「ジャパゆきさん」の落とし子たち ――三鷹ストーカー殺人事件と川崎中一殺害事件から
*この文章は2015年4月1日に他サイトに投稿したものの転載です。
前稿「少年を巡る罪と罰」でも取り上げたが、川崎で起きた中一殺害事件で、逮捕された少年たちとその家族への攻撃がネット上ばかりでなく、現実面でも過熱している。
主犯格の十八歳少年宅のブロック塀には「フィリピンに帰れ」という趣旨の落書きがスプレーで記され、また、自家用車には「KOREA」とペンキで書かれたという。
報道によれば、この主犯格の少年はフィリピン人の母親を持ち、また父方の祖母は韓国人というアイデンティティを持っているという。
ただし、ネットや一部の週刊誌で明らかにされている彼の本名はごく一般的な日本人名である。
また、父方の祖母は韓国人とされてはいるものの、父方の祖父及び実父の国籍は不明であり、従って、この主犯格少年が国籍上は日本人なのか、それとも日本人の通名を持つ在日韓国人なのかは現時点では判っていない。
それはさておき、「フィリピンに帰れ」「KOREA」という落書きは、そうした少年の出自ばかりでなく、異邦人の血を引く彼の身内全てへの蔑みを明らかに含んでいる。
むろん、犯人が純粋な日本人であっても、こうした凶悪事件が起きた際に、本人ばかりでなく、その身内も攻撃される事態は珍しくない。
しかし、少年宅の壁に書かれた落書きの文言が「街から出て行け」ではなく「フィリピンに帰れ」となっている点に、凶悪犯罪への憎悪を超えた排外感情、もっとはっきり言えば、フィリピンという国そのものへの蔑視が見えるようで、寒々しい感慨に囚われた。
そもそも、本当に幼い少年が無残に殺害された事件に心を痛め、失われた生命を悼むのならば、「日本でもフィリピンでもどこの国でもこんな犯人は受け入れがたい」と考えるはずだ。
少なくとも、私はそう思う。
「(凶悪犯とその家族は)フィリピンに帰れ」という言葉は、裏を返せば、「日本では存在を受け入れがたい極悪人でも、フィリピンという国においてならば生きて野に放っても構わない」という意味であり、究極的には「フィリピンでなら凶悪犯による新たな犠牲者が出ても、日本人として何の痛みも感じない」と宣言しているに等しい。
「フィリピンに帰れ」という落書きには、「フィリピン人の命は日本人のそれより軽いから」という根源的な蔑視が凝縮されているように思う。
見方を変えれば、この主犯格の少年はそうした視線を根底に孕んだ環境の下に生まれ育ち、恐るべき罪を犯すに至ったのである。
報道記事によれば、この少年は今回の殺人事件以前にも通りすがりの男性を鉄パイプで殴って鑑別所に送られた前科があり、そこから浮かび上がるのは、他者一般の生命を軽んじる感覚、ひいては暴力行為で社会一般に自分を誇示する怨恨めいた感情である。
同じフィリピンハーフであっても、三鷹の女子高生ストーカー殺人の池永チャールズトーマスを突き動かしたのは、自分に別れを告げた元交際少女への怨恨であり、いわば被害者への強い執着が凶行を引き起こした。
ただ、被害少女に対して、実際には高卒であるにも関わらず「立命館の学生」と偽り、また、「ラテンハーフ」を自称していたという記事から、フィリピン人の母親を持つ出自が彼にとって決して誇れるものではなかった、むしろ隠匿すべき恥と認識されていたらしい寂しい現実が浮かび上がる。
ちなみに彼は逮捕時からメディアでは「池永チャールズトーマス」と純粋な日本人でないアイデンティティが一目で分かる名前で報じられていたが、実際には「仁」(『じん』なのか『ひとし』なのか読み方は不明)という日本名も持っていたようで、報道で出てきた中高時代の写真の中には「二次元の世界から来た男 仁」(筆者注:これは彼がアニメオタクだと揶揄する内容である)と手書きの紹介文が付いているものもある。
恐らく当初は本人の意思ではなく、周囲の大人の意向で複数の名前を使い分けていたと思われる。
だが、一見して純粋な日本人でないと分かる風貌の彼がカタカナ名と漢字名の間を行き来する状況は、本人にも周囲にも少なからぬ困惑を引き起こしたはずである。
被害少女に対して粉飾したプロフィールを紹介していたのは、むろん、相手に良く思われたいがための嘘であり、純粋な日本人でも持ち得る虚栄心から来る行為であろう。
しかし、幼少期から「どれが本名か分からない」「その場で相応しい方の名前を名乗る」状況に置かれたことが、いつの間にか彼の中でアイデンティティそのものを偽る行為への抵抗を薄くしたのかもしれないとも個人的には思う。
一方、川崎の主犯格少年の行動からは、前述したように本人の中に他者の尊厳を重んじる意識が低く、示威行為としての暴力の果てに惨殺事件を起こしてしまった印象を受ける。
