「美人」を巡るアメとムチ――「ナッツ姫」と「美人スパイ」、そして「リケジョ」

 *この文章は2015年1月23日に他サイトに投稿したものです。


 一昔前、というより、今もそうかもしれないが、年若い女性が殺人事件の被害者になると、マスコミでは「美人OL」「美人女子大生」等、「美人」を冠詞的に用いて呼び習わすことが多かった。


 むろん、若くして殺人事件の被害者になった時点でその女性は不幸だったのであり、「美人薄命」「薄幸の美女」といったストーリーのヒロインに据える意味で「美人」と形容する意図は否定できない。


 また、失われた人命の尊さを「美人」という言葉に込める意味合いもあるだろう。


 しかし、若い男性が悲惨な事件に巻き込まれて亡くなっても、マスコミで「美男会社員」とか「イケメン大学生」とか容姿の美を強調する表現をされる場合は殆どない。


 今から十年ほど前に起きた北海道・東京連続少女監禁事件で、複数の少女を自室に監禁してSM行為を強要したかどで二十四歳の男が逮捕された。


 この犯人は、地元の名家出身である出自に加えて、ビジュアル系バンドのメンバー(に意図的に似せた)風の容姿をしていたことから、「監禁王子」とネットやマスコミで盛んに呼び習わされた。


 日本人の感覚として、「王子」という言葉には「仲間内で特別扱いされる美青年(美少年)」といったイメージがステレオタイプとして伴う。


 このように年若い男性が凄惨な事件の関係者、しかも被害者ではなく犯人として取沙汰された際に、風貌の美にウエイトを置く表現をした例は、私の記憶の中ではこの事件だけだ。


 更に言えば、例外的、特例的なケースだからこそ強く印象付けられた性質のものだ。


「美人市議」「美人広報」「美人女医」等、事件関係者以外の方面でメディアに登場する場合であっても、女性は姿形の美を顕示する呼び方をされることが多い。


 その結果、彼女らに対するバッシングが起きる際には、「そこまで美人ではない」といった容姿への揶揄が織り込まれるのも定例化している(そもそも彼女らの多くが『美人』を自称したのではなく、飽くまでマスコミによるニックネームであり、本人たちがそうした呼ばれ方を望んでいたかも疑問であるにも関わらず)。


 女性の方が「容姿の美を備えた存在としてメディアに出てくるべき」だという社会通念が男性よりも強いがために、「メディアに出てくる女性は基本的に『美人』として扱うべきだ」という固定概念に転じ、結果的に、メディアに登場する女性たちにやや過剰で不自然なほど「美人」という形容を用いる事態を成立させていると思われる。


 むろん、メディアに登場する女性たちの中には「私はブスで男性とは縁がありません」というキャラクターを打ち出す芸人なども一定数いる。


 しかし、これは「メディアに出てくる女性は『美人』であるべきだ」という固定概念に敢えて反することで際立つ個性だ。


 裏を返せば、そうしたいわば「ブス」のプロとしての名乗りを上げない限り、メディアには「美人」しか登場させてはいけないという暗黙の了解が存在しているのである。


 何を持って「美人」とするのか。

「美人」とそうでない女性の線引きはどこでするのか。


 これが本来は一番デリケートで難しい問題のはずだ。


 だが、素人の女性をメディアにおいて慣例的に「美人」と呼び習わす際に、女優やモデルのような、「美人」のプロとして通用するレベルの洗練は必要とされていない。


「これは女性だ」と一見して判別できる華やかさが認められれば良いのである。

 そこに「若さ」が加われば、いっそう確定的である。


 それはそれとして、マスメディアが事件の当事者である女性に「美人」という形容を殊更用いて取り上げる時には、「女性であるが故に起きた事件である」と受け手を煽動する意図も含まれているように思われる。


 このところ、テレビやネットを騒がせている事件に、韓国の「ナッツ・リターン」騒動がある。


 韓国を代表する大韓航空の創始者の孫でいわば財閥三世の令嬢、事件当時は同社の副社長だった女性が起こした事件である。


 報道によれば、この女性元副社長は自社の運行する飛行機のファーストクラスに乗り、客室乗務員がナッツを袋から出さずに手渡したことに激怒し、「規定ではナッツは袋から出した状態で客に出すはずなのに、サービスがなっていない」と乗務員とサービス責任者の二人を罵倒した。


 しかし、規定ではナッツは袋ごと手渡しても間違いではなく、要はクレームを付けた彼女側の勘違いだったと判明する。


 これにいわば「逆切れ」の形で更に激怒した彼女は、「お前は飛行機を降りろ」とサービス責任者を罵倒し、既に滑走路を動き出していた飛行機を旋回させて戻すように命じた。


 結果、経営陣に名を連ねてはいても、フライトに関しては乗客の一人に過ぎないはずの彼女の一言で、飛行機は本来の予定変更を余儀なくされ、多くの足に影響が出たばかりでなく、空港の管制上も少なからぬトラブルに見舞われた形になる。


