クヒオ大佐の愛と嘘

 *この文章は2014年12月12日に他サイトで発表したものです。


 内縁関係を含む再婚相手が次々不審死を遂げ、巨額の遺産を得ていた六十七歳の女性が京都で逮捕された事件が話題を呼んでいる。


 起訴されたようだが、まだ全容は明らかでなく、本人としても罪状を否定しているので、名前を出すのは控えるが、一見すると、その辺にいそうなおばさんが実は何度も結婚を繰り返して、相手を葬り去っていたという、外見と罪状の恐ろしさのギャップが世間の耳目を集めたのだと思う。


 六十七歳という年齢からすれば、この女性は「おばさん」ではなく「おばあさん」と言い切って差し支えないかもしれないが、薄いなりに入念な化粧を施し、年相応にしゃれたキャメルのコートやモノトーンの服で人前に出てきて早口で捲し立てる姿からは「おばあさんに近いおばさん」という印象を受ける。


 いわゆる水商売風の派手さや極端な若作りといった不自然さはないものの、年相応に「女性」として見られることを期待した扮装であり、もっとはっきり言えば、堅実な後妻を求める老年男性やその家族の好みに合わせた外見にしている感触がある。


 実際、亡くなった男性たちは写真を見る限り、人の良さそうな、品の良いご老人といった雰囲気であり、また、そのような人たちだったからこそ狙われたのではないかという気もする。


 ネット上では、この事件は五年前に世間を震撼させた、木嶋佳苗による婚活連続殺人事件と比較して論じる動きが目立つ。


 木嶋佳苗の事件も、大量殺人の残酷さよりも、事件発覚当時三十五歳、初婚の適齢期は過ぎた感触のある年配の上に、かなりの肥満体でお世辞にも美人とは言い難い女性が、複数の男性から結婚を餌に多額の金を騙し取り得た事実に大方の人が衝撃を受けて注目された感がある。


 若くも美しくもない女性がいかにして複数の男性を篭絡して大金をせしめたのか、というピカレスクロマン的な興味が加害者の女性をメディアにおける一種のダークヒロインに仕立てたと言えよう。


 さて、前述した二つの事件は女性が複数の男性を罠にはめたパターンだが、男性が女性たちから多額の金を騙し取った有名なケースというと、一九九〇年代初頭のクヒオ大佐事件が挙げられるだろうか。


 私はこの事件についてリアルタイムでは知らず、ネットで偶然知ったのだが、検索してみると、事件発覚当時、話題を呼んだばかりでなく、その後、複数の漫画や映像作品でこの犯人をイメージしたキャラクターが登場し、事件そのものも二〇〇九年に堺雅人主演で映画化もされていた。


 クヒオ大佐事件とは、北海道出身、貧窮育ちで中卒の日本人男性がレプリカの軍服を着て「自分は米軍パイロットのジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐だ」と詐称して、複数の女性に結婚詐欺を働いて、総額一億円にも上る大金を騙し取った事件である。


 ウィキペディアを参照すると、彼が女性たちに騙った偽のプロフィールは以下のようなものだったらしい。

 ・名前……ジョナサン・エリザベス・クヒオ(日本名は彼の本名『鈴木和宏』)

 ・職業……アメリカ空軍特殊部隊パイロット

 ・国籍……アメリカ合衆国(日本国籍も所持する、いわゆる『二重国籍』)

 ・出身地・ハワイ

 ・両親

 父……カメハメハ大王の末裔

 母……エリザベス女王の双子の妹(映画では女王の妹の夫のいとこ)