ネットに挙がっているこの少年の写真には、悪びれる様子もなくむしろ誇示する風に仲間と飲酒や喫煙をしているものが散見する。
もう少し視点を変えると、暴力や非行で他人を威圧する以外に自分を主張する方法を知らなかったために、彼はここまでおぞましい所業に手を染めたのである。
むろん、十八歳にもなってそんな幼稚なあり方しか出来なかったのは本人の資質に拠るところが大きいであろうが、彼が生まれて十八歳まで育った環境はそこまで劣悪だったとも言える。
有名大学の学生だと詐称していた池永には、裏を返せば、「高卒の自分は恥ずかしい」と感じるだけの感覚が備わっており、またそのような認識が持てる環境にいた。
学歴詐称する際にも京都大学のような名門中の名門校ではなく、いわゆる「関関同立」の一角とはいえ、比較的入りやすい印象の強い立命館を選んでいる点にも、あるいは身近な友人や同級生が通っていて、本人の中では「自分も事情が許せば行けたかもしれない大学・持てたかもしれない学歴」と位置づけられていたのではないかと思わせる。
これに対し、見知らぬ老人への傷害事件で鑑別所に送られ、結果的に定時制高校を中退した経歴を自慢げに話していたという川崎の主犯格少年には、「犯罪行為で学校を中途退学するのは恥」という感覚すらまともに持てない境遇にいたのである。
れっきとした未成年でありながら飲酒や喫煙を誇示する風に映った写真をネット上に公開していたのも、彼の生活していた世界のモラルの低さを裏書きしている。
ネットに晒された写真の中には未成年であるはずの彼や従犯格の少年たちが恐らくは近隣の居酒屋で飲酒に興じているものもあったが、これは、店側も未成年の飲酒を看過ないし黙認していた証左である。
報道によれば、この主犯格少年は酒乱の気があり、殺害事件も、また、前科となった老人への殴打事件も、いずれも酩酊状態での犯行であり、しかも、殺害事件は、主犯格及び従犯格の少年全員が居酒屋で飲酒した直後に起きたという。
これが事実とすれば、本来は未成年である加害者たちに酒を提供した店側にも事件を引き起こした要因の一端はあったと言える。
むろん、未成年の息子が以前にも飲酒して通りすがりの老人を鉄パイプで殴るという実質的な殺人未遂事件を起こしているのに、その後も野放しにしていた両親の責任も大きい。
だが、未成年が平然と飲酒できる環境が加害者少年たちの周囲で成立していたのだとすれば、そこにやはり犯罪の下地は出来上がっていたことになり、もし、こうした状況が川崎という地域の性質に大きく支えられているのであれば、新たな事件による犠牲者を出さないためにも、一刻も早く是正されるべきだろう。
さて、同じフィリピンハーフの池永と川崎の中一殺害事件の主犯格にはもう一つ共通点がある。
それは、彼らの風貌がいわゆる今風の「イケメン」で、普段は快活な面もあっただろうと思わせる点だ。
凶悪犯というフィルターを度外視すれば、彼らは決して醜い容姿ではない。
加えて、公に流布した写真での表情も、むしろ明るい印象のものが多い。
過去にマスコミやネットで「イケメン」扱いされた男性犯罪者というと、北海道・東京連続少女監禁事件「監禁王子」こと小林泰剛、イギリス人女性を暴行・殺害し逃走した市橋達也、大阪姉妹殺人事件で死刑になった山地悠紀夫などがいる。
この三人の容姿の詮議はさておき、メディアに残る彼らの表情はいずれも病理的であったり、目つきがいかにも険しかったり、あるいは笑っていてもどこかうらぶれた雰囲気を漂わせていたりして、決して明るいものではない(個人的に市橋達也は見るからに目つきの悪い凶相といった印象で、なぜ彼が『イケメン』扱いされ、擁護される空気さえ一部に見られたのか全くの疑問だった。そもそも容姿がどうであれ、うら若い女性を付け狙って無残に殺害した点、被害者にとっては理不尽な死である点で、池永と市橋で大差ない。それとも、池永を非難して市橋を擁護する人々にとって、日本人の市橋に殺害されたイギリス人女性の命は、フィリピンハーフの池永に刺殺された日本人女子高生のそれより軽いのだろうか)。
それはそれとして、三鷹と川崎の二事件を巡る報道の中で、池永については「アニメオタクの変人で周囲からは『気持ち悪い』と思われていた」、川崎の主犯格については「元は根暗ないじめられっ子だった」等、かつての同級生たちからの否定的なコメントが主に取り上げられていた。
しかし、そこで実際の写真として提示される当時の彼らはいずれも明るく人懐こい笑顔を浮かべた少年であり、「オタク」「いじめられっ子」という言葉から一般に連想される陰気さや閉鎖性、いじけた表情といったものは見えてこない。
私などは
「本当にこの子がそうだったの?」
「仲の悪かった相手からの否定的なコメントばかり誇張して取り上げてるんじゃないの?」
という違和感を覚えてしまう。