 発端がそもそも「乗務員がナッツを袋ごと出した」というそれ自体はごく常識的な対応であり、仮に規定の上で「袋から出して皿に盛った状態で提供する」と本当に決められていたとしても、罵倒や暴力を浴びせかけるべき過失では有り得ない。


 というより、私はこの報道を見るたび、

「袋ごと渡してもらった方が自分の好きなときに開けて食べられるんだから、その方がいいのに」

と思ってしまう。


 その一方で、

「この副社長、本当は規定なんてどうでも良くて、単に『今すぐ食べたいけど自分で袋を開けるのが面倒臭い』『自分で袋開けると、いっつも中身が飛び散っちゃうし』『皿に盛って出してくれないかな』と思っていたところに、乗務員がナッツを袋で渡したのにむかついて、『どうして私の意を察して行動しないのか』と怒鳴りつけたのが真相なのでは……」

と勘繰ってしまう。


 あまつさえ、自分の私情一つでフライトの予定変更を強要するに至っては、日本ならギャグ漫画に出てくる横暴経営者ですらためらうような暴挙である。


 この女性元副社長が経営者として横暴、パワハラ体質というより、まず社会人としての常識的な感覚を大きく欠落していた事実は言うまでもないが、最大の問題は、そんな暴挙を現実として成立させてしまう韓国の企業、ひいては社会そのものの体質だろう。


 彼女がいかに横暴な申し出をしても、飽くまで客室内のトラブルとして処理する組織としての自浄作用が働いていれば、企業としての存続自体が危ぶまれるトラブルには発展しなかった。


「無理が通れば道理は引っ込む」というより、「公の道理より経営者の無理を通す」韓国の企業・社会体質が、このような愚劣な事件を引き起こしたのである。


 しかし、この騒動のヒロインである「ナッツ姫」こと元女性副社長は、四十歳で経営者としてはまだ年若いばかりでなく、日本の岸本加世子と田畑智子を足して二で割ったような愛嬌のある風貌をしている(『美人』のプロが集まる芸能界において、名前を挙げた二人は決して『美人』では売っていないけれど)。


 事件前の取り澄ました笑顔で収まった写真といい、騒動後にシックな装いで寒空の下に項垂れて立っている姿といい、ニュース映像的には華やぎのある素材である。


「ナッツ姫」という呼び名には「監禁王子」同様、恵まれた出自から増長した高慢さへの揶揄が込められているのはもちろんだが、「特別扱いされている美女」といった意味合いが明らかに含まれている。


 報道の中でよく指摘されるように、財閥三世という出自が既に韓流ドラマに出てくる悪役令嬢といった美女ヒールを連想させる上に、実際の本人の風貌もマスコミが求める「美人」の基本条件を満たしていた。


 だからこそ、内外でこの事件が注目され、報道が過熱した面も否定できないと思う。


 事件前の「ナッツ姫」の華やかな暮らしぶりや輝かしい経歴が映像と共に紹介されれば、それがそのまま美女ヒールの欺瞞や悪徳の栄えといったドラマになる。


 また、事件後の「ナッツ姫」の打ちひしがれた姿が映し出されれば、それも「美女の転落」という新たなドラマを形成する。


 こうして、「この女性だからこそ、この事件が起きた」という印象が受け手の中で自ずと出来上がっていくのである。


 テレビの報道でも「韓国社会における財閥の巨大な影響力」が繰り返し指摘されてはいるが、多くの人の中で最も鮮やかに記憶されるのは、自業自得とはいえ、現代韓国社会におけるプリンセス生活から一転して針のむしろに座らされた「ナッツ姫」の面影ではなかろうか。


 四半世紀前の一九八七年にやはり大韓航空機を襲った北朝鮮工作員によるテロ事件、いわゆる「大韓航空機爆破事件」が、被害の凄惨さよりも美人スパイ・金賢姫キム・ヒョンヒのイメージによって記憶されているようにだ。


 多くの日本人にとって、「賢い姫」と名付けられたうら若い女性が重罪人として連行されていく姿そのものが、既に痛ましい感慨を引き起こされるものだったのではなかろうか。


 金賢姫が百人以上を殺害したテロリストでありながら、死刑を免れたのは、それが所属する体制の使命を帯びた任務であり、本人の利得や猟奇的な嗜好に基づく所業ではなかった点、また、顔と名前が公に知れ渡った以上、スパイとして再犯する可能性は現実的に低い点がまず挙げられるだろう。


 加えて、当時の韓国当局としても、北朝鮮の内情や動向を把握するためには、工作員の彼女を処刑するより、むしろ生かして情報戦略に利用した方が良いと判断したのかもしれないとも推察される。


 しかし、何よりも、事件当時二十五歳だった、妙齢の美女が打ちひしがれる姿を目にした韓国民の中に、聖書に出てくる「罪の女」を眺めるような同情心が沸き起こったからではなかろうか。


 そもそも北朝鮮体制下において利発な美人であったからこそ、スパイにも選ばれ、危険な仕事も任されたのであり、そうでなければ、彼女は大量殺人犯として拘束される事態も有り得なかったのである。