 ・履歴

 六歳でワシントン大学を卒業。

 十歳でミネアポリスの士官学校(実際の米海軍兵学校の所在地はアナポリス)の入学資格を得るが、体格が伴っていなかったために十五歳まで入学を辞退。

 その五年間、エール大学で弁護士資格を得て、東京大学法学部大学院で法学博士号を得る。

 伯母の要望もあってケンブリッジ大学にも留学していた時期がある。

 士官学校卒業後はアメリカ海軍に任官。のちに空軍に転籍し、ベトナム戦争や湾岸戦争などで常に最前線に赴く特殊部隊パイロットとして従軍。


 また、ターゲットとした女性たちには以下の口説き文句で結婚を持ちかけた。

 ・私と結婚すれば、軍から五〇〇〇万円の結納金が支給される。

 ・またイギリス王室からも五億円のお祝い金が出る。

 ・ウェディングドレスはダイアナ妃のドレスも手がけたデザイナーに依頼して製作してもらう。

 ・結婚式は故郷のハワイで盛大に行い、仲人は田中真紀子、司会はKONISHIKIに依頼して快諾してもらっている。

 こうして結婚費用として金を詐取した後も、彼は更に嘘を上塗りする。

 ・「また最前線に赴かなくてはいけなくなった。仮に私が戦死してもキミには軍から莫大な額の功労金が支給される」と言い残して姿を消す。


 その一方で、以下のようなお粗末さも見られた。

 ・「USAから発行されたという公文書」を見せるが、全て日本語で書かれていた。

 ・ジェット機に乗っている写真なども見せてくるが、ぼやけているのと写真が古すぎておかしい。

 ・突然ポケベルが鳴り出し、無線機のようなもので片言の英語でやり取りを始める。

 ・年齢は三十七歳と言い張るが、見かけはそれよりかなり年上であった。

 ・ハーフにしても、平均的日本人よりも背が低めであった。


 読んでいても、彼の騙った内容はさながら少年漫画のキャラクターのような荒唐無稽さであり、「むしろ、これを信じる方が不思議」と記事を読む第三者は思ってしまう。


 ちなみにこのクヒオ大佐は鼻を整形し、髪を金に染めて白人風の容姿に近づけていたらしいが、逮捕時に撮られた白黒写真を見る限り、頬のこけた初老の日本人男性といった風貌であり、レプリカの軍服を纏った姿は、日本人としても小柄で貧弱な部類に見える。


 なぜ、こんな貧相な男のホラ話に舞い上がって大金を渡す女性が続出したのか。


 恐らく、このクヒオ大佐は「自分は高貴な人間だ」とアピールするよりも、まず、「あなたは特別な女性だ」と相手に思わせる術に長けていたのではないかと思う。


 女性たちにしても頭のどこかで「胡散臭い」「この人、変だな」とは思っても、自分を特別な存在として丁重に扱ってくれる彼を拒絶するのが気の毒で何となく断れずにいる内に、彼の嘘に引きずり込まれてしまったのかもしれない。


 これはかなり極端な例だが、自分に好意的に接してくれる相手の申し出を拒否することをためらったために思わぬトラブルに巻き込まれるケースは世間に少なからずある。


 例えば、振り込め詐欺にしても、手口の巧妙化よりも、まず「お母さん」「おばあちゃん」といった「あなたは自分にとって特別な存在だ」という親しい呼び掛けがもたらす心理的な効果ゆえに、騙される人が絶えないのではないかと思う。


 列記するといかにも突飛なプロフィールにしても、女性と親しくなり信頼を得るのに伴って小出しにしていったから、相手の中にさほど矛盾や違和感を覚えさせなかったとも考えられる。


 何より、彼が少なからぬ女性を騙しおおせたのは、本人が「自分はクヒオ大佐だ」と信じ切っていたからではなかろうか。


 むろん、「クヒオ大佐」なる人物は日本人の鈴木和宏がでっち上げた虚構であり、女性から金を騙し取るための方便である。


 しかし、早晩足が着くことが目に見えているのに複数の女性に対して同一設定の「クヒオ大佐」を名乗り、逮捕後も「自分はクヒオ大佐だ」と主張して譲らず、出所後もやはり「クヒオ大佐」として詐欺行為を繰り返したという行動からは、金を取る手段を越えて「クヒオ大佐であり続けたい」という彼の執念じみた願望が見える。


 同じ詐欺師ではあっても、次々手口や設定を変えて犯行を繰り返す、ある意味、非常にビジネスライクでドライな振り込め詐欺の集団などとは明らかに異質である。


 そもそも、日本人としてありふれた「鈴木」姓なのに欧米人としてもやや奇異な響きの「クヒオ」を名乗り、寒冷な北海道の出身なのに南国のハワイを故郷と偽り(ニューヨークやロサンゼルスのような代表的な都市ではなく、敢えてハワイを選んでいるところに、暖かな南国のリゾート地に対する強い憧れが見える)、更には中卒なのにエールやケンブリッジといった海外の有名大学の出身を騙っていたところに、本当の自分のプロフィールに対する彼の根深いコンプレックスや自己否定が感じられる。


 加えて、彼が主として詐欺行為を働いた一九八〇年代は、日本人の中に欧米への純粋な憧れがまだ強かった時代であった。


 彼が逮捕された一九八四年は、マイケル・ジャクソンの「スリラー」がオリコンの年間一位を記録した正にその年であり、また、トム・クルーズの出世作「トップガン」が公開されたのは、二年後の一九八六年だが、これは米軍のエリートパイロットたちの物語である。


 ちなみにこの時期のアメリカ大統領はレーガンであり、よく知られているように彼は元俳優で、いわば、ハリウッドスターから大統領という、華やかなアメリカンドリームの体現者とでも呼ぶべき存在であった。


 なお、クヒオ大佐が女性たちに結婚の報酬として「ダイアナ妃のドレス」を提示しているが、故ダイアナ妃が十九歳でイギリス皇太子妃になったのは一九八一年であり、訪日に伴って日本で「ダイアナ・フィーバー」が起きたのは一九八六年である。


 きらびやかなドレスとティアラで身を飾り、バッキンガム宮殿に住む、うら若い金髪碧眼のプリンセスは、正に日本人にとって現代のおとぎ話のお姫様であり、また、歴史ある「大英帝国」、ひいては「ヨーロッパ」の輝かしいアイコンであった。