ネットスラングとして引きこもりがちな「オタク」に対して「リアル(現実生活)が充実している人」を略して「リア充」と呼ぶが、「気持ち悪いオタクだった」はずの時代の彼らは、画像としてはむしろ「リア充」の顔に見える。
川崎の主犯格少年に関しては本人も自分の容姿に自信を持っていたらしく、逮捕された他の少年二人と比べても圧倒的にネット上に挙げられた写真の枚数が多く、また、その中で明らかに撮られることを意識して見せるための表情を作っている。
他に逮捕された二人の少年の内、片方は本人とされる写真でも別人が混在していると思われる状態であり、これが本人かと思われる写真でも他の仲間の背後に隠れるようにして顔を影にして映っており、気弱さからかグループの中では敢えて目立たない位置に回ろうとしていた感触を受ける。
もう一方の少年の方は、率直に言って、三人の中では一番険しい顔つきだが、写真の表情としては第三者から受動的に撮られたぎこちなさが見えるものが主であり、決して自己顕示的ではない。
この主犯格の少年だけが、事件前の写真であるにも関わらず、まるで全国から注目される近い未来を予期して「俺を見ろ」とこちらに向かって挑発するかのような表情を作っているのである。
こうした凶悪犯への反応としては珍しいことではないが、ネット上で犯人の中でも彼の容姿を殊更揶揄する動きが目立つのも、実際に人目を引く風貌をしていることに加えて、本人もそれを意識して誇示する風に映っていることへの反発が大きく手伝っていると思われる。
ただし、この主犯格少年は、逮捕前にネットで拡散されていた近影が、恐らくは本人自ら撮った自信の一枚と思われるものの、特に悪ぶって挑発する風でもなく、上を向いて飽くまで晴れやかに微笑んでいる表情なので、「もっと陰惨で禍々しい風に映っていてくれればいいのに」と見るたびに思うし、その写真を見て同じように感じた人は少なくないのではないかとも思う。
普段の本人の感じとは違う風に撮れてしまった写真は世間に間々あるし、逮捕前に流布した川崎の主犯格少年の写真はいわゆる「奇跡の一枚」だったのかもしれないが、この写真の中の彼は、単純に美男子に見えるという以上に、朗らかな表情をしている。
池永にせよ、川崎の主犯格少年にせよ、若くして血塗られた事件を引き起こす前には、そんな表情を浮かべる瞬間もあった。
また、そんな風に快活に笑っていた一面があったにも関わらず、程なくして恐るべき凶行を引き起こして、同級生たちから過去の姿にまで全否定的な言葉を投げつけられる人生が痛ましくなる。
むろん、彼らの犯した罪は決して許されるものではないし、相応の罰を受けるべきだという感情に変わりはないが、罪を犯す前の彼らの全人生まで否定・矮小化されるべきだとまでは思えない。
加えて、彼らを巡る報道においては、「加害者は学生時代、陰気なアニメオタクだった」という風に、特定の作品やアニメを好んで見る趣味そのものを残忍な犯行を生み出した要因として貶める論調が少なからず見られた。
彼らにアニメを好む一面が実際にあったとしても、これは明らかに偏見である。
むしろ、池永チャールズトーマスが完全にアニメの世界に耽溺して、生身の女性との関わりを忌避する「オタク」であれば、そもそも被害少女と交際するにも至らず、事件は起こらなかったと言える。
また、池永は被害少女と同時並行で他の女性とも交際していたとの記事もあり、そこからすれば、自閉的な「オタク」どころか、生身の女性に対して積極的なタイプだったと言える。
川崎の主犯格少年にしても、事件当時は仲間を引き連れて街を徘徊する生活を送っており、それゆえに被害者少年との接触も生じて、凄惨な事件に繋がったのである。
裏を返せば、彼が自宅に引きこもって一人でアニメに没頭する生活を送っていれば、不良グループも出来ず、五歳も年下の少年を手にかけることもなかった。
特定のアニメを好む傾向が凶悪犯罪に直結しているのだとすれば、当初はこの主犯格少年と同じアニメが好きで交流を始めた被害者少年が、自身は万引きを強要されても断り、また、他の友人たちを守ろうと行動した事実はどう説明されるのだろうか。
「加害者が陰気なアニメオタクだったから」「特定のアニメへの嗜好が原因だから」事件が起きたとする見方には同意出来ないし、何か、加害者が抱えていた本当の問題から知っていて目を逸らすような作為的なものを感じてしまう。
そもそも、報道側が、明らかに「イケメン」「リア充」風の彼らについて、「陰気なアニメオタクで皆から気持ち悪いと思われていた」という風に、事件前は多少なりとも持っていたであろう明るさや快活さを頭から否定する人物評をことさら強調している点にも、偏向の匂いがする。