 むろん、彼女の特赦やその後の言動について疑問や反発を覚える人は少なくないようだ。


 だが、抑圧的な北朝鮮の体制下に生まれ、女性として最も華やかであるべき時期を非情な任務に投じざるを得なかった前半生に対しては殆どの人が痛ましい印象を抱くと思う。


 そういう私も特赦後の彼女が日本の雑誌に寄稿した文章を読んで、「子供が親に先立つのは不孝なので、北朝鮮では親より先に死んだ子にはお墓がないのです」という趣旨の一節に、この人が育ってきた環境の乾いた土壌が透けて見えるようで、何とはなしに寒々しい感触を覚えた記憶がある。


 それはそれとして、ドラマの悪役令嬢が挫折を強いられるように、特権的な生活を享受してきた「ナッツ姫」は本人が想定もしていなかった罪科に処されそうな感があるが、北朝鮮から来た「美人スパイ」はその運命の過酷さ、薄幸さゆえに罪一等を免じられたのである。


 衆目を集める「美人」だからこそ、同情や共感を集める場合もあるが、反発や攻撃が加速する場合もある。


「美人」を巡る報道や人々の反応は、どこか情動的で、過敏である。


 昨年、日本国内のみならず、国際的にも注目を集めたSTAP細胞論文の不正認定問題も、そうした「美人」の動向を追う方向で加熱したケースの一つだろう。


 学術的には、昨年七月に論文を掲載した「Nature」誌に取り下げを要請した時点で終わった話であるはずだ。


 また、学術的な不正や捏造に関しては、すぐ前にもiPS細胞の移植手術に成功したと虚偽の発表をした男性看護師による騒動があり、また、二〇〇〇年にもアマチュア考古学者による旧石器捏造事件が世間を賑わせた。


 しかし、これらの騒動は当事者がいずれも中高年の男性で、ニュース映像として華やぎをもたらす「美人」ではなかったせいか、本人たちが公に不正を認めて身を隠すと、程なくして収束した(iPS騒動の当事者はその後もしばしば公の場に自ら姿を現しては奇矯な言動で注目されたが、それは、もう純粋な不正問題による騒動とは別次元で捉えるべき現象だろう。この男性看護師は明らかに精神を病んだ人である)。


 彼らへのバッシングも、飽くまで学術的な不正を働いた研究者としての不誠実さや不当に利益や名声を得ようとした卑劣さに対する批判が主であった。


 だが、STAP騒動に関しては、不正の発覚前から、論文の筆頭執筆者である女性元研究員の容姿を取沙汰した報道が多く、疑惑発生後も、やはり記者会見での服装や化粧、本来研究とは無関係なプライバシーなど、若い女性としての側面を槍玉に挙げたバッシングが目立った。


 八月に論文の共同執筆者で、女性元研究員の上司でもあり、そもそも万能細胞の分野での第一人者であった研究所の副センター長が所内で縊死するという悲劇的な局面を迎えても、この女性元研究員に対する批判は和らぐどころか、むしろ強まった。


 この男性上司との私的な関係を憶測して攻撃する報道が流れていた時に、当事者の一方が亡くなったので、生き残った彼女に矛先が集中したのである。


 むろん、これは割烹着を白衣代わりに着て実験する姿を映像として発表し、高級ブランドの服を着て会見の場に現れるといった、女性元研究員自身の行動が、そうした若い女性としての自己を顕示するものであったことにも起因している。


 だが、何よりも、受け手であるマスコミや私たちもそうした情報に囚われやすかったということでもあろう。


 そもそも、研究の功績も不正も、当事者の年齢、性別、容姿とは本来無関係である。


 若く美しい女性であるからといって、そうでない場合よりも、負わされる責任が軽くなるわけでもなければ、逆に重くなるわけでもないはずだ。


「まだ若い『女性だから』許してやるべきだ」という見方にも違和感を覚えるが、「悪質な『女性だから』厳罰に処すべきだ」といった意見もこの問題の本質からはずれていると思う。


 学術上の不正の全容については詳細に解明され、当事者には相応の処分がなされるべきだとは思う。


 しかし、報道の中で女性元研究員のプライバシーまで晒された結果、本来、この件とは無関係なはずの彼女の家族がそれぞれの職場を追われるといった事態まで招いたのは、明らかに社会的制裁としても過剰である。


 恐らくはこの女性元研究員の姓が特殊であったために、家族の個人情報も必然的に特定されやすかったことが原因と考えられるが、過去の捏造や不正騒動では、当事者本人は厳しく批判されても、その家族までが取沙汰されることはなかった。


 これも、「天才美人科学者」転じて「リケジョ」が「稀代の女詐欺師」に転じたギャップから過剰に高まった世間の反発や制裁感情の歪んだ表れと言えよう。


「リケジョ」にせよ、「稀代の女詐欺師」にせよ、本来は発表から半年で結論が出たはずのSTAP騒動はかくも炎上し、そろそろ一年経つはずの今もなお燻っている。


 これには、メディアに登場した女性に殊更「美人」としてのドラマを作り出して演出しようとするマスコミやそのイメージに「アメか、ムチか」と過剰に反応する私たちにも原因があるように思えてならない。

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