥なものと当時の観客からは捉えられた可能性がある)。
これに対して、邦画「鉄道員(ぽっぽや)」の初老の男主人公は冒頭の時点で妻子を既に亡くしており、社会人としても定年退職を控えた年配におり、しかも駅長を務める駅は程なく廃線することが決定しているという、あらゆる意味で「リタイヤ」「人生の終着」に接した立場におり、作品全体のあらすじを読んでも、追憶の気配が濃厚である。
飽くまで清純可憐な面影を持たされた娘は、そもそもが幽霊であり、孤独な主人公の生み出した幻影である。
一九五六年のイタリア映画「鉄道員」から一九九九年の邦画「鉄道員(ぽっぽや)」までには四十年余りの歳月を経ており、交通手段としての鉄道の地位も変化した。
先日も北海道新幹線の開通に伴い、ブルートレイン北斗星が廃線になったニュースが話題になったが、鉄道の廃線自体は一九九〇年代の後半から各地で増加するようになった現象である。
一九五六年のイタリア映画において鉄道が市民の足であるばかりでなく労働者ストライキの火花の散る現場であるのに対し、二十一世紀を目前にした邦画において主人公の職場である駅そのものが路線の廃線に伴い閉鎖される運命にあるのは、実に象徴的だ。
両作品の差異には、むろんそうした時代の流れもあるが、「現実の苦味を踏まえつつ前に踏み出そうとする」イタリアと「時として懐古趣味的なまでに滅び行くものに美を見出す」日本の国民性も垣間見えるように思う。
戦後七十年の節目の今年、ナチス・ドイツの巨悪を告発する作品が次々公開される一方で、邦画では終戦記念日を描いた一九六七年の「日本のいちばん長い日」がリメイクされるなど、第二次大戦とその爪痕を捉え直す動きが目立つ。
だが、同じファシズム体制の同盟国としてかつては手を結び、それぞれ敗北から立ち直ったイタリアに対しても、もっと目を向けても良いはずだ。
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