むろん、そこには彼らが将来ある可憐な少女やあどけない少年を無残に殺した犯人である事実から来る嫌悪感もあるだろうが、フィリピン人女性を母親に持つ彼らの資質を生来低劣と見なす差別心も秘かに込められているように思えてならない。
特に、川崎の事件に関しては複数犯であり、従犯格として逮捕された他の二人にも凶器となるカッターナイフを持参して殺害を煽る、遺体を蹴って移動させる、事件後にマスコミの前に平気で出てきて無関係を装う等、主犯格に勝るとも劣らない残忍さや卑劣さが強く感じられる。
にも関わらず、母親がフィリピン人、祖母も韓国人と判明した主犯格少年一家に比して、従犯格の少年たちの家族が取沙汰される動きはかなり希薄であり、事件前の本人たちの性向も添え物程度にしか取り上げられない。
主犯格少年一家への猛攻撃には、やはり「フィリピーナの母親」の存在が燃料になっているように思える。
実際、日本人の中にあるフィリピン人女性こと「フィリピーナ」(男性だと『フィリピーノ』になる)という言葉から連想されるイメージは、他の東南アジア出身の女性と比べても、芳しいとは言えない。
こう書く私にしても、「ベトナム人女性」というと、華奢な体にアオザイを着こなした楚々とした雰囲気の女性を想像するが、「フィリピーナ」と聞くと、もっとグラマラスな体形に扇情的な装いを施した女性が連想される。
もっとはっきり言えば、日本に来るフィリピーナには、他の東南アジア出身の女性よりも、娼婦的なイメージが強い。
「タイパブ」や「ベトナムパブ」は聞いたことがないが、フィリピンに関しては「フィリピンパブ」とわざわざ国名を入れた名称が日本語の中には定着している。
このことからも明らかなように、日本に来るフィリピン人女性は他の東南アジア出身の女性よりもいわゆる水商売に従事するケースが目立つ。
戦前に中国や東南アジアに出稼ぎに行った日本人女性を「からゆきさん」と称したのに対し、高度成長期以降に日本に出稼ぎにやってきた東南アジア出身の女性は「ジャパゆきさん」と呼ばれるようになったが、これは実際の用途としては「フィリピンパブでホステスとして働く女性たち」をほぼ意味していたと言って良いだろう。
バブル崩壊直後の一九九〇年代前半、日本で映画やドラマに出演して有名になったフィリピン人女優ルビー・モレノは、後に「ジャパゆきさん」として来日し、ホステスをしていた過去が明らかにされたが、そもそも、彼女の演じた役柄自体が「ジャパゆきさん」的なイメージのものが多かった。
ウィキペディアによれば、彼女は一九六五年生まれで現在四十九歳。
ちなみに池永チャールズトーマスは一九九二年生まれ、川崎の事件の主犯格少年は一九九六年生まれである。
付記すると、池永には年の離れた異父妹がおり、川崎の主犯格少年には五、六歳離れた異父姉がいるとのことだが、元は水商売をしていた「ジャパゆきさん」だという彼らの母親たちは、恐らくルビー・モレノと大きくは変わらない年配であろう。
ルビー・モレノが「ジャパゆきさん」だった経歴を釈明した会見は、当時小学生だった私もうっすら覚えている。
当時は「ジャパゆきさん」の意味も正確には知らなかったのだが、彼女が涙ながらに「私、ジャパゆきさんでした」「(フィリピンに残してきた)子供、しゃべれない」等と語る姿から、本来なら人前では口にしたくない、公の場では明らかにされたくない性質の話だとは何となく察せられた。
見方を変えれば、女優として成功を収めても、「ジャパゆきさん」だった過去が公にされればたちまち周囲の日本人たちから白眼視される状況の中で彼女は生きていたと言える。
我が子の凶行と共に「水商売をしていたフィリピン人の母親」とメディアやネットで一斉に自身の経歴を取沙汰された三鷹や川崎の事件の母親たちにとっても、事情は同じだったかもしれない。
むろん、日本人でも水商売に従事する女性は一定数いる。
のみならず、「銀座のホステス」などというと、一種のステイタスすらあったりする。
しかし、「ジャパゆきさん」「フィリピンパブ」あるいは「フィリピーナ」「ピーナ」といったキーワードで検索してヒットする記事を俯瞰すると、日本に出稼ぎに来たフィリピン人女性やフィリピンパブそのものが、日本の水商売のヒエラルキーの中でも決して高い地位にはないことが良く分かる。
「職業に貴賎なし」と建前では言っても、銀座の高級クラブでホステスのアルバイトをしていた女子大生がテレビ局のアナウンサーの内定を取り消しになった昨今の事件にも明らかなように、「水商売は賎業」が社会では暗黙の了解である。
そもそも、水商売に従事する女性自身が、その世界に入った理由として経済的苦境を挙げる場合が多い。
これは、「そうした差し迫った事情でもなければ決して就くべき職業、入るべき業界ではない」という通念の裏返しである。
ウィキペディアによれば、「ジャパゆきさん」が流行語になったのは一九八三年。