 ダイアナ妃はその後メディアでは、夫である皇太子との不和、不倫、離婚、そして不慮の事故死とタブロイド誌のヒロインといった扱いに堕していったが、これは純白のウェディングドレスを着た成婚時のきららかな「プリンセス」のイメージに多くの人が惹き付けられたからこそ、彼女に纏わる情報が「美女の転落」「悲劇のシンデレラ」あるいは「おとぎ話の残酷な真相」といった、新たな物語としての商品価値を持ったことに起因している。


 その意味で、彼女は一貫して真正のセレブリティであった。


 クヒオ大佐が口説き落とした女性たちにとっても、「ダイアナ妃」という固有名詞や彼女の纏った「ウェディングドレス」は、眩いイメージを喚起させたはずである。


 恐らく不遇な環境にいた彼にとって「高貴な血を引くエリートアメリカ人のクヒオ大佐」は理想の自己像であり、「クヒオ大佐」として女性から賛美され愛される時間が快楽でもあったから、破滅すると分かっていても麻薬を打ち続ける人のように、「クヒオ大佐」を名乗り続けたのではないだろうか。


 むろん、詐欺は犯罪であり、クヒオ大佐に大金を騙し取られた女性たちの中にはその後、社会的、経済的苦境に陥った人も少なからずいると察せられる以上、制裁を受けるべき行為ではある。


 しかし、彼の行動からは精神上に何らかの病理、障害を抱えた人なのではないかとも思われるし、一抹哀れな印象を受ける。


 冒頭に挙げた二人の女性犯罪者と違って、仮にも自分を信頼し大金を委ねた相手の女性たちを手にかけるといった冷酷さや残忍さはなかったらしい点にも僅かに救いが感じられるし、だからこそ、逮捕後もメディアで一種のトリックスターとしてキャラクター化されたのだろうとも思う。


 特別な人間を装って女性たちを騙す手口では、こちらは本当にロシア系のクォーターでルパシカにベレー帽を被って画家に成りすまし、「あなたをモデルに絵を描きたい」と女性たちに声を掛けて連れ去り、暴行・殺害した大久保清に似ていなくもない。


 だが、繰り返すようにクヒオ大佐は騙した女性たちを殺傷する仕打ちにまでは出ておらず、「私が死んでも功労金が支給されるから」と飽くまで「クヒオ大佐」として希望を残していく形で自分から姿を消している。


 むろん、この功労金云々も嘘であり、女性が騙された事実に気付いて警察に駆け込むまでの時間稼ぎではあるが、恐らく、彼は、大久保清と違って、目の前にいる相手が自分に絶望していく姿を見たくなかったのだろう。


 彼に金を騙し取られた女性たちの中には、彼の逮捕後も自分が騙された事実を決して認めず被害届を出さなかったり、また、刑務所の彼にわざわざ面会に来ていたりした人もいたという。


 恐らく、彼女らにとって、彼は詐欺師ではなく、紛うことなく自分を愛し求婚してくれた「クヒオ大佐」であり続けたのだろう。


 先にレプリカの軍服を着たクヒオ大佐の実際の風貌はあまり魅力的に思えないと書いたし、「米軍の高級将校」とか「イギリス王室の血を引いている」とかいうプロフィールにも、さほど私の中の物語的な興味はそそられない。


 ただ、自分にとって好みの外見の男性から、興味をそそられる方面に大げさなエリートのプロフィールを紹介されたら、私も騙されてしまうかもしれないと感じる点で、クヒオ大佐事件は身につまされるものがある。


 例えば、品の良いスーツに銀縁眼鏡を掛けた、映画「ラストエンペラー」出演時のジョン・ローンそっくりの男性から、

「私の父はカジノ王の何鴻燊(スタンレー・ホー)、母は戦後、香港に逃れた清朝の皇女だ」

「父はもう病身なので、マカオのカジノと中環(セントラル)の不動産は任されてる」

「挙式は故郷の半島酒店(ペニンシュラ)で、司会は曾志偉(エリック・ツァン)がやってくれるそうだ」

 と穏やかな口調で言われたら、全財産を渡した後に雲隠れされても、私は被害届を出すのをためらう気がする。


 あるいは、哀しい笑顔までレスリー・チャンに生き写しの人から、

「僕の祖父は梅蘭芳(メイランファン)だけど、文革の頃に両親は香港に渡った」

「本土に残った伯父は今、上海で市長をしている」

「香港はもう自由がないから、日本で君と暮らしたい」

 と告げられたら、彼が結婚詐欺師として有罪判決を受けても、刑務所に面会に行って、「出所したら一緒になってね」と偏執的に要求し続けるかもしれないとも思う。


 クヒオ大佐が騙した女性たちを殺さずに去ったのは、あるいは生かして「夢」で自分に繋ぎ止めておく狙いもあったのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る