当時のフィリピンはマルコスの独裁政権であり、政敵のベニグノ・アキノがマニラ国際空港で暗殺されたのもこの年である。
当時のフィリピンは日本と比べて経済的に貧しいばかりでなく、政情も不安定だった。
この時期に日本に出稼ぎに訪れるフィリピン人女性が増えたのは、そうした事情を背景にしていると考えられる。
「フィリピン」はスペイン国王フェリペ二世に因んだ国名にも象徴されるように、スペインやアメリカといった欧米列強の植民地だった時期が長く、他の東南アジア諸国と比べても文化や社会面で欧米的、ラテン的な影響が強い。
フィリピーナが他の東南アジア諸国の女性と比べて欧米的な方向でコケティシュな印象が強いのもそのせいだろう。
日本の現代史を見る上でも、フィリピンは因縁深い土地である。
戦後の日本に降り立った連合国総司令官マッカーサーは、第二次世界大戦中はフィリピン軍の顧問であり、日本軍の攻撃を受け、「私は必ず戻ってくる(I shall return)」と言い残して現地を脱出した苦い過去を持っていた。
その後、彼はフィリピンを取り戻すばかりでなく、日本統治のトップとして敗戦の焦土と化した日本に降り立つに至ったのである。
戦後、日本人にとってのフィリピンはバナナやマンゴー、パイナップルのような「南国」を象徴する果物の主要な輸入先となり、また、フィリピンという土地自体もそうしたイメージの観光地として位置づけられるようにもなった。
日本に出稼ぎに来る褐色の肌のフィリピーナは、「南国」のイメージを喚起させるエキゾチックな魅力を持ってもいたのである。
そして、そこには、「日本人女性より安価に買える」という、売り手の彼女らにとっては哀しい付加価値も伴っていた。
むろん、個々のフィリピン人女性の容姿や資質が日本人女性より劣っているわけではない。
しかし、日本で働くフィリピン人女性の賃金は同種の職に就く日本人女性のそれより安いのが現実である。
資本主義社会において、低賃金で雇われる労働者はどうしても軽視を免れない。
率直に言って、日本人メインの「キャバクラ」や「キャバ嬢」といった語句からも派手でけばけばしいイメージが喚起されるが、「フィリピンパブ」というともっとうらぶれたいかがわしい印象があるのは否定できない。
それはそれとして、うら若い「ジャパゆきさん」たちは、日本社会において、そもそも外国人であることに加えて、「賤業」の水商売、しかもその中でも安く買われる存在という、三重苦の中での暮らしを強いられたのである。
こうした「ジャパゆきさん」への白眼視は彼女らの背後にあるフィリピンという国家そのものへの蔑視と連動していった。
敗戦直後の貧しい日本でも、米兵相手に売春行為をする「パンパン」と呼ばれる女性たちがいたが、同じ女性のセクシュアリティを売る仕事でも、同胞よりも外国人が相手である方が、屈辱的で悲惨な印象が増幅する。
外国人男性に買われるその姿が、その女性個人の堕落や不幸という枠を超えて、国同士の関係の縮図に見えるからだ。
米兵とパンパンほど露骨な形ではなくとも、日本人男性に買われる「ジャパゆきさん」または「ピーナ」のイメージは、留学や水商売以外のいわゆる「正業」の職種で日本を訪れるフィリピン人ばかりでなく、フィリピンという国そのものを「下位」と見なし続ける意識を日本人の中に根付かせた。
実際、バブル崩壊以降の日本で、「ジャパゆきさん」あるいは在日フィリピン人は事件の当事者としてしばしばメディアを騒がせた。
二〇〇〇年に発覚した本庄保険金殺人事件は、地元で金融業及び飲食店業を営んでいた八木茂を主犯にしていたが、共犯として逮捕された三人の彼の愛人の一人アナリエ・サトウ・カワムラはフィリピン人女性であり、元は八木が経営するスナックのホステスであった。
「サトウ」「カワムラ」はいずれも彼女が日本で偽装結婚した相手の姓であり、彼らはいずれも保険金目当てに殺害されたこの事件の被害者であった。
主犯の八木は逮捕前にメディアに積極的に露出していたが、その際に、三人の愛人たちの中でも特に目立って出てきたのがこのアナリエだ。
甲高い声で片言の日本語をまくし立てる姿からまず印象付けられるのはふてぶてしさ、いかにも擦れた商売女といったものであり、率直に言って彼女の挙動から「この人たちはやってるな」と感じた人も少なくないのではないかと思う。
ちなみに、他の日本人愛人二人が自分の保身以外にも恐らくは八木への情からすぐには罪状を認めなかったのに対し、このアナリエは真っ先に八木に離反し、自供するドライさを見せた。
彼女にとっては、日本で偽装結婚した二人の夫たちも、愛人だった八木も、切り捨てるべき存在でしかなかったようである。
裁判の結果、主犯の八木には当然のことながら死刑判決が下ったが、少女時代からの愛人で最後まで彼を庇おうとしていた日本人の武まゆみは無期懲役、アナリエは懲役十五年に落ち着いた。
もちろん、これは飽くまで日本人男性を主犯とする事件であり、共犯者の一人としてフィリピン人女性が加担していた犯罪だが、報道を受けた日本人の心象に「悪辣なフィリピーナ」のイメージが陰を落としたであろう影響は否定できない。
二〇〇五年に発覚したカルデロン事件は、偽造パスポートで日本に入国したフィリピン人夫婦が偽りの身分のまま生活し、娘まで儲けたために起きた悲劇である。
「のり子」と日本名を名乗り「家族三人で日本で暮らしたい」と訴えた少女の姿には痛ましいものがあるが、「カルデロン」とは飽くまで両親の不法入国に使われた偽造パスポートに記載された姓であり、この一家の本名ですらない。
偽名であることが公に判明しているにも関わらず、なぜこの両親は本名を明かさず、娘にも偽りの姓を名乗らせているのだろうか。
ネット上の反応を見ても、この点で一家への不信感を表明し、少女が日本への残留を許された処分にも反発を示す動きが目立つ。
個人的には不法入国した外国人が現地で子女を儲け、その子が当然のように現地の義務教育を受けていた事実、そしてそんなにも長い間、不法入国及び不法滞在が発覚を免れていた状況にまず驚いたが、日本の入国管理がそれだけ甘いという証左でもあろう。
私はこの少女には同情するが、だからこそ、本名を名乗れない身の上で不法に異国へ入国し、結果的に生まれた子供が育ったコミュニティから孤立してしまう状況を作る両親に怒りと不信を覚える。
この少女は日本の行政ではなく、まず、フィリピン人として罪を犯した両親の被害者であったと言うべきだろう。
二〇〇八年に発覚したお台場フィリピン人バラバラ殺人事件は、当時、四十九歳だった日本人男性野崎浩が同居していた二十二歳のフィリピン人女性を殺害し、遺体を損壊して逃走し、逮捕された事件である。
被害者女性は事件当時、六本木のフィリピンパブにホステスとして勤務しており、犯人とも上野のやはりフィリピンパブに勤めていた時期にホステスと客として知り合ったという。
この事件について改めて検索した結果、犯人の野崎が一九九九年にもやはりフィリピンパブにホステスとして勤めていた女性を殺害・死体損壊・遺棄した容疑で逮捕されていたこと、結果的に、彼が両方の事件を併せる形で死刑判決を受けていたことを知った。
うら若い美人女性がバラバラ殺人の被害者になった事件自体は、その犯行の猟奇性によって注目はされたものの、三鷹のストーカー殺人事件や今回の川崎の中一殺害事件のように「犯人を極刑にせよ」「身内も連座しろ」という風に世論が加熱しなかったのは、被害者がいずれもフィリピンパブで働く「ジャパゆきさん」だったからだろうか(ただし、二〇〇八年に殺害された被害女性はフィリピン人ではあるものの、子供の頃に来日して日本語にも堪能だったとのことで、一般的な『ジャパゆきさん』には必ずしも当てはまらないかもしれない)。
「ジャパゆきさん」への蔑視は入国後に賤業に従事せざるを得ないフィリピン人女性の貧困に起因するが、カルデロン一家はそもそも入国自体が不正であった事例であり、本来は同列に論じるべき問題ではないかもしれない。
しかし、いずれも結果としては日本人の中にあるフィリピン系の人々や国としてのフィリピンへの心象を損なうものであった。
そして、二〇一〇年代に入り、青年期に達した「ジャパゆきさん」の息子たちが相次いで凶悪事件を引き起こす事態に至って、日本人の奥底に沈殿していた蔑視感情は表面化した。
むろん、日本社会の建前として「差別はいけません」ということにはなっている。
普段、あからさまに外国人への蔑視を出す人は非難される。
しかし、フィリピンにルーツを持つ年若い犯人たちやその身内に対する報道や反応は、過去に類似の凶悪事件を引き起こした日本人犯罪者と比してもなお、陰湿な嘲弄の匂いが感じられるものであり、「フィリピンに帰れ」という落書きには、この国への差別心ばかりでなく、犯人の少年が紛れもなく日本の社会で生まれ育った事実を故意に無化しようとする卑劣さが感じられる。
若いフィリピン人女性が「ジャパゆきさん」として来日し水商売に従事した結果の一つとして、フィリピンには、「ジャピーノ」と呼ばれる主に日本人男性とフィリピン人女性との混血児が約十万人いるとされる。
池永チャールズトーマスも川崎の主犯格少年も「ジャピーノ」ではあるが(後者は祖母が韓国人なのでもっと複雑な血統になる)、日本で生まれ、日本で育ち、そして日本で罪を犯した。
彼らが手にかけた被害者は、いずれも日本人である。
彼らの実母がフィリピン人だとしても、彼らの人格形成には私たちの日本社会が深く携わっている。
さて、池永チャールズトーマスと川崎の少年殺人の主犯格には殺害以前の段階でも、被害者のプライベートな写真をネット上に晒し上げる、あるいは裸にして真冬の川を泳がせる、ナイフで顔に切り付ける等、相手に精神的な屈辱を与えており、「とにかく自分より惨めな地位まで相手を引き摺り下ろそう」という憎悪が共通して見られる。
別れた相手への怨恨からプライベートな写真を故意にネットに流出させる「リベンジポルノ」という犯罪自体は三鷹の事件以外にも起きており、恐らくこのネット社会ではこれからも発生し続ける性質の犯罪でもあろう。
だが、これは男性側が自分の安全は確保した上で女性の社会的名誉を傷付けるのを目的に行うのが通例であり、池永のようにリベンジポルノ実行後も女性宅に侵入して殺害にまで及ぶケースは稀である。
相手の社会的名誉を失墜させ、精神的に大きな打撃を与えてもなお飽き足らず、家宅侵入して惨殺しなければ気が済まなかった。
それほど彼の憎悪は根深かったのであり、その結果、自らも収監されて罰を受ける事態をも辞さなかったところに、社会的な破滅願望も見える。
というより、逮捕直後の殺気立った表情やその後、移送される際の悪びれた様子もない顔つきを見ると、犯した罪への悔悟はもちろん、殺人犯として拘束される身の上になってしまったことへの後悔すら感じられない。
被害者が死んでしまった以上、あるいは被害者を手にかける前から、彼にとって逮捕前の生活は失って惜しむ対象ではなかったようである。
むしろ、偽りのプロフィールを名乗って亡くなった少女と交際していたこの青年にとって、それまでの生活は心底かけがえのないものとは感じられていなかったために、恐ろしい罪を犯した後も、逃亡や偽装工作もせずにあっさり捕まったのだとも言える。
医師の両親の下で裕福に育ち、自身も高学歴だった市橋達也が被害者のイギリス人女性を殺害した後、顔を変え、ホームレスになっても収監から逃亡する生活を続けたのと対照的である。
生まれ育ちにプライドを持っていた二十八歳の市橋にとって、殺人犯として塀の中に入る社会的転落は極貧生活に堕ちてでも避けたい運命であった。
しかし、三鷹の事件当時二十一歳だった池永にとっては、「逮捕され罪人になったところで、今更、失うほどのものはない」というのが正直な心境だったのだろうか。
リベンジポルノのような、相手ばかりでなく、まず、自分の品位を落とす行為に出る点にも、本当の意味でのプライドのなさ、もっと厳しい言い方をすれば卑しさが見える。
この事件の報道を受けて、恋愛のもつれからの殺害よりも、このリベンジポルノ行為に対してより強い嫌悪を覚えた人は多かったのではなかろうか。
リベンジポルノ行為で自分を貶めるばかりでなく、殺人を働いて凶悪犯罪者に転落する道を選んでいくところから、池永は、相手はもちろん、まず自分を大事に出来ない人格だったと言える。
逮捕後の池永は「母親が父親以外の男性たちを家に連れ込むばかりでなく、彼らから虐待を受けた」と語っており、むろん、この述懐には不遇な生い立ちを強調して刑の軽減を図る目的はあるにせよ、池永が幼少期は母親の乱れた性の被害者であった面が窺える。
もちろん、こうした幼少期の虐待は、純粋な日本人の家庭でも起こり得るし、この手の話はむしろステレオタイプな「凶悪犯罪者の悲惨な幼少期」といった印象も受ける。
ただし、彼の母親が水商売を生業にする「ジャパゆきさん」であり、かつバブル崩壊直後の日本で彼を生み育てた点を考慮に入れると、母親が単に性モラルが低い為に幼い息子のいる家に平気で男性たちを連れ込んでいたのか、それとも、経済的に逼迫した事情があった為に連れ込んだ男性たちに逆らえないような従属関係を強いられていたのかは検討の余地がある。
まして、池永が成人まで育った京都は、古都のプライド高く、同じ日本人に対してすら排他的な傾向の非常に強い地域である。
こうした土地柄において、地位が高いとは言えない外国人女性を母に持つ、母子家庭の児童として育った池永の幼少期はどれほど不遇で孤独なものであっただろうか。
なお、事件当時二十一歳だった池永には幼稚園児程度の異父妹がいたとのことだが、逆算すると、彼が中高生の頃に母親はこの父親違いの妹を妊娠・出産したことになる。
これも周囲の一家を眺める視線に良い方向に作用したとは考えづらい。
何より、思春期の少年だった池永本人にどのように映っただろうか。
別れを告げた被害少女に対し、リベンジポルノ行為に留まらず、家宅侵入してメッタ刺しにした池永の行為からは、単純な失恋のショックから来る恨みよりも、裕福な家庭の一人娘として生まれ育ち、芸能活動をするなど華やかな世界にいた彼女の生きている環境そのものへの憎悪が感じられる。
忍び込んで待っていた先が彼女の家であることを考えると、状況によっては家族を巻き込む一家惨殺事件に発展した可能性もあり、そこからすると、池永の深層意識においては「彼女を殺してやる」ではなく「この一家を壊してやる」だったかもしれない。
むろん、池永の幼少期が悲惨なものであったとしても、被害少女及びその家族には何の責任もない。
だが、一連の行動を見ると、被害少女に出会う以前から彼の中に意識的・無意識的に蓄積されていた怨念を、矛先を誤る形で暴発させた感触を私はいつも受ける。
川崎の主犯格少年に関しても同様である。
写真にも現れているように承認欲求や自己顕示欲が非常に強い一方で、悪事や非行を誇示する方法でしか自分を表現できない彼にとって、被害少年からの離反は許しがたい侮辱であった。
相手が同年輩の悪仲間ではなく、五歳も年下の、まだあどけない、そして恐らくは好んで反抗や挑発に出るタイプでもない少年だったことが、いっそうプライドを傷付ける要因になったと思われる。
その以前にも通りすがりの老人を鉄パイプで殴りつけるほど暴力への強い衝動を抱え、また、「幼い相手なのだから許してやろう」あるいは「離反する人間は放置して、また別な仲間を探そう」といった余裕の持てない幼い精神の中では、「自分を侮辱する相手は抹殺すべし」と思い詰められていったと思しい。
池永と被害少女はフェイスブックを介して知り合ってから殺害まで二年の歳月を経ていたが、川崎の主犯格少年と被害少年は出会ってから事件当日まで実質は二ヶ月足らずの交流であり、惨殺するほど怨恨を募らせるにはあまりにも短過ぎる感触を受ける。
これもまた、この主犯格少年が被害少年に出会う以前から彼の中に募っていた他者一般への憎悪を本来向けるべきでない相手に爆発させた傍証になりはしないだろうか。
ただし、川崎の主犯格少年は仲間と共謀して殺害の前から被害者からスマートフォンを取り上げて偽装工作を図り、殺害後も隠蔽工作を重ねている点に、家族と一つ屋根の下で暮らすそれまでの生活への執着が見える。
川崎の主犯格少年の場合は、その家族に対しても世間の非難が集まり、ネット上では両親はもちろん、それぞれ外国人の祖母たちやまだ年若い女性である姉妹たちのプライバシーも取沙汰された。
しかし、ネット上に拡散された家族写真を見る限り、個々の人格的印象はさておき、いかにも仲の良さそうな家族といった印象を受ける。
自宅近くの空き地でバーベキューパーティに興じているらしい写真や主犯格少年が姉や祖母とカラオケを楽しんでいる様子など、少なくともこの家族の関係性において陰惨さや寒々しい断絶といったものは感じ取れないのだ。
警察に出頭する息子に弁護士を付ける一方で、「事件当日息子は家に居た」と本人が偽証罪に問われかねない発言をする父親など、世間の非難を浴びる形ではあるものの、わが子を庇おうとする心情は強く感じられる。
秋葉原通り魔事件を起こした加藤智大が実母とは徹底して断絶した関係にあり、付属池田小事件の宅間守が実父から「あいつはろくでもない奴だ」「いつかこんな事件を起こすと思っていた」と他人事のように切り捨てられていた事実に鑑みると、川崎の主犯格少年一家はいびつな形ではあっても、息子に愛情を持っていたと言える。
一方、三鷹ストーカー殺人の池永は先述したように母親の乱れた性に傷付けられた幼少期を語っているが、これは公判が始まってからの行動であり、事件当時は母親からの電話に対して「(殺人を)やりました。(被害少女は)意識不明。お母さんありがとう。死ぬ場所を探しておくわ」と答えるなど、こちらも母子の関係性は険悪でなかった印象を受ける。
加えて、幼い異父妹と一緒に遊ぶ姿を近隣の住民から何度も目撃されており、この種違いの妹に対し彼が邪険な仕打ちに出ていたと思わせる情報は今のところ出ていない。
池永も川崎の主犯格少年も家族とは決して冷え切った間柄ではなかったばかりでなく、彼らの残虐性も飽くまで他人、そして日本人に限定される形で発揮されていたようだ。
この事実は、私たち日本人に対し、何を示しているのだろうか。
川崎の主犯格少年は自らが率いる不良グループを「イスラム国」になぞらえて「川崎国」と称し、「日本の法律には従わない」と嘯いていたという。
マスコミの報道では「イスラム国」を模倣した残忍な殺害の手口がクローズアップされ、処刑動画の流出が模倣犯を招いたとの見方を示していたが、「日本の法律には従わない」という彼の言葉は、「日本の法律や良識に忠実に生きても、自分には何の恩恵もない」という絶望や怨念の裏返しではないのか。
犯した罪を考えれば、池永やこの少年が厳罰を受けるのは当然だという意見に私も反対はしない。
だが、家族への愛情や快活な面も確実に持っていたはずの彼らが、なぜ恐ろしい罪を犯すまでに鬱積していったのか、その過程はもっと斟酌されるべきであるように思う。